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2004年03月 アーカイブ

2004年03月02日

可能性思考能力/あるがままに受け入れる

【心と体の健康情報 - 153】
~幸せな人生を歩むために~
「可能性思考能力/あるがまま受け入れる」

先日の”坂東弘康”氏の講演の続きです。
あの偉大な”松下幸之助”は、”可能性思考能力”が誰よりも高かったという。
”可能性思考能力”とは、「現実をあるがままに受け入れること。その上で、 何事にもプラスの発想で受け止めることができる能力」のことをいいます。

ある時、塾生が松下幸之助に質問した。「戦国の逸話て”ホトトギス”がよく知られています。三人の武将の内、 どの武将の考え方に賛同されるでしょうか?」

信長は「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」。秀吉は「鳴かぬなら、泣かせてみせようホトトギス」。家康は「鳴かぬなら、 泣くまで待とうホトトギス」。
ご存知、三人の個性をみごとに表現した逸話です。

鳴かないホトトギスは、もしかしたら”障害を抱えている”のかもしれません?
そのホトトギスに、信長は「殺してしまえ」と言う。それは惨いことです。
秀吉は「鳴かせてみせよう」と言う。「褒美をやるから、鳴け!、秀吉のたっての願いじゃ、鳴け!、何で鳴かぬのじゃ、鳴け! 」。これではイジメです…
家康は「鳴くまで待とう」と、ユウチョなことを言う。これでは、一生が終わってしまいます。為るものも為りません。

幸之助はそれ対して、「わしは、三人のどれでもないなぁ~」と言う。
しいて言えば、「鳴かぬなら、それもまた好しホトトギスやなぁ~」と…

人にはそれぞれ、得手・不得手があります。勉強ができなくても、手先の器用な子もいます。今の学校教育は、 勉強ができない子はダメな子として、スパッと切り捨ててしまう。どんな子にも、その子にしかない持ち味、 キャラクターがあります。
まず、「在るがままに受け入れる」。「それもまた好し」と受け入れた上で、 「その子が持つ素晴らしい持ち味は何なのか? それを見つけ出して、育てていく。それが教育であり、人材育成ではないか。 それが親や、幹部の仕事やろぅ」と、幸之助は言うのです。

可能性思考の前提条件は、「現実をひとまず、在るがままに受け入れる」ことなのです。売上が低迷し、赤字体質の企業。 その現実をまず受け入れ。何故そうなのかを見極めた上で、プラスの発想に導いていく。経営者・ 経営幹部の可能性思考能力が問われるのです。
マイナス思考をプラスに転換するキーワードは、「それもまた好しホトトギス」なのです。

その上で松下幸之助は、事実を在るがままに受け入れるには、「素直な心」 が大切だと言っている。「素直」というと、 一見弱々しいイメージがあるが、 この場合の「素直」には、極めて積極的・ 前向きな意味合いが含まれているのです。

幸之助が会議の席で、「素直に」と発言したときは、「前例や周りの意向に捕らわれるな!」と言っているのです。
「数年前に失敗した事例があります。だからダメだと思います」と発言した社員に、「君、素直でないなぁ…。 前回ダメだったのなら、その原因を追究して、どうやったら旨くいくかのアイデアを出すのが、今日の会議ではないのか?」 と幸之助は言う。
極めて積極的にアクティブなイメージで、「素直」を幸之助は使うのです。
「自分の失敗体験や、自信のなさからくる捕らわれの心」、「素直でない」原因はここにあるのです。

2004年03月05日

日本という国

■絵手紙詩人/大野勝彦氏

先月、絵手紙詩人大野勝彦”氏の講演を聞き、 感動の涙を流した。

熊本県の専業農家。平成元年七月機械を洗浄中に二本の腕をもぎ取られた。
「人生おしまいだ」。悲劇の主人公のような顔をしてベッドでうなっていたとき、両親、妻、子どもたちの家族愛に救われる。

”湧き出る生”への想いを詩に託し、”生きる喜び”を水墨画に、義手で表現するようになった。両手を失って初めて 「手は宝物」に気づいた。家族や人から受けた優しさを、 これからの人生すべてをかけてお返ししようと決めた。

