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2007年02月 アーカイブ

2007年02月02日

4年ぶりに訪れた上海

■上海でのスナップ写真

獅子林   金茂大厦

外灘の夜景

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 160】
「4年ぶりに訪れた上海」

先週、傘下の代理店を伴って、4年ぶりの上海観光を楽しんだ。
空港から乗ったリニアモーターカー。最高速度は430キロ、わずか8分の乗車時間だったが、期待したほどスピード感はなかった。

蘇州へ向かう高速道路は片側四車線。車の量も多く、ロサンゼルス郊外を走っているような錯覚に陥る…。朝夕は、出勤・ 帰宅の自家用車の列で延々の渋滞。車窓から見える景色。オレンジ瓦に白い外壁のモダンな二階建住宅が遠望できる。4年前に見た、 みすぼらしく粗末な街並みは、完全に姿を消していた。

北京オリンピックを直前に、景観整備に力を入れているのでしょう。高速道路に沿って巾約100メートル、 古くて見苦しい民家や農家は全て強制立ち退き。その跡地を植林し、公園に整備していた。
何十棟もの高層マンションを一気に建築していた、4年前の建築ラッシュは、もうない。高速道路に沿った民家は、 そういったマンションに移転させられたのでしょう…。

正月に訪れたフイリピン・セブ島は、トヨタやニッサンなどの日本車が8割だった。一方の上海は、 日本車は十台に一台くらいしか見かけなかった。
4年前、公用車やポンコツ中古ワーゲンのタクシーくらいしか走っていなかった上海。朝の出勤時は、 自転車とバイクがイナゴの来襲のように、道路を埋め尽くしていた。
今は、カローラクラスの真新しいセダンやワンボックスカーが縦横に走る。庶民が自家用車を持つ時代になったのです。日本でいえば、 約30年前の昭和60年初頭の頃でしょうか…。

けたたましく警笛を鳴らし、すき間があればどんどん割り込んでくる。車優先の、乗っている私たちが恐怖に駆られる乱暴な運転。
歩行者もまた、信号が赤だろうが、車の間を縫って道路を横断してくる。交わす会話はかん高く、街全体がセカセカと、 ヒステリックに見える。。

バスが観光地に着くや、貧しい身なりの物売りや、空き缶を持った乞食が降り口に群がり寄る。断っても、無視しても、 しつこく食い下がってくる。
4年前に比べ、乞食の数がやたらと多くなったのが気にかかる。
政府が、高速沿いの美化に力を注ぎ、イメージアップに努めても、こう乞食が多くては、中国の恥部は隠しきれないと思う。

人口1800万の大都会。排気ガスが太陽光線をさえぎり、330メートルの東方明真珠塔展望台から見下ろす上海の街はモヤに霞み、 遠望がきかない。代理店の中には、喉の痛みを訴える者も出た。
蘇州で遊覧船に乗ったが、川からドブの臭いが上ってくる。下水整備が不十分なのでしょう。

4年前に比べ、すべての面で庶民の生活レベルが上ってきているのが分る。
当時、街を歩く若い女性は、化粧なし、ヘアーは黒のストレート、ハンドバックを持つ人はなく、ミニスカートにストッキング姿は、 外資系企業に勤める女性くらいだった。
今回訪れて、女性の多くが装い、美しく髪を整え、化粧していたのは、嬉しいかぎりです。
三日目の自由行動のとき、二十歳過ぎの日本語のわかる女性を、日当350元でくどき落し、道案内役と通訳を兼ね、連れ歩いた。

中華料理に飽きた最終日の夜は、観光客がめったに訪れない下町の、しゃぶしゃぶの店で食事をした。近所に目をやると、 太郎という名と、田村という名の大きな日本食のお店があった。店に入ると、従業員が皆日本式におじぎして、「いらっしゃいませ~」と、 お愛想がいい。何れも寿司カウンターがあった。日本食のお店が、上海の下町にも見られるようになったのです。

