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2005年12月 アーカイブ

2005年12月02日

流行語大賞

■言葉遊び。創作「早口ことば」
「金沢金大機械科今学期学科課目各教官協議の結果下記の
如く確定。化学幾何学機械学国語語学古文国家学絵画卒論」 
ちょっと長すぎたかな…

「ふかくさ ふかくさ ふかくさ すさくた ふたすさ ふかすか 
ふかすふか すかすかくさ」

これ、スラスラと言えて、スラスラと意味がわかったら、あなたは変人。
こんなもの読めっこありません。意味だってチンプンカンプン。
でも、デタラメを並べたわけではない。ちゃんとした意味のある言葉なのです。


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 104】
~ことば遊び~
「流行語大賞」

昨日、05年流行語大賞が発表された。パソコンのディスククリーンアップで、
ファイルデーターを圧縮するように、古い記憶がどんどん圧縮され、人生が
圧縮され、やたら人生が短く感じられるようになる。

そこで毎年、我が家の十大ニュースと流行語大賞を重ね合わせて、ファイル
しておくのはいかがでしょう。その時どきの世相が思い起こされ、貴重な思い
出コレクションになりそう…。

 

2005年(平成17年)
≪大 賞≫
「小泉劇場」 と、ライブドア堀江貴文「想定内・想定外」 が選ばれた。
≪ベスト10入り≫
・「クールビズ」 ・「刺客」 ・「ブログ」 ・「フオーー!」 ・「富裕層」
・「ちょいモテオヤジ」 ・ロッテ優勝「ボビーマジック」 ・「萌え~」

2004年(平成16年)
・アテネオリンピック水泳金メダリスト、北島康介の「チョー気持ちいい」
≪ベスト10に選ばれたもの≫
・アニマル浜口の「気合だ~」  ・自民党幹事長 武部 勤の「サプライズ」
・ライブドア社長 堀江貴文の「新規参入」  ・韓流ブーム「冬ソナ」
・浜田陽区の「△△って言うじゃない、○○切り! …残念!!」
・作家 片山恭一の「セカチュー」  ・「自己責任」 etc

[選に漏れたものにも、記憶に残るものが多い]
・巨人軍 渡辺恒雄の「たかが選手」  ・小泉首相の「人生いろいろ」
・皇太子さまの「人格否定」

2003年(平成15年)
・テツ&トモの「なんでだろう~」 ・衆議院議員 野中広務の「毒まんじゅう」
・衆議院選挙で初めて戦われた「マニフェスト」

その他、星野仙一の「勝ちたいんや~!」、肺炎による感染症「SARS」、
フジテレビの人気番組"トリビアの泉"の「ヘエ~」、「ネット心中」、
「オレオレ詐欺」などがある。

2002年(平成14年)
・「タマちゃん」 八月に多摩川に姿を現してから、全国のお茶の間の人気者に
  …今年は「なかちゃん」が可愛かった。
・「W杯」ワールドカップで日本中が沸いた。
その他上位には、ノーベル賞「ダブル受賞」、「ムネオハウス」、「拉致」
「ベッカム様」などが記憶に新しい。

2001年(平成13年)
・小泉内閣発足により、「米百表」「声域なき改革」「ワイドショー内閣」「骨太の
方針」など、小泉人気に集中。
その他上位は「狂牛病」、塩川正十郎の「塩じい」、「抵抗勢力」、
氷川きよしの「ヤダねったら、ヤダね…」などがある。

2000年(平成12年)
・「IT革命」 この夏パソコンが急速普及、テレビの年間出荷台数を追い抜く。
・スマップ香取慎吾が扮する"慎吾ママ"の「おっはー」
その他上位には、柔道田村亮子のオリンピック「最高でも金、最低でも金」、
長野県 田中康夫知事の「官対民」、自己中心的世評を反映した「ジコチュー」、
オリンピック水泳銀メダリスト 但馬寧子の「めッちゃ悔し~い」などがある。

2005年12月06日

意味を問うことの大切さ

この一週間、西村代議士事件と、姉歯建築設計事務所事件で大騒ぎ。
自己保身と嘘と、責任のなすり合い。モラルのカケラもない…。

お金儲けと成功のためなら…、現在置かれている地位と幸せを守るためなら…、
「バレることはないだろう…」、悪いと知りながら、つい人の道に外れたことをや
ってしまう。社会人として守らなければならない大切なものが、欠落してしまって
いる。
運悪く?事件が発覚し、マスコミにさらされる…。世間を騒がせる反社会的行為
をしておきながら、悪びれる様子もなく、罪の意識も感じられない。

私たちがこうした事件と同じ状況に置かれた時、「私は、そうした欲望に惑わ
されない!過ちを犯したりしない!」と、言い切ることができるでしょうか?

