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2005年10月 アーカイブ

2005年10月04日

韓非子/人間は利に動かされる動物

五大将軍徳川綱吉の「生類あわれみの令」は、蚊をつぶした小姓が遠島、ツバメを
吹き矢で殺した子供が死罪、といった伝えが残り、悪政の象徴のように言われている。
この法の狙いには、戦国時代以来続いてきた、人殺しをいとわぬ風潮を、厳罰で
もって変えてしまおうという、綱吉の思惑があったとされる。
武断主義から文治主義の時代に変わろうとするときに、生まれた法律です。

織田信長にも「一銭斬り」がある。略奪横行の絶えない、乱れた世の中の治安を
回復するため、たとえ一銭でも人の金品を盗れば、斬首で臨んだ。
郵政民営化の反対派に"刺客"を送った小泉首相。「覆水盆に返る」的自民党の
甘え体質を改革するために、思い切った手法が必要との判断があったのでしょう。

8/29北国新聞「時鐘」

【心と体の健康情報 - 214】
~古典から学ぶ~
「韓非子/人間は利に動かされる動物」

※韓非子…二千年前、中国戦国時代末期、韓の国の法家"韓非"の書物。

韓非は「性悪説」を唱えた荀子(じゅんし)の弟子。秦に招かれ、秦王政(後の
始皇帝)に認められ、用いられようとしたが、荀子のもとで共に学んだ秦の
重臣"奇斯"に妬まれ、毒殺された。
韓非は、「本来悪である人間の性を矯正するには、"法"を用いてなす」と説いた。
秦の始皇帝が韓非亡き後、国家運営の理論的支柱にしたことで知られている。

帝王学を学ぶ上で、西の「マキャベリ」と並び称される、東の「韓非子」。
人間とは"利"に動かされる動物である」という基本認識に立って、 冷酷なま
でに即物的なリーダー論を展開する。
韓非子では、徹底した人間不信の上に立って、リーダーの在りかたを追求して
いる。リーダーたるもの、一度は目を通しておきたい古典でしょう。

組織のトップ、リーダーはどうあるべきか。自らの地位を安泰にするためには、
どんな点に配慮しなければならないか。そういった問題を、韓非子の独特の
人間観でもって追及している。
「人間を動かしているものは何か? 愛情でもない、思いやりでもない、義理で
もない、人情でもない、ただ一つ"利益"である。人間は、 利益によって動く動物
である」。これが韓非子の認識である。

"韓非"は、次のように語っている。
「ウナギは蛇に似ており、蚕はイモ虫に似ている。蛇を見れば、誰でもビクッ
とするし、イモ虫を見れば誰でもゾッとする。だが、漁師は手でウナギを握る
し、女は手で蚕をつまむ。つまり、利益になると見れば誰でも勇者になるのだ」

また、こうも語っている。
「車をつくる職人は、人は皆金持ちになればよいと思っている。棺桶をつくる
職人は、人は皆早く死ねばよいと思っている。しかし、前者が善人で、後者が
悪人だというわけではない」
「金持ちにならなければ、車を買ってくれないし、死ななければ棺桶が売れな
いだけのことだ。人が憎いのではなく、人が死ねば自分が利益を得るからであ
る」
こういった考え方には、賛否いろいろある。少なくとも、人間社会のある一面
・真実を、鋭く言い当てていることは否めません。人間関係が利益によって
動かされているとするなら、トップと部下の関係も、決して例外ではないと、
韓非は考えるのです。

「部下は、常に自分の利益を優先して考える。折あらばトップに取り入って、
自分の利益を拡大し、スキあらばトップを蹴落として、自分がその座に
取って代わろうとする。油断もスキも許されないのが、トップの地位である」
と、韓非子は言っている。

PHP「リーダーのための中国古典・韓非子」より

2005年10月07日

アメリカの謀略? リメンバー9/11

■「正義は勝者のものであり、敗者には存在しない」90年の湾岸戦争の時、イラクによる原油流出で、「脂まみれになった海鵜」の写真が、新聞・マスコミで大きく報道されたことをご記憶でしょう…

