« 2004年09月 | メイン | 2004年11月 »

2004年10月 アーカイブ

2004年10月01日

健康が第一

九月中旬に胃と腸にカメラを入れ検査をした。引き続き先週、ガンの早期発見を目的としたPET(ペット)検診というものを初めて受けた。私の家系はガン系。
毎年定期健診を欠かさない。ガンの早期発見を最大目的としている。

ガン細胞が増殖するとき、体内の糖を取り込んで栄養にする。PET検診は、 ガン細胞の周りに集まった糖を浮かび上がらせる画像技術で、通常の検診では発見出来ない小さなガンを見つけ出すことができるのです。
さらにPET検診は、三大死因の一つ、心疾患や脳血管疾患の診断もやってくれる。脳を投影することで、痴呆の早期発見にもなる。

朝食と昼食を抜き、糖分を含んだ飲み物を一切口に入れず、午後一時半から約三時間のコース。寝台に寝かされ、 あのドームのような筒の中へ少しづつ入っていき、全身くまなく投影検査する。(検査時間は30分くらい)
只、健康な人は健康保険が利かないため全額負担。84,000円かかるが、予約待ちになるほど、今最も人気のある検診です。

【心と体の健康情報】
「健康が第一」

健康管理をおろそかにしていたら、気づいたら肥満になっていた…。あわててダイエットにチャレンジするよりも、 2キロ太ったら、直ぐ元の体重に戻していく。
そして、一定の体重維持を心がけていくことの方が簡単だし、健康維持には必用なことなのです。(私自身の問題です)

自分にとって最も注意を払わなければならない健康上の問題は何なのか? 
ガンの予防なのか、糖尿病なのか、血圧がやや高めだったり、血糖値が高くなってきたりして、今までの生活習慣のあり方を、 早急に改めていかなければならない場合が多いのです。

病気になって慌てるよりも、健康維持に気を配り、 病気を予防していくことに心を配る方が大事なのです。
私達の体は、自動車のように、壊れたから、耐用期限がきたからといって、簡単に部品を交換するわけにはいきません。 身体の機能が衰えないよう、大切に維持し、長持ちさせなければならないのです。
一つひとつの機能が、いつまでも元気で働いてくれてこその健康なのです。

2000年の日本のガン患者は、約47万人。それが2015年には、 ほぼ二倍の89万人になると推測されている。ガンで死亡した人は、 81年で約16万6千人だっだが、2000年には29万5千人と増加していて、病気で死亡した人の30% を占めるようになった。

一方、早期発見と治療法の進歩などにより、ガンが治る時代になった。国立ガンセンター中央病院の、 治療退院後の5年生存率は、65年当時、男性30%、女性50%だったものが、90年代に入ると、男性55%、女性65% にアップした。
つまり、早期に発見すれば、治る時代になってきたのです。

ところで、99年のガン患者が一年間に要した治療費は2兆6千億円。一方、 がん検診を受けた人は2千9百万人。費用は約1千3百億円
その割合は94対6である。予防に力を入れると、 医療費の削減に大変寄与するのです。

米国では、90年代半ばごろからガンが減り始め、上昇カーブがストップした。
徹底した禁煙対策がなされたことと、 生活習慣病にならないための研究・指導を、 強力に推し進めてきたことによります。
例えば米国では、新しい乳がん検査法である「マンモグラフィー」 による検診を、80%を超える女性が、3年に一度は検診しているという。

国立がんセンター資料より

2004年10月05日

落合監督”オレ流”から学ぶ

イチローが八十年間破られなかった大リーグ記録を更新して、日本もアメリカも大騒ぎ。 松井は本塁打を31本打ち、ヤンキース四番の重責をこなして地区優勝に貢献した。
王や長嶋、松井、イチローが一流と言われる所以は、ここ一番という時に打てる選手だからでしょう。九回二アウト満塁、一打逆転という場面で、 自分とチームのことしか考えていない選手は、何とか打とうと力みが入ってしまう。
長嶋、イチローなどの一流選手は、「スタンドのお客様に喜んでもらおう」との思いで打つから、 力みがない。で、ここ一番という時、期待に応えてくれるのです。

新記録を達成した日のイチローの言葉です。(10/3読売新聞)
「これだけ負けたチームにいながら、こんな素晴らしい環境の中で野球をやれることは、勝つだけが目的の選手だったら、不可能だと思う。 プロとして何を見せなくてはいけないか、何をしたいかということを、忘れてはいけない…」

