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2004年08月 アーカイブ

2004年08月03日

運勢が良くなる方法/感謝

「人間には運勢がある。だけど、 絶えず努力していないと運はつかめない」
 これは”後藤田正晴” 氏の言葉です。

後藤田氏は、1945年(S20年)台湾から東京へ飛行機で上京することになった。
当初、那覇経由の飛行機に乗ることになっていた。日頃から情報を収集していた後藤田氏は、沖縄は米軍機の戦闘領域に入っていて危険だと、 乗る便を中国大陸沿いを飛ぶ便に変えた。
中国軍には気の利いた戦闘機がなかったからである。最初に乗る予定だった飛行機は、那覇上空で撃墜された。もし乗っていたら、 そこまでの人生運だっただろう。
様々な情報を持っていることが、運を呼び込む要因になります。

【心と体の健康情報 - 156】
~幸せな人生を歩むために~
「運勢が良くなる方法/感謝します」

6月8日にお届けしたメルマガ「足るを知る(2)」の中で、「つきを呼ぶ魔法の言葉」 と題した、世にも不思議な運命を体験した人のお話を添付しましたが、お読みになられた方もあるかと思います。
その中に「運を呼び込む方法」について語っているところがあるので、その箇所を抜き出して紹介します。

人にはツイているとか、ツイていないとか、”ツキ”というものがある。そのツキというものはね、 簡単に手に入るものなのよ。いろんな人がよく使う言葉なんだけど、その言葉を使うと、ツキが回ってくるようになるの。      二つあってね、
一つは”ありがとう”、もうひとつは” 感謝します”…。 ねっ、簡単でしょ。

どんな時にでも自由に使っていい言葉なんだけど、そうねぇ… ある状況の時にこれらの言葉を使い分けたら効果的かもね。”ありがとう”という言葉は…そうね、 何か嫌なことがあった時に使ったらどうかな。 
例えば、朝寝坊しちゃって「わあ~学校に遅刻する!」とか、「会社に遅れる!」なんて時、イライラするでしょ。

そんな時「イライラさせて頂き、ありがとう」と言うの…。車を運転中、事故っちゃって、 そんな時も歯を食いしばって”ありがとう”と言うのよ。どうしてかというとね、 イヤな事が起こるとイヤな事を考えるでしょう。そうするとね、またイヤな事が起こるの。
不幸は重なるというけれど、それは、間違いなくこの世の法則なのよ。だけど、そこで”ありがとう”と言うとね、 その不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。
それだけでなく、逆に良い事が起っちゃうのよ。

”災い転じて福となす”という言葉があるでしょう。どんな不幸と思われる現象も、 幸せと感じる状況に変えてくれるのよ。絶対にね。だから”ありがとう”という言葉はね、魔法の言葉なのよ。
有難う…、「ああ、そうか。難が有るときに”有難う”か!」
それからもう一つ”感謝します”という言葉については、何か良い事があったら”感謝します” と言うようにします。
例えば、明日待ちに待ったハイキング。晴れてほしいなぁ~と思っていて、良い天気に恵まれたら「感謝します」。

そうそう、この言葉はとっても便利でね、 たとえまだ起こっていないことで一週間も先のことでも、「○月○日晴れました。晴れさせて頂き感謝します」とか、 「○○大学に合格させて頂き感謝します」とイメージしながら言い切っちゃうと、本当にそうなるのよ!!  何の疑いもなくそう思い込めればね!