こうした心の貧しさは、私たち世代に共通したもののようです。

【心と体の健康情報 - 223】
~子育て心理学~
「意味を問うことの大切さ」

11月の初め、高校一年の女子生徒が、母親を劇物で殺害しようとした事件が
あった。今の社会、親の子殺し、子の親殺しは取り立てて珍しいことではなく
なった。女子生徒が「尊敬する人」は、少年期に義母を毒殺した"ヤング"とい
う実在人物で、そのヤングの殺人手法を真似たのだという。

女子生徒の学業成績はトップクラスで、科学の知識も並外れて豊富。東大の
教授らの間で「すごい子がいる」と評判になったくらいです。それだけの才能が
あるのに、正しい方向に導くことが出来なかったのは、大人たちに責任がある
のではないでしょうか。

戦後の日本の教育界は、二度と戦争を起こさないという考え方が基本にある。
私達が学生の頃は、「哲学・道徳・修身」などは軍国主義につながると、一切
教育の現場から排除され、教えられることはなかった。

結果、高い能力の生徒を育てることが教育の目的になり、詰め込み教育一本や
りで、IQや偏差値の高い子供、テストの成績の良い生徒が、将来有望で優秀な
人材として評価され、ひたすら良い高校、良い大学を目指し、学校内で順位を競
ってきた。
そんな教育についていけない子供たちは、落ちこぼれと言われ、社会の片隅に
置き去りにされ、見捨てられてきたのです。

人を育てることよりも、産業界に役立ち貢献できる人材を育てることに偏ったの
です。「知識・技術」が優先され、「哲学・宗教・道徳」などの、人間を育てる教科
は、片隅に追いやられ、軽視されてきたのです。

哲学・宗教が教育にないということは、「意味を問う」ことがないということです。
「幸福とは何だろう」「人生とは…」「命とは…」「いじめとは…」といった意味
を問い、意味を考える機会を、私たちは与えられることがなかったのです。

人間を作っていかなければならない十代に、「家族とは」「親を敬うとは」「先祖
とは」といったことの意味の大切さを、学ぶことも、問うこともなく、ひたすら
「大きいことはいいことだ」「強いことはいいことだ」と、経済的豊かさを追い求め、
周りとの競争に打ち克つことのみを価値観とする、そんな人生を突っ走ってきた
のです。
人を育てる上で、私達は大切なものをどこかに置き忘れ、その重要性に気づ
くことなく、可愛さだけで子育てをしてきたのではないでしょうか。
生まれた時から豊かな環境に育ち、我慢を知らない子供たち。
大人になりきれない、"おども"を育ててしまったようです。

2005年12月09日

学校の制服、相当異質な存在?

外国人から見た日本人、「何で皆髪が黒いんだろう」「何で皆日本語しか話さない
んだろう」。同一性というか、画一性が気になる。がんじがらめの社会に見える。
大学や病院の序列にも驚かされるという。教授、助教授、助手、それぞれの立場
がある。みんな仲間という雰囲気の欧米とは、随分違うなと感じるという。

例えば専門外の人間が、何かの研究を学会などに発表しようものなら、
「インチキ研究」だとか、「素人が何やってるんだ」などと非難され、疎外される。
西欧諸国では、社会のニーズに応える研究であれば、誰がやっても評価される。
島国根性というか、たこつぼのようなやり方をしているのは、日本だけでしょう…。
                                毛利 衛「宇宙と地球」より

 

 

 

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 105】               ~日本人のアイデンティティー~
「日本の学校の制服、相当異質な存在?」

セーラー服といえば、 本来イギリス海軍の水兵さんの制服です。
男性の、しかも軍人さんが着るものが、日本では女子高生の制服なのです。
なぜ軍人さんの制服を、日本の若い乙女が着るようになったのか?
何とも不思議です。
日本で最初にセーラー服を採用したのは、福岡県のカソリック系の女学校です。
大正十年、エリザベス・リー校長が、運動着に良いと思いついたのです。
それまで生徒は、運動しづらい和服姿で、体育をしていたのです。

着せてみると意外と似合った。その後、学校の制服となり、日本中に広がって
いった。今人気の韓国ドラマ「冬ソナ」を見ていたら、高校の女子生徒の制服が
セーラー服だったのには驚いた。日本の統治時代のなごりでしょうか? 

