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2003年12月 アーカイブ

2003年12月02日

黙して語らず…もう古い

【心と体の健康情報 - 125】
~男の言い分、女の言い分~
「黙して語らず… もう古い」

今は携帯電話があるから、昔ほどではないが、夜遅くなっても連絡一つよこさない夫が多い。帰ってくれば「めし」 「風呂」「寝る」だけ。外で何をしてきたのか話そうともしない。夫婦の会話は思った以上に少ないのです。

五十代から上のお父さんは、昔型の父の姿をそっくり受け継いでいる。今は男女平等の世の中。ところが、 今様の男女のあり方にはついていけそうもない。
そんな厄介な存在なのです。
しかし、外で仕事や付き合いに没頭していると、カエルコールのチャンスを見つけるのは案外むずかしいものです。 家のことが気にならないと言えば嘘だし、遅く帰ったからといって、一々弁解めいた言い訳などする気にはならない。
なんとなく後ろめたい心が「黙して語らず」になる。

「一所懸命仕事に打ち込んでいる、俺の背中を見ればわかるだろう…」、「いつかきっとわかるときがくる…」と、 本気でそのように思い込んでいるのでしょうか?
女から見て無口な男は、決して魅力的ではありません。「それが男というものだ!」と思っているとしたら、 それは父親の権威が厳然と存在していた一昔前の話である。
                                                     男の背中には口がありません。 言葉を発しない背中は、女の不安をつのらせるだけです。理解する日が来る前に手遅れになるかもしれません。
男性諸兄には、以心伝心、超能力ごっこは止めにして、お疲れでしょうが、理由の一つも説明して、待っているひと(女) を安心させる優しさを持っていただきたいものです。

2003年12月05日

ワールドコンベンション

先週の日曜日、滋賀県湖東三山の「西明寺」と「金剛輪寺」へ、今年最後の紅葉狩に行きました。明日から十二月というのに、今が満開。 真っ赤に色づいた紅葉に、黄色の紅葉が重なり、緑の山々と彩りをなして、うっとりと見とれる美しさでした。

さて、話は変わりますが、以前、日本人異質論がマスコミで話題なになったことがあります。 何故日本人は諸外国の人たちから見たら異質な民族なのでしょうか? 日本の常識が世界に通用しないとしたら、何が原因なのでしょうか? 今日から何回かに分けて、私なりの気づきや視点で、問題を見つめていきます。

 【吉村外喜雄のなんだかんだ 第9号】
~日本人のアイデンティティー~
「ワールドコンベンション」

海外へ頻繁に出かけるようになると、国民性の違いが目につくようになります。
ノエビアUSAは、毎年一回全米の優績代理店を招待して、ワールド・コンベンションを開催しています。 私も何度か招待を受け参加しました。
日本と同様、全米各州の優績代理店が一堂に会して、表彰式と懇親パーティーが開かれるます。ところが、 日本とは雰囲気がまったく違うのです。パーティ会場は、美しくドレスアップした女性や、 蝶ネクタイにタキシード姿のカップルであふれかえっています。

白人に加え、日系・韓国・中国系などの東洋人、メキシコ・中南米系のアメリカ人と、国際色豊かな一種独特の雰囲気です。 とっても明るくて開けっぴろげです。
そして、日本とまったく違うのは、アメリカの白人の招待者は何れも、夫婦同伴で参加していて、 楽しそうに会場に溶け込んでいることです。
代理店所長は奥様です。同伴のご主人は、何れも仕事を持っていて、忙しいはずです。
日本の大会では、奥様の日頃の努力が実り、晴れがましく壇上で表彰されることになっても、そのためにご主人が会社を休んで、 女性が集まるパーティに参加するなどということは、滅多にないのです。

たとえ、ご主人を招待したとしても、「そんな女ばかり集まるところへ、かっこ悪くて…」と、 にべもなく断られてしまいそうです。
一緒に参加してみたい気持ちは、十分あると思うのですが、「会社にどう言って休みを取ろうか?」 「妻にくっついて出かけていくのはみっともない」と、尻込みしてしまうのです。