その気になればだれもが実行できることです。つまり「言葉遣いに気をつけよう」 ということなんです。自分の口から発する言葉が、自分の人生に影響するんです。
何かあれば”ありかとう”と言っている自分。そしてすべてに感謝している自分。「ありがとう」が、 普段何気なく自然に口に出るようになれば、ツキが回ってくるようになりますよ。

2004年08月06日

新三種の神器

■2004年上半期の話題の商品ベスト10 (8/5 読売新聞)

(1)アテネ五輪  (6)ロードオブ・ザ・リング 王の帰還
(2)DVDレコーダー (7)ハルウララ
(3)にがり商品 (8)世界の中で愛を叫ぶ
(4)べ・ヨンジュン(ヨン様) (9)バケット定額制
(5)ラスト・サムライ (10)薄型テレビ

人気商品三位のにがり商品はノエビアも販売しているが、品質が良くお薦めです。
ノエビアの生産拠点は南大東島。大陸棚がなく、五千メートルの深海から直接上がってくる深層水を採取して、 塩やにがりを精製している。体内に不足するマグネシウムを補給し、体脂肪の燃焼を促して、ダイエットを促進する働きをします。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 】 
「新三種の神器」

昨年から今年にかけて、家電量販店では、「薄型テレビ」 「デジカメ」、そして「DVDレコーダー」がよく売れている。 消費意欲を刺激し、景気回復の先兵となっている。
”二十一世紀初頭の三種の神器”である。我が家では、デジカメは買い換えて二台目。最初の機種は六十万画素程度だったが、 今の機種は四百万画素。既に六百万画素も発売されているという。

ビデオレンタルショップへ行くと、DVDのコーナーが充実しだした。DVDレコーダーは、画質がいいだけでなく、 一度セットしておけば、毎週のテレビ囲碁や好きな番組が120時間分も、自動録画してくれる。これは便利だと、 昨年の暮れに買って据付けた。今話題の「冬のソナタ」も、録画されたものを見ている。

三種の神器のもう一つ、薄型テレビは「液晶」がいいか?「プラズマ」がいいか?オリンピック需要を当て込んで、 この六月に、松下が液晶を十機種、プラズマを三機種、映像技術を更に改良して、リニューアル発売している。

一昨年の国内出荷は、液晶が前年比62%増の171万台、プラズマが23%増の25万台。 昨年は更に両方とも前年比80%増と、爆発的売れ行き。
しかし、まだまだ高価だし、今後、韓国・台湾製品に押されて、値下がりしそうなので、今しばらく様子を見ることにしている。
ちなみにDVD、昨年は一昨年の2.6倍、220万台売れ、今年は300万台に届く勢いだとのこと。

私の子供の頃は戦後間もなく、食べるものもなく、裸電球一つ、台所には研ぎ出しの流し台が一つ置かれ、 井戸水を汲み上げ、七輪で火を起し、ひっついさん(かまど)でご飯を炊き、 たらいの洗濯板でゴシゴシ洗濯物を洗っていた時代。今はつまみを、ひとひねりするだけで、煮炊き・洗濯が出来る。 それを思うと、私の母親の時代はどの家庭も子沢山で、朝から晩まで家事に追われていた。本当に大変でした。

私が高校を出たての頃、今から45年も前になるが、当時、昭和三十年代の三種の神器は「白黒テレビ、 電気洗濯機、電気冷蔵庫」でした。
当時、トランジスターラジオが大変な人気で、ステレオ装置はまだ高級品、 レコード盤を乗せるだけの小さなプレーヤーを買って、当時流行っていた映画音楽や、ラテン音楽を聴くのが楽しみだった。

昭和四十年代に入って、最大の関心事は、ようやく庶民の手に届くようになった自家用車。「スバル360」「サニー」 「カローラ」などが人気車種であった。その頃の三種の神器は「カー、クーラー、カラーテレビ」 の”三C”である。それから40年経った今、中国が三C時代に入っている。
つい最近、ある家電メーカーが”キッチン版三種の神器”を発表した。
「食器洗い乾燥機、IH電磁調理器、生ごみ処理機」である。

裸電球以外何もなかった時代から、現代のように自家用車から電化製品まで、何でも揃っている時代へ。何もない中から、 欲しいものを一つ一つ買い揃えて、豊かさを手に入れてきた私達の世代。これほどまで世の中が変化し、豊になろうとは…。 過去の歴史には無いことだし、これからもないだろう。そんな時代に生まれ合わせた幸福に感謝している。

