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2005年02月 アーカイブ

2005年02月01日

日本人であることの意味

1月30日の日曜日、毎週楽しみにしている、NHKの早碁トーナメントを見ようとチャンネルをいれたら、当日の対局者”加藤正夫” 名誉王座が亡くなったとの悲報が飛び込んできた。昨年暮れ、加藤先生の対局を見たばかり。
まだ五十七歳の若過ぎる死でした。
私が囲碁を覚えたのは、二十二歳の時、香林坊にあった碁会所の先生の手ほどきを受けて覚えた。それ以来、私の趣味の一つになっている。

加藤先生の全盛期は、昭和五十年から六十五年にかけての頃。当時、武宮正樹、石田芳夫と並んで”三羽がらす”と称された。殺しの加藤、 寄せの加藤と言われ、私の最も好きな棋士でした。

加藤先生が持つ、十四年連続タイトル保持の記録は、未だ破られず、王座八期、十段七期など、取ったタイトルは三十一回。一昨年、 久しぶりに「本因坊」のタイトルを奪取され、益々意気軒昂だっただけに、惜しまれてならない。 冥福を祈ります。

【心と体の健康情報 - 179】
~日本人のアイデンティティー~
「日本人であることの意味」

十日ほど前、スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の映画、
「ターミナル」 を鑑賞した。
ストーリーは、ニューヨーク空港に降り立った主人公、祖国がクーデターによって消滅してしまった。無国籍となり、 入国を拒否された。空港のターミナルを一歩出れば、そこは米国なのに、入国が許されない。何ヶ月も足止めされてしまった。 その限られた空間の中で繰り広げられる人間模様を、トム・ハンクスがみごとに演じている。

国家が崩壊すると、国籍がなくなってしまう。「ターミナル」の主人公のように、渡航証明書の信用がなくなって、 その国の国民というだけで、誰も信用しなくなってしまう。更には、どの国も受け入れなくなり、 住む場所まで失ってしまうのです。そういった難民と言われる人達が、アフリカやパキスタン、 中近東などに何百万人といるのです。

ところで、私と妻がアメリカへ観光に出かけたときの話し。ハワイ観光を済ませて、ラスベガスへ飛び立つ日が、 独立記念日の七月三日だったことが災いして、出発検査が普段の倍の二時間を要した。スーツケースの検査が二度、 身体検査と手荷物検査が二度。米国内の移動と高をくくっていたら、とんでもないことで、テロ防止に対する警備の厳しさは、 日本での想像をはるかに超えたものだった。

その数日前、ハワイへ入国するときの通関でも、前に並んだ人達が、係官からいろいろ調べられ、質問されている。 そのために長蛇の列。個人旅行で、片言の英語も話せない私は、不安になってきた。ようやく順番が来て、パスポートを出すと、 係官は「ジャパニーズ、カンコウ?」と尋ねただけで、簡単に通してくれた。
「イエス」とだけ答えた私は拍子抜けしてしまった。日本のパスポートを持っていることで、私が日本人であるとして、 信用してくれたのです。
パスポートには、「日本国民である本旅券の所持人を、通路故障なく旅行させ、同人に必要な保護援助を与えられるよう、 関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」と書かれている。

海外に出る日本人は、日本政府が発行したパスポートによって、日本人としての身分と安全が保証されている。 日本人であることを証明するパスポートさえ持っていれば、世界のどこへでも行けるし、 その国で高い信用を得ることができるのです。

モラロジー研究所 「ニューモラル No.425」より

2005年02月04日

西欧の論理と羅本の論理

スマトラ沖地震で、ドイツ人観光客が撮影したビデオ映像がテレビに映し出された。
今まさに大波が押し寄せんとするとき、ドイツ人の撮影者が一瞬、「ツナミ!」と叫んだのを気づかれたでしょうか? 「tsunami」 は今やドイツ語なのです。
「スシ」と同様、「ツナミ」も国際用語になったようです。

"tsunami"が一般化したのは1964年。この年アリューシャン地震による津波がハワイを襲い、被災した日系人が口にした 「ツナミ」が、新聞に使われたことから。
欧州では、1755年のリスボン大地震で大津波が発生し、人口の四分の一が犠牲になったが、それ以降、記録に残る津波は起きていない。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第66号】  
~日本人のアイデンティティー~
「西欧の論理と日本の論理」