只、"官営"の観光施設で働く従業員は、お客様に笑顔を振りまくことをしない。何をすれば、お客様に喜んでいただけるか… 分っていないようです。


2007年02月06日

癒す心、治る力

今回から、アリゾナ大学のアーノルド・ワイル医学博士の著書「癒す心、治る力」(角川書店)から、 自然治癒力のエネルギーのすごさについて、ご紹介します。

この本は、全米ノンフェクション部門ベストセラー1位になり、昨年一月に博士が来日し、注目されました。
博士は、長年に渡る「予防医学」「代替医学と自然治癒力」の功績が認められ、医学的研究と治療分野での最高賞、「ノーマン・E・ ジンパーグ賞」を受賞しています。
「病気を未然に予防することの大切さ」「人間の持つ自然治癒力と現代医学とのかかわり」を著した、398ページの博士の著書。 読んだ中からの抜粋です。


【心と体の健康情報 - 279】
~食と健康~「癒す心、治る力」

笑いのある“明るい"環境ほど、健康に良いものはない。そういった環境にいると、 病気が治ってしまう。笑いが、身体の自然治癒力を高める働きをするのです。東京の某クリニックでは、患者さんを落語演芸場や、 吉本へ連れて行く。繰り返すことで、著しい治療効果が認められると、学会に発表している。

ガンなどの治癒率がきわめて低いとされている病気でも、世の中にはいわゆる "奇跡的治癒"をとげた人が必ずいるものです。

ワイル博士は、アリゾナ大学で教鞭をとっている。博士は難病から生還した人をよく教室へ連れてきて、学生に体験談を直接聞かせ、 生まれながらに備わっている「自然治癒力」の力が、ときに医学の常識を破ってしまうという、 生きた見本に触れさせようとするのです。人の持つ治癒力のすさまじさを体感させ、「自然治癒力」の持つ力に、 目を向けさせようというのです。

現代医学の科学療法は、効力が鋭く、毒性の強いものが多い。その毒性のために、病気を治すための望ましい効果が、 “副作用"で相殺されてしまうことがあまりに多いのです。そして厄介なことに、抑圧的な治療を続けている限り、病気を治すどころか、 病気のプロセスを高めてしまうのです。

そして今、抗生物質などの “現代の特効薬"に対する抵抗菌の続出が、深刻な問題になろうとしている。 抗生物質の乱用が災いして、細菌は急速に新しい “抵抗メカニズム"を生み出しつつあるのです。

以前なら、抗生物質で治療できたはずの感染症。効果もなく死亡するケースが続出しているのです。 病院で"院内感染"で死亡するケースが度々発生している。一部の感染症専門医は、 抗生物質では対応しきれなくなったときの対策を考えはじめているという。なんとも怖い話です。

例えば、アレルギー体質患者の皮膚のかゆみや発疹といった症状の場合、その病気は皮膚の表面に出てきます。そして、 体表に現れた症状は、体内にいたときの症状よりも、より良い兆候だと教えてくれる。

一般に皮膚科の治療は抑圧的で、かゆみや発疹を抑える薬を投与することで、症状を消すことはできる。が、 将来もっとたちの悪いトラブルや、病気の原因を体内に閉じ込めてしまうことになる。

医師が使用する副腎皮質ホルモンは、非常に強力な抗炎ホルモンであり、医師は、 その害について真剣に考慮することなく、皮膚表面のトラブルが解消することを願う患者の要望に応えるために、 安易に投薬してしまうのです。

使用している間は発疹は抑えられる。が、ひとたび使用を止めると、たちまち症状が現れ、しかも以前より悪化するのです。 病を元から治すのではなく、症状を体内奥深くへ追いやっただけなのです。抑えつけられた病気と、 そのエネルギーはどうなったのでしょうか?どこへ行ってしまったのでしょうか?