2004年08月10日

「ありがとう」を言い続ける

【心と体の健康情報 - 157】
~幸せな人生を歩むために~
「運が良くなる方法/ありがとうを言い続ける」

■ご飯をビンに詰め、三つ並べた。

  • 一つには、毎日「ありがとう」と言い続けた
  • 一つには、毎日「バカやろう」と言い続けた
  • 一つは、 全く無視した。
  • 一ヶ月後に、毎日「ありがとう」と言い続けたビンのふたを開けたら、  ふくよかな香りがした。
  • 毎日「バカやろう」と言い続けたビンのふたを開けたら、ムッとする匂いがした。
  • 無視したビンのご飯は腐っていた。
    (社会や家族から、その存在を無視されたときほど、辛く悲しいことはない)


毎日毎日「ありがとう」の言葉を投げかけられた水の結晶は、雪の結晶のように美しく整った形をしているという。
人の身体は60~70%が水分で出来ている。いつも「ありがとう」を言っている人、いつも「ありがとう」 の言葉を投げかけられている人の体内にある水の結晶は、美しい雪の結晶のような形をしているのかもしれません。

「ありがとう」の言葉を言い、「感謝の気持ち」 を繰り返すたびに、その人の身体細胞が健康になり、愛が深まっていく。 心がきれいになっていく。
このすごい魔法の力を持った二つの言葉、いつでも、どこでも、誰にでも、その気になれば、今直ぐ実践できるし、自分のものにできる。

ところが、現実なかなか行動が伴わない。簡単そうだが、難しいことなのです。
これを実践して有名になったのが、”ありがとうおじさん”です。
滋賀県の山奥に住み、名前も顔も見せず、「ありがとうございます」の感謝行を、五十余年にわたり続けているという。
「ありがとう」を五万四千回言い続けたら、ガンが治ったという事実を語っている。

「ありがとう」という言葉は、難が有ると書いて「有難う」と言う。そのことは、前号で話しましたが、”あ” は「天」、”り”は「理」、”が”は「我」、”とう”は「十分」、「天の意志が我に十分に栄(は) える」という”ことだま”を表しているのです。
特別意味を込めなくても、何事にも「ありがとう」と感謝し続ければ、人間の遺伝子に働きかけ、細胞が元気になり、心がきれいになるのです。

文中に、修養団 中山靖雄「広やかな心」からの引用があります

日々清廉潔白、無欲の暮らしをしている永平寺のお坊さん。ストレス社会の中で暮らしている私達より、 遥かに長命で健康なのは、恐らく、体内の水の結晶が美しいからなのでしょう?

2004年08月17日

不運は幸運の始まり

■「つきを呼ぶ魔法の言葉」

182号配信のメルマガ、「足るを知る(2)」でご紹介した「つきを呼ぶ魔法の言葉」、 まだ読んでいないようでしたら、文中のファイルをダウンロードして、是非読んでみて下さい。 驚きと感動の世界に引き込まれるでしょう。

著者であり体験者である”五日市 剛”氏が、私の友人、木下孝治氏のお世話で、 金沢で講演することになりました。本人の口から直接お話を聴いてみたいと思いませんか?

開催日時 : 2004年 8月28日(土)  PM1:00~4:30
会  場 :石川県立音楽堂(全日空ホテル隣)
演  題 :「運命を変える奇跡のコトバ」
(イスラエルでの体験談と、読まれた人にお伝えしていない、その後に起きた、更なる奇跡のお話にご期待ください)
参 加 費 : 大人1500円  中高生1000円

チケットのお申込みは、076-291-1100へ

【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~幸せな人生を歩むために~
「不運は幸運の始まり」

私の人生を振り返ると、新しい未来に一歩踏みだそうとする時、 何故かその方向へ歩み出そうとするのを阻止するかのように、突然病魔に襲われた。
そんなことを二度も繰り返した。そのたびに、自分の思いとは違った人生を歩まざるを得なかった。しかし、 それを不幸に思ったり、不運と嘆くことはなかった。