半年後にはもう”詩画”の個展を開き、その後書き溜めた詩画を次々と出版し、様々な賞を受賞。全国各地、絵筆を持って講演して歩いている。 人生のどん底を味わって、本当の生き方を教わったという。「ありがとう」が祈りとなり、笑顔となり、今の幸福があるという。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第21号】
~日本人のアイデンティティー~
 「日本という国」

ウシオ電機の会長、牛尾治朗氏は、日本の企業には三つの強みがあると言っている。一つは「現場主義」、二つ目が「完璧主義」、 三つ目が日本人が持っている「集団主義」 。この三つがある限り、日本の製造業は不滅だという。

日本には、ヨーロッパ諸国のような職種による階級性がない。NHKのプロジェクトXを見ていて、 日本人は何かを作り上げるときに、プロジェクトチームを作り、集団で上下関係に関わりなく、現場で、 やれることは何でも助け合って、しかも完璧にやってしまう。これはすごいことです。

日本人の完璧主義は、病的で行き過ぎるくらい徹底している。その代表がJR。新幹線なんか、時報と同時に発車して、 もう数秒狂っただけでも気になる。その完璧主義が四十年間無事故につながっている。

私(吉村)は、仕事がら式典とかイベントを企画し演出する機会が多かった。その都度、 スタートから終りまで分刻みシナリオを書き、プロデュースするが、時間に一分も違わず終了した時、 緊張がほどけて皆抱き合って泣く。こんな国は日本だけでしょう。

それも最近は怪しくなってきている。こういった日本人固有の強みが、欧米から入って来た合理主義のもとに崩れ始めている。 豊かな社会になって、ものを考えなくなったのです。
戦後は日本人から個性が失われ、みんな同じになってしまった。子供の個性には関係なく、小学校の頃から、一流大学に入り、 一流会社に就職することを最終目的として、詰め込み教育をする。その結果、個性が失われてしまい、日本人が本来持っている、 ものづくりの能力が失われていく。

昔の子供たちは、職人になるもの、丁稚奉公をして商人になるもの、役人や医者になるもの、いろんな人生を選択した。 戦後世の中が豊かになるにつれ、目的が定かではないのに、みんな一斉に大学に進学し、サラリーマンを目指す。 自分に学問が必要かどうかわからないまま、大学へ行く。大学を出ていなければ、 一人前の人間として社会が評価してくれないからです。

2004年03月09日

な~んか…おかしい

【心と体の健康情報 - 136】
~幸せな人生を歩むために~
「な~んか…おかしい」

以下の文章は、致知1月号「三農七陶」(北川八郎・陶芸家)から抜粋したものです。

世の中な~んかおかしい、何もかもがおかしい。人も天候も社会も政治も、みんな、何かおかしい。
いつまでも企業のトップが頭を下げ、政界も私利私欲の毒まんじゅう。だから、誰にも投票したくない。教育界も混乱し、 学校の先生も自信を失っている。
子供達も学校に行く意味を見失って、登校しない子が増えている。その上、心を病んでいる中高校生のなんと多いことか。そして今年も又、 成人式が大荒れと
なった。
病院も医者も失敗を恐れ、恐れるあまり、また失敗を招いている。こんなに文明が発達しても病人は増え、子供を生もうとせず、 日本中が相互不信に陥っている。
こんなに豊かな日本なのに、すべてが、な~んかおかしい。

世界もおかしくなってきている。悪を退治しようと始めた戦争が、以前にも増して憎しみを生み出し、殺りくの応酬。 何故みんな仲良く共存できないのだろうか?
世の中すべて、な~んかおかしい。

バス停で女子高生が化粧している。交差点信号脇の植え込みは空き缶だらけ。
公の場でのマナーがなっていない。
「子供たちも母親たちも喋らなくなった」と、知り合いの自転車屋さんは言う。
黙って自転車を持ってきて、「パンク」の一言だけ。郵便局の窓口で、無言でお金を引き出し、にこりともせずに去つていく。
街で二人の高校生とすれ違った。仲良く歩いていると思いきや、携帯でそれぞれ別の人と話している。いや、話しているのではなく、 黙々とメールを送っている。