【心と体の健康情報 - 165】
~幸せな人生を歩むために~
「落合監督の”オレ流”から学ぶ」

私はアンチ巨人の中日ファン。愛知出身のイチロー選手の快挙と合わせて、 この数日は最高にいい気分です。
三冠王を三度達成した大打者落合。”オレ流”の孤高を貫いた現役時代の印象が強すぎて、中日からラブコールがあるまで、 コーチの経験もない。ところが、監督就任一年目でリーグ優勝。みごとなチームに育て上げた。そのリーダーとしての手腕は、 学ぶところがあまりにも多い。

何が優勝への原動力になったのか、新聞に書かれている記事から、垣間見たいと思います。
過去の監督を手本にしたりせず、独自のものを作りあげていく」。 これは昨年監督就任の時に言い切った言葉。イトーヨーカ堂の鈴木名誉会長の言葉を思い出す。「過去を断て、 常識に囚われるな、今こそ新たなる創業の時、人心をつかみ、経営を革新せよ」。
この言葉のように、これまでの監督とは異なる様々なアイデアにあふれていた。
就任早々、フロントからの選手補強の申し出を断り、現有選手の力で十分優勝可能と言い切った。

まず選手を見る時、先入観を持たないようにした。春季キャンプでは一、二軍の枠を撤廃。全員一つになって練習。「一、 二軍の振り分けは前任者が引いたもの。自分で見なきゃどういう選手かわからない」。
70人の支配下選手のうち、実に56人を一軍で起用し、戦力にしている。

落合監督が掲げたのは「一点を奪い、投手を中心に、その一点を守り切る野球」。
今期中日が放ったホームラン数は、巨人の半分にも満たない。限られたチャンスを生かし、全員で守り勝つ野球に徹した。
優勝決定時の監督胴上げには、一・二軍の選手70人全員が参加して喜びを分かち合ったのが、それを象徴している。

球界の常識を覆す選手起用も特徴の一つだ。4月20日の阪神戦では、右打者のアリアスに対して、左投手の久本を送り、 「左打者に左投手とかいう時代は終わった」と断言。
選手の相性などのデーター、当日の調子など、様々な要素も加味するが、それが「相手を考えさせ、惑わせる。 それだけで勝ちなんだ」と…。

星野監督とはまったく正反対で、決して感情的にならない。その姿は、「失敗してベンチに帰る時のことを考えずに、 プレーに集中できる」と、選手から歓迎された。

敗れた試合の後のインタビューでは、敗因となった選手を責めずに、自ら責任を背負い込む。勝った試合後の会見では、 「選手のお陰、こっちは何もしていない」。
選手を交代させる時は、必ず監督自身がマウンドに向かい、ねぎらう。

考え方の基本は「選手第一主義」。起用した以上、選手を信じ、 力を最大限に出させる。「監督は自分たちのことを守ってくれる」と、監督の気配りが選手たちの心をつかみ、 求心力を高めていった。

今までマイナス査定の対象とされた、併殺打や盗塁の失敗は、チームの意図した結果であれば、 その積極性を評価してもらえる。中日の各打者は、併殺打を怖がらず、思い切り良くバットを振るようになった。

2004年10月08日

さようならの語源

秋の味覚の王様松茸が市場に出回り始めた。石川県の主産地は能登半島の先端
珠洲。今年は豊作だという。
ところで、一本二千円もする松茸を前にして目を細め、舌鼓を打っているのは日本人
だけ。外国人にはその味覚がわからない。
中国では刻んで油で炒める食材にする。素材そのまま、香りや歯ざわりを楽しむ
のは、日本人だけである。
欧米人がマズイといって吐き出してしまうのは何故だろうか? その答えは、味噌・
醤油文化に慣れ親しんだ日本人だけの味覚感覚にあった。
松茸の味や香りを分析すると、その成分は、味噌・醤油の成分にそっくりなのです。