アメリカからやってきた中学の交換留学生、最初に教室に入ったとき、「ギョッ」
とするという。男子生徒も、女子生徒も、みんな同じに見えるからです。
髪は全員黒、肌色も服装もみんな同じ。いろんな肌色があり、一人ひとり個性
があるアメリカ生まれの学生から見ると、なんとも異様に見えるのです。

先進国で、学校に制服があるのは、日本と英国くらい。「学校の制服」というと、
日本では、男子生徒は軍服に似た詰襟が圧倒的。女子も水兵(セーラー)服が
多い。明治以来の富国強兵のなごりだが、この戦前からの服装に、左翼系の
先生から軍国主義的服装だと、反対の声が出なかったのは何故なんでしょうか?

このセーラー服姿、イギリス人には異様に映るという。
英国でデイリー読売が、学校制服の是非について、読者に投稿を呼びかけた
ところ、目だったのは、日本のセーラー服に対する怒りの声だった。
「グロテスクな倒錯趣味」「性犯罪を誘発しかねない、危険なポルノグラフィ的
服装」と言うのです。

それに加え、最近の女子高生のスカート丈は、膝上十センチのミニが一般的。
英国では、短いスカートにタイ、肌のラインが出るきついブラウス、ロングソック
スなどを「ソフト・ポルノ的服装」と、憂慮する声が一般的なのです。

米国や欧米の学校には、このたぐい制服がない。校則が厳しく、学校儀式の多
い日本や北朝鮮に制服が多いのです。イタリアでは、入学式も卒業式もない。
だから子供たちは、整列の仕方も意味も知らない。
欧米人から見たら、日本の学校は相当変わった存在に見えるのです。

 

2005年12月13日

家族文化の崩壊

12/5読売新聞に、「父親像」に関する全国調査が載った。若い父親に対して
「しつけができない」「尊敬もされていない」など、"頼りない父親"のイメージが浮き
彫りになった。
理想的な父親像としては、「必要なときに、子供をきちんとしかれる」が、74%を
占めた。
戦後教育の柱は「子供の自主性を重んじる」であった。だが、家庭や学校で様々な
問題が噴出する中、「友達親子」では駄目で、父親に厳しさを求めようとする考え
方が多くなってきている。"地殻変動"が起きているのです。

調査では、今の子供たちがおかしくなっているのは、"父親に原因がある"との
見方が多数意見…。
一方、若い女性は、学校教育の影響で「男女に区別はない」と、家庭内で厳しくす
るのは夫婦どちらでもいいと思っている。優しいだけの夫であっても、それで良い
と思っている。

【心と体の健康情報 - 224】
~子育て心理学~
「家族文化の崩壊」

私達の親の世代に家庭内で厳然と守られてきた「家族文化」 。いま親となってい
る私達は、そういった過去培われてきた「家族文化」をきれいさっぱり忘れ去り、
放棄し、過去のものにしてしまっている。「家族文化」が消滅してしまったのです。
そのことが何を意味するのか、気づかないままに…。

子供の頃の我が家にも、家長(父親)を中心とした「家族文化」があった。
今の私の家庭にはないものです。
(1)家族の中での父親は、家族を養い家族を守り、家長として絶対的権威でもっ
   て子供たちに恐れられた。
   (当時の男性は、国に命を捧げる覚悟があり、近寄りがたい威厳があった)
  普段無口で何も言わない父親。が、ここぞという時の一言には、家族全員従わ
  ざるを得ない、き然としたものがあった。