米国では、ご主人が仕事に没頭して、奥さんをほったらかしにしたら、離婚されてしまいます。ですから、 何事も夫婦一緒に行動するのが当たり前。お食事やホームパーティなど、日常夫婦一組で集うことが多いのです。
国家を代表する政治家が、外国を訪問するとき、必ず夫婦同伴なのもうなずけます。

しかし、一昔前の日本には、そんな習慣などありませんでした。我々日本人は、ご主人の催し事に奥様が、 奥様の集まりにご主人が、何れも夫婦同伴で出席することには、まだまだ抵抗があるです。

2003年12月09日

黙して語らず…もう古い(2)

■大島修治氏

明日10日、暴漢にガソリンを浴びせられ、火だるまになって、全身の65%死滅に近い火傷を負った、 大島修治氏の壮絶な生への体験談を聞くことになっています。
言葉では言い表せない、激痛との闘い。何度となく繰り返される皮膚移植。
激痛にのたうちまわろうにも、動かせない身体。悲運に泣き、何度も死んで楽になろうと自殺を試みたその末に、一人の人間として、 新しく生まれ変わることができたという、ものすごい体験談です。

生と死の淵をさまよい、想像を絶する苦痛を乗り越えていく、その過程で、仏法でいう「悟りの境地」に至ったのであろう。
人間が本来持っている能力も、使わなければいつしか退化していく。それが、生と死の極限を体験することで、生命のエネルギーが突然目覚め、 顕在化して、表に出てくるのでしょうか…
大島氏は、傷が癒えると共に不思議な能力が身についたそうです。肩こりや、腰の痛み、切り傷など、痛む箇所に手を当てると、 痛みを消すことが出来るということです。。
目の前にいる人の気を抜いたり、入れたりする、すごい能力があるようです。
「気」を自在にコントロールできるのでしょうか? 人間の可能性は限りなく深く不思議です。

【心と体の健康情報 - 126】
~男の言い分、女の言い分~
「黙して語らず… もう古い(2)」

以下、読売新聞「幸せパレット」からの抜粋です。

「ねえ、頼むから離婚してくれない?」。 Mさんは離婚した妻の一言が耳に残って離れない。「どうしてこうなってしまったのか?」と、 強い後悔の念にかられている。

結婚して二年ほどたった頃から、夫が経営する会社の経営が傾き始めた。一人で考えごとをする時間が多くなり、 夫婦の会話もめっきり減った。
妻は心配して、「一生懸命働いているのに、どうしてなの?」「会社が倒産したらどうなるの?」と、 質問をぶつけてきた。黙って何も答えなかった。何度も言うと、夫は「大丈夫、何とかする」、と繰り返すだけ…
妻は別の部屋で寝るようになり、半年後に「こんな人だとは思わなかった」と、離婚を切り出した。

離婚後、会社は徐々に持ち直し、気持ちにも余裕が持てるようになった。あの時、 会社の苦境を妻に話すことができなかったのは、「みっともない自分を見せたくない」 「甲斐性のない自分を認めたくない」という、見栄やプライドがあったからだと思う。
格好悪い自分をさらけ出して、妻に悩みを打ち明け、夫婦の問題として話し合っていれば、 離婚は避けられたかもしれない。「もう一度やり直したい」という気持ちはある。が、 プライドが邪魔してその気にはならない。

逆境に立たされた時、夫婦のきずなが試され、妻の存在も試されます。
「俺が妻子を養っている」「仕事のことに口を出すな!」といった、昔風の亭主の考え方では、妻はついてきません。 「夫婦が共に悩み、苦しみを共有し、共に支えあって苦境を乗り越えていく」。そうやって、 夫婦の絆を強めていくという考え方が、必用なのではないでしょうか?