吉村外喜雄のなんだかんだ 第50号
~ことば遊び~
「さようならの意味」

言葉の語源の意味を知るのも、言葉遊びの一つ。語源を知って、「へぇ~」と、
結構楽しいものです。

昨日、「老荘思想」「禅のこころ」「菜根譚」など、東洋思想家としてその名を知られている”境野勝悟” 先生の講演を聴く機会を得た。

どんなむずかしい話をされるのかと思っていたら、講演の二時間、会場は笑いの渦。メインテーマは、 日頃なにげなく交わしている「さようなら」の語源と、意味についてでした。
先生は大学を卒業後、私立の学校で国語の教師として教鞭を執っていた。その時の校長は西欧人。校長から「さようなら」 の意味を職員に尋ねられた。が、誰も答えられなかった。その後、調べてみても意味が解からず、 ようやく言葉の意味が解ったのは、二十数年も後のことだったという。

「さようなら」は別れの言葉。その語源は江戸時代の武家ことば、「左様なればしかじか」 である。それをそのまま友達と別れるとき、○○さん「左様なれば…」、『左様なれば…』 と言い交わしたとしたら、どうもピンとこない? この言葉の後に、「ご機嫌よろしく」 が続くのです。「左様なれば、ご機嫌よろしく」となる。これでようやく意味が通じることになる。

明治になって、男女の別れの時に、男性が女性に「さようなら」と言い、それに女性が「ごきけんよう」 と返すようになった。大正・昭和と、男性中心社会になるにつれ、「さようなら」だけが一人歩きし、「ごきげんよう」 は置き去りにされてしまった。今も「ごきげんよう」と言うが、まれにしか使われない。

 

もう一つ、吉田金彦著「ことばのルーツ探し」には、あまり使われないが
「サラバ」 「アバヨ!」 についての記述があります。
「サラバ」の語源は「左有らば」で、源氏物語にも使われている。
「アバヨ!」は、「逢はばや」が語源。「ではまた逢いましょう」という意味である。
今の別れが最後にならないように、との思い。若い人の間では、「では又、じゃあね!」になる

2004年10月12日

落合監督”オレ流”から学ぶ-2

西部がプレーオフの接戦を制してリーグ優勝した。130試合の長いペナントレースを制したダイエー、 わずか一試合で全てが泡となった。このメジャー方式、イマイチしっくりしない。
ところで、王や落合の練習量の多さは伝説となっている。一郎も例外ではない。
体調管理、道具類のチェック…、人の三倍はコンディションづくりに費やしているという。 
一郎は、昨年より一時間も早く球場入り。本拠での試合なら、五時間も前に動き始める。入念なマツサージやストレッチ体操に約一時間。 この積み重ねが、今期大記録達成の大きな要因になっている。                   
ベーブルース以降ずっと、本塁打の一発の魅力がメジャーの主流であった。
大記録を達成したイチローは、野球の本当の面白さを教えてくれている。

【心と体の健康情報 - 166】
~幸せな人生を歩むために~
「落合監督の”オレ流”から学ぶ(2)」

落合監督は、就任一年目でリーグ優勝した。何が優勝への原動力になったのか。
前号に続いて、マスコミのニュースから、そのヒントを探ってみた。

昨年十月、監督に就任したとき、選手を前にしての言葉。
「私は、三拍子そろった選手を作ろうと思っていません。来春のキャンプ開始までに、皆さん一人ひとりが、 人に負けないものを一つ、目標にしてきてください」
「今レギュラーであっても、ウカウカしていられません。来春のキャンプは厳しい…。皆さんに泣いてもらいます…」

二月、選手一人ひとりの能力を自分の目で確かめるため、キャンプ初日から「紅白戦」をやった。一軍・ 二軍の区別をせず、同じスタートラインに立たせ、70人全員一緒になって練習し、競い合わせた。
教えて育てるのではなく、ベテランや急成長している選手の練習を見習わせ、学ばせるようにした。
伸び悩んでいる選手には、何度となく「一芸を磨け」と言って励ました。

監督に自分の力が認められれば、誰でもレギュラーになれる。選手たちの闘争心に火が付いた。 自分のライバルは同じチームの練習仲間。徐々に選手の自主性が引き出され、強い球団になっていった。

【 落合監督が目指すチーム作り、三つの鍵 】
●第一の鍵…目標はっきり
 (1)日本一になる
  ・リーグ優勝ではなく、日本シリーズに勝って日本一になる
 (2)選手全員10%のレベルアップ
  ・「長所進展法」…欠点を直すのではなく、徹底して長所を伸ばしていく。

●第二の鍵…自ら成長せよ
 ・レベルアップするには、 一人ひとりが、自ら何をしなければならないかを
 考える。
  今までのように、コーチに言われてやるのではなく、自分で考えよ!