小泉政権になってようやく、日本は体を張って国際貢献をするようになった。
そして今国会は、猫の首に鈴、つまり「憲法九条改正」に手を染めようとしている。以下、”塩野七生”「再び男たちへ」 文芸春秋からの抜粋です。 

つい最近まで世界の先進国からは、「日本は強制しない限り、 世界に対して何ら貢献をしたがらない国である」と…。
日本は、「できれば他国を助けたいと思っている。しかし、他人の内部問題に介入するのは、 いかなる国民の倫理にも反する。要請されても関与すべきでない」

という考え方をしてきた。

この問題は、国策を担当する官僚も、知識人・言論界も、おしなべて同じような考え方であり、政治家も、 与野党の間にそれほど大きな違いがなかったのである。
その理由について、多くの説明が行われ、その一つひとつは”もっとも”と思われる。
しかし、とどのつまりは、言い訳の山…。世界の問題と人間に対する真の思いやりが欠如しているのに、 もっともらしく正当化し、問題回避しようとする魂胆…。
西欧諸国は、そういう風に見ていたのです。

日本は経済大国。国際安全保障に十分貢献できる国力がありながら、意識と自覚がない。ならば、日本はそれだけの対価を払わなければならないことを、自覚すべきである…。 それだけの対価とは…?  はっきり言えば、国際社会から受ける「軽蔑」である。

「エコノミック・アニマル」と、軽蔑の目で見られたのもその一つ。
1月22日、たまたま見た民放TVで、日本がアルカイーダの新たな報復対象になっていると、その筋の評論家が警告していた。 「その原因はイラク”派兵”にある。国民をアルカイーダのテロから守るためには、今すぐ撤退すべきである」と…。

声だかに撤退を訴えても、それに代わる代案を示そうとしないのが、この手の人達である。要するに「一国平和主義」 である。他国がどうなれ、日本がよその国のトラブルに巻き込まれるのは、ゴメンなのである。

なぜユダヤ民族が西洋の国々から嫌われてきたのか? 
彼らはすべてのことをやったが、他者を守るために、体を張ることだけはしなかった民族だからです。中世、 ユダヤ人は、キリスト教徒の二倍の税金を払う代わりに、軍務から免れてきた。イスラエル建国まで、 不都合が起きると「金」で解決するしか、選択の道がなかったのです。

日本もつい最近まで、理由は違えど、同じように金で解決するしかなかった。
ブッシュ大統領は、この一月の就任演説で、20分間に45回も「自由」を訴えた。
「我々は、わが国の自由のために、アメリカの自由を世界に広めるために、自由のない国に自由をもたらすために、戦っている」 と…。

中世、西欧諸国の支配階級、貴族や騎士階級は、 自分たちが住む周りを城壁で囲んで、武力でもって敵から味方を守ることで、 民衆から敬意を払われてきた歴史がある。この伝統は今も立派に生きていて、アメリカが大国と認められるのは、 経済力だけでなく、世界にニラミをきかす軍事力のお陰である。

ヨーロッパの人たちが、三千年を費やしてつちかってきた西欧の論理。
つまり「力とはイコール軍事力」という論理を…、日本人は理解しなければならない。

2005年02月08日

国旗と国歌への日本人の意識

「冬のソナタ」に代表されるように、韓国のTVドラマ、映画などの「韓流ブーム」は、日本の中年女性の心を揺り動かしている。 その韓流ブームのお陰で、韓国の庶民生活を、お茶の間で垣間見ることができる。

一方の韓国の方は、ずっと以前から日本文化が静かに浸透していて、今上映中の「ハウルの動く城」 は150万人の観客動員があったという。ゲームや漫画本など、韓国では、十代・二十代の青少年を中心に日本文化が浸透している。

韓国には、日本語を話せる韓国人は多い。しかし日本では、韓国語を話せる日本人は珍しい。韓国の大型書店には、日本の書籍コーナーがあり、 「世界の中心で愛をさけぶ」などの日本のベストセラー本が並んでいる。日本の書店は、女性誌コーナーの一角に、韓国俳優と「ヨン様」 コーナーがあるくらいで、韓国書籍のコーナーはまだない。

