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2007年04月 アーカイブ

2007年04月03日

日本の受験戦争は素晴らしい(2)

■舞台人の心構え

舞台人の心構えに、
「稽古は大根役者と思え。幕が上れば千両役者と思え」
というのがある。
まだ下手だ、まだ足りないとひたむきに稽古し、いざ本番となれば一転、揺るがぬ自信を胸に、舞台をつとめよ…と。

上がり症を克服しようと思ったら、本番に備え、何度も繰り返し練習するしかない。
先々週の土曜日、世界フィギュアで安藤が逆転の「金」。
SPでまさかの5位に終わった真央ちゃんが、「銀」という快挙をやってのけた。

本番前の順番待ちで襲ってくる、「うまくいかなかったらどうしよう…」という、抑えようのない不安感。それを振り払うため、 浅田真央は、舞台裏で1人瞑想した。
「精一杯やるだけやったんだから、例え本番で失敗しても悔いはない」と、開き直って臨んだことが好結果を生んだ。
翌日、日曜の午前、民法TV「波乱万丈」で…(震度4の地震が襲ってきた直後)「納得いくまで練習を積むと、 自らの演技を早く観客に見せたくて、ウズウズしてくる…」。
舞台俳優40年のプロ、"西岡徳馬"の言葉です。


【心と体の健康情報 - 287】
~子育て心理学~ 「日本の受験戦争は素晴らしい(2)」

仕事がない…。税理士から「会社をたたんだら…」と言われ、苦しくて眠れない日々が続く。死ぬ気になって原点に戻り、 成功をつかみとっていった。
「理念と経営3月号」に出でくる、埼玉県日高市に本社がある、(株)ミヤザキ山之内道廣社長の体験記である。

山之内氏は、5人兄弟の末っ子。家は貧しく、兄弟みな中学を出て働きに出た。
自分も中学を出たら左官になろうと、中学3年の夏休みに、1週間ほど見習いに行った。そのとき、 仕事が終わって職人たちが焼酎を飲んで酔う姿を見て、これが将来の自分の姿かと失望した。

高校へ行き、勉強したいと母に相談した。母は借金をして入学金を作ってくれた。高校卒業後、品川の樹脂の販売会社に就職。 人と接する仕事がしたいと、営業に出る。お客様の評判もよく、先輩に負けない売上を上げるようになった。

22歳のとき、アパートの一室に中古のボール盤を一台置いて、独立。
何度となく訪れる経営危機をその都度乗り越え、いまや、特注品の樹脂加工の分野では、他者の追随を許さない高い技術を誇る、 トップ企業に成長した。

山之内氏とは以前、一年近く一緒に机を並べ、勉強したことがある。
その人柄は一級品。貧しかった幼年期と、若い時に重ねた苦労が、氏を大きな器に磨き上げたのでしょう…。

春は選抜高校野球と共にやってきた。
先月23日から始まった甲子園での熱戦も、今日が決勝戦。
県予選での戦い、いくら練習を積んできても、敗戦とともに次がないことを、過去何度となく思い知らされている。 そこを勝ち残ってきた球児たちに、更なる試練が甲子園で待ち受けている。

トーナメントなので、どんなに強いチームでも、ちょっとしたミスで負ければ、次のチャンスはない。そこが良いのだ。 何しろ戦っているのは高校生である。 日頃から「うまくいかなくて当たり前、何も焦ることはない」などと、言われ続けている世代だ。
今が一番伸びるという時、負ける悔しさを体験することは大事である。
若いうちに、明日なき戦いを経験しておくことが、後に生きてくる。

受験も同じである。一発勝負と心得て、徹底的に勉強すべきだ。
「受験に失敗したって、どうってことはない」などと、ここで変な励まし方をしない方がいい。負けたら終わりだという気持ちで、 必死に取り組ませるのも、立派な教育である。
叩きのめされても、若い時だからこそ…。若い時だから、再び立ち上がることができる、明日なき戦いを経験させておく。受験こそ、 その絶好のチャンスなのだから…。
必死で戦って、結果負けてしまったとしても、「それはいずれ大人になって、財産になるであろう」などと、教える必要はない。 いずれ分かることなのだから…。