自分が志した人生とは違っていても、そこに身を置くうちに新しい世界が開かれ、生きがいが生まれる。 違った形で幸運に恵まれ、不思議な出会いや、ご縁をいたくことができた。「運」や「ツキ」にも次々と恵まれた。

人から見れば不幸に見えることでも、「それもまた人生」「起きることすべて必然」と、肯定的に受け止めてしまえば、 不思議なことに、その後、それに倍する幸運にめぐり合えるのです。
五日市さんの不思議な体験は、そのことを如実に物語っている。私も、そこまで劇的ではないにしても、何度となく、 奇跡のような不思議なめぐり合わせや、出会いを体験している。
どんな境遇に置かれても、運やツキは等しく訪れてくると思う。その時の苦しみや悲しみが大きければ大きいだけ、その後、 それに見合うに余る幸運がやってくる。但し、それなりの努力をしていないと、折角の幸運も掴めないでしょうが…。

3月5日のメルマガ157号で、農作業中機械に両腕をもぎ取られた”大野勝彦”氏を紹介しましたが、 ご記憶にあるでしょうか。致知九月号にも、10ページにわたり特集しています。

機械に両腕が引き込まれていく。このままでは死ぬ!と、必死で引きちぎった。その瞬間、「やった! 助かった!  死なずに済んだ! 良かった」と思ったという。両腕を失ったときから、ご飯を食べるのも、オシッコをするのも、 お尻を拭くのも、人の手を借りなければ何も出来ない。なんとも情けない、上半身生きだるまになってしまったのです。

両手を失って初めて「手は宝物」に気づいた。家業であり、 天職であった農業を諦めざるをえなくなった。代わりに、”湧き出る生”への念いを詩に託し、”生きる喜び” を水墨画に、義手をつけて表現する、もの書きの人生が始まった。
隠れていた才能が、図らずも開花したのです。
数年後には、農業をやっていた頃の何十倍もの世界が広がり、新たな幸福を手にし、生きがいと、 世の中へのお役立ちが実感できるようになった。
「災い転じて福となす」とはこのことでしょうか。
失ったものは大きかった。代わりに「人への優しさ」「思いやり」「人生とは…」「生きるとは…」、 それまで見えなかったものが見えるようになった。
今まで気づかなかったことを学ばせてもらったという。
「もっと早くこっちの世界に来たかった」と言わしめるくらい、不自由になってから後、手にしたものは大きかったのです。

2004年08月20日

運が良くなる方法/感謝の心

言葉遊びの「畳語」、まだまだネタが尽きません。
「竹屋の竹薮に竹立てかけたのは 竹立てかけたかったから
竹立てかけた」

は、早口言葉としても知られています。

「豚が豚をぶったら ぶたれた豚がぶった豚をぶったので ぶった豚とぶたれた 豚が ブウブウと ぶっ倒れた」  も面白い。
「こ向かいの 小山の小寺の小僧が 小棚の小味噌をこなめて 和尚にこ頭 こずかれた」

・私の作品です。お茶の種類を並べてみました。
「お茶を飲むなら日本茶やむ茶  製茶したもの葉茶棒茶
抹茶ほうじ茶げんまい茶 芽茶粉茶にウーロン茶 白茶青茶、 黄茶に黒茶
みんな知ったる緑茶に紅茶  めでためでたの桜茶、こぶ茶
ぜんぶ飲めとは そりゃむちゃくちゃや  やくちゃもない(金沢の方言)」

【心と体の健康情報 - 158】
~幸せな人生を歩むために~
「運勢が良くなる方法(4)感謝の心」

「ありがとう」を言い、「感謝の気持ち」 を持ち続けると、愛が深まっていく。
心がきれいになっていく。このすごい魔法の力を持った二つの言葉、子育てには絶対欠かせないものです。