●第三の鍵…コーチも変われ
 ・コーチは教えることが仕事、 しかし我慢しなさい。選手一人ひとりをしっかり
  観察することです。そうすれば、選手が悩んでアドバイスを求めてきた時、
  的確な指導ができます。

落合はコーチスタッフに尋ねた。「貴方は、百人の選手を預かったとしたら何人育てられますか?」。十人とか、 三十人とか、答えが帰ってきた。
監督は言った。「百人の中で一人育てることができれば、立派な指導者です」それほど、人にモノを教えることは、 難しいことなのです。

監督も我慢した。五月は主力を怪我で欠いたり、チームの調子が出なかったりして、最下位になった。 そんな時でもじっと我慢して、今一つ力を出せない選手を使い続けた。そして耳元で「お前は絶対変えないぞ」とささやき、 選手を信頼した。
選手たちは、監督の信頼に応えようと毎日頑張った。実戦を重ねるうちに徐々に力がつき、育っていった。いつしか自信となり、 自らの力を信じるチームになっていった。
落合監督には「オレ流」の、自分勝手で我がままなイメージが一人歩きしている。
実際、監督に接してみると、「言葉」の使い方をすごく大事にしていることに気づく。
監督のひと言が、マスコミから歪曲して選手に伝わることが多い。慎重すぎるほど言葉を選ぶ。監督のひと声が、 多くの選手のヤル気を引き出し、エネルギーを与えた。

続きを読む "落合監督”オレ流”から学ぶ-2" »

2004年10月15日

野口選手が金メダルを取れたわけ

昨年、川上さん、川人さん、そして私の三家族で立山に登った時のこと。
トップで頂上に立ったのは、中学校一年生の川上さんのお嬢さん。
脚力では自信のある私でも付いていけない。平地で大人と並んで歩けば絶対勝てない子供たちも、急な坂道だと軽々と登っていく。
私など、少し登っては一休みしないと息が切れ、体がいうことをきかない。

子供たちの体重は私の半分もない。坂道では、体重が重いほど足や膝に重力の負担がかかる。大人は、一歩一歩「どっこいしょ」 と、踏みしめながら登り降りする。なのに子供たちは、身も軽く、ヒョイヒョイと登り、そして降りていく。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第51号】
「野口選手が金メダルを取れたわけ」

アテネオリンピックの女子マラソン。日本時間夜中の二時スタート。
それを是非見たくて、それまでの時間、ダビングしてあった「冬のソナタ」を続けて二巻、 眠い目をこすりながら見たのを覚えている。

レースが始まる前は、英国のラドクリフ選手が金メダルの一番手。ベルリンマラソンで2時間15分台という、 とてつもない世界新記録を出している。
日本選手は、ラドクリフ選手にどこまでついていけるか、という感じだった。

ところが、ラドクリフ選手は30k地点手前で脱落してしまった。日本の代表野口選手は小さい。 身長は150cm程度だろう。いかにも細々としている。
体重はせいぜい40k前後ではないか。それに比べると、ラドクリフ選手は身長はあるし、横幅もしっかりしていて、 体重があるのは明らかである。

体長二ミリの蚤は、30cmは跳ぶ。体長の150倍は跳ぶわけだ。そこで、 DNAなどを細工して体長二mの蚤を作ったとする。この蚤は理屈から言えば300mは跳ぶはずである。
そうはならない。体重が増えた分だけ、かかる重力の負担が違うからだ。
象も平地を走らせれば結構早い。その昔、カルタゴ軍がローマ軍を、象部隊の活躍で散々なまでに破っている。ところが、 重戦車のごとき象も、坂の昇り降りとなると、そうはいかない。

勝敗を分けたのは、アテネの急な坂だった。ラドクリフは、比較的平坦なコースなら男子顔負けのスピードで突っ走れる。 だが、アテネのコースは、マラソン発祥の地マラトンから、32k地点まで延々と登り坂が続く。
起伏に富んだコースでは、体重の差がかかる重力の差となって、勝敗に影響してくる。そして、 ラドクリフ選手の途中棄権というアクシデントになった。

陸運の選考委員は、体重差によってかかる重力の負担の違いが、勝敗に影響することは十分承知していたと思う。 アテネのマラソンコースが起伏に富んでいることを加味して、体重が軽く坂道に強い、高橋選手を代表に選んでいたら、 もしかしたら、金・銀独占していたかもしれない…。