韓国へ単に観光に行くだけでなく、最も近い国である韓国の人達と交流し、韓国をもっと知り、理解を深めていく必要があるようです。

【心と体の健康情報 - 180】
~日本人のアイデンティティ~
「国旗と国歌への日本人の意識」

平成元年、日米の高校生を対象に「国旗・国歌に対する意識と態度調査」が行われた。

■あなたは学校の行事や何かの式典で、国旗が掲揚されたり、 国歌が吹奏されるとき、起立して威儀を正しますか?
  ・起立する     
日本 25.6%   米国 97.2%
  ・外国の国旗・国歌のときは
日本 17.3%   米国 93.4%
米国では、起立し威儀を正すのは当たり前の行動として受け止められている。

 

ハワイへ観光に行ったときのこと。その日は七月二日、独立記念日の前々日。
ショッピングモールの広場に人だかりがしていた。地元の高校のブラスバンドが、演奏を始めようとしているところだった。
最初に国歌が吹奏された。それまで、二階踊り場の手すりにひじをついて見下ろしていたアメリカ人が、 いずれも直立姿勢になり、右手を胸に当て、演奏に合わせて国歌を歌い始めた。

日本の建国記念日は2月11日。この日は祝日です。しかし、私たちが身近に触れる国民的行事など何もないし、 誰もお祝いしたりしない。誰も国旗を掲揚しないし、その日、国歌が吹奏されるのを聞くこともない。
で、ふと思った。自国の国歌が吹奏されたとき、自発的に起立して歌う日本人はいるだろうか? と…。

アメリカが独立戦争で、十三の植民地が団結してイギリスと戦い、勝利を収めた。
その時作られた星条旗の星の数は十三だった。そんなことを知っている私が、自国の建国記念日が、 どのような歴史的背景で2月11日に定められたのか知らない。説明できない。

台湾へ行ったときも、たまたまその日が「国慶節」だった。国を挙げてのお祝い。
街中爆竹が鳴り、町内の人達が思い思いに上り旗を立てて、お祭りに繰り出してくる。
今の日本、この日本を築きあげた先人達に、誰も感謝することをしない。国旗と国歌に日常接する機会が少なく、 諸外国に比べて、国旗と国歌に対する意識が希薄です。
で、国旗掲揚や国歌吹奏に際してのマナーや常識を知らないばっかりに、日本の青年が、 海外でとんでもないトラブルに遭っているという。

タイの映画館で、上映が始まる前に、スクリーンに国王陛下が映し出され、国歌が流される。居合わせた日本人二人。 自分たちには関係ないと、起立しなかった。
しょっ引かれて留置場に入れられてしまった。
ケニアでも、国旗降納の合図の笛の音が鳴っているのに起立せず、そのまま仕事をつづけていた日本の青年が、 ライフル銃を突きつけられて、連行された。

国旗が国家の象徴であることは知っている。しかし日本人には、日頃それを尊重しなければならないという意識がない。
世界各国には、それぞれ独自の文化や歴史、宗教がある。各国の国旗や国歌を尊重することは、 その国の国民に対して敬意を表すことになるのです。

故に、国旗や国歌をないがしろにすれば、その国の人々や歴史、伝統、文化をないがしろにすることになる。 相手国への怒りをあらわにするとき、国旗を焼いたり、足げにする光景を、外国からの報道テレビで見ることがある。
この、世界共通の大切なことを、私たちは教えられることがなかったのです。

モラロジー研究所 「ニューモラル No.425」より

2005年02月15日

過去は変えられる

数日前、久しぶりに神渡良平先生の講演を聴いた。演題は「一粒の麦 丸山俊夫の世界」。 丸山俊夫は、倫理法人会で知られる、倫理研究所の創設者です。
故丸山先生の”幸せになる法則”を語る中で、「苦難は幸福の門である」という一言が心に残った。 淡々とした語り口でしたが、会場はしだいに感動と涙に包まれていった。
神渡先生は、働き盛りの三十八歳の時、突然脳梗塞に襲われた。四日後に意識を取り戻し、右半身麻痺に陥ったが、 懸命のリハビリのお陰でよみがえった。
苦悩の中から「人生一度しかない!」と悟り、作家の道へ。「一隅を照らす」で一躍有名に…
危機を乗り越えてつかんだ人生。「人にはそれぞれなすべき使命がある」という思想で、 人としての生き方を説き、次々と作品を世に送り出していった。
著書には、「安岡正篤」「中村天風」「新渡戸稲造」「森信三」、”言志四録”の「佐藤一斎」など、 人生の師と敬われる人たちを題材にしたものが多い。