子供の頃、ご飯をこぼしたりすると「罰が当たる」と叱られた。私達が口にする食べものは、 植物や動物など自然界で育まれた命。それを頂いているのです。
毎日何気なく食べているご飯、そのお米は、お百姓さんの労苦のお陰で口に入ることも忘れてはならない。食事を頂くとき、 お米やお百姓さんに感謝をする心があれば、「いただきます」と自然と手が合わさる。

以下、致知八月号「ありがとうおじさん」からの抜粋です。

ご飯を例に挙げても、米一粒一粒に命が宿っている。米は、 自分の命を捧げて「私を食べてください」と言っている。
「感謝の心」は、「天からの恵みで生かされている」、 そんな思いから生まれてくる。
「感謝の心」の正反対は「欲に囚われた心」になる。感謝のない状態が 「欲の心」なのです。欲の心は、あれが無い、これが不足と、心が満ち足りない状態から生まれてくる。 その満ち足りない心を補おうとして、「欲の心や、求める心」が生まれてくるのです。

子供の成長過程で、「ありがとう」と「感謝」、この二つを繰り返し教え、 躾けなければならない。これは大変大切なことで、親の務めでもあります。

私が幼少の頃通っていた幼稚園は、 武家屋敷の並びにある聖霊病院に付属したカトリック系の幼稚園でした。そこに”ライザ”というドイツ人の美しい先生がいた。 先生は、ドイツ流の家庭の躾け方で、私たち園児を躾けた。

食事の前に繰り返されたお祈りは、今も私の潜在意識の奥深くに眠っている。
食事の前には、必ず「お米に感謝し、天の恵みに感謝し、お百姓さんに感謝しましょう」といった短いお説教があって、 そのあと両手を組んで目をつむり、「天にまします我らが父よ、今日も一日神のお恵みで、食事が出来ることを感謝します。 アーメン」とお祈りしたあと、箸を取った。

食事中に、ご飯を床にこぼしたことがある。「これ、あなたがこぼしたんでしょう?」。 叱られるのが怖かった私は、「自分ではない」と言い張った。暗い物置の中に入れられた。頑固に謝らなかった私に、 「お父さんにきつく叱ってもらいましょう…」。
父親は厳格で怖かった。家に帰って、いつ叱られるかと縮こまっていたことを、今も忘れない。そうやって、食べものに感謝し、 モノを粗末にしないしつけが身についていった。
しかしその後、小・中・高を通して「感謝の心」について教えられたり、学ぶことはなかった。

2004年08月24日

天命の自覚

お盆に、実家へ帰るなど、旅行された方も多いことでしょう。
ところで外国に行くと、言葉が通じなくて困ることが多い。帰ってきた時、次に海外に行く時までに英会話を勉強しておこう…と、いつも思う。

半年ほど前に、民法テレビで画期的な翻訳器が紹介された。私が待ち望んでいたものが実用化されたのです。
翻訳器のマイクに向かって日本語で話すと、話した言葉が英語に変換されて、画面に表示される。しかもそれを英語で喋ってくれるのです。

ロサンゼルスで、通りかかりの人に道を日本語で尋ねたら、変換され、翻訳器が英語で喋る。
それを聞いたアメリカ人が、英語でマイクに向かって道を教えると、即座に日本語に翻訳され、画面に表示される。と同時に、 日本語で翻訳器がしゃべり、道を教えてくれるのです。
今年の秋、十万円くらいで市販されるという。「欲しい~! でも、高い…」

【心と体の健康情報 - 159】
~幸せな人生を歩むために~
「天命の自覚」

致知八月号、特集「何のために生きるのか」で、日本の教育の師”森信三” 先生の教えを今に伝える”寺田一清”氏の文章がある。その中から一部抜粋して紹介します。

1998年に、日本、韓国、中国の高校生二千人を対象に、 アンケート調査が行われた。「あなたはお父さん、お母さんを尊敬していますか?」 との問いに、中国は80%が尊敬していると答えている。韓国は52%でした。 日本はわずか10% 。日本の子供は、 十人に一人しか両親を尊敬していないのです。