フセインを極悪非道な指導者として、世界に印象付けた写真である。英国の記者がレポートし、米国のCNNが映像を流した。あまりにもタイミングよく、印象的だったことが、当時話題になった。
後日、この映像も、現地の海が原油で油まみれになったことも、イラクが油田を破壊したことも、全て真っ赤な嘘であることが明らかになった。

こうした犯罪行為、戦勝国側から出たものであれば、その罪が問われることはない。原爆で、十数万人の一般市民や子供が殺されたが、責任は問われない。
東京裁判でいえば、日本が戦いに勝っていれば、一人として処刑されることはないだろう。

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 96】
~歴史から学ぶ~
「アメリカの謀略? リメンバー9月11日」

アメリカは覇権国家。この百年の歴史を振り返ると、米国がやってきたことは、あのローマ帝国のように、世界に棄権を広げ、富をアメリカに吸い上げることにある。

まず経済力で世界を支配し、次いで親米政権支援を理由に軍隊を送り込み、駐屯させ、支配下に置く。そのスタートは、いずれも「リメンバー○○」。
アメリカは民主主義国家。民意を無視しては何も出来ない。そこで、何かの事件をきっかけに、"○○を忘れるな"の国民的高揚を図り、戦争を仕掛ける戦略は、今も昔も変わらない。

●十八世紀末、スペイン領キューバ。アメリカ商人を守ることを理由にして、アメリカは軍艦を派遣した。しばらくして、軍艦が何物かによつて爆破され、二百数十名のアメリカ人が殺された。米国内に「リメンバー・バハマ」 が沸き起こり、スペインと戦争になった。

戦争に勝った米国は、バハマとは遥か離れた、フイリピンや太平洋諸島のスペイン領を奪い取ることに成功した。
後に、この爆破がアメリカの陰謀によるものであることが、明らかになった。

●十九世紀初頭、アラモの砦で、メキシコ軍と戦った騎兵隊が全滅した。
この事件が引き金となって、又も国内に沸き起こった「リメンバー・アラモ」
"アラモを忘れるな"の声。
メキシコと戦争になり、勝利を収めたアメリカは、カリフォルニア、テキサス、ニューメキシコなど、メキシコ領土の52%を奪い取ることに成功した。

アラモの戦いの時、すぐ近くにアメリカの正規軍がいたのに、砦を守る200名の騎兵隊を見殺しにしたのは何故か? 今もって謎である。

増田俊男の「目からうろこの会」より抜粋

●第一次大戦に米国を参戦させるための謀略、ルシタニア号撃沈事件も忘れてはならない。
1914年、英国とドイツが戦争を始めた。ドイツ国民もアメリカ国民も、戦争の拡大は欲っしていなかった。戦争を熱望していたのは英米の寡頭勢力。
彼らは、ドイツを誘い出すために囮を放った。北大西洋航路で浮かぶ宮殿と言われた、英国の豪華客船ルシタニア号である。

1915年、ルシタニア号は密かに英国への火器弾薬を登載し、ドイツの警告を無視し、あえてドイツを逆撫でするような航路を進み、ドイツ潜水艦の攻撃を誘った。その時何故か、英国の駆逐艦隊は巡回を取りやめ、港に留まっていた。
そして、94人の子どもたちを含む1095人が生贄となった。この事件から「リメンバー・ ルシタニア」が沸き起こり、アメリカは第一次世界大戦に参戦した。連合国軍はドイツを追い詰め、野望をくじき、自らの覇権を手にすることに成功した。

●No298、No300でお伝えした、「リメンバー・パールハーバー」 も、そのいきさつは類似するところが多い。

●新しくは2001年。ニューヨークで発生した国際貿易センター爆破事件。「リメンバー9月11日、を忘れるな! アルカイダをやっつけろ!」。 圧倒的国民の支持を得た米国政府は、アフガニスタンに攻め込んだ。

アフガニスタンを制圧したアメリカは、日本の時と同様「自由と憲法」を与え、親米政権を樹立し、米軍を駐屯させている。過去、ソビエトがあれだけ手こずったアフガニスタン、いとも簡単に、支配下に置くことに成功したのです。

次の標的はイラク。フセイン政権に言いがかりをつけ、経済封鎖を企て、「圧政からの開放」「自由」を旗印に攻め込んだ。セオリー通りフセイン政権を倒し、新たに親米政権を樹立した。中東の覇権と石油を手に入れるためである。