人は、一つ便利なものを手にすると、今まで持っていた大切な能力が失われていく。そのことに誰も気づかない。
車に乗れば足が弱くなる。柔らかい食品を食べていると、アゴが後退する。
空調の効いた部屋にいると、汗をかく能力が衰え、自律神経失調症が増える。
除菌にこだわって、すぐお腹をこわすようになる。

社会も天候も、山も川も、そして人間も正常なコントロールを失いつつある。
日本だけでなく、アメリカもイスラエルもイラクもみんなおかしい。世の中がこんなに豊かになったのに、人々はイラつき、人を信じられず、 利を求め、保身に走り、自分一人の幸せしか考えようとしない。

人はみんな幸せになりたいと思っている。だけど、な~んか…おかしい。
あれがない、これが不足と、求めることばかりで、人に与えることの喜びを知らない。                      

2004年03月12日

国家と国民

■アフリカに、植民地になることを免れた国が…

東洋において、日本が欧米諸国の植民地にならなかったことを、私たち日本人は誇りに思っている。
同様にアフリカにおいて、西欧諸国の覇権争いに巻き込まれず、植民地となることを免れた国があったことを、ご存知でしょうか?

その国は「エチオピア」。エチオピアの国民は、そのことを大変誇りに思っていて、外国から来た人にそのことを話すとき、 みんな目を輝かせるそうです。
世界遺産が十幾つもあって、誇り高く、ひときわ愛国心の強い民族だそうです。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第22号】
~歴史から学ぶ~
「国家と国民」

司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、百姓国家日本が、ヨーロッパの大国ロシアを相手に、 日露戦争という途方もない大仕事に、無我夢中で首を突っ込んでいく物語です。
統一国家になって間もない明治日本が、国家の独立を守るため、国を挙げて努力の限りを尽くす。その時代に生きた日本人が、 身分の上下を問わず、それぞれに与えられた持ち場で必死に戦い、卓越した能力を発揮したがゆえに、為しえた快挙なのです。

さかのぼれば明治維新。日本が初めて一つの国家となる大革命を体験した。
その発端は、黒船による米国のどう喝外交にあった。当時の先進諸国は、東洋の国々に武力で脅しをかけて、 植民地を広げていった。
こういった軍事力を背景としたどう喝にめげず、怒りをもって、国を挙げた攘夷運動が沸き起こった国は、 数ある東洋の国々の中で、日本だけである。

もしこの時、幕府側と薩長側が、後ろ盾となっていたフランスとイギリスに援助を仰いで、国を二分する戦争をしていたら、 おそらくこうした列強につけ入られ、日本は二つに割られ、領土は割譲され、植民地への道をたどったことでしょう。

内乱に乗じて手を差しのべようとするのを、断固として拒否したことが、私達の祖先、明治維新の当事者たちの、 形に表れない偉業なのです。
徳川十五代将軍は、戦う能力が十分にあったにも関わらず、兵を引いた。
それに対して薩長側も無理押しをせず、両者がアウンの呼吸で、内乱を避けたのです。
江戸幕府から薩長の明治政府へ、無血政権譲渡が成立したことは、欧米の列強から見ると、驚くべきことだったのです。 中央政府である江戸幕府から、何ら干渉を受けることなく、独立国家の運営を任されてきた全国三百諸藩が、 素直に支配していた自領を明け渡すとは、想像もできなかったことです。
明治政府が誕生する以前は、まだ日本国という中央集権国家は存在せず、藩の人間ではあっても、 日本人であるという意識はなかった時代です。

江戸時代、武士階級のみならず、町人百姓に至るまで読み書き手習いに励み、 幼少の頃から四書五経をたしなんできた国民であるということ。そして、中国がアヘン戦争に負けて、 列強の餌食になっていく過程を、長崎から入ってくる情報によって、武士階級の多くの人たちが、知っていたことにある。

PHP「リーダーのための司馬良太郎」より

あの大きな世界のうねりの中、江戸末期から明治にかけて、日本がその歩む方向を誤らなかったのは、 無学文網の士が極めて少ない高い教育水準が、諸外国から入ってくる情報を正しく判断し、 処理する能力を有していたということです。