2007年04月06日

落語・長屋の花見

 

満開になった近所の公園の桜

■「落語・長屋の花見」

この噺は大坂の「貧乏花見」を、明治の末に、三代目"蝶花楼馬楽"が改作したもので、当時の題名は「隅田の花見」であった。

その後、四代目"柳家小"さんが更に手を加え、今日の「長屋の花見」になった。
如何なる噺も、幾多の名人上手、はた又、奇人変人を経て、名作落語へと練りあげられたのである。
名だたる落語のほとんどが作者不明なところが、落語の良さなのです。

楽書館「あらすじで読む古典落語」


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 169】
~ことば遊び~  「落語・長屋の花見」

「桜咲く 桜の山の桜花 咲く桜あり 散る桜あり」
「一杯は人・酒を飲み 二杯は酒・酒を飲み 三杯は酒・人を飲む」
なんて申しまして、
♪「花見に行ったかい」
『行ってきた』
「どこだ」
『飛鳥山』
「どうだった」
『大変な人だぜ、おめえ…、娘っ子は唄いだす、お婆さんは踊りだすね、いやあ、面白かったなぁ~』
「おれも行ってみるか…、で、花はどうだったッ」
『花ッ…? さあ、咲いていたかなあ』

春爛漫、江戸っ子にとって、春の花見は心浮き立つ一大行事…。
お金に飽かして贅(ぜい)を尽くし、料亭おあつらえの花見弁当に、灘の生一本があれば言うことなし…なのだが、あいにくここは、 近所でも評判の貧乏長屋。
それでも花見に参加しようと、太っ腹の大家さんが、花見の酒と肴を用意した。

ところが出てきたのは、灘ならぬ宇治の生一本の"お茶け"。
重箱には、カマボコに見立てた大根の香々、卵焼きに見立てた沢庵がぎっしり。
酒、肴の運搬役は今月の長屋の月番さん。
大家さん、毛せんがわりのむしろを持たせ、長屋の衆を引き連れて、飛鳥山へ。

さて、花は満開、申し分なしなのだが、お茶に大根の香々、それに沢庵では、盛り上がろうにも盛り上がれない。
耐えかねた大家さんが、月番にお酒を注いでまわるよう命じる。が、中身はお茶け。

「おい、あんまり注ぐな。恨みでもあんのか」
なみなみ注がれて怒る者もあれば、「あたし下戸です」と言って拒否する者も。
「甘口、辛口ってのはあるけど、渋口だね、こりゃ」

続いて大家さんは『肴を食べなさい』と、これもまた月番に…。
しぶしぶ大根の香々をつまみ上げ、
「あたし歯が悪いんで、この頃はカマボコもよくきざまないと…」
「これはいいですね。胃の調子が悪いときには、カマボコおろしにして…」
「このカマボコは美味しいですが、やはり練馬の方のもんですか?」
「わたし、卵焼きは…尻尾(しっぽ)でないところを…」
と、長屋の衆は言いたい放題。

一同やけくそながらも、盛り上がってきたところで、再び大家さん、
『これだけいて一人も酔っていないね。月番さん、酔いなさい』
「では大家さん、つきましては…酔いました」
『やけに早いね』
などと言いながらも、大家さんは上機嫌。
「いやぁ、こりゃいい酒だ。いくら飲んでも頭に来ない」

花見も宴たけなわ。すると、長屋の一人が「大家さん!」と叫んだ。
「近々長屋にいいことがありますよ。"酒柱"が立ってますゥ…」

学習研究社「落語ギャラリー60」

2007年04月10日

自己を律する

■銭は天下の回りもの

ある夜、青砥藤綱(あおとふじつな)という武士が、川に10文の銭を落とした。
使いを走らせ、50文の松明(たいまつ)を買って銭を拾った。
「太平記」巻35の一節である。