中でも、一燈園の三上和志さんと、結核で死の床に伏している少年の話しが載っている「下座に生きる」(月刊「知致」に連載された) はお薦めです。
”正しい生き方”が求められる今の時代、神渡先生の著書からは、学ばなければならないことが沢山あります。

【心と体の健康情報 - 181】
~幸せな人生を歩むために~
「過去は変えられる」

「過去は変えられるけれど、未来は変えられない」。 こんな常識はずれに思えることをマジに言っている人がいる。10年連続全国高額納税者に名を連ねる”斉藤一人”氏です。
”銀座まるかん”の創業者で、健康食品・化粧品を販売している。「人生が全部うまくいく話」「斉藤一人のツイてる話」など、 16・7冊の著書が今、書店に並んでいる。
普通に考えれば、過ぎ去った過去など、変えられるわけがないと思う。
斉藤氏は「済んでしまった過去は変えられるけれど、これから先の未来は変えられない」 と、逆のことを言う。
「あの時の病気のお陰で、人にやさしくできるようになった」とか、「食うや食わずの貧乏を体験したお陰で、今の幸せがある」 といったことをよく耳にする。

過去のことを「幸せに思う」と思えば、思えるようになる。「昔、あの辛い体験をしたから、今、幸せなのです」と…。 過去にあったことすべてが、今の幸せにつながっていると思えば、これから後の人生、間違いなく幸せになります。

反対に、昨日までズゥ~と不幸だったと思って生きてきた人が、明日から突然幸福になるということはない。
身の回りに起きることすべて、「幸せ」と思えば幸に思えるし、「辛いことばかり」と思えば、 辛いことばかりの人生に思えてくるのです。

昨年9月1日、北京の日本人学校に29人の駆け込みがあった。北朝鮮の人は国を捨てて外国へ逃れようとする。 日本人で、国を捨てて外国へ逃れたいと思う人はいないでしょう。
平和で豊かなな日本に生まれながら、それでも自分は不幸だと思う人は、自分よりももっと不幸な人がいっぱいいることに、 目を向けなければならない。不幸と思うか思わないかは、その人の持つ”幸福の物差し” の長さで、違ってくるからです。
過去のことはすべて思い出になる。だから、思い方一つで好いようにも、悪いようにも、好きに変えることができるのです。 過去ズゥ~と不幸だったと思っている人は、”不幸癖”がついてしまっている。何でも悪いように考えてしまう。
そんな人のそばにはいない方がいい。その人の隣にいるとくたびれてくる。
不幸癖が伝染してしまう。

自分のことを不幸だと思っている人は、自分より不幸な人を見ようとしない。
何事も、自分よりより幸せな人と比較して嘆いている。そして、自分がいかに不幸かを人に言いたがり、同情を求めようとする。

人は、幸せになるために生まれてきたのです。苦労を背負い込むために生まれてきたのではない。 「苦労は買ってでもせよ!」と言うが、人の苦労話を聞いていると、たいがいは間違った生き方をしているから、 苦労しなければならなくなったケースがほとんど…。
人生うまくいかない時は、「間違った生き方をしている時だ」と思えばいいのです。

神様は苦労させようと、意地悪しているのではない。間違った生き方をしていることを教えようとしているのです。 苦労が続く時は、「どこか、間違ったことをやっているのでは?」と、自らを振り返ってみることです。
しかし、やっていることが正しいと思っている時は、人が見て、どんなに苦労と思っても、当の本人は、 何一つ苦労だとは思っていないのです。

2005年02月18日

節分の風習?恵方巻き

吉村外喜雄のなんだかんだ 第67号  
「節分の風習?恵方巻き」

二月三日節分の日、仕事を終えて自宅に入ったら、妻がパックされた太巻きのお寿司を差し出し、「西南西の方を向いて黙って食べて! 食べてる間しゃべっちゃ駄目! 黙って食べたら願い事が叶うから…」。

まともに聞く気になれず、「何やそれ…?」って反発したら、「いらんのやったら食べんといて…」と言う。「わかった、わかった」 と受け取り、黙って一本丸かじりした。こんなことして何が御利益なんや…? なんともバカバカしい。
そこで、インターネットを検索したら、あるある…。古くは江戸時代、大阪の花柳界で行われていた縁起かつぎの風習。 商魂たくましい大阪商人が目をつけた。
巻き寿司の重要な脇役は”海苔”。 昭和四十年後半に、大阪の海苔業界が、何とか販売量を増やそうと、この”丸かぶり”に目をつけて、 イベントにした。
この模様がテレビに大々的に放映され、広まるきっかけとなった。
それが近年になって、コンビニが全国展開を始めた。昨年ローソンは70万本売った。阪神デパートは、二月三日、一日で4万本売ったという。