~次号 2/13に続く~

2007年02月09日

落語・粗忽(そこつ)の使者

■ことば遊び 「風が吹けば桶屋が儲かる」

『強風で土埃が目に入ると、目を悪くする人が増える。
目を悪くすると、角付けでもしようということになるから、三味線が売れる。
三味線の胴は猫皮だから、猫が減ってネズミが増える。
ネズミが増えれば、桶をかじって穴を開ける。すると桶屋が儲かる…』

この話、大嘘であることは、誰の目にも明らか。江戸庶民の駄洒落(ユーモア)である。狂言や落語をこよなく愛する江戸庶民。 "おかしみ"が伝わってくる。
「猫も杓子も」などの、洒落ッ気あふれる言葉文化の花が咲いた江戸時代。その遊び心は、今も脈々と生きている。

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 161】
~ことば遊び~  「落語・粗忽(そこつ)の使者」

少しおつむの弱い主人公や、そそっかしい八っあん、熊さんを題材に、笑いを誘うのが落語。時には、極端な言い回しをしたり、 徹底して歪曲した噺ネタで客を笑わす。そのネタ噺の一つが、「粗忽の使者」だろう。

♪大名、杉平柾目正(すぎだいら まさめのじょう)の家来に、地武太冶衛門という人がいた。これが度を越した粗忽者であった。

ある日使者の大役をおおせつかり、さっそく馬を曳(ひ)かせて飛び乗ったが、
驚いて、「別当! この馬には首がない!」
『後ろ前反対で、首は後ろについております』
「おお、粗忽な馬であるな、その首切って、こちらへ付けよ…」

万事がこんな調子だが、なんとか乗馬して、本郷の赤井御門守のお屋敷に到着した。用人の田中三太夫が出迎え、 挨拶を交わすとさっそく、
『して、お使者の御口上は?』

問われた冶衛門、「暫時お待ちくだされ、使者の口上は…」と言ったきり絶句し、自分の尻をつねり始めたのである。
いぶかしんだ三太夫に、『いかがなされた』と言われ、
使者の口上を失念したと白状した。

使者に参って口上を忘れては、武士の面目が立ち申さぬ。
拙者、この場を借りて一服いたす」 
『では煙草盆を…』
「いや、そうではない、セ、切腹をいたす」
そんなことをされては迷惑である。なんとか思い出す工夫はないかと訊くと、「お力添えがあれば…」と打ち明けた。

治衛門は、幼少の頃から物忘れが激しく、そのたびに父にでん部をつねられた。「痛い!」と思うと、忘れたことを思い出すのが、 習わしになったと言うのだ。だから今もつねっているが、自分でやったのでは効果がない。

「ご貴殿、手前のでん部をつねりくれまいか」
快諾した三太夫に、「初めてお目にかかりながら、面目しだいもござらんが…」と、尻をまくって前屈みになった。
三太夫は老臣、力も弱く一向に効かない。
ついには音をあげ、当家に誰かふさわしいものを探してみようと言ったが、若者は笑い、年寄は苦い顔をするばかり。

この窮状を救わなければと名乗り出たのが、大工の留公である。
"閻魔(えんま)"と呼んでいる、ペンチの親玉のような釘抜きを使おうというのである。
職人であることが知れるといけないので、侍の身なりをこしらえ、三太夫の苗字田中をひっくり返して、中田。
留と太夫をくっつけて、中田留太夫と名乗らせた。

見られていては出来ないからと、三太夫を隣室に退出してもらった留公、いや、留太夫は、作業に取り掛かった。
『これが尻かい、かかとみたいになっちゃってんねェ。
さあ!いくぜ、おい、どうだ!』
「おお、効き申す。…が、もそっと手荒に…。うーん、…あッ、思い出してござる」
襖(ふすま)を開けた三太夫、『して、お使者の口上は…? 』
「聞かずに参った…」



 

2007年02月13日

癒す心、治る力-2

~いのちの根~            相田みつを

なみだをこらえて    悲しみにたえるとき
ぐちをいわずに     苦しみにたえるとき

いいわけをしないで   だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて     じっと屈辱にたえるとき