致知11月号 渡辺昇一「歴史の教訓」より抜粋

2004年10月19日

古きよき心

松井選手の活躍はすごいですね。今戦っているヤンキースとレッドソックスは、犬猿の仲。 ちょっとしたことがきっかけで、両軍入り乱れて乱闘騒ぎになる。
そんな時の松井選手の行動が面白い。みんなベンチから飛び出していく。
その後から、みんなと行動を共にしないと悪いと思ってか、仕方なくトコトコと出て行く。入り乱れた輪の外に立ち、 どうすればいいか思案しているように見える。
松井選手は、過去に怒りをあらわにした記憶がないという。ストレスは人一倍溜まるだろうし、イライラすることもしょっ中だろう。 ピンボールまがいの玉も飛んでくるし、ヤジもすごい。何故、怒らないのだろうか?

松井選手に聞くと、「怒ったらおしまい、怒った方が負け」と…。ムムッときた時に、自分の心に言い聞かせるという。
「怒りって、突然こみ上げてくるでしょ。頭が真っ白になるし、本能に近い感情だと思う。それを、もう一人の俺、つまり理性が抑えようとする。 理性が本能に負けるのは、情けないじゃん」。 この考え方が野球に結びつく。

やはり大物は違う。自らをコントロールし、律することが出来る。それが、どんな時でも冷静に期待通りの結果を出す。 四番の重責をみごとに果たしている。

【心と体の健康情報 - 167】
~日本人のアイデンティティ~ 
「古きよき心」

今年リーグ優勝したのは、過去の球団年間ホームラン数を更新した、 超エリート集団の巨人軍ではなく、貧打の中日であったことが愉快である。それにも増して、毎日入ってくる大リーガー情報と、 イチロー、松井の活躍が楽しく、心に残るシーズンです。
以下、ニューヨーク・ヤンキース広報担当、広岡 勉「ニュースの手帳」よりの抜粋です。

今年の三月末、49年ぶりにニューヨークヤンキースが来日し、大リーガーの開幕戦が日本で初めて実現した。 主催者や関係者の努力と、松井選手の活躍もあって、興行は大成功に終わった。そのかいがあってか、 帰国してからの反応も上々、「また日本へ行きたい」という声が多かった。

日本の印象については様々。最も多かったのが「日本は美しい」という声だった。
ジータ選手は、「何十万、何百万の人たちがいるのに、ゴミが道に落ちていなかった。すごい驚きだった」と、感心した様子。

だが興味を持ったのは、その次に多かった声です。
「日本人はみんな心が美しい」
お世辞もあるだろう。ただトレー監督の言葉は、社交辞令だけではなさそうです。
「挨拶をする時のお辞儀の仕方、頭の角度を見ても、人々の勤勉精神が見て取れる。 日本人の忠誠心はそういうところから生まれてくるのだろう。日本人から、「真心」の意味を改めて学んだという。

日本人の心のルーツをたどると、日本に影響を与えた思想家の代表が、儒教家の”孟子”だろう。孟子は、人間には生来” 人に忍びざるの四つの心がある”と説いている。

・他人の不幸を見て見ぬふりが出来ない 惻隠(そくいん) の心
・自らの不正・悪を恥・憎む 羞悪(しゅうお) の心
・互いに譲り合う 辞譲(じじょう) の心
・善悪を見分ける 是非の心

来日したヤンキースの皆さんからの褒め言葉。それを聞いた私達は、「へぇ~、そうなの」と、 面映い気持ちにさせられる。
長い歴史の積み重ねから培われてきた、日本人のアイデンティティ「古き良き心」。
今一度、日本人とは何かを見つめ直すと共に、古くから伝わる日本の良き心を、に受け継いでいかなければならない。日本人は、 もう少し日本人であることに、誇りを持つべきでしょう。

2004年10月22日

イタリア人とドイツ人と日本人

11月1日から新紙幣が発行される。五千円札は樋口一葉。女性が初めて採用された。男女平等の今の時代、 遅すぎたきらいがある。
千円札は夏目漱石から野口英世になる。福沢諭吉だけ”留任”したのは、肖像画原版を作るのに時間がかかり、 一度に三人差し替える日数が不足したためという。