同じようなパターンで陰謀が繰り返される? 覇権国アメリカの世界戦略。もしかしたら、ニューヨークのワールド・トレードセンター爆破事件も、一枚噛んでいるのでは? とのさい疑心が湧いてくる。
アメリカが、国民の支持を取り付けようとするとき、いつも湧き上がる「リメンバー・△△」。あまりにもタイミングが良すぎないか? きなぐさい匂いがする。

2005年10月11日

韓非子/経営には上・中・下がある

■言葉遊び
今日はおなじみの早口ことばを紹介します。一番ポピュラーなのが
「生麦生米生卵」 「東京特許許可局」 「隣の客はよく柿くう客だ」
そのほか
「青巻紙赤巻紙黄巻紙」 「坊主が屏風に坊主の絵を上手に書いた」
「蛙ぴょこぴょこ三ぴょこぴょこ 合わせてぴょこぴょこ六ぴょこぴょこ」
「赤パジャマ黄パジャマ茶パジャマ」 
など、皆さんよく知っているものばかり。

では、面白い早口ことばを一つ…。一気呵成に三回くり返してください。
「馬の股に藁(わら)一本、馬の股に藁一本、馬の股に藁一本」

三回くり返すうちに、これが「○○一本」と聞こえたら、かなり耳が悪い??この早口言葉は"鼻をつまんで言う"のが正しい…?

【心と体の健康情報  - 215】
~古典から学ぶ~
「韓非子(2) 経営者には上・中・下三つのランクがある」

毎週土曜日NHKで半年間放映していた、韓国ドラマ「オールイン・運命の愛」
が終了した。大変見ごたえがある面白いドラマだった。
そのドラマの中で、事業家が「韓非子」を例に挙げ、部下を指導しているシーン
があった。
・三流のリーダーは 「自分の力」を使い、自らの能力に頼る
・二流のリーダーは 「他人の力」を使い、他人の能力を生かす
・一流のリーダーは 「他人の知恵」を使い、自らにはない能力を活かす

魏の国の照王という王様は、ある日、自分で裁判を手がけてみたくなった。
そこで宰相を呼び出して、
王  「一つ、わしが自分で裁判をやってみようと思う」
宰相「そういうことでしたら、まず法律を勉強されることです」
照王は法律の本を読み出したが、いくらも読まないうちに眠くなり、
「わしには、法律の勉強などできない」と言って、サジを投げたという。

韓非子はこの事例から、次のように言っている。
「君主は、権力の要を抑えていればそれでよい。臣下に任せておけばよいこと
まで、自分でやろうとしないことだ」
韓非子によれば、経営者には"上・中・下"三つのランクがあるという。原文は、
「下君は己の能を尽くし、中君は人の力を尽くし、上君は人の能を尽くす」

自分の才覚に頼っているうちは、経営者としてまだ三流に過ぎない。一流の
経営者とは、人の知恵を使うものだ。一人ひとりの部下の持つ能力を存分に
発揮させるのが理想的トッフといえる。

韓非子は続けて、
一人の力は、大勢の力に敵わない。
一人の知恵では、すべてのことに目が届かない。

一人の知恵と力に頼るよりも、国中の知恵と力を使う方がよい。
一人の考えだけで事を処理すれば、たまたま成功することはあっても、
ひどく疲れる。うまくいかなかったら、目も当てられない。

また、こうも語っている。
「鶏がトキを告げ、猫がネズミを採るように、部下の一人ひとりに能力を発揮
させれば、上に立つものは、自分で手を下す必要がない。
上に立つものが自分で能力を発揮すれば、事はスムーズに運ばなくなる」
このように、黙ってにらみを効かせている在り方、それが理想的組織管理だと
いうのです。

PHP「リーダーのための中国古典・韓非子」より

2005年10月14日

韓非子/人間は利に動かされる

五大将軍徳川綱吉の「生類あわれみの令」は、蚊をつぶした小姓が遠島、ツバメを
吹き矢で殺した子供が死罪、といった伝えが残り、悪政の象徴のように言われている。
この法の狙いには、戦国時代以来続いてきた、人殺しをいとわぬ風潮を、厳罰で
もって変えてしまおうという、綱吉の思惑があったとされる。
武断主義から文治主義の時代に変わろうとするときに、生まれた法律です。