(2)母は、子供たちが父親を敬い、父親を尊敬するよう振舞い、教育した。
  朝・昼・晩、決められた時間に、家族全員揃って食事をするのが我が家のしき
  たり。
  全員食卓についても、父親が箸をつけるまで、誰も箸を取ることは許されなかっ
  た。ご飯は父親からよそい、子供たちを先に食べさせることははしなかった。
  父親のごはん茶碗は一回り大きく、お頭の付いたお魚は、
  父親の前に置かれた。
(3)父親が子供を叱ったとき、母は子供を目の前でかばようなうことはなかった。
  後になって、子供に叱られたわけを言ってきかせ、お父さんに謝るよう諭すの
  が、母の役目だった。
  子供が母親に背いたとき、「お父さんに言いつけるからね」とか、「お父さん
  が許してくれたらね!」とか、家庭内における父親の存在は大きかった。
(4)嘘をついたり、言いつけを守らないと、夕ご飯を食べさせてもらえなかった。
(5)子供たちには何らかの家事の分担があり、責任を負わされた。
(6)「起きた時、寝る時の挨拶」「脱いだ衣類は必ず畳む」などは母親…。
  
戦後の食べるのがやっとの中、私自身、しつけらしい躾をされた記憶がない。
しかし、家族全員に対しては、あるいは、家族が揃った食事どきなどは、
「いただきます・ご馳走さまの挨拶励行」「贅沢を慎むこと」「一粒のご飯でも粗末
にしないこと」など、やかましく言われたものです。

厳しい父親と、優しい母。身を粉にして働く両親の後姿を見て育った。現在の私
の生き方、モノの見方考え方は、両親から受け継いだもの。今は昔と時代が違
う。今さら父親の権威を回復させたいと思っているわけではない。

我が子を育てていく上で、父親にしか出来ない大切な役割があることに、気づ
かなければならない。仕事にかまけて、我が子のしつけを母親まかせにしていて
は、子どもを一人前に育てることはできません。

読売新聞の調査で、子供の頃父親が「雷おやじ」だったという人は、全体で39
%。特に40代以上の男性では、半数を超えている。
また、「父親が雷おやじ」と答えた人の92%が、「父親を尊敬している」だった。

「家族文化」が復活して初めて、新たな「地域文化」が芽生え、昔のような住みよ
い社会が、よみがえってくるのではないでしょうか。
各家庭から出る排水がきれいになれば、地域社会という川の水が澄み、近隣愛
に満ちた、美しい社会が戻ってくるように思うのです。

2005年12月16日

会議のあり方

NHK・BS2で、思い出深い昔の映画が再放されている。 最近では、裕次郎の「錆びたナイフ」、マカロニウエスタン「夕日のガンマン」、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」などを録画で楽しんだ。当時の時代背景が映し出され、懐かしさもひとしおです。
「希望は過去にしかない」とは、 フランスの文豪バルザックの至言である。
私のような歳になると、あのころは良かったと、何かにつけ、人生を振り返るようになる。
今、老人ホームでは、そんな過去を思い返すことで、若き活力を少しでもよみがえらせようとする、「回想法」という療法が行われているという。

米の精神科医が提唱し、「懐かしい歌謡曲」「若かりし頃の映画・写真・生活用具」などを使うと、昔話しが盛り上り、会話が弾む。"認知症"のケアに良いなど、年寄りの脳の活性化に効果があるようです。 

 


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 106】
~日本人のアイデンティティー~
「会議のあり方」

メルマガ139号に記述したように、日本の武道が中国や西欧のように「形」 に囚われ、形に従う武道ではなく、一撃で勝ち負けの本質を突いてくる。
ところが、「書く・話す」の世界では、どうして形式や手順にやたらこだわるのだろうか? 

欧米人が日本人とビジネスをする時、どの日本人も同じように美辞麗句を並べ、

たてまえで接してくるので、不可解な気持ちになるという。日本人には個性がない、アイデンティティーが感じられないと言う。たてまえばかりで、本音が伝わってこないというのです。

どの会合においても、日本人が挨拶に立つと、「本日は大変お忙しい中、そしてお足許の悪い中、ご出席を賜りありがとうございます。さて、経営環境は益々混迷の…」。
欧米人は、こんなどうでもいいような挨拶を、くだくだ言わない。そんな暇があったら、さっさと本題に入り、本音で語りかけ、少しでも課題を前に進めようとする。

日本の会議での発言は、気配りのあまり、奥歯にものが挟まったような言い回しが多く、なかなか本音を言わない。持論をきっちっと主張し、議論を戦わせながら問題をまとめていこうとする欧米人とは、噛み合わないのです。

また、日本の会議は、一言も発言しない人が半数近くいたりする。関係なさそうな人まで集まって、主催者数人のやりとりを聞いて終わってしまう場合が多い。
会議の進め方も、最も大切な議題から優先して討議すべきなのに、トップの長々とした挨拶に始まり、"形式"に囚われ、式次第に沿った議事進行を粛々と進めているうち、肝心の重要議案が時間切れ審議不十分、次回に持ち越されてしまう。
だから居眠りする人も出てくる。やってもやらなくてもいいような会議が多い?ように思うのです。