あなたの眼のいろが  ふかくなり
いのちの根が      ふかくなる


【心と体の健康情報 - 280】
~食と健康~「癒す心、治る力-2」

アリゾナ大学のアーノルド・ワイル医学博士の著書、「癒す心、治る力」の続きです。
現代医学の科学療法は、効力が鋭く、毒性の強いものが多い。その療法は、病気を元から治すのではなく、 症状を体内奥深くへ追いやってしまうケースが多分に見られるのです。

■奇跡的治癒例
ガンが両肺いっぱいに広がり、病院から“打つ手がない"と言われた男性が、自宅で死を迎えるために退院した。
半年後、その男が担当医の診察室に顔を出した。 ガンは消えていた!
ほとんどの医師は、一度ならずこうした経験をしている。
「自然治癒力」の力によって快方に向かった症例なのです。

■東洋医学と西洋医学の違い
中国医学は、病気に対する「自然治癒力」を高めていく方法を、何千年も追求してきた。
中国では、西洋とは病気への取り組みの考え方が全く異なる。
どんな病気に対しても、健康を維持するための「自然治癒能力を高めること」
「抵抗力をつけること」
を主眼に置いて、処方対処してきた。

西洋医学もかなりの年月、病気の治癒に貢献してきたが、伝統的東洋医学の偉大さには、及ぶべくもないのです。

中国医学は、人間の持つ自然治癒力と協調した治療方法をとるため、細菌に対して抵抗が生じない。
処方する漢方が、細菌を“叩く"作用はなく(従って細菌の進化に影響を与えない)、 体の自然治癒力と協調して働くものだからです。
漢方の力は“免疫細胞の活性化"を促し、あらゆる“病気に対する抵抗力"を高めるのに役立つのです。

一方、西洋医学の抗生物質は、細菌を叩くことのみに有効であり、HIV患者に対しては、長い目で見た場合、 中国の生薬療法の方がはるかに有望と思われるのです。

漢方の力は、“免疫細胞の活性化"を促し、あらゆる“病気に対する抵抗力"を高めるのに役立ちます。一方、西洋医学の抗生物質は、 細菌を叩くことには有効です。
現在病院で使われている薬剤の多くが、“抗"という頭文字で始まっている。
抗うつ剤、抗炎剤、抗高血圧剤などきりがない。
一方、中国の生薬は、西洋医学の抗ウイルス剤に比べて毒性がなく、HIV患者の多くが、ウイルスを体内に残したまま、 比較的長期に渡って無症状の生活を送ることが可能なのです。

体の自然治癒力を強化するという東洋医学の考え方は、「人の体には、病気を起こすものに抵抗し、 それに対処しようとする能力が備わっている」と考えているからです。
もし、そうした考え方が西洋医学の主流だったら、現在のような医療の危機を迎えることはなかったのです。

<奇跡的治癒例>
糖尿病患者でヘビースモーカーだった若い女性が、ひどい心臓発作を起こし、意識を失ったまま集中治療室に横たわっていた。 心機能の急速な衰えを告げるモニターを見て、主治医も手のほどこしようがなかった。
ところが、数日後意識を回復し、元気にしゃべりはじめた。
あきらかに回復に向かっていた。

病気を治すのは医者ですが、病気を治すために最も大切なことは、本人自らが、本気で「治りたい」「絶対に治ろう」 と思い続け、あきらめないことです。

~次号 2/20に続く~

2007年02月20日

癒す力、治る力-3

2004年に東京の明治座で上演された、「こだま、来る」は、その前の年に脳梗塞で倒れた坂上二郎にとって、仕事に復帰する初舞台となった。
予想よりも遥かに早く、復帰の原動力となったのが、舞台への情熱だった。

二郎さんの奥さんから、萩本さんに電話が来て、「リハビリを面倒臭がっている」と言うから、『体が動かなくても、舞台に上ってもらうよ…と伝えて』と、萩本は奥さんに言った。