織田信長にも「一銭斬り」がある。略奪横行の絶えない、乱れた世の中の治安を
回復するため、たとえ一銭でも人の金品を盗れば、斬首で臨んだ。
郵政民営化の反対派に"刺客"を送った小泉首相。「覆水盆に返る」的自民党の
甘え体質を改革するために、思い切った手法が必要との判断があったのでしょう。

8/29北国新聞「時鐘」

【心と体の健康情報 - 214】                     ~古典から学ぶ~
「韓非子/人間は利に動かされる動物」

※韓非子…二千年前、中国戦国時代末期、韓の国の法家"韓非"の書物。

韓非は「性悪説」を唱えた荀子(じゅんし)の弟子。秦に招かれ、秦王政(後の
始皇帝)に認められ、用いられようとしたが、荀子のもとで共に学んだ秦の
重臣"奇斯"に妬まれ、毒殺された。
韓非は、「本来悪である人間の性を矯正するには、"法"を用いてなす」と説いた。
秦の始皇帝が韓非亡き後、国家運営の理論的支柱にしたことで知られている。

帝王学を学ぶ上で、西の「マキャベリ」と並び称される、東の「韓非子」。
人間とは"利"に動かされる動物である」という基本認識に立って、 冷酷なま
でに即物的なリーダー論を展開する。
韓非子では、徹底した人間不信の上に立って、リーダーの在りかたを追求して
いる。リーダーたるもの、一度は目を通しておきたい古典でしょう。

組織のトップ、リーダーはどうあるべきか。自らの地位を安泰にするためには、
どんな点に配慮しなければならないか。そういった問題を、韓非子の独特の
人間観でもって追及している。
「人間を動かしているものは何か? 愛情でもない、思いやりでもない、義理で
もない、人情でもない、ただ一つ"利益"である。人間は、 利益によって動く動物
である」。これが韓非子の認識である。

"韓非"は、次のように語っている。
「ウナギは蛇に似ており、蚕はイモ虫に似ている。蛇を見れば、誰でもビクッ
とするし、イモ虫を見れば誰でもゾッとする。だが、漁師は手でウナギを握る
し、女は手で蚕をつまむ。つまり、利益になると見れば誰でも勇者になるのだ」

また、こうも語っている。
「車をつくる職人は、人は皆金持ちになればよいと思っている。棺桶をつくる
職人は、人は皆早く死ねばよいと思っている。しかし、前者が善人で、後者が
悪人だというわけではない」
「金持ちにならなければ、車を買ってくれないし、死ななければ棺桶が売れな
いだけのことだ。人が憎いのではなく、人が死ねば自分が利益を得るからであ
る」
こういった考え方には、賛否いろいろある。少なくとも、人間社会のある一面
・真実を、鋭く言い当てていることは否めません。人間関係が利益によって
動かされているとするなら、トップと部下の関係も、決して例外ではないと、
韓非は考えるのです。

「部下は、常に自分の利益を優先して考える。折あらばトップに取り入って、
自分の利益を拡大し、スキあらばトップを蹴落として、自分がその座に
取って代わろうとする。油断もスキも許されないのが、トップの地位である」
と、韓非子は言っている。

PHP「リーダーのための中国古典・韓非子」より

2005年10月18日

韓非子/トップに必要な術

先週、サンフランシスコへ旅行した。日本との時間差は16時間。
まだサマータイム中で、7時10分にようやく日の出。
4月から11月は乾季で、毎日晴天続き。雨が降らない。雨季は1~2月で、
3月には、茶色く枯れた近隣のハゲ山が一面"緑"のじゅうたんに変わる。

バスで移動中、道路沿いの家々の柱に長さ50センチ、巾5センチほどの黄色
い布が2~3枚ひらひらしている。「何?」って尋ねたら、イラクへ出征した兵士
が無事帰還することを願っての、お呪いだという。

■ゴールデンゲートブリッジ

・全長3Km、朱色に塗られた吊橋は、70年前の1937年に完成したもの。今でこそ明石大橋にその座を譲ったが、 ずっと世界一の長さを誇っていた。
霧の中に浮かび上がるブリッジは、サンフランシスコ名物。