江戸末期、日本にやって来た欧米人は、慎まやかで礼節を重んじ、読み書きができる日本人に接し、 その教育レベルの高さに驚嘆したのです。
百姓の身分でありながら、学問に励んだ二宮尊徳。米沢藩の米百表の逸話などがその良い例です。
江戸時代に全盛期を迎えた教育土壌。全国津々浦々、農村にまで寺子屋があったことが、明治になって開花し、 素晴らしい人材を次々と輩出するに至り、国家を繁栄に導いたのです。
NHKの大河ドラマ「新撰組」を見ていれば、当時のことがよく解るのです。

2004年03月16日

左と右の偏った思想

■「日本」という呼び名

サッカー・オリンピック予選バーレン戦、手に汗して観戦したが、健闘むなしく負けてしまいました。
二年前のワールドカップでの「頑張れニッポン・チャッチャッチャ!」の大声援。
あの時ほど多くの日本人が、日本人であることに歓喜し、日本人であることを意識して、一ヶ月近く声を限りに声援したことは、 過去になかったと思う。

ところで、「日本」という呼び名のルーツを知っているでしょうか?
その昔、中国南部では、日本のことを”日出ずる国”「ニチホン」と呼んでいた。
それがいつの頃からか日本に伝わって、「ニッポン」 と言うようになった。

スポーツだけでなく、切手や国名を表すときは「ニッポン」 と言う。
”日本昔ばなし””日本語”など、二つの熟語がくっついた時は、「ニホン」という言い方をする。どちらも正式の呼称です。

【心と体の健康情報 - 137】
~日本人のアイデンティティー~
「左と右の偏った思想」


3月13日の中日新聞を開いて驚いた。「卒業式で光る監視の目、処分に震える先生たち」 の大きな見出し。
2ページにまたがっての特集記事、「えッ!何これ…」

戦後60年を経た今も、日の丸はダメ、天皇制はダメ、君が代は認めないという先生が多数いることは承知している。が、 悪いのはその当時の国際環境、軍部や政府にあって、民主社会になった今の時代、天皇や日の丸の旗が、 国民に害を及ぼしているわけではない。君が代を歌ったからといって、国粋思想にかぶれるわけでもない。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」をいつまでやっているのだろうか。

それよりも怖いのは、ガンとして君が代を認めようとしない左派系の教師が、何も知らない子供たちに、 教室で行っている思想教育にある。都内の幾つかの高校では、式典の内容は生徒が自主的に決めるという名のもとに、 生徒会代表が校長に、国歌斉唱反対を申し入れている。

学校側が譲らなかったため、生徒たちは抗議の黄色いリボンを胸に付けて、卒業式に臨んだという。これには、 先生だけでなく父兄も一枚かんでいる。生徒達のこういった行動は、偏った思想教育の影響なくして起こり得ないことである。
国旗掲揚や、君が代斉唱を拒んでいる先生方は、一体子供たちをどこへ導こうというのだろうか?

更に、もっと怖いのは、問題のある高校に、都の教育委員会から、祝辞を述べるためと称して人が派遣され、 実際は監視の目を光らせていることです。厳しい監視にさらされる先生方。国歌斉唱で起立せず、歌わなかったら、 後日処分され、最悪の場合は免職の恐れさえあるという。

1999年に「国旗国歌法」が施行されて以降、年々都教委の指導が厳しくなっているとある。管理職の校長も、先生も、 従わなければ罰せられる。現場では、国が定めた法律を後ろ盾にした、強い圧力を感じるという。

十五年ほど前の話ですが、私が所属していた石川県の経営者団体が、七尾に能登支部を作った。その当時、 県内四百社ほどの大きな組織だったが、以前からこの団体は「赤」であるという、言われのない中傷があった。

七尾支部が発足した後、驚くべき事実が伝わってきた。七尾市の商工会議所が、「赤」の団体には貸せないと、 月例会の会場の申し入れを断ってきたのです。
さらに驚くことは、入会した会員のところへ次々と電話が入って、七尾で悪評が立つのがイヤなら退会しろ、 と言ってきたことです。

警察がマークしているというのです。何人かがそれで退会していった。確かに、共産党の息のかかった、 全国組織の商工業者団体は金沢にもある。しかし、私の所属していた団体に限っていえば、全くの誤解である。 富山県でも同じように警察にマークされたという。
共産党の匂いがするというだけて、国家警察が入会者をチェックし、素性を調べているとしたら、大変恐ろしいことです。

警察機関は、共産党は、日本の政府転覆を企む悪い思想集団であるという、戦前・ 戦後の混乱期における社会主義活動家に対する悪いイメージを、今のこの時代においても尚、持ち続けているのでしょうか?