長年連れ添う相方ならではの激励が、坂上のヤル気に火をつけた。
「車椅子でも出る!」、そう誓った坂上は、毎日2時間の散歩や、不自由な手で100個の大豆を1個ずつ動かすなど、地道で辛いリハビリを、欠かさず実行するようになった。
「朝晩やりました。早口言葉や巻き舌も練習しましたよ」
復帰の舞台では、坂上がステージを横切るだけで、爆笑が起こった。
『うらやましかったね。元気なだけでバカ受けするんだもん。一番喜んだのは二郎さんじゃないかな…』と萩本さん。

その公演の千秋楽に、信じられない事が起こった。
坂上が舞台上で、「お客さんが病気を治してくれた」と語り、涙を流したのだ。
40年以上コンビを組む萩本だが、初めて目にする坂上の涙だった。

読売新聞


【心と体の健康情報 - 281】
~食と健康~「癒す心、治る力-3」

アリゾナ大学のアーノルド・ワイル医学博士の著書から、「癒す心、治る力」を紹介します。
病気を治すのは医者ですが、病気を治すために最も大切なことは、本人自らが本気で「治りたい」、「絶対に治ろう」と思い続け、あきらめないことです。

■奇跡的治癒例
ひどい坐骨神経痛にかかり、二年半近く痛みぬいた五十代の女性。
初孫が生まれてくることになって、孫の顔を見ていたいと痛切に思うようになった。
おばあちゃんとして、孫の世話をするには「どうしても坐骨神経痛を治さなきゃ!」と、真剣に思いはじめたのです。そこで、イメージ療法に通ったり、ハリを打ったり、健康食品を食べたり、ビタミン剤を飲んだりして頑張ったのです。
それからわずか一ヶ月で痛みは消えた。一番効いたのは“腰に血液がめぐってきた"という"イメージ療法"でした。そして「本当に治りたい」と、自分に言い聞かせたことです。
助かる見込みがわずかしかなく、どんなに苦しいときでも、「きっと助かる」「必ず運が開ける」と、あきらめなかったお陰で、病気が治った例など、いくらでもあるのです。

多くの医師たちにとって問題なのは、自然治癒力を生かす単純な治療方法すら、知らないことです。
現代医学の医師は、医学会が認知した、生化学的メカニズムが立証された治療方法に頼り、医学的見地からの立証に欠けた民間療法には関心を示さず、軽視してきました。

ほとんどの医師は、現代医学以外の療法を採り入れようとしません。
更に問題なのは、薬の与え過ぎ、過剰検査、過剰治療が当たり前になっていることです。
高価な医療機器を備えた病院を、患者が信頼する。次々と買い揃える医療機器は、病院経営を圧迫する。その結果、高価な抗生物質など、薬の与え過ぎ、過剰検査、過剰治療へと駆り立てるのです。

保険医療制度が抱える大きな問題ともいえます。そして、初期の段階では、使う必要のない、抗生物質などの“重火器"を最初から投与してしまうのです。

そして、あまりにも多くの医師が、治る可能性について悲観的見解を持ち過ぎ、「治ることは期待できない」「病気とともに生きることを学べ」「覚悟をしたほうがいい」「これ以上医師にできることは無い」という意味のことを、無神経に家族や患者に伝えているのです。

ところで、いざというときのために、信頼できるかかり付けの医者を、身近にお持ちでしょうか?
良い「医者」と「弁護士」と、師と仰ぐ「先生」。そういったブレーンを持つ・持たないでは、人生の幸不幸に大きく影響します。

2007年02月23日

アメリカの新聞王/令嬢誘拐事件

■マスコミが及ぼす影響力

柳沢大臣など、閣僚の相次ぐ問題発言は、国民の政治不信を増幅させ、世論は安倍内閣不信、自民・民主の支持率低下となって現れた。
それが無党派層の増大を招き、福岡・愛知の知事選に大きく影響したのです。

マスコミが国民大衆に及ぼす影響力は大きい。「あるある大辞典」で、納豆によるダイエット効果がお茶の間に流れるや、 スーパマーケットから納豆が消えてしまったのは、つい最近のこと…。
その後、それが捏造であることが明るみに出るや、納豆の売れ行きがヒタッと止まってしまった。この両極端が、それを物語っている。