新紙幣刷新の最大の目的は「偽造防止」。六年前、 八百枚だった偽札の発見枚数は、今年は既に三万枚を越えたという。
新紙幣発行による「景気刺激効果」も期待できる。 通貨処理機の需要などで、この二年間で一兆円に届く経済効果となって表れ、今年のGDP(国民総生産)を0.1% 押し上げると言われている。

10/11 読売新聞

ヨーロッパ諸国は王室の肖像が多く、アメリカも含め、政治家が多くを占めている。
日本は学者や文化人が多い。そろそろ松下幸之助や豊田佐吉などはどうでしょうか。



【吉村外喜雄のなんだかんだ 第52号】 
~日本人のアイデンティティ~
「イタリア人とドイツ人と日本人」

ある日本人が、米国人の家に招かれたとき、車はホンダ、テレビはソニー、見るものさわる物日本製が多い。 「おまえの家、みんな日本製だね」と、誇らしげに言い、つい調子に乗って 「アメリカの象徴ホワイトハウスをひっくり返してみないか!
そうしたら、底にメイドイン・ジャパンと書いてあるぞ」と、ジョークを投げかけた。

米国人は少しも動ぜず、即座にジョークで返してきた。
ニューヨークのホテルで火事があったんだと…。高あ~いビルの燃えているその上の階で、 イタリア人とドイツ人と日本人が助けを求めていたのよ…。
ニューヨークの消防士が、下から上に向かって「飛び降りろ~!」って叫んだが、震えているだけだったと…。

そこで、イタリア人に向かって「かっこいいぞ~」て叫んだら、 ひらりと飛び降りてきた。残ったドイツ人と日本人に、何度「かっこいいぞ~」と叫んでも、飛び降りてこなかった。
ドイツ人は、世界的哲学者を輩出した理屈っぽい国民です。
そこで、ドイツ人に向かって、「貴方が飛び降りることによって、生きる・死ぬは問題ではなぁ~い。 飛び降りる そのことに意義がある~」と叫んだ。
そしたらドイツ人は”ひらり”と飛び降りた。

残ったのは日本人。「皆さん飛び降りましたよ~」と言っても、降りてこない。
「何と言ったら降りてきたの?」と尋ねたら、「それは簡単なことだよ!」
「ほら、ここにお金が落ちている…」

日本人の価値観はモノやお金。何か行動するとき、”損か徳か”が判断の基準になっていることが多いようです。 何か大切なものを過去に置き忘れてきてしまった国民のようです。

キリスト教宣教師 田中信生「心の力はこう使う」より

 

何かをするとき、「損か徳か」で判断するのではなく、「善いことか、悪こといか」で判断するようにしたいものです。
つまり、やろうとすることが「やって善いことか、善くないことなのか…」で、判断するようにするのです。

2004年10月26日

人間幸せになるたちめに生まれてきた

あるベテランの経営コンサルタントの話。
先生はこの十年の間に、約三千組、一万人近い中小企業の経営相談にのってきた。相談者にお会いしているうちに、倒産寸前の経営不振から 「復活できる人」と、「復活できない人」の区別ができるようになったという。

その、気になる復活できる人とは、「性格が明るく、人柄がよく、気配りがきき、周りを明るくし、人を幸せにできる人」 だそうです。つまり、明るい性格が身を助けるのです。
こういった性格の人が、懸命に会社を立て直そうと努力していると、必ず助けてくれる人が現れます。商品を買ってくれたり、 取引先を紹介してくれたり、金銭面以外で支援してくれるのです。

日頃から、巾広い友人を持ち、視野を広め、同業者仲間や取引先、社員さんを大切にすることです。そして、信用と人脈、 技術を蓄積しておくことです。それが、いざという時に役立つのです。
只、過去を振り返ると、”人当たりが良く、人が良い”性格が、倒産の要因と思われるのです。

【心と体の健康情報 - 168】
~幸せな人生を歩むために~
「人間幸せになるために生まれてきた」

以下、妖怪漫画の”水木しげる”氏が、10/5読売新聞連載「時代の証言者」で、 「幸せになるとは?」について語っている。

小学校のころ、私は鉄棒が得意だつた。大車輪ができる子供は、 数えるほどしかいなかったから、周りから超人みたいに思われた。おだてられるから、人の何倍も練習する。 好きなことなら相当なことができるわけです。逆に嫌いなことは、怠け者にならんといかん。 人生幸せをつかむためには、1番大切なことなのです。