人に笑われると青砥は言った。
「拾わねば10文の銭は川底に眠りつづける。自分は10文を取り戻し、商人は50文稼いだ。60文の銭1つも失わずあに天下の利にあらずや、 世の得になったではないか。」

"回ってこそのお金" 流れることで世の中を潤し、おのが出費もやがては一滴の潤いとなって、わが身に戻ってくる。
お金が使われぬまま、川底ならぬ銀行口座やタンスの中で眠りに落ち、世の中にお金が流れていかない状態。これがデフレである。


【心と体の健康情報 - 288】
~故事から学ぶ~「自己を律する」

人間形成で最も難しく、又大切なことは、「自己を律する」ことが出来る人間になることでしょうか…。
ところで「自己を律する」とは、どういうことでしょうか?
そこで、[黒帯の寓話]という故事から、その意味を深めたいと思います。

何年にもわたる苦しい修行によって、ようやく黒帯を認められるようになった弟子が、師範の前にひざまづいた。
師範は「黒帯を認める前にもう一つ、最後の試練がある」と言った。

そして、「黒帯の本当の意味は何かな?」と尋ねた。
『旅の終りです。これまでの厳しい修行に対する当然の褒賞として受け取るものです』
師範は押し黙った。この答えに満足していない様子だった。
しばらくして、師範は口を開いた。
「まだ黒帯を与えるわけにはいかないようだ。一年後に来なさい…」

一年たって、弟子は再び師範の前にひざまづいた。
「黒帯の本当の意味は何かな?」と尋ねた。
『武道で卓越した技をみがき、頂点に達したことを示すものです』
師範は押し黙って、それに続く答えを待っていた。

そして、この答えにも満足していない様子だった。
しばらくして、師範は口を開いた。
「まだ黒帯を与えるわけにはいかないようだ。一年後に来なさい…」

一年たって、弟子は再び師範の前にひざまづいた。
「黒帯の本当の意味は何かな?」と尋ねた。
『黒帯は出発点です。常に高い目標を目指して、終わることなく続ける修行と、稽古の旅の出発点です』

「そうだ! ようやく黒帯に値するようになったようだ。修行はこれから始まる…」

田舞徳太郎著「幸せの心理学」より

正月、フイリピンでスキューバーダイビングを楽しんだ。
その帰りの飛行機で、海難救助レスキュー隊の活躍を描いた、ケビン・コスナー主演のアメリカ映画を見た。
訓練学校での厳しい訓練。それに耐え抜くシーンが、筋書きの3分の2を占める。
そのすごい迫力に圧倒されながら、食い入るように見入った。

多数の同僚が脱落していく中、無事卒業の日を迎える。校長から卒業証が渡される。
指導官からは、新しい赴任先での活躍を祈り、激励の言葉が一人ひとりに投げかけられる。
その時の卒業生の心の内の、受け止め方が問われるのです。

厳しい訓練に打ち克ち、耐え抜いて来た、自らへの褒賞と受け止めるか?卓越した技をみがき、頂点に達したことを誇りに思い、 その証として卒業証を受け取るのか?
卒業は新たなる出発点。更に高い目標に向かって、終わることなく続けられる修行の旅の出発点と、受け止めるのか?
ドラマの後半は、海難現場で命を賭けた、息を呑む救助シーンが展開していく。

2007年04月13日

福井大地震

■福井地震が起きた昭和23年という年

終戦、戦地からの引き上げ者が家庭に戻って、第一次ベビーブームに…
その時生まれた世代が今年から来年にかけて、定年を迎える。

1月、厚生省防疫技官と名乗る男が、集団赤痢の予防薬と偽って、行員17人に毒薬を飲ませ、12人が毒殺されるという「帝銀事件」 が発生した。
犯人は18万1千円の現金と小切手を奪って逃げた。
7ヶ月後に平沢貞通が犯人の人相に似ていると、逮捕された。後に死刑判決。獄舎で無実を訴え続けたことで知られる。
同じ1月、NHKのど自慢登場。おさげ髪の美空ひばりが唄う"りんごの歌"や、笠置シヅ子の"東京ブギウギ"は、 終戦直後の暗い世相に明るいムードを投げかけた。