ややもすると興味本位、視聴率優先に偏りがちなマスコミ。国民世論を間違った方向へ導いてしてしまう、魔力を秘めているのです。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 163】
~歴史から学ぶ~ 
「アメリカの新聞王、ハースト家・令嬢誘拐事件」

今から30年以上も前の話になります。1973年(S48)に、アメリカの新聞王、ハースト家の令嬢(お孫さん)が、 黒人過激ゲリラに誘拐されるという事件が起きた。このニュースは全米のみならず、世界を駆け巡り、 日本でもマスコミが連日大きく取り上げたことを記憶している。

過激ゲリラは、ハースト家に1800億円の身代金を要求してきた。
加えて、ロサンゼルスに住む貧しい黒人一人につき、毎日70ドル支給するよう要求してきた。新聞王ハーストは、テレビを通して、 身代金の支払いを拒絶した。
その三ヵ月後、ロサンゼルスの銀行に、黒人過激ゲリラが、ライフルを乱射して押し入り、金を奪って逃走した。事件後、 隠しカメラを見たところ、誘拐されたハースト家の令嬢が、強盗団の一員に加わっていることが分り、またまた全米は大騒になった。

数ヶ月後、州警察は、過激ゲリラの潜伏場所を突き止め、リーダー以下潜んでいた6名全員を射殺した。たまたま、 ハースト家の令嬢は、他の過激ゲリラと別の隠れ家に潜伏していて、難を逃れることができた。
その後、その隠れ家も突き止められ、令嬢は逮捕された。そして、7年の刑を言い渡され、服役した。

刑を終えた後彼女は、自らの体験を本に出版し、講演をして歩いた。
「身代金は支払わないと、祖父がテレビで言っているのを見たとき、家族に見捨てられたと思った」と、ゲリラに加わった動機を語っている。
ゲリラから、虐げられている黒人の話や、理想社会実現の話を聞かされているうちに洗脳され、ゲリラ組織に加わったのだという。

祖父のハーストは、20代半ばに新聞社を興し、三流芸能新聞さながら、殺人事件、ゴシップ、興味本位の記事をでかでかと載せ、 販売部数を驚異的に伸ばしていった。30代に入ると、全米各地の新聞社を次々と買収。新聞王と言われ、成功者にのしあがっていった。

ゴシップ記事は益々エスカレートし、読者を引きつけるために、面白いネタを見つけてきては、ある事ないことでっちあげ、 社会的モラルなど意に介せず、営利本位の経営姿勢を貫き通した。
こうしたでたらめ記事で大衆をあおるうち、それが世論となって、様々な歴史的事件の引き金となった。

[アメリカ・スペイン戦争]
アメリカとスペインの関係がこじれていた時、たまたま米国の船が、スペイン領キューバで原因不明の爆破事件で沈んだ。 それをファーストは、スペインがやったと書きたてた。更に「米国人女性が、スペイン人にレイプされた」などと、 でたらめの記事を書き立て、打倒スペインに沸騰した世論をバックに、政府は戦争を起こし、勝利した。
(9/11事件に憤慨した世論をバックに、イラク戦争を起こしたように…)
ハーストは、「私に出来ないことはない。戦争も起こせる」と豪語したという。

[政敵暗殺事件]
ハーストの政敵政党から、大統領候補が立ったとき、候補者のゴシップを次々でっちあげ、「殺してしまうしかない」と、新聞に書き立てた。 その数ヶ月後、対立候補は何者かに暗殺された。

[リンドバーク令嬢・誘拐事件]
この時も面白おかしく、ありもしない記事を書きまくり、そのため身代金が倍になった。ついには、娘さんは死体となって発見された。

晩年、ハリウッド女優を愛人にし、サンフランシスコ郊外の丘陵地に、東京都に匹敵する広大な土地を求め、 2兆2千億円もの大金をつぎ込んで、愛人のための豪邸を建てた。
月に幾度も仮装パーティーを開き、地元の名士やハリウッドスターを招いた。
パーティの豪華な料理は、貧しい人たち5万人分の食事代に相当するものだった。また、愛人のためにハリウッド映画会社を買い取り、 愛人主演の映画を次々製作した。