私は、右でも左でもない。政治への関心は低い。しかし何かが間違っている。
何れも、右や左の思想を持った人たちの中に、過去の歴史の悪しき亡霊に囚われ、時代錯誤的固定観念に凝り固まって、 社会に影響を及ぼしている人たちが、今なお、少なからずいるということでしょう?

2004年03月19日

単一民族・日本人

ここ数週間、新聞のニュースを見ていると、世界の様々な国が民族・宗教問題などの争いの火種を抱え、悩みが尽きないようです。

【米国】
先月の二十五日、全米でキリストの最後の受難を描いた映画「パッション」が、公開された。宗教的偏見と、 ユダヤ系市民団体が激しく抗議行動を行っている。

【スペイン】
三月十一日、マドリードで列車爆破テロが起き、死者200人、負傷者1250人と、スペイン最大級のテロとなった。 北部バスク地方の分離独立を求める過激派組織の犯行と見られているが、国際テロ組織アルカイダが犯行声明を出している。

【タイ】
タイ南部の分離独立を狙う、イスラム過激派の武装組織が、インドネシアで同じように分離独立を目指す、 イスラムテロ集団に武器を供給していることが明らかになった。タイでテロを繰り返しては、マレーシア側に逃げ込み潜伏。 タイ政府も頭を痛めている。

【フランス】
公立校に通うイスラム系住民の子供を対象とした法案が、このほど国会で可決され、宗教上の慣習を盾にするイスラム教徒の反発を招いている。 この法案は、「顔をショールで覆って登校し、顔を覆ったまま学習することを禁ずる」というものです。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第23号】
~日本人のアイデンティティー~
「単一民族・日本人」

アメリカの人種差別。多民族国家がゆえに抱える問題も多い。
テキサス州は、元はメキシコ領。州人口に占めるヒスパニック系が、国境を越えてくる人たちで、年々増加の傾向にあり、人口の50%にならんとしている。
英語が話せない人が多いため、今では、スペイン語が英語と並んで、テキサス州の公用語になっている。

テキサスに古くから住む白人は、「州がメキシコ人に乗っ取られてしまうのでは」という恐怖にかられるという。 ロサンゼルスや、ニューヨークなどに住む白人が、黒人に持つ感情にも、少なからず同じものがあるようです。

アメリカ経済が落ち込んで、就職難となった1980年代、白人青年の不満が黒人やヒスパニックに向けられた。それにつれ、 KKK団の活動が活発化した。

「黒人二人が入隊テストにパスして、そのせいで白人二人が落とされた!
成績が上なのにだ! 平等を唱えるのもいいが、こっちは実力があるんだ!
奴らは、黒人という理由だけで受かったんだ」…。人種差別の根は深い。

現在、ヒスパニック系住民は、全米人口の一割程度二千万人だが、出生率が高いため、2020年には、 黒人の人口をしのぐのではと、心配されている。

それに引き換え、日本は単一民族国家。北海道には原住民のアイヌがいるとはいえ、人種問題にまで発展することはなかった。 四方を海に囲まれ、外部から閉ざされた国土に住む日本人。そこに住むすべての人が黒い瞳に黒い髪、 そして同じ肌色で同じ言語を話し、同じ風俗習慣のもとに暮らし、神教という共通の宗教を信仰して暮らす。 世界の国々から見れば、極めて稀なことである。

そこに、純度の高い文化と、特異なアイデンティティを持つ民族が育っていった。
この小さな島国に生まれ、そして育ったというだけで、自分は日本人であると言い切ることができるのである。逆に言えば、 日本人であることが当たり前過ぎて、日本国籍を持っていることをことさら意識したり、大切に守ろうとするものは誰もいない。
在日韓国人が日本国籍を取得しても、周りの日本人から「おめでとう」と歓迎の祝福を受けることはないという。 アメリカだったら、みんなでお祝いしてくれるのに…
毎年一万人近く、在日韓国人が日本国籍を取得する。韓国には親戚もいて、 韓国人の血を引く人が日本人になることを選択したとき、これからどのような日本人になるか、考えるという。