・今、新たなブリッジを隣に平行して建設中。完成後、現在のブリッジは取り壊されるという。

■ヨセミテ国立公園(世界遺産)
・写真はヨセミテ公園のシンボル
「グレイシャーポイント」

【心と体の健康情報 - 216】 ~古典から学ぶ~
「韓非子(3) トップに必要な"術"」

私は、徳川家康や三国志など、戦国歴史小説が大好き。その中によく出てくる、
トップが部下に寝首を欠かれる事例、信長のケースが思い浮かぶ。これは、
日本だけでなく、中国でも事情は同じ。

現代でも、「信頼していた部下に煮え湯を飲まされた。裏切られた」「飼い犬に
手を噛まれた」といったケースがあとを断たない。
部下に裏切られても、個人的損害で済めばまだいいのですが、下手をすると、
会社までガタガタにされ、大きなダメージを受けることになりかねない。

それでは、リーダー失格でしょう。何故そんなことが起こるのでしょうか? 
韓非子に言わせると、組織管理に甘さがあり、部下の統率に手抜かりがあった
からだという。そうならないためには、部下を統率し、操縦するための"術"
マスターしなければならないと、韓非子は五つの項目で、そのことを説いてい
る。
(1) 「手柄を立てたものには賞を与える」
   「失敗を犯したものには罰を加える」

この権限をしっかり自分の手に握っておくこと。そうすれば、 思いのままに
部下を操縦することができる。
・韓非子曰く…
「虎が犬を服従させているのは、虎には爪があり、牙があるからだ。
もし、爪と牙を虎から取り上げて、犬に与えたら、逆に虎の方が犬に服従しな
ければならなくなる。
同じように君主が、賞罰の権限を臣下に委ねてしまったら、国中がその臣下
を恐れて、君主を甘く見る。人心は君主を去って、臣下に集まるだろう」

(2) 勤務評定を厳しくする
部下の申告に基づいて仕事を与え、 申告と成果が一致した者には賞を与え、
一致しなかった者には罰を加える。

(3) 部下に好き嫌いの感情を見せてはならない
君主が臣下に好悪の感情を見せると、 臣下はそれに自分を合わせて取り入って
くる。それでは、臣下を使いこなすどころか、逆に臣下に使われてしまう。
また、腹黒い臣下は、それに付け込んで策略をめぐらし、君主の地位を脅かす
かもしれない。そんなスキを見せないため、好悪の感情は隠すようにしなければ
ならない。

(4) 時には部下に、 思いもよらぬことを尋ねてみる
そのことを韓非子では、 以下の事例をもって示している。

宋の国の宰相が、部下に命じて市場の見回りをさせ、帰ってくるなり尋ねた。
「市場にはなんぞ変わったことでもなかったか?」
『いえ、何もございません。そういえば、市場の外は牛車でいっぱいで、やっと
通れるくらいでした』 
「よし、誰にも言ってはならぬぞ!」。宰相はそう言い含めておいて、市場の
役人を呼び出して、叱り付けました。
「市場の外は、牛の糞でいっぱいではないか、早く片ずけるがよい」
役人は、宰相がこんなことまで知っていることに驚き、それ以後職務を怠らな
くなったという。

(5)知っているのに、知らないふりをして尋ねてみたり、嘘やトリックを
   使ってテストをしてみる

以上が、韓非子の「術」による部下の操縦術です。無条件には受け入れられな
いところもありますが、部下を上手に操縦術していくうえで、大いに参考になります。                        

                  PHP「リーダーのための中国古典・韓非子」より

2005年10月21日

リメンバー9/11 (その3)

先週、サンフランシスコへ旅行したとき撮った写真(2)です。

■サンフランシスコ中心部

夜、中華街で会食したが、市民の3/1がラテン系、中国移民も多く、白人は半数に満たず、その比率は年々低下している。
その訳は、白人の出生率の低さにある。
■ケーブルカー(市電)

サンフランシスコは、ご存知のとおり、坂道とケイブルカーの街です。

スティーブ・マックイーン主演の映画「ブリット」で、市内の坂道を大きくバウンドしながら、カーチェイスするシーンが思い出されます。

■ヨセミテ国立公園

 