ハーストには5人の息子がいて、自分の会社で働かせたが、後継者として育てることはしなかった。ハーストの死後、 新聞社は没落した。会社を私物化し、贅沢の限りをつくし、一代で潰れたカリスマ経営者の典型といえます。

現在豪邸は、カリフォルニア州の所有物となり、観光名所になっている。
一昨年、サンフランシスコを訪れたとき、バスの窓から遠望出来た。

2007年02月27日

癒す心、治る力-4

■歩き遍路

数年前、親しくしていた社長が脳梗塞で倒れた。幸い軽くて済み、後遺症が残らなかった。 それが人生を見つめ直すきっかけになったのでしょうか…。儲かっていた会社を畳んで、四国へ"歩き遍路"に出かけていった。

車や乗り物に頼らずに歩き通す"歩き遍路"。
私も走破してみたいという思いはある…。
実際に体験した人の話では、気ままに楽しめたのは、最初の数日だけだったという。
後は、豆がつぶれ、筋肉痛に悩まされ、棒のようになった足を引きずって、ひたすら「あと○○キロ…早く着け」と念じる、 苦行の日々だったという。

長年、サラリーマンをやっていた習性からか、何事にもノルマを課して頑張り通そうとする自分がいる。私にとっての歩き遍路は、 ノルマ達成のための、歯をくいしばる日々になりそうです。


【心と体の健康情報 - 282】
~食と健康~「癒す心、治る力-4」

アリゾナ大学のアーノルド・ワイル医学博士の著書、「癒す心、治る力」 から。
ほとんどの医師は、現代医学以外の療法を採り入れようとしません。
更に問題なのは、薬の与え過ぎ、過剰検査、過剰治療が当たり前になっていることです。 

■奇跡的治癒…食生活習慣の改善でガンを治した
医師のアラン・カピュラーは、リンパ節の腫瘍によるリンパ系のガンになった。
医者であるアランは、様々な治療法方を検討した結果、長年の食生活習慣パターンが、ガンの原因であることを知り、 食生活を改善することによって、病気を治そうと決意した。

肉食を中心として、牛乳、チーズ、蜂蜜とフルーツジュースというかたちで、砂糖も沢山とっていた。それに煙草も吸っていたし、 コーヒーも蜂蜜入りを一日に3杯は飲んでいた。
食事療法の立場からすると、みんな最悪のものばかり…。そこで、体によくないものは一切やめようと決意した。

次の日から、厳密な食事療法を始めた。玄米、味噌汁、野菜の煮物、海草などの「東洋の僧院食」を守り続けた。その処方では、肉類、 乳製品、砂糖、アルコールはもちろん、果物、サラダ、油類、パンなどが禁止された。 
そして、「よく噛んで食べる」ことにも注意した。

「なぜ化学療法を受けようとしないのか」と問われた。アランは医師である。
現在の化学療法が“人間にどう作用するか"をよく知っていて、自分に毒を盛る気にはなれなかった。
食事療法を一年近く続けた。が、病状に変化は見られなかった。
担当医は、アランに「化学療法を始めるべきだ」と迫った。一年と数ヶ月過ぎたころ、アランのリンパ節の腫れが引き始めていることに、 気がついた。
その後、病気は順調に治っていった。

病気の経験から学んだことの第一は、「ガンは素晴らしい贈り物だった」ということ。
ガンになったお陰で、身体について、実に多くのことを学んだ。
そして、体に対する食物の影響に、ものすごく敏感になった。

痛感したのは、「自分の係りつけの医者は自分自身であり、自分を自分で治さなければいけない」 ということだった。

■治すコツは
 (1)自我を捨てる
 (2)それまでの間違った生活習慣を正す
 (3)身体が勝手に治っていくことに任せる
身体は、治し方をちゃんと知っているのです。

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