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日本人であることの意味

1月30日の日曜日、毎週楽しみにしている、NHKの早碁トーナメントを見ようとチャンネルをいれたら、当日の対局者”加藤正夫” 名誉王座が亡くなったとの悲報が飛び込んできた。昨年暮れ、加藤先生の対局を見たばかり。
まだ五十七歳の若過ぎる死でした。
私が囲碁を覚えたのは、二十二歳の時、香林坊にあった碁会所の先生の手ほどきを受けて覚えた。それ以来、私の趣味の一つになっている。

加藤先生の全盛期は、昭和五十年から六十五年にかけての頃。当時、武宮正樹、石田芳夫と並んで”三羽がらす”と称された。殺しの加藤、 寄せの加藤と言われ、私の最も好きな棋士でした。

加藤先生が持つ、十四年連続タイトル保持の記録は、未だ破られず、王座八期、十段七期など、取ったタイトルは三十一回。一昨年、 久しぶりに「本因坊」のタイトルを奪取され、益々意気軒昂だっただけに、惜しまれてならない。 冥福を祈ります。

【心と体の健康情報 - 179】
~日本人のアイデンティティー~
「日本人であることの意味」

十日ほど前、スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の映画、
「ターミナル」 を鑑賞した。
ストーリーは、ニューヨーク空港に降り立った主人公、祖国がクーデターによって消滅してしまった。無国籍となり、 入国を拒否された。空港のターミナルを一歩出れば、そこは米国なのに、入国が許されない。何ヶ月も足止めされてしまった。 その限られた空間の中で繰り広げられる人間模様を、トム・ハンクスがみごとに演じている。

国家が崩壊すると、国籍がなくなってしまう。「ターミナル」の主人公のように、渡航証明書の信用がなくなって、 その国の国民というだけで、誰も信用しなくなってしまう。更には、どの国も受け入れなくなり、 住む場所まで失ってしまうのです。そういった難民と言われる人達が、アフリカやパキスタン、 中近東などに何百万人といるのです。

ところで、私と妻がアメリカへ観光に出かけたときの話し。ハワイ観光を済ませて、ラスベガスへ飛び立つ日が、 独立記念日の七月三日だったことが災いして、出発検査が普段の倍の二時間を要した。スーツケースの検査が二度、 身体検査と手荷物検査が二度。米国内の移動と高をくくっていたら、とんでもないことで、テロ防止に対する警備の厳しさは、 日本での想像をはるかに超えたものだった。

その数日前、ハワイへ入国するときの通関でも、前に並んだ人達が、係官からいろいろ調べられ、質問されている。 そのために長蛇の列。個人旅行で、片言の英語も話せない私は、不安になってきた。ようやく順番が来て、パスポートを出すと、 係官は「ジャパニーズ、カンコウ?」と尋ねただけで、簡単に通してくれた。
「イエス」とだけ答えた私は拍子抜けしてしまった。日本のパスポートを持っていることで、私が日本人であるとして、 信用してくれたのです。
パスポートには、「日本国民である本旅券の所持人を、通路故障なく旅行させ、同人に必要な保護援助を与えられるよう、 関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」と書かれている。

海外に出る日本人は、日本政府が発行したパスポートによって、日本人としての身分と安全が保証されている。 日本人であることを証明するパスポートさえ持っていれば、世界のどこへでも行けるし、 その国で高い信用を得ることができるのです。

モラロジー研究所 「ニューモラル No.425」より

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