*東京の銭湯、大人4円から6円に値上げ。 映画入場料、20円が40円に
*1ヶ月の新聞代、20円から27円に値上げ
*国鉄、東京~大坂間155円が400円に、都電は2円から3円50銭に
*戦後初のバナナが入荷。小売一本40~50円と、庶民の口には入らなかった。
 (今なら、一本3~4千円/物価は当時の1000倍近くになっている)


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 170】
~歴史から学ぶ~ 「福井大地震」

東京や京都の友人・知人などからか、能登地震の安否を心配して、お便りをいただきました。
ありがとうございます。おかげ様で被害はありませんでした。

3月25日、日曜の9時半過ぎ、コタツに入ってTV「サンデーモーニング・スポーツご意見番」を見ていたら、 ゴーという予兆的地鳴りと揺れに伴って、大きくグラグラッと来た。
「近いぞ!」、かなり長い時間横揺れが続いた。
後日、能登半島地震と名づけられる地震がやって来たのです。

国史跡の七尾城跡の石垣が崩れ、国重要文化財の時国家の壁に亀裂が入った。
総持寺のしっくい壁もはがれた。
能登の文化財の被害は21件に及び、被害の大きかった輪島門前町では、水田や水路が壊れ、自宅の被災と合わせ、 田植えをあきらめた農家が25軒出た。

七尾市のつつじが浜の知人に、翌日の午後ようやく電話がつながり、安否を尋ねた。
七尾湾を埋め立てた住宅団地。団地内の道路や住宅の一部が、液化現象で陥没、被害が出たと言う。

海べりに建つ加賀屋が、立替を要するほどの被害を受けた?という噂も流れてきた。和倉温泉の被害状況は、集客に影響するため、 かん口令が敷かれていると言う。本当だろうか??
被災から復興に向け立ち上がろうとする矢先、半壊した民家から、高級タンスを盗み出そうとした泥棒が逮捕された。 はるばる東京からやってきて、被災地をうろつく。そんな輩が何人もいるという…なさけない。

子どもの頃一度だけ、このような大きな地震に見舞われたことがある。
今回の地震発生まで、金沢は大地震と無縁の土地だと思っていた…。
23年6月28日午後5時15分、福井市九頭竜川下流付近で、震度7強の地震が発生。
夕飯の準備に入っていたため、市内各所で火災が発生。市の大半が焼失した。
死者は空襲で亡くなった人の倍の3290人、負傷者8000人、家屋全半壊46525戸、焼失6308戸という、 神戸震災に匹敵する大惨事になった。
"福井大地震"と名付けられた。

無残に崩れた大和百貨店

私は当時7歳。自宅の二階で遊んでいて、突然「ユサユサ、グラグラ」
母親が階下から駆け上がってきて、私を引き寄せ、手を握り締めた…。

初めて経験する大きな揺れに、手すりにしがみつき、おびえていた。
金沢は震度4だった。
福井県に隣接する大聖寺は地盤が弱く、落ちてきた屋根瓦で怪我をするなど、多数の家屋が被害を受けた。


福井市は、昭和20年夏、空襲で一面焼け野原となり、やっとの思いで復興を為しえた。その矢先の大地震。
戦後、食うや食わずの辛酸をなめ、これからという時の被災でした。
この地震で、日本地震学会が初めて、震度7というレベルを設定した。

■福井空襲

昭和20年7月19日夜10時頃、B29爆撃機の編隊120機が福井市に来襲。
まず、市の外周部に照明弾を投下し、徐々に中心に向かって約9500発の焼夷弾を投下した。
油脂爆弾は全市を猛火で包み、防空壕に避難した人たちは蒸し焼きになり、水を求めて、福井城の堀や足羽川に飛び込んだ人たちが、 折り重なって死んだ。
福井市の市街地の95%が焼失。一面焼け野原となり、被災率は全国最大となった。
死者は1600名を数え、市民の多くが家族や親戚を失い、戦後復興に大きなダメージとなった。