男性には、一人で問題を抱え込み、自分の世界に閉じこもる傾向があるだけに、傍から見た限り、ちっぽけな「男のプライド」 など捨て去る勇気がいるようです。
夫と妻が持つそれぞれの持ち味を生かして、夫婦名コンビ、繁盛している会社が多くなってきている今の時代。以前は、 奥様がご主人を助けて、総務や経理を補佐するケースが一般的でした。近頃は、「奥様が会社を背負って営業の第一線に立ち、 ご主人が会社全体を補佐し、取りまとめる」といったケースが、増えてきているように思える。

2003年12月12日

哲人・中村天風

■中村天風師について
                                                                                                                天風先生がいま生きておられたら、 目をカッと開いてこうおっしゃるでしょう。

売れない、お客が来ない。だからどうだというのか! どうしろというのか!
不景気なときに、不景気だと言ったら、景気はよくなるか!
人の世のために役立つ事業をするのなら、まず人の世のために役立つ
自己の確立が第一である。
人の幸福を願うなら、まず自分が幸福でなければならない。
自分が幸福であるかないかは、人生に対する自分の思想が積極的か、
積極的でないかに依存する

天風会元専務理事 清水榮一著「心の力」より

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第10号】
~幸せな人生を歩むために~
「哲人・中村天風」

一昨日の十日、大島修治氏の壮絶な生への体験談を聞きました。 大島氏の不思議な能力については、 前号お話しましたが、偉大な哲人”中村天風”師の場合は更にすごい。
中村天風師は、明治9年東京生まれ。日清・日露戦争で軍事探偵として活躍。
三十歳のとき肺結核になり、死を目前にし、絶望的な日々の中、心の救いを求めて三十三才で渡米。世界を回り、 著名な哲学者に出会うも成果なく、死を覚悟して帰国の途中、インドの地で”カリアッパ”師と出会った。 ここからよみがえるのです。

ヨーガの聖地ゴーク村で修行することニ年。悟入転生、悟りを得、新しい生命力を手にして、 三十七歳のとき日本に戻ってきます。この時期に天風独自の自己強化哲学が開眼するのです。
帰国後数年で、銀行の他いくつかの会社を経営し、実業界でご活躍されます。
四十三才のとき、突然すべての地位、財産を放棄。単身「統一協会」を創設し、上野公園で辻説法を始めました。 八十六歳のとき、財団法人「天風会」創設。
1968年、九十二歳で没す。

天風師の教えは「積極一貫」。「いかなる状況であろうと、喜びと感謝で迎えなさい。そうすれば、幸福に活きることができる」 と説いています。

天風師は信じられないことをやって見せたそうです。目の前にいる適当な人を手招きして、その腕に五寸釘をブスリと刺す。 刺された人は、さぞや驚いたことと思いますが、何故か痛くないだけでなく、一滴の血も出なかったといいます。釘を抜くと、 何の痕跡も痛みも残らなかったそうです。
人間が持つ潜在的可能性は限りなく奥が深い。私達の常識では推し量れない不思議が、いろいろあるものです。

2003年12月16日

夫婦の意識のズレ

【心と体の健康情報 - 127】
~男の言い分、女の言い分~
「夫婦の意識のズレ」

2000年度のデーターですが、共働きの家庭の妻の家事の平均時間は、4時間15分、夫は27分。 専業主婦家庭の夫が家事に携わる時間は、わずか6分。
家事を分担したがらない男たち。そのことを当たり前のように思っているのでしょう。

妻たちは、密かにそういった家庭や夫のあり方に、不満の目を向け始めています。今は、どの家庭も共働きは当たり前。 夫にも少しは家事を手伝ってほしい…。女性の意識がどんどん変化しつつあることに、男たちは気づいていないのです。

ある調査機関が、20代から50代の男女の意識調査をしたところ、大きなズレがあることに驚きました。
妻の七割が 「離婚したいと思ったことがある」と答えています。 一方のは「離婚したいと思ったことがない」 が七割なのです。
「来世もう一度今の相手と結婚したい」と答えた夫が五割。「今の相手と結婚したいとは思わない」と、 妻の七割が愛想をつかしています。
夫の三人に二人は、「今の妻と最後まで添い遂げたい」と思っているのに、妻の三人に二人は 「夫と最後まで添い遂げる気はない」と答えています。

私は、自分で出来ることは極力自分でやり、妻の手をわずらわせることのないよう心がけています。長年共働きをしていると、 妻に負担をかけないようにとの思いが強くなってきました。私の我がまま人生に黙って付いてきた妻への、 ささやかな感謝の行動です。
「なぁ~んだ、そんなことで…」と、笑われるかもしれませんが、私は「男子台所に入るべからず」、家長としてデンと構え、 すべて母親の手をわずらわせていた父親を見て育った、どちらかというと古いタイプの人間。
妻のために「してやっている」といった恩着せがましい気持ちがあったら、すべてが無になってしまうでしょう。