同じく中学三年生を対象に、「学校の先生を尊敬しているか?」の問いには、 韓国85.4%の子供が尊敬している。ヨーロッパ12ケ国の平均は83.7%。
アメリカ82%。中国80.7%と続く。 ところが、日本の中学生で先生を尊敬する生徒は、 たった21%。5人に1人です。 50% なければ教育現場は成り立たないと言われている中、まことに憂うべき危機的状況にあります。

今ほど、日本の教育の在り方が問われるときはない。何故こうなったのか?
戦後教育を受け育った、私達の子育てに大きな問題があったようです。
父兄は学校教育に問題があると言い、先生は、家庭の躾け方が悪いからだと言う。
責任のなすり合いをしていても、問題は解決しないでしょう。

自由・人権・個性をはき違えた戦後教育の欠陥が、日本民族をかくも落ちぶれさ せてしまったのです。 国家意識の喪失、親や上長を敬う心の喪失、モノを大切にしないなど、 「モノ豊かにして心貧しき社会」になり下がってしまったのです。

この身があるのは、親があり家があるからである。親があり家があるのは、国があるからであり、 国があるのは、何千年の国の歴史と、国を支えた先人たちの労苦があるからです。
この世に親を選んで生まれてきた者は一人もいない。日本人に生まれたのも、男に生まれたのも、 女に生まれたのも、「天命」 としか言い得ないものがある。

以前、「もしも世界が100人の村ならば」が、 メールで送られてきたことがある。
その中の一節。
「…6人が世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。80人は標準以下の居住環境に住み、 70人は文字が読めません。50人は栄養失調で苦しみ、1人が瀕死の状態にあり、1人が今生まれようとしています。
1人、そう!たった1人が大学の教育を受け、そして、1人だけがパソコンを所有しています。もし、冷蔵庫に食糧があり、 着るものがあり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるならば… あなたは、この世界の75%の人々より裕福です…」

今の時代に生を受けたことは、何と幸福なことだろう。この日本に生まれたことは、 幸運としか言いようがない。もし私が、タイムスリップして、もう20年早くこの日本に生まれていたら、 赤紙が来て戦地へ行っただろう。又、同じ今の世代に生まれても、アフガンやイラクに生まれていたら、戦いに巻き込まれ、 辛い生活を強いられただろう。

両親から今この時代、この日本に生を授かったのは、「天から授かった命」 であり、宇宙の意志によってこの世に送りだされたものであると思わざるを得ない。
それゆえに、「自分に課せられた天命とは何か? 」 天から与えられた使命とは何かを自覚し、積極的に生きることが、わが生の目的である。

今こそ、自らに与えられた運命に目覚め、天命を自覚し、自分を生んでくれた父母に感謝し、 先人を敬い、上長に敬意を払わなければならない。そして、自らが存在する国家を大切に守り、育て、 後世に生まれてくる者たちに、先人から受け継いだ日本人の心を、遺産を、文化を、引き継いでいかなければならない。

2004年08月27日

アジアの貧困に学べ

25~26日の2日間、和倉温泉加賀屋あえの風で、商業界北陸ゼミが開催された。
700名近く参加をいただいた中、二人に一人は県外からの参加者。遠く沖縄や北海道、東北、九州など、 全国各地からお越しいただいた。

この催し事を企画運営したのは、わずか60名の小さな組織。半年間、 中心になって準備をしてきた役員の皆さんのエネルギーの高さには、頭が下ります。
大きな全国組織を持った団体が、全国大会を地方で開催することはよくある。
しかし、組織外の一般参加者が70%以上という、こんなとてつもない大きな事業を、三年に一度、 当たり前のように繰り返し開催している組織は、他に例を見ない。
先輩同友から受け継がれてきた、伝統の為せる業なのでしょうか…。

新潟から社員さん14名を引き連れてこられたKさん、奈良から4名で参加いただいたMさん、その他、 私の呼びかけに応じて参加いただいた友人のみなさん、
ありがとうございました