 

2007年04月16日

学校に行きたくない

吉村外喜雄です。

吉村博士が発掘したミイラマスク

エジプトで、40年間古代遺跡の発掘を続けてきたことで知られる、吉村作治博士。(サイバー大学学長)


小学校3年の頃、運動能力が劣っているといじめられて、いつも図書室で一人本を読んでいた。
そんなおとなしい、いじめられっ子だったのです。



【心と体の健康情報 - 289】
~子育て心理学~  「学校に行きたくない」

ざ・ぼんぢわーく工房/第29集は、村尾靖子さんの「出会いふれ合い巡り合い」。その中から、不登校体験のところを抜粋しました。

小学校2年の時のことです。私はしょっちゅう、いじめられていました。
その日は、男の子に喧嘩では勝ったのですが、男の子は負けた悔しさで、私に「お前の足は気持ち悪い、学校に来るな」と、 しつこく言ったのです。

懸命に我慢して家に帰って、母の優しい顔を見たら、涙がわぁ~っと溢れてきました。
しばらく母にすがって泣いていたと思います。
母は私の顔を覗き 込んで、いつもいつも「私が火傷をさせてしまって申し訳ない」という母に、「火傷があるからいじめられたのよ」とは、 言えませんでした。

次の日目が覚めたら、"学校へ行きたくない"と、初めて思いました。
玄関を一歩も出られなかったのです。その日、お腹が痛いか、頭が痛いか忘れましたけれど、嘘をついて学校を休みました。
普通のお母さんなら、「学校に行きなさい。仮病でしょう!」と言うのでしょうが、仮病は承知で、「そんなに具合が悪いのだったら、 寝てなさい」と母は言った。

その日は「しめしめ」と思って、一日寝ていました。仮病をつかって休んだのですから、ご飯を二杯食べたくても、 一杯でやめなければなりません。
退屈して"次の日は学校に行くぞ"と決意して寝るんですが、次の日の朝になると、
みんな、私が仮病で休んだことを見抜いているに違いないと思い、余計に行きづらくなり、3日が経ち、5日が経ち、 だんだん学校に行くきっかけをなくし、ずるずると休み続けました。

何日か経った日、先生がやって来ました。
私に会う前に、庭先で母と長い間、何かを話していました。
先生が来られて、
「靖子ちゃん、すごく面白い本が手に入ったのよ。先生が明日から皆に読んであげようと思うから、その本を読む時だけお母さんと一緒に、 教室の入り口までいらっしゃい…」

母に連れられて教室に着くと、入り口の扉が半分くらい開けてありました。
母の後ろに隠れて、みんなと目を合わさないようにしていると、先生が「靖子ちゃん、丁度いいところに来たわね、先生が本を読むから、 聞いて帰ってね」

先生は「丁度いいところに来たわね」と、声をかけてくださったのです。
母と打ち合わせ済みなのに、知らん顔して声をかけてくれたのです。 素敵な先生でした。
千一夜物語でした。アラビアンナイトの王子様とお姫様のお話で、ドキドキするところで、先生、「ハイ、今日はここまで、 この続きを聞きにまた明日も来るのよ」と声を掛けてくださるのです。

そうやって3日か4日経った頃、先生が「教室の入り口まで入ってみない?外よりもよく聞こえるわよ。」
気持ちがほぐれ始めていましたから、入ってみようかという気になり、入口まで入ることができました。

こうして、だいぶ教室に慣れてきた頃、「先生は今日、風邪をひいて大きな声が出ないから、 靖子ちゃん自分の席に座って聞いてくれる?」
言われるまま席に座って、一生懸命聞きました。
そして、さあ帰ろうと思い、後を振り返ると、母の姿はありませんでした。

