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そんなに急いでどこへ行く

■坂村真民 「時」

日の昇るにも 手を合わさず 月の沈むにも 心ひかれず
あくせくとして 一世を終えし人の いかに多きことぞ

道のべに花咲けど見ず こずえに鳥鳴けど聞かず
せかせかとして 過ぎゆく人の いかに多きことぞ

二度とないこの人生を いかに生き いかに死するか 耳かたむけることもなく 
うかうかとして 老いたる人の いかに多きことぞ

川の流れにも 風の音にも 告げたもう声のあることを 知ろうともせず
金に名誉に地位に 狂奔し終わる人の いかに多きことぞ
生死(しょうじ)事大無常迅速 時人を待たず あ々…

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第32号】
~日本人のアイデンティティ~
「そんなに急いでどこへ行く」

坂村真民の詩を口ずさみ思う…。「あ々…!どうして毎日がこんなにセカセカとして、時のたつのが早いのだろうか…」
外国人が東京へ来てまず驚くのが、行き交う人がセカセカと急ぎ足なことです。
世界が、日本が、どんどん狭くなっていく。どこにでも気軽に行けるようになった。
世の中が便利になればなるほど、セカセカしてきて、「のんびり・ゆっくりズム」 が消えていき、「心のゆとり感」がなくなっていく。

十年近く患った病も癒えて、ようやく社会復帰への自信がついた二十八歳のとき、世の中の仕組みを学ぶためと、 自らを鍛えるため、片町に出していた店をたたんで、勤めることにした。
閉店バーゲンで売れ残った、残りものの商品を、同じ商店街でライバル関係にあった一の谷鞄店の社長が、 上代の四掛けですべて引き取ってくれた。
今の時代考えられないことです。そんな、のんびりと”みんな仲良く”商いをしていた、あの良き時代はとっくにない。

今はどの企業も商店も、東京、大阪などから進出してきた大手と戦っていかなければならない。 年を追うごとに競争が厳しくなってきて、元日の午前零時に初売りをする大手スーパーも現れてきた。

流通業界にすれば、消費が低迷する中、少しでも早く、一日でも多く店を開け、売上を確保したい気持ちはわかる。しかし、 そこで働く従業員はもちろん、押しかける客側にも、正月をゆっくり過ごす”ゆとり” が感じられない。

同業他社との競争が加速し、消耗戦の体を示し始めている。昼夜・年中無休、そして、切れ目のないサービスは、 企業を終りのないサバイバル競争へと駆り立て、社会全体から”ゆとり”を奪っていく。

そういった企業間競争の激化が、人件費の圧縮を余儀なくされる。年功序列制度を見直し、 成果主義の賃金体系に移行せざるを得なくなってくる。
ところが新聞の報道によれば、ここへ来て、若者がこういった成果主義をとる会社に、「ノー」 を突きつけようとしているのです。

急ぎ過ぎる企業環境の変化に、若者が背を向け始めているのです。行き過ぎた実力主義は、企業を、サラリーマンを、 終りのないサバイバルの世界へと追い込んでいく。若者たちは、そういった実力一辺倒の社会の流れに反発する。
若者たちが、こうした賃金体系の会社を敬遠し、就職離れが進むようであれば、社会問題と化し、 世の中に不安をもたらすことになるかも…。

生き残るためと、休む時間も惜しんで営業すれば、企業の収益は上がるだろう。が、競争に敗れる企業や社員が大勢出れば、 経済の活力は失われていくことになりはしないか…。
「何か革新的なことをしなければ、競争に勝てない」、「ライバル企業に遅れを取ってはならない」と焦り、経営者に” 心のゆとり”がなくなっている。
焦る心が国全体をセカセカと疲弊させていく…。

交通標語ではないが、「日本人、そんなに急いでどこへ行く…」。
もっと”ゆっくりズム”のゆとりのある生き方、 ゆとりのある人生に目を向けるべきではないでしょうか? ”みんな仲良く助け合い”の精神を大切にして、一度しかない人生、 もっとゆったりと、人生を、日一日を、楽しまなくっちゃ…

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