「我が子を少しでも良い大学に入れて、少しでも大きな会社に就職させれば、 幸せな人生が約束される」と、世のお母さん方誰もが信じて疑わない。しかし、現実はどうなんだろう?
私は28歳から38歳までの十年間、サラリーマン生活を送った。勤めた会社は、 住宅建設業界ナンバーワンの一部上場企業の子会社。一流大学を出た優秀な人材で溢れている。 並みの成績では出世競争に勝てない。同僚との競争に打ち克たなければならない。成績が悪ければ、置いていかれる。

管理職の辞令をもらい、チャンスが与えられる。業績を上げ、期待に応えようと頑張り、 仕事漬けの毎日が続く。そうやって役職の椅子を手に入れ、様になっていく。
与えられた職責を果たし、業績が上がれば上がるほど、仕事に追われる毎日。
朝七時に家を出て、帰宅は毎夜十時。十年間、有給休暇を取ることもなく、休日も同僚との付き合いで家にいることはマレ。 家庭を顧みる暇もなく、365日仕事漬けの会社人間の日々だった。

どんなに業績を上げても、翌年はそれを上回る目標数字が待っている。 キリのない仕事漬け人生。そんな人生、何が幸せだろうか?

プロ野球の監督のように、業績が振るわなければ降格され、窓際に追いやられ、出世の道が閉ざされてしまう。 そんな社員を横目に見て、頑張らざるを得ない。
人材豊富な大企業。代わりの人材はいくらでもいる。管理職で居続けるためには、定年まで身を粉にして頑張り抜く覚悟がいる。

「もっと気楽に楽しく、自由きままに生きたい」との思いが強くなり、家族との生活を考えるようになって、 脱サラを決意した。そして妻と二人で化粧品の商売を始めた。
当時は、「ひたすら会社を大きくすることが成功への道」と信じて疑わなかった。
売上額と従業員数で、社会的評価が決まる。事業規模が大きければ立派な経営者。小人数でやっている会社が、 社会から低く見られるのは仕方がない。

右肩上がりの時代。誰もが会社を大きくし、社会的評価を高めようと努力した。
そうすることが、豊かさと幸せにつながり、成功への道と信じて疑わない。
ところが突然のバブル崩壊。バブルの勢いに乗って大きく成長し、社会的評価を手にした企業が、 急激な不況と環境の変化に対応しきれず、バタバタつぶれていった。
夜逃げをした家族もいる。借金の取りたてから逃れるため、離婚した夫婦もいる。
成功を夢見た積極経営のあげくの、あまりにも痛ましく悲惨な姿。友人・知人としてお付き合いしていた人も多く、哀れである。

水木しげる氏の「幸せになるとは?」の続き…

サラリーマンも企業経営者も、その大半は幸福になる努力が足りない。まず匂いをかいで、 幸せの方向をちゃんとつかんでから、階段を上がるようにしないといかんです。 幸せにつながらない階段を上がっちゃ駄目ですよ。私達の周りには、 幸福のためには全く役に立たないことをやって、疑問に感じない人が沢山いる。

昔と違って、今が一番幸福になれる時代。「何をつかんで幸せになるか」ということですよ…。 あたふたしているうちに、一生が終わるという感じでしょう。

パプアニューギニア・ラバウルのトライ族なんか、家に包丁が一本あるだけです。
あまり働かず、家族と楽しく暮らしている。どう生きるのが幸福なのかって!? 
日本では、そんなことも考えずに、世間で言われる通りにしていれば、幸せになれると思っている。 世間の言う通りにしていても、なかなか幸福にはなれないよ。

幸せになるためにこの世に生まれてきたのだから…、しっかり考えなければならない。 自分にぴったりの幸せの道とは何なのかを、見つけ出さなければならない。
自分にとっての「天職」とは、何なんだろうか?

2004年10月29日

あなたの住まいは大丈夫?

西部ライオンズが優勝して、プロ野球シーズンが終わった。毎年ぺナントレースの大詰めを迎える頃になると、思うことがある。 10/20の中日新聞「言いたい放題」で、そのことを放送作家の石井 彰氏が語っている。

腑に落ちないのは、中日のセ・リーグ優勝が決まった試合と、パ・ リーグ第二ステージ、ダイエー-西部の1~2戦が、TV全国放送されなかった。なぜTBSは中継権を持っていたのに、 全国放送しなかったのか? 横浜ベイスターズの親会社として、TBSはプロ野球を盛りたてる立場を忘れちゃったの?