【吉村外喜雄のなんだかんだ 第44号】
~幸せな人生を歩むために~
「アジアの貧困に学べ」

先々週土曜日の民放、夜九時から放映された「世界が100人の村ならば」で、ロシアのマンホール・ チルドレンを追跡するドキュメンタリーがあった。

モンゴル、カンボジア、ミヤンマーなどのアジアの国々にも、 極限の貧困ゆえに親に捨てられたホームレスの子供たちが大勢いる。モンゴールの冬は、マイナス三十度。街の地下には、 温水菅が通るマンホールがある。捨てられた子供たちがその中に住んで、何とか寒さをしのいでいる。 マンホールチルドレンと呼ばれ、二千名はいるという。
カンボジアの首都には、四万人くらい住むスラム街がある。そこの子供たちは生きるために煙の充満するゴミ捨て場で、 一日中ビンや缶を拾い集めている。
貧くつ街に住む人達には、水を買う金がなく、川の水を飲んでいる。そのため、赤ちゃんがバタバタ死んでいくという。

池間哲郎「アジアのこどもたちに学べ」より抜粋

毎年沢山の日本人が、韓国や中国、ベトナム、タイなどアジア諸国へ観光する。
上海は、中国の中では生活水準が高い方です。それでも、私が見学した工場の女工さんの一ヶ月の平均賃金は、 日本円で七千円くらい。日本の観光客が上海の豪華レストランで支払う夕食代が七千円くらい。 現地の人が一ヶ月近く汗して働き、手にする金額を、一回の飲み食いで使ってしまうのです。

インドのお坊さんが、日本からはるばる観光に訪れたおばさん達に尋ねました。
「遠い日本から、はるばる私の国へ何を求めに来られたのかな?」
おばさん達は、目を輝かせて言いました。「私達はインドの素晴らしい遺跡や仏像を見るためにやってきました。 そして感動しました」

それを聞いたお坊さんは言いました。「どうして日本の人は、そんなに感動を求めてあちこち歩き回るのですか?  そのために使うお金を、貧しい人達に施せば、もっと素晴らしい感動を手にすることができるでしょうに…。 感動を求めるのではなく、感動を与える人になってほしい」と…。

今の時代の日本人、あれが足りない、これが欲しいと、求めることばかりで、与えることを知らない。日本人は、 あまりにも豊かで恵まれ過ぎていて、人間として一番大切なものを忘れてしまったようです。恵まれ過ぎていて、 世界の中で最も贅沢で豊かな暮らしをしていることに、気づいていない人が多い。

だからでしょうか? 大人も子供も、ちょっと辛いことがあると、生きる力を失ってしまう。つい十日ほど前の朝、 いつも犬の散歩をしている公園で、首吊り自殺があった。つなぎの作業服を着た四十代の男性でした。

子供や成人の人口比自殺者が、諸外国から見て極端に高いことからして、生きる力が、 世界一弱い民族ではないかと思うのです。
世界の75%の人たちが、日本より貧しく厳しい生活環境の中で暮らしている。
生きるために必死に頑張っている。
日本人の多くは、貧しい国の人から見たら、王様のような暮らしをしている。
そんな幸せな星の下に生まれながら、今の暮らしに感謝するでなく、「まだ、まだ」と、不足を言っているのです。

2004年08月31日

天命の自覚(2)

一週間後に湯涌温泉で、高校2年のクラス同窓会があり、幹事を務める。
クラスメートの三人に一人は、東京・大阪など県外に住む。
高校2年は、修学旅行や学園祭、部活など、青春の思い出が詰まっている。
86歳になられた先生もお元気で、参加者は19名、皆都合のつく限り集まってくる。上場企業で辣腕をふるった人や、 大学教授になった人もいる。ラーメン屋さんもいる。ほとんどの人が、就職した会社で人生を勤め上げている。
そんなクラスメートも、ぼちぼち第一線から退こうとしている。既に家でブラブラしている人もいる。