一方の米国は、多民族国家である。世界中から、様々な民族が移住し、様々な習慣を持ち込み、様々な言語の祖先を持ち、 様々な宗教観を持つ人たちが、他の民族と混ざり合って暮らしている。
米国国籍を取り、アメリカ人になるということは、自ら米国市民であることに誇りを持ち、国家に忠誠を尽くし、愛国心を育む、 大変重要で意味のある、感慨深いことなのです。

2004年03月23日

日本人の心の継承

■映画「ラスト・サムライ」

トム・クルーズ主演の「ラスト・サムライ」。大きな反響を呼んだ作品だけに、見ごたえがあった。渡辺謙さんが演じた「勝元」は、 西郷隆盛と西南戦争がモデルだという。日本人の魂「武士道」を追求した映画だからこそ、誰もが感動したのでしょう。
助演男優賞が取れなかったのは、ちょっと残念です。

この映画の構想を練ったエドワード・ズウィック監督は、「七人の侍」の影響を受け、新渡戸稲造の「武士道」をすり切れるほど読み、 侍の心を知ったという。                          
日本人の魂「武士道」精神は、昨年の大河ドラマ「宮本武蔵」でも見られたが、この機会に改めて古き良き日本人の心、稲造の「武士道」 を読んでおこうと思う。

「(武士道は)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後も、尚その香気を以って人生を豊富にし、 人類を祝福するであろう」 (武士道の結びのことば)

【心と体の健康情報 - 138】
~歴史から学ぶ~
「日本人の心の継承」

教育の使命の一つに、「日本人の心の継承」がある。世の中がいかに進化しても、教育とは、 人を教え育てることであり、勉強の仕方には変わりがありません。
日本には、長い歴史の積み重ねから生まれた、日本固有の文化があります。
こういった文化を子供達に継承していくのが、教育の使命の一つでしょう。

日本の歴史を振り返り、日本の歴史を刻んできた偉人たちが、その時々に、何をなし、何を育て、 日本をどう変えてきたのかを学び、それを次の世代に伝えていかなければなりません。
そして、日本人だからこそ、日本人に生まれたことに誇りを持たなければならないのです。日本の伝統文化や、 日本人の精神を大切にしていく心を、養わなければならないのです。
戦後、こうした教育がなされなかったことが、日本人固有の伝統的文化、そして最も大切な「日本人の心」が、 日本人から失われていく遠因になっているのです。

さいたま市立島小学校教論”斉藤武夫”氏は、義務教育における間違った歴史観の見直しを強く訴えている。以下、 致知12月号の掲載記事からの抜粋です。

いま学校で歴史を学んだ子供たちの中には、 「日本のような国に生まれなければよかった」「日本人であることが恥ずかしい」 と歎くケースが少なくないという。
日本の戦争犯罪をことさら強調し、われわれ日本人の先祖が、どれだけ罪深いかという意識を、 子供たちに植え付ける、いわゆる”自虐史観”に基づいた教育が、1980年以来一貫して続いているからです。

中には過去の歴史を反省するためには、 時に史実を曲げてまでも日本人の悪事を教えなければならないと考える教師もいるくらいです。
歴史教育を通して、自分の国が悪い、先祖はとんでもないことをした。 そんなことばかりたたき込まれた子供たちが、どうして自国の歴史や祖先に誇りを持てよう。
国を誇り、先人の努力に感謝することもできないで、国際社会の中で貢献できる人材が育つはずがない。 まさに教育の悲劇としか言いようがない。

戦後の歴史教育は、ベルリンの壁の崩壊に始まる、東西の冷戦の終結をきっかけとして、 根本的な部分から見つめなおさねば、日本は新しい国際秩序の中で取り残されてしまうのでは、 という強い懸念に駆られる。
時代の変化に適応した、新しい歴史教育への転換が急がれるのです