米国の会議は、直接係わりのある担当者のみの少人数で、徹底討論する場合が多い。発言は真剣で鋭い。会議の目的に沿った準備が不十分であったり、自分の意見を持たない者は、出席を認められない。
逆に、主催者が目的不明の会議を招集したりすると、次からは、誰も出てくれなくなる。当然、居眠りしている暇など全くない。

会議の途中で、詳細な説明がいるとき、その時だけ必用な人を参加させるのがアメリカ。日本の場合は、そういった場合でも、最初から最後までずっと同席させている。
このように比べてみると、日本の会議は形式に囚われ、不合理で、無駄が多いように思うのです…。

2005年12月20日

意味を問うことの大切さ(2)

大関に昇進した琴欧州、今後の活躍が楽しみである。
幕の内19場所という最短距離で大関に昇進した。番付を駆け上がるのに何よ
り重要なのは、「逆境にくじけず、それを自らの力に変える意思の強さ」だという。
琴欧州にはそれがあった。「横綱」を目指すというひたむきな心と、固い意志が、
成長を支えた。
師匠の琴桜も、戦後の貧しさの中から這い上がって横綱になった。日本人力士の
不甲斐なさが目立つが、今の豊かな日本の暮しの中で育った若者と、何とか貧し
さから脱出しようと、日本にやってきた琴欧州などの外国人力士とは、スタート地
点での精神的心構えが全く違うのです。           11/29 中日新聞

琴欧州は、レスリング欧州選手権で個人優勝した。ところが、体重制限オーバー
で、オリンピック出場資格を失った。その挫折が相撲の世界へと導き、日本に行
く決断をさせた。「万事塞翁が馬…」である。

【心と体の健康情報  - 225】
~子育て心理学~
「意味を問うことの大切さ/宗教的教育」

今の日本は、家庭でも学校でも、「宗教的な物語」が語られることがなくなった。
戦前の国家神道への反省から、戦後の日本は厳密な政経分離策を取り、結果と
して、公立校での「宗教教育」はタブー視されてきた。
先進国で政経分離をとるのは、フランス・米国など少数で、とりわけ日本のそれ
は、「無神論に偏った政経分離」となっている。

この十年の統計を見ても、少年のかかわった凶悪事件が、著しい増加を見せて
いる。そこで問題になるのが、そういった事件を引き起こす社会構造、社会の
病理を追求しようとする動き。そして、このような非社会的犯罪を犯す人間は、
精神医学的に「異常」と断定できない、ごく普通の人間に近いということです。

私達人間の心には、「善と悪」が共存している。素晴らしい可能性を秘めている
と同時に、親鸞が語ったように、時に"縁と環境"が整えば、残虐な犯罪を犯す
存在でもあるのです。
子供のころを振り返ってみると、悪へ傾斜しかかったとき、歯止めをかけるもの
があった。それは、もの心つくかつかない頃に語って聞かされた「宗教的物語」
であることは間違いない。                   読売新聞「論壇」より
                                      
私の祖母が子供の頃に語ってくれた、「仏様が見ている」「誰も見ていなくても、
お天道さまが見ている」「悪いことをすると、閻魔様に舌を抜かれる」「悪いこと
をした人間は地獄へ落ちて、針の山や血の海を歩かされる」といったことが、
その後の人生で、悪への傾斜を食い止める歯止めになっている。

思えば、かなりきわどい悪さをしながら、一歩踏みとどまれたのは、心の底で、
何かわからない「畏(おそ)れ」を感じていたからではないでしょうか…

犯罪を犯した少年には、「生命の重み」がわかっていないのでは…。
「善いことと悪いこと」のけじめがつけられないのでは…。
事件が起きるたびに言われる言葉。今の子供たち、悪への傾斜を食い止める、
心の歯止めになるものが、何もないのでしょう…。
学校で「命を大切にしましょう」、「悪いことをしてはいけません」と教えられても、
それだけでは単なるお題目にしか過ぎず、真の意味が理解されないでしょう…。