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 98】
~歴史から学ぶ~
「アメリカの謀略? リメンバー9月11日(3)」

以下、ジョン・コールマン著「9.11アメリカは巨大な嘘をついた」成甲書房
からの抜粋です。
2001.9.11、崩れ落ちる世界貿易センタービルを見た瞬間、私は「真珠
湾と全く同じ、奴ら、又やった!」と思った。何故なら、この攻撃は米国中枢
に何の損害も与えないばかりか、米国民の戦意を高め、反米勢力に対して、
世界中の憎悪を集めるには、最も効果的な方法だからです。

攻撃の作戦としては余りにもお粗末。民間人への攻撃は本来、相手の戦意
喪失を狙う意図で行われるが、この攻撃は正反対の効果しか生まない。
一方、攻撃される側にとって、これほど最高のショーはない。政府が、戦争を
開始し、反テロ政策を一気に推し進めるには、まさに絶好の口実になるから
である。
アメリカには、過去何度となく同様の策謀を繰り返してきた歴史がある。
リンカーン暗殺、パールハーバー、ケネディ暗殺疑惑など、その歴史は陰謀が
渦巻いている。
だからといって、9.11が米国中枢の陰謀と言い切るには、証拠が不十分で
ある。それでも、現時点で不可解な問題点が、20あまり浮かび上がってくる。
で、その一部を紹介することにします。

  • ビルの屋上から、貿易センタービルの攻撃を撮影している男が5~6人いると、警察に通報が入った。 第一次攻撃の成功に歓呼しているところを逮捕された。ところが何故か、公にされることはなかった。
  • センタービル崩壊による死者は、2,792名と発表されたが、 普段は1万人近くが貿易センターで働いている。 その日は何故か、 約7千名のユダヤ系アメリカ人が欠勤し、難を免れている。 
  • タワーが攻撃されて間もなく、CNNニュースにイスラエルのシャロン首相がインタビューに現われ、 ビンラディンの逮捕と、アフガニスタン、イラクへの侵攻を米国民に訴えた。
    シャロン首相は、会議に向う途中とのことであったが、何故か濃紺スー ツの正装姿で現われた。 イスラエルでは、半袖の軽装で会議に出席するのが通例。当日外国の賓客に会うとか、結婚式、 葬式などは予定されていなかった。
    前もってテレビに出ることを予測していたかのようです。
  • シャロンの5分後、キッシンジャーがCNNで、シャロンと同様の主張をした。が、 その日何故か貿易センタービルにある彼のオフイスには出社しなかった。
  • 犯人とされる操縦士は、大型ジェット機の操縦は不可能だった。 地上から何物かが遠隔操作した疑いが濃厚。 この技術は、テロリストには不可。
  • 飛行機のジェット燃料で、ビルの鋼鉄が溶けたとされるが、科学的にあり         得ない。
  • 犯人が残したとされる車が見つかったが、ご丁寧にも、 細かな情報を得るに足る遺留品が車内に残されていた。
  • ハイジャッカーの一人のパスポート。奇跡だろうか、瓦礫の側に舞い落           ちていた。
  • 連邦航空局は当初、コックビット内の荒々しい口論を受信したと報告し           たが、 その後の調査でそのような事実はなく、撤回した。
  • これほど大規模な攻撃計画を事前に把握出来なかった諜報機関が、事件発生48時間も経たないのに、 驚くべき詳細な情報を提出した。
    (ロンドンの爆破事件でも、事件後の犯人全員判明は、当局が事前に何もかも 知っていたかのように、 あまりにも見事で鮮やか)
  • ビンラディンとその一派が犯人だとする証拠は、お粗末な作りもの合成ビデオだった。
  • ビンラディンらを捕らえる機会が何度となくあったのに、故意に逃がしている。
  • 国務省がFB I による、ビンラディンの捜査を妨害した。FB I 捜査官は           怒って辞職した。
  • 父親のブッシュは、大統領の時、第一次湾岸戦争に軍隊を送った人物であるが、 その後サダム・フセインから、 暗殺未遂の報復を受けている。
    9.11当日、前ブッシュ大統領は、ホワイトハウスの地下250フィートの、最も安全な部屋にいた。