子供たちに正しい歴史認識を持たせるのは読書です。 健全な歴史物語を読ませるようにすることが大事なのです。
日本を築いてきた偉人を学ぶには、「日本人の系譜」上田三三生著(自由広報センター) をお薦めします。
江戸末期から、明治、大正、昭和にかけて、数多く輩出した偉人の中から三十名の偉人を選び、一冊の本にまとめた、 大変詠みやすい本です。二宮尊徳、西郷南洲、渋沢栄一、安岡正篤などの、偉大な心と生き方を学ぶことができます。

2004年03月26日

狩猟民族と農耕民族

先週、商業界石川県同友会の皆さんと神戸視察に出かけた。神戸同友会の三月例会に参加し、裸一貫から年商180億円になった企業、 「甲南チケットの小林社長」 の起業家精神を学んだ。普段ともすれば忘れがちな、商いの基本、鉄則、時流をつかむことの大切さなど、学ぶべきものが盛り沢山あった。

もう一つ「私のお針箱」というお店を、 38店舗関西一円に展開していることも驚きであった。ウエストや丈などのサイズ直しのお店で、平成13年からは、靴・バックの修理、 合鍵複製サービスのお店、「くっく・ ぱっく」も十数店展開している。
よその企業が目もくれないニッチ(狭間)の商売に着眼し、チケットのお店と合わせて、神戸ではお店の名前を言うと、 知らない人がいないという”ブランド”にまで育てあげている。
翌日は、六甲アイランドの「ファッションプラザ」、神戸空港建設地、アウトレッドがある「ボルトバザール」、元町商店街などを見学した。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第24号】
~日本人のアイデンティティー~ 
「牧畜狩猟民族と農耕民族」

日本人は「農耕民族」 。国は小さく、野山には狩猟の対象となる野獣の生息が極めて少ない。 そのために日本人は、 太古の昔から農業に依存して暮らすしかない。
農作業は人手がかかる。村人みんな助け合って生きていかなければならない。

それに対して、西欧人、中国・東南アジア、中近東の多くの国々は「牧畜・狩猟民族」です。 より良い土地を求めて部族が移動する。移動のたびに、他の部族と争いになる。相手の言うことをすべて受け入れていては、 自らを守ることができない。それだけでなく、他の部族に生活の基盤を、根こそぎ奪われてしまうかもしれないのです。
一頃、日本人異質論がマスコミで話題になった。農耕民族と狩猟民族の気質の違いが、考え方や問題解決の違いとなって、 随所に現れてくるのです。
肉食が主体の民族は、ライオンやトラのように独立独歩、自己主張が強く、闘争心も強い。
一方、日本人のアイデンティティは「」。草食動物の羊や馬のごとく、 集団で群れることが多く、人のために自分は一歩へりくだることを美徳とする民族で、性格もいたって温和である。

多民族国家アメリカで、民族間の争い事が頻繁に起きる。ロサンゼルスの日系人は、クリーニング業を営んでいる人が多い。 その他中国人などのアジア系、メキシコ人などのヒスパニック系の住民も、同じようにクリーニング業を営む人が多い。
アジア系は勤勉で良い仕事をする。顧客の評判がいい。それを嫉んだヒスパニック系の人たちが、日本人と、 韓国人の店に石を投げ、ウインドゥガラスを割ったりして騒いだ。
そのときの日本人の対応の仕方や、考え方が、韓国人を含めよその民族とはちょっと違うのです。 何が違ったのでしょうか? 解決の仕方が、世界の常識から見て、異質に見えるのです。

みなさんなら、どのように解決するでしょうか? 来週の金曜日の「なんだかんだ」で、その答えを出しますが、 それまでに考えてみてください。

2004年03月30日

祖国愛・愛国心

■社会人としてのモラル

先月夜八時台の民放TV。交通整理のおじさんが、朝、車両進入禁止となっている通学道路の入り口で、孤軍奮闘する姿を、 ドキュメンタリーに放映していた。
その一月ほど前には、NHKでもやっていたので、見た人もあると思います。