大阪では、この太巻きのことを「恵方巻き」といい、節分の日に食べると福が来るという。 何で太巻きかというと、「福を巻き込む」ためで、包丁を入れないのは「縁を切らない」ためだという。
更に”恵方”に向かって食べなければ、ごりやくがないと、妻も娘も、その方角に向ってモクモク食べていた。

それを見て、「バカバカしい」などと言おうものなら大変! 一般に、女性はこのたぐいのことが大好きなようで、すぐ真に受けてしまう。
”恵方”とは、陰陽道を元に決められる最も良いとされる方角で、毎年、方角が変わる。2005年は西南西だという。

金沢には「氷室の饅頭」がある。七月一日に饅頭を食べると、無病息災になるという古くからの風習です。縁起をかつぐこういった風習、 つい先日のバレンタイン同様、売り手にとって美味しい話である。商魂たくましく、来年は更に加熱するだろう。消費者を”巻き込んで” 広がっていきそうです。

2005年02月22日

過去は変えられる(2)

19~20日の二日間泊り込みで、同友会スキー同好会の皆さんと、上越国際スキー場へ行った。上越を長野方面に曲がらず直進。 関越道の途中にある、金沢から4時間のスキー場です。同じ滑るなら、中越地震の被災地にお金を落とそうと決めた。
高速を走行中、中越地震の影響でしょうか? 路面はアスファルト継ぎはぎ、デコボコのところが何箇所もあった。路肩は3mくらいの雪の壁。 温暖化の影響でしょう。水分をたっぷり含んだ、本来は北陸に降っていた雪です。

ホテル(ホテルグリーンプラザ上越)は東急系列。各室バストイレ付き(700室もある)、ヨーロッパのメルヘンが漂い、 びっくりするくらい豪華。露天風呂付き天然温泉大浴場が何箇所かあって最高。春や秋に、群馬方面に家族ドライブするとき、 お勧めのホテルです。


先週の土・日、上越国際スキー場にて

【心と体の健康情報 - 182】
~幸せな人生を歩むために~
「過去は変えられる」

アメリカの心理学者ウイリアム・ジェームズは、「人間は心構えを変えることによって、 自分の人生を変えることができる…」と言っている。
しかし、ただ単に心構えを変えただけでは、人生が変わったりはしないだろう。

何かをやろうと決めたら、以下の成功サイクルに従って、明確な目標を立て、習慣化するまで、 毎日コツコツとやり続けることです。そうやって、やった事が身に付いたとき、人生が変わっていくのです。

■人生の成功のサイクル

(7)[人生が変わる]   →  →   (1)「ものの見方、考え方を変える]
    ↑     (更に大きな目標へ)    ↓  
(6)[運命が変わる]           (2)[目標を設定する]
    ↑                      ↓
    ↑                      ↓
(5)[人格が変わる]           (3)[行動が変わる]
    ↑                      ↓
       ←  ← (4)[習慣化する]  ← ← 

              高島和雄著「使命感経営」(株)土屋経営より

この人生の成功サイクル。一度決意して目標に向かって漕ぎ出し、サイクルがまわり出すと、止まらない。 もっと旨くなりたい、より難しいことにチャレンジしたいと思うようになるから愉快である。
何か目標にチャレンジして、その努力が実り成果を手にすると、より上のレベルに到達したいと思うようになり、更に大きな夢・ 目標に挑戦しようとするエネルギーが沸いてくるのです。

だから人生において、こうしたチャンスにめぐり合ったとき、漫然と見過ごすことなく、 自らの目標として取り込むことが出来れば、「幸福」行きのキップも、同時に手にすることができるのです。
私の周りには、「ノエビアとの出会いのお陰で、私の人生が変わった」という女性や、「日創研の”SA研修”が、 そのスタートだった…」と答える男性が、数多く存在するのです。