欠席の通知をいただいた方それぞれ、一筆添えてあった。
H君、「いつもご連絡ありがとうございます。心や体は元気ですが、お金の貧乏からなかなか脱却できないでいます。一生懸命”今一番” と頑張っています。皆様によろしく」。Cさん、「環境と福祉の方面で、社会貢献させていただき、元気で頑張っています。孫も5人、 おばあちゃん業大忙しです。とても幸せに暮らしております」。

クラスには、S君とMさんの熱心なお世話役がいる。二人のお陰で、春と夏の2回、三十年近く、 毎年欠かさず続けて来られた。たかが同窓会、されど同窓会。長く続けてきたことが重みとなり、人生を彩っていく。

【心と体の健康情報 - 160】
~幸せな人生を歩むために~
「天命の自覚(2)」

「天から与えられた使命とは何かを自覚し、積極的に生きることが、わが生の目的である」 これは、日本の教育の師”森信三”先生の教えです。

自分に課せられた天命とは何か? 」と問われて、 私はそれに即答できない。
まず何事も心の中で形づくられる。心の中で形づくられたものが、後から見える形となって現れてくる。 「自分に課せられた天命とは何だろう?」と、自分の心に問いかけてみる。
 「お前は何を天職とするのか?」「何が欲しいのか?」「金が欲しいのか?」
 「名誉か?」「出世したいのか?」「一体何が欲しくて頑張っているのか?」
 「自分が本当に求める道は何なんだろう?」「どうしたら、沢山の人に影響を与えることができる人間になれるだろうか?」

道が定まらないまま、人生を無為に過ごしたのでは、後から後悔することになる。
孟子の言葉に、「朝(あした)に道を開かば、夕べに死すとも可なり」 というのがある。今日、自分の本当の生きる道が見つかったら、明日死んでもいいという。
命と引き換えにしてもいいくらい、価値のあることなのです。

「天命」とは何かというと、それは「その人が持つ長所・強み・個性を、 世のため人のため活かすこと」でしょう。
相撲取りはマラソンランナーにはなれない。マラソンランナーは相撲取りになれません。
子育てにおける親の役割は、子供の持つ才能をいち早く見い出し、伸ばしてやることでしょう。 2~3才の頃に現われてくる個性を見逃さないことです。
お歌が好きな子、お絵かきが好きな子、敏しょうな子、積み木遊びが大好きな子、いろいろです。
今年も200本安打を達成したイチロー選手も、福原愛ちゃんも、親が才能を引き出してくれたお陰で、 自らが持つ天性を開花させることが出来たのです。

私の人生観の一つに、「人生、好きなことをして、楽しんで生きる」 がある。
人生好きなことをして歩もうと思ったら、できるだけ早く「天職」に出合うことでしょう。 好きな仕事なら、たとえ徹夜の連続でも苦にはなりません。

しかし、仕事・仕事と、仕事に追われ、 仕事の中に人生を押し込めてしまってはいないだろうか? 私の周りには、365日仕事一途、単身赴任、 家庭を犠牲にして働いたあげく、体を壊して人生を棒に振ってしまった人がいる。職業病に悩んでいる人もいる。 忙しさのあまり定期健診を怠って、手遅れで亡くなった人もいます。

仕事と人生、どちらが大きいかと問われれば、誰もが人生の方が大きいと答えるでしょう。 仕事の方が人生より小さいのに、大きな器の人生を、小さな器の仕事の中に押し込もうとして、自らの人生を、夫婦の幸せを、 家庭を、健康を、犠牲にしていないだろうか。
幸せな人生を送るための仕事であるはずが、いつしか、仕事のために家庭や、自己を犠牲にして、 不幸を呼び込んでしまっている。
仕事は生きがいを生み、人生を左右する。しかし、仕事で人生や家庭や、健康を犠牲にしてはならないのです。 仕事に失敗して自殺してしまうのは、仕事に人生が奪われてしまった、典型的なケースでしょう。

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