2003年12月19日

ワールドコンベンション-2

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第11号】
~日本人のアイデンティティー~
「ワールドコンベンション(2)」

米国で毎年ノエビア・ワールドコンベンションが開かれます。世界各国で活躍している優績代理店が表彰されます。 売上ランク別に名前が呼ばれ、壇上で表彰されます。
名前を呼ばれて、妻は夫の腕を取り、夫婦添って壇上に向かう。幾段かの段を上がるとき、夫が先に上がって妻に手を差し伸べ、 表彰が終わって段を降りるとき、夫が先に降りて、また手を取ります。そういったなにげないしぐさの中に、 男女の接し方における、日本と欧米諸国の文化の違いを感じるのです。

社長から祝福の言葉があり、トロフィーと記念品が授与されます。そして、仲良
く記念写真に納まるのです。
ここから日本では絶対見られない光景になります。壇上で表彰される妻と一緒に並んでいた夫は、妻の栄誉を讃え、 人目もはばからず抱擁し、抱きしめるのです。
見ている私たちも、その微笑ましい夫婦愛に、ひときわ大きな拍手を送り、何ともいえない幸福感を共有するのです。

日本から参加した優績販社も同時に、何人か表彰されました。五十代の、ご夫婦で販社を経営している方の名前が呼ばれました。  名前を呼ばれるや、ご主人は一人先にツカツカと壇上に向かい、後ろを振り向いて、奥さんに「何してる、早よ来んか」 といった視線を送って、壇上に上がってしまいました。
型どおり表彰が終わると、その社長さんは、奥さんにはお構いなくツカツカと段を降り、自分の席へ戻ってしまいました。 その一瞬、日本人であることに、なんだかすごく恥ずかしい思いをしたことを、今も忘れません。

先に表彰され、抱擁するアメリカのご夫婦の姿を目にして、本能的な恥ずかしさに襲われ、 思わずそんな行動を取ってしまったのでしょうか?
尚、日頃は大変な愛妻家であることを、本人の名誉のために弁解しておきます。

2003年12月26日

日本の武道

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第12号】
~日本人のアイデンティティー~
「日本の武道」

江戸末期、薩摩藩の男達が国を動かしました。薩摩男児の心意気を象徴するものに、薩摩の武道があります。 相手と対峙したとき、「タァ~ッ!」と気合もろとも一撃で相手を倒してしまいます。次がありません。 一撃で倒せなければ自分がやられているのです。NHKで放映された、宮本武蔵と佐々木小次郎の一騎打ちも、 一撃で決着がついています。
以下、城野 宏「能力開発三国志」からの抜粋です。

西洋で代表される剣道はフェンシング。中国の武道の代表は少林寺剣法。何れもチャンチャカ、 チャッチャと、なかなか勝負がつかない。チャンチャカやっているうちに、どちらかが疲れてきて、 形が崩れて倒されるのである。

西洋や中国の武道は、日本とは違い「」の武道である。「こうやって、 こう受けて、こうかわす」と形で覚える。そして戦うときは、その幾つもある形を使い分けて、 形通りに立ち向かっていき、形通りに攻撃をかわし、チャンチャカやるのである。

日本を代表する武道は、「柳生石舟斎・新陰流の居合い抜き」「北辰一刀流の抜刀術」「塚原朴伝」。 何れも相手を一撃で倒す武道である。日本の剣道は、「相手が面に来たら、それをかわして一撃で胴を打つ」 といった、一撃で倒すのが形である。日本人にしかない感覚なのです。

                                 
ジャッキーチェーンの名作「ドラック・モンキー酔拳」などは、まさに中国武道の「形」を観客に見せて楽しませている。 チャンチャカやっているうちに、どちらかが疲れてきて、形が崩れて倒されるのである。

一方、日本の時代劇に出てくる「殺陣シーン」でチャンチャカやっているのは、観客を楽しませ、 面白くするための演出と見ればいいのでしょう…。

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