中日ファンとして腹立たしいのは、中日や、ダイエーのリーグ優勝がかかった九月、 優勝戦線から離脱してしまった巨人軍の試合を、しかも毎日、ご丁寧にTV、ラジオ同時放送していることである。 気の抜けたビールのような試合を流して、優勝が気になる試合、見たいものが見られないことに腹が立つのです。
せめて、二元中継をやってくれれば、文句を言わないのですが…

「BS契約をすればいいじゃないか」と言うでしょう。が、そんな問題ではないの
です。プロ野球は、巨人がからんだ試合しか、放映の価値がないのでしょうか?

吉村外喜雄のなんだかんだ 第53号
「あなたの住いは大丈夫?」

災害は忘れた頃にやつてくると言うが、石川県に三度も四度も台風がやってきたのも初めてなら、 40m以上の風が二度吹いたのも初めてだろう。

23日の土曜日、新潟県で発生した震度6強の地震、金沢も数回揺れを感じた。
石川県は”震災”が起きないところと思っていたら、さにあらず…

金沢にマクニチュード7.2程度の直下型大地震が起きる確率が、今後三十年の間に最大5%、百年の間では20% の確率になるという調査結果が、全国の活断層の危険度を調査している、政府の地震調査委員会から出されている。

森本から金沢市街地、富樫へ抜ける全長26キロの断層で、今まで調査した全国の活断層十七ケ所(2001年調べ) のうち、地震発生確率が三番目に高いという。
もし地震が起きると、断層東側が2メートルも隆起するという。今回の新潟地震(1.7m)より大きな地震になりそうです。
石川県の推定では、金沢市を中心に死者約2,200人、家屋全壊17,000棟の被害が出るという。 もし地震が来たら大変なことです。

今回の新潟地震発生十日前に、地震調査委員会は、同地方の地震発生率は、今後三十年間に”2% 以下”と発表したばかり。たまたま震源地が新潟だったが、金沢に直下型激震が起きても、 何ら不思議ではないのです。

私の兄の家が神戸の六甲登り口にある。壊滅的被害が出た市街地から、 1k山手にずれた固い地盤に建つマンションだったため、被害がなかった。
断層に沿って住まいがあると怖い。我が家は、どんな地盤の上に建っているのか?
断層が市内のどこを走っているのか? この機会に関心を持って見つめてみる必要があるようです。

私が住宅建設会社にいた頃は宅地開発ブーム。郊外の農地や、丘陵地がどんどん宅地に開発されていった。そんな中、 地元の人が眉をひそめるような、悪質な宅地造成を目にしてきた。

小矢部から森本、富樫にかけての活断層には、地すべりが心配される丘陵地があちこち点在している。 そこを宅地開発して、擁壁して、盛り土をした宅地が怖い。
沼地だったところを埋め立て、宅地にして売り出した業者もいた。土留め擁壁のコンクリートが、 半年ほどしたら重みで沈下して、外へ倒れかかったケースもある。

そんな宅地を買って家を建てた人は、気の毒としかいいようがない(金沢北部)。もっとひどいのは、地盤が弱いからと、 鉄筋を入れたコンクリートを宅地いっぱいにベタ打ちして、船のように建物を浮かす工法で、 数十区画の団地を売り出した業者もいた(小松)。何れも、地震にはひとたまりもない。

水害に話を戻して、口能登の西往来。鹿西町や鹿島町を車で走ると、地元の人が住む集落は、 山ぎわの緩やかな斜面にかたまっている。1番低い平地は、はるか数キロ向こうの東往来の山ぎわまで、田んぼや畠ばかりで、 国道が通っている。国道に沿って、商店や工場、住宅が建つようになり、新しい街並みが出来ていった。
今回のような集中豪雨、山から鉄砲水が小さな用水を滝のように下ってきて、平地に流れ込み、 国道に沿って流れる小川が氾濫する。そして床下浸水。
地元の人はそれを知っていて、低地に家を建てたりはしない。「天災」と思っていたら「人災だった」、ということになる。

メルマガ購読受付

このブログの記事をメルマガで定期的にお届け致します。

メルマガ購読のお申し込みはこちら >>

About 2004年10月

2004年10月にブログ「吉村外喜雄のなんだかんだ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2004年09月です。

次のアーカイブは2004年11月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36