私の世代を、戦後教育の洗礼を受けて育った一次世代とするなら、私達に育て
られた子供たちは二次世代。そして今、その二次世代が親となり、子育てを始
めている。
戦後教育の影響から、親から子へと受け継がれる「家族文化」が薄れていく。
それが子育ての貧困を招き、社会の秩序、公徳心を軽ろんじる風潮が、世代を
追うごとに加速している。

乱れていく社会の秩序を取り戻すために、学校教育の場で、あるいは家庭に
おいて、昔、私たちがおばあちゃんから聞かされたような、"宗教的見地"から、
「善と悪」「人としての道」など、子供たちに「物語」 を通して、語って聞かさなけ
ればならない時が来ているようです。

2005年12月23日

家族文化の崩壊(2)

■賀状で思うこと…
元旦、ご無沙汰している友人から届けられる賀状。一枚一枚手に取り、その
文面から、お元気な様子を思い、新しい年を祝う…。

●高校卒業以来、全国各地を転勤して歩き、一度も会ったことのない学友。
  その学友から、46年間毎年賀状が届いた。転勤した土地で、元気に暮らして
  いると知らせてきた。
  学友が定年になり、ようやく金沢に戻ってきた。これからの人生、自分の為に
  使いたいと言っていた矢先… 亡くなられたとの知らせ…。

●夜逃げを経験した友人の話
  正月、賀状が一枚も来ない。そのことは分かってはいるが、過去の人間関係
  がすべて失われたようで、孤独感にさいなまれ、むなしい正月になったという。

例年のごとく賀状が出せるのは、何事もなく無事、幸せに暮らしてきたお陰…
この一年に感謝! 皆様も、よいお年をお迎えください。

【心と体の健康情報  - 226】
~子育て心理学~
「家族文化の崩壊(2)」

「家族文化」の崩壊は、「地域文化」の崩壊につながっていく。
最近の子供は、気に入らないことがあるとムカついたり、 キレたりします。
学校内での子供のいじめ、暴力行為は増える一方です。

拒食症や過食症が問題になり、肥満児童が増加し、子供の成人病が増えてきて
います。性モラルの低下、援助交際、自殺、閉じこもりなどは、人ごとでは済
まされないほど、身近な問題になりつつあります。
道徳心が欠落していたり、精神的に問題があるような、病んでいる子供も増え
てきている。
こうした現象は、今の時代を反映し、両親の生活態度が子供にそのまま写し出
される。そういった病んだ社会を立ち直らせる鍵は、家庭における父親の存在
…。子育てに、父親が積極的に関わることです。

ところが、読売の調査によれば、肝心の父親に、父親としての責任意識がない。
回答者の42%がそう思っていて、前回96年の調査に比べ、10ポイントも
増加している。若い父親に、子育てへの"自覚"がなくなってきているのです。

■理想の父親像(読売新聞/複数回答)
・必要なときに、子供をきちんと叱れる    73.9%
・子供に、生き方人生観を語って聞かせる  53.9%
・仕事に懸命に取り組む姿を見せる      52.2%
・父親としての威厳があり、尊敬されている  48.5%
・子供の考えを尊重してくれる          43.4% 
・家事や育児に積極的に参加する       29.9%
・子供と友達のように接する           12.7%      

しつけの中に、今まで忘れていた「哲学・宗教・道徳的要素」を取り入れること
です。「何をすべきか?」、 前々号でお話したように、「意味を問う」 ことです。
「なぜ勉強しなければならないのか?」「なぜお年寄りを大切にするのか?」…。

子供の学業成績だけを追い求める、視野の狭い偏った子育てでは、人として生
きていくのに欠かせない、「心」「魂」 が育ちません。
「命の尊厳の意味」「この世に生を受けたことの意味」「人を愛することの意味」
などを教えるのは、お母さんの役割でしょうか…。

お父さんは、「やって善いことと悪いこと」「我慢をすること」「正しく生きる人間
になること」などを教えます。親子キャンプをするなど、子供と一緒に何かを
して、体験を通して教えるようにします。

幼少の頃、家事を手伝ってきた子供は、人との交わりの中で、よく気がつく人
間になるという。子供の頃、いろんな経験をさせることが、大人になってから
活きるのです。
勉強ができる、親の自慢の子であっても、家のお手伝いを何一つしない子は、
社会に出て、人の役に立つ人間になれるとは思えません。
仕事ができても、自分さえ良ければいいという、姉歯さんのような人…、
脳裏に浮かんでくる…。

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