私は55歳の時、新潟へ春スキーに行って足を骨折し、アキレス腱断裂の重症を負った。年齢を考えれば、 そこでスキーを止めてしまうところでしょうが、「よし!二度と怪我をしないよう、上手くなってやろう」と、その年の十一月、 スキー同好会に入会。直って間もないのに、翌年の二月、白馬へ連れて行ってもらい、 頂上から皆さんのお尻にくっついて滑った。

それまで、趣味とまではいかなかったスキー。その後毎年、蔵王や志賀高原に出かけて楽しむようになった。そして、 毎冬が待ち遠しくてしようがないという、人生の楽しみを手に入れたのです。

2005年02月25日

日本人は素晴らしい国民だ

■趣味の言葉遊び
今日は韓国語です。私たち日本人にとって最も近い国、韓国。
韓流ブームをきっかけに、双方仲良くなることは嬉しいことです。そのためには、少しくらい韓国語を話せるようにしておきたいものです。
もし、身近に韓国からやってきた人がいたら、「あんにょんはしむにか?」と、声をかけましょう。韓国人ほど母国語で話しかけられて、喜ぶ外国人はいません。

「あんにょんはしむにか?」
「あんにょん」 は漢字の”安”に、丁寧の”寧”、安寧(あんねい)と書き、「すこやか」の意味です。 
「はしむにか?」は、日本語で「していますか?」になる。
「おはようございます」「こんにちは」「こんばんわ」の挨拶言葉として、朝・昼・晩いずれにも使えます。
「はしむにか」の覚え方、「あんにょん(安寧)”歯しみるか?”」なんて、どオ…

また、親しい人には、「あんにょんはせよ?」と、声をかけます。
ニッコリ笑って歯を出して、「あんにょん(安寧)”歯せよ”」と、覚えるといい。
この「こんにちわ」の挨拶言葉を覚えておくと、日本と韓国の距離がグンと近くなりますよ!

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第68号】  
~日本人のアイデンティティ~
「日本人は素晴らしい国民だ」

韓国ドラマの「美しき日々」を毎回見ていて、フッと気づいたことがある。感情が激してくると、大声でわめき、 怒りをあらわに口論する場面が多いことです。

昨年の暮れの新潟中越地震。テレビが、避難所に充てられた学校の校庭や、体育館を映し出す。 校庭には車が何台も行儀よく駐車し、体育館では人々が思い思いに横になっている。
避難者にマイクが向けられると、「いやあ、すっかりやられました」と、静かに微笑んでいる。 「一から出直すしかありませんね」と、サバサバした口調で言う。

不自由な避難生活が辛くないはずがない。住む家や田畑を失って途方に暮れる人もいる。 家族を失った人はどんなに辛いことだろう。生活の糧を失って、この先の見通しがまったく立たない。だが、何故か皆、 穏やかな顔をしている。悲惨さを人には見せまいと、懸命に自分を抑制し、耐えているのです。

救援物資が届く。おにぎりが配られる。「おいしい。本当に助かります」「皆さんに助けてもらって、ありがたいです」。 誰もが感謝の言葉を口にする。

「災害が起きてすべてを失ったというのに、こんなに穏やかな光景は、他国では考えられない」と、外国の特配員は言う。 テレビを見ていた韓国人は、「韓国ならこうはならない」と言い切る。
「泣き叫ぶ、わめき散らす。怒りをぶつける。ちょっとしたことでつかみかかり、殴りかかり、 収拾のつかない混乱になることは目に見えている」と言うのである。
「日本人というのは、なんとすごい国民なんだ」と…。その韓国人はすっかり感服していた。
ロサンゼルス地震の時、その混乱の中、商店から思い思いに品物を持ち出し、走り去っていく光景がテレビに映しだされた。 治安が悪化したことによる略奪行為である。発砲騒ぎで街も歩けない。州政府の対応が悪いと群衆が騒ぎだす。

そうなのである。中越地震のようなことが起こったら、盗みが横行し、喧嘩が頻発し、食料を奪い合い、 治安が悪化したとしても不思議ではない。略奪が起こり、暴動になり、治安維持のために軍隊が出動するのは、 諸外国ではごく普通のことなのです。
日本では、そんな光景は露ほども見られない。誰もが苦痛に耐えて自分を抑制し、感謝を忘れず、 皆一致して災害の後片付けをし、困難から立ち直ろうとしている。
中越の人が、特にそんな訓練を受けているとは思えない。これは国民性であろう。
日本人とは大したものである。

致知一月号 渡辺昇一「歴史の教訓」より抜粋

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