通学時間は進入禁止の道路。表道路の渋滞を避けるため、抜け道として利用する車がひっきりなしやってくる。通学路の入り口で、 赤い誘導棒を持ったおじさんが、「ここは通学路です。進入禁止です」といくら運転手に訴えても、一人として言うことを聞こうとしない。

「みんな通っているやないか」「警察官でもないのに、何の権利があって…」「会社に遅れる…」「わかった、わかった…」と、 みんな勝手な理屈をつけておじさんの脇をすり抜けていく。見ていて無性に腹が立ってきた。
これが今の社会の姿、今の日本人の姿なのかと思うと、悲しくなってくる。

【心と体の健康情報 - 139】
~日本人のアイデンティティ~
「祖国愛・愛国心」

今年も又、「成人式各地で荒れる」と新聞が報じた。式場で酔って暴れる、演壇に駆け上がりクラッカーを鳴らすなど、 常軌を逸した行為が全国で見られた。

「人」は社会の中で、誰の世話にもならず、一人で暮らしていくことができるでしょうか?子供達や若者の中には、 社会が人と人との結びつきによって成り立っていることへの認識が、欠落している人が多いように思う。

生活環境や国家という共同体の中で影響を受け、日本人としての価値観や、 自己の存在他人への信頼感などが形成されていく。
ところが、家庭や学校では、こうした当たり前のことを教えない。それが大きく影響しているのでしょうか? 自己中心的な若者が多く見られ、嘆かわしい限りです。

戦後の教育は、個人の権利自由や自発的精神などが重視され、社会人として生きていく上での大切な倫理・道徳が、 置き去りにされてきたことに、問題があるようです。
国に対する意識の一つに「祖国愛」 がある。祖国愛は、生まれ育った社会や文化、 共通の言語と歴史を持つことへの、 連帯感帰属意識などによって培われていく。
次に、国民が一つの国家を形作っていることを意識するものに、「愛国心」がある。
”愛国心=軍国主義”という誤った国家観が、学校などで、国旗・国歌がタブー視される風潮を招くことになる。

読売新聞社説「教育基本法改正の時だ」から引用

四方を海に囲まれ、異民族に侵略されたり、 植民地として異民族の支配を受けた経験のない日本。そういった歴史的背景に、戦後教育が影響して、 国家への忠誠心が極めて希薄で、国家に対する敬愛の念が見られない、世界でもまれな民族になった。
某民放のインタビューで、「国が危機に陥った時、国のために死ねるか?」との問い掛けに対して、「国の都合で死ぬのはイヤ! 逃げる…」と答えた青年が多かったのを記憶している。

ニ千年近くの長きに渡って国家を持たず、世界各地で虐げられ、肩身の狭い思いをして暮らしてきたユダヤ人。また、 イラクのクルド族や、チベット民族のように、少数民族であるがゆえに、独立した国家が認められず、 他民族の支配を甘んじて暮らしている人たち。
その一方で、世界に例をみない恵まれた環境の日本。世界でも稀な単一民族国家としての歴史を持ち、 平和な暮らしができる民族であることに、気づいていないようです。
アメリカ人は、国歌が歌われる時、自発的に立ち上がり、右手を胸に当て、神に祈りを捧げるように歌う。米国人は、 そのようにして国を愛し、国に忠誠を誓う。それを見て、米国を軍国主義の国と思う人はいないだろう。

日本はといえば、戦後教育が明治以降の日本を、ことさら悪く見てきたことも影響して、子ども達の中に、 日本人に生まれたことを悲しむ風潮すら見られるという。すべて学校教育がなせる業なのです。

家族愛愛社精神は素直に受け入れる私達が、 「愛国心」となると眉をひそめたり、無関心を装うのはおかしい。国民一人ひとりが国を愛し、国家の運営に参加し、 国民としての責任を持つ。そして子々孫々に至る国家繁栄の一翼を担う自負心があってしかるべきと思う。

そのためにも、子ども達に正しい意味での「愛国心」を植え付け、日本人であることに誇りが持てるアイデンティティーを育て、 その基盤の上に自分の人生を選び、作り上げる力を培う環境作りが急務と思うのです。
今の日本人には、国を大切にする意識がなく、社会人としての「倫理・道徳」が欠落しているように見える。 何とも嘆かわしい民族になってしまったものです。

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