2005年10月28日

ハロウィーン

■「早起きは三文の得」

十年前に比べ、若者の運動能力が低下しているという。
若い女性と一緒に旅行したとき気になるのが、朝食をとらない人が多いことです。
これも原因の一つなのでしょう…。
読売新聞の世論調査によると、二十代の55%、三十代の35%、何と約半数が、                                                                朝は遅くまで寝ていて、 朝食抜きの生活をしている。
                                                                                                                  海外へ行くと、 朝、ジョギングをする人、公園で新聞を読む人、朝の時間帯を沢
山の人が、思い思いに楽しんでいる。
それに引き換え、日本の朝はなんて静かなんだろう…。毎朝犬と散歩する朝6時
過ぎ、外の空気は美味しい、太陽がまぶしい。なのに…、私たちの住む街は、
人の気配がしない。
何だかすごくもったいないし、恥ずかしい気がする。日本人は怠け者なの…?
そう思うのは私だけでしょうか? 

「早起きは三文の得」というが、今の日本人には、忘れ去られた言葉かも…。
エネルギー資源のない日本、アメリカのようにサマータイムを採用すべきでしょ
うね…。

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 99】 
「ハロウィーン」

海外旅行で、車窓から見える景色、日本ではお目にかかれない風景に出会う。
そのたびに心が引き寄せられ、旅の楽しさが倍増する。
サンフランシスコからヨセミテ国立公園へ移動する車中から見える景色、
前号では、「家の柱に黄色いリボンがヒラヒラしているのは何?」の話をした。

車窓から、道路沿いの畑に目をやると、スイカ畑のように、鮮やかなオレンジ
色に実ったカボチャが、畑一面何百個と転がっている。通り沿いのドライブイ
ンに目をやると、何列にもカボチャが並べられ、テーブルの上にも一個づつ、
大きなカボチャが置かれている。それが、周りの景色や建物にみごとにマッチ
していて、アメリカらしさが漂ってくる。

「ハロウィーン」のお祭りに欠かせないカボチャ。
私たち日本人にはなじみが薄い。
アイルランド古代ケルト民族の収穫祭の行事に、ローマの果実の女神"POMONAの祭り"が混ざったもので、 1800年代にヨーロッパからの移民によってもたらされたものだという。

アメリカでは、10月31日の夜に、悪魔や幽霊、魔女・悪霊が現われ、人間に
悪さをすると言い伝えられている。(日本のお盆に似ている)
そのような悪い霊たちを追い払うため、家々の軒先に恐ろしい顔を刻んだ、
大きな"カボチャあんどん"を置いた。正式名は「ジャック・オ・ランタン」という。

こうした行事が始まった由来は、
「けちんぼジャック」と呼ばれる意地の悪い男がいて、彼を「黄泉の世界」に連
れて行こうとした悪魔を、うまいこと騙したという、アイルランドの伝説です。

ジャックが死んだ後、生前のいたずらが過ぎて、天国にも地獄にも行けず、
明かりを灯した"カブ"の提灯を持って、暗い道をさまよい続けるというお話し
から、カボチャ行灯が魔除けに置かれるようになった。

「ハロウィーン」の日になると、子供たちは怖そうな服を着て、近所の家を訪問
する。すると、悪い霊は怖がって、その家に寄りつかなくなるという。
家の人は、訪れた子供たちへのお礼に、飴やお菓子を手渡す。もし、お菓子が
貰えなければ、その家の霊除けのカボチャをつぶしたりして、悪さをしてもいい
ことになっている。

国土が広いアメリカ、日本のように近所にお菓子屋さんがない。お菓子を買っ
て食べる習慣のないアメリカの子供たちにとって、「ハロウィーン」の日は、
クリスマス同様、沢山の家を回って、お菓子を集めて歩く、楽しみな日なのです。
もう一つ、車窓から見える景色で、日本では見られないものに、クリスマスツ
リー"もみの木"を栽培する畑があることです。1m50センチくらいの可愛い
もみの木が、何列にも行儀よく並んで植わっている。
12月、全米に出荷され、ツリーの産地として有名だとか…。

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About 2005年10月

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