先生と母の打ち合わせがあったようです。
それからの私は、学校は楽しいところと思えるようになりました…。

2007年04月20日

わが家のコレクション

■昭和22年頃

終戦直後から、激しいインフレになり、米国政府から派遣されたドッジがインフレ解消策を打ち出す昭和24年まで、物価は高騰を続け、 数百倍になった。

*都の職員給与が3倍に引き上げられ、男子400円、女子300円に
*国鉄東京~大阪間値上げ。三等15円が36円に…都電20銭が40銭に
*映画の入場料3円、電話料一通話10銭が20銭に
*郵便料三倍の15銭に値上げ
*たばこ「ピース10本入り」7円(日曜・祭日のみ発売/一人1コのみ)

昭和20年の財閥解体に続いて、農地解放が実施され、小作人の八割が自作農になった。
当時の農地価格は、全国平均10アール当たり760円だった。
22年4月の総選挙で、社会党が143議席を獲得して第一党に。5月20日、社会党の片山哲が首班となり、内閣を組閣。新憲法のもと、 歴史に残る第一回国会が召集された。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 171】
「わが家のコレクション」

3月中旬、事務所を1階から2階に移転したついでに、自宅の押入れなどに仕舞い込まれていた不用品を処分した。
その時、戸棚の奥に仕舞い込まれていた父親の手文庫を開けた。
中から戦前の10銭札、1円札に、中華民国で発券された壱百円札、拾円札、そして戦後間もなく印刷された新円などが、 大きな牛皮の二つ折り財布の中に仕舞い込まれていた。

新拾円札
旧百円札

昭和21年2月、加速度的に進むインフレを抑制するため、預金封鎖が実施された。
そして、新円への切り替えが行われた。新円への交換引き出しは、1ケ月に所帯主は300円、家族一人当たり100円認められ、 後は引き出すことができず、預金は封鎖された。

興味を引いたのは、昭和15年に発券された、"支那事変"の軍事費調達のための「戦時国債」。
額面300円の債券が、大切そうに手文庫の底に仕舞い込まれていた。利率年3分6里5毛、昭和35年を最終として、 毎年10円95践を20年分割で受け取る内容。
仕舞い込まれていたのは、昭和21年以降、35年までの15年分約164円、敗戦で紙くずになってしまった証書。捨てきれなかった、 当時の父の思いが伝わってくる。

昭和21年11月1日、一日大人一人2合5勺(355グラム)の"お米"の配給が始まった。
国民待望の主食の配給である。
この時、政府配給米の価格は一升5円23践。
ヤミ値は、政府配給米が出たことで、8月一升80円だったのが、50円に下がった。それが翌々年の23年8月には、 一升270円になっていた。

敗戦色濃い19年春頃から食料が欠乏しだし、栄養失調に近い状態が続いた。
当時私は5歳。食卓には、スイトンに芋のツルの佃煮、つくしの酢の物など…。
タンパク質を補うため、四高(第四高等学校・現在の中央公園)グランド前の、用水に沿った石垣のイバラの植え込みから校内忍び込み、 イナゴや銀杏を採ってきて、夕飯の食材にした。
イナゴの佃煮はパリパリと香ばしく、美味しかった。
満州から引き上げてきた叔父家族を含め、わが家は13人。
母親の実家が農家だったことが幸いして、ひもじいながらも、食いつなぐことができた。
米や野菜、芋など、どれだけお世話になったことか…

2007年04月24日

学校に行きたくない-2

■地獄の食事風景、極楽の食事風景 仏教「三尺箸のたとえ」

大きな円卓を囲んで食事をしている。食卓には山のようにご馳走が盛られている。
皆、三尺(約90センチ)もある長い箸を持たされ、その長い箸で食事をしなければならない。
前世で、人の飲食をかすめ取った者や、人の持っているものを騙し取った者、
人に施すことを嫌い、自分のためにしかやらなかった者が、地獄に落とされてきた。
その地獄の食卓風景。ご馳走を前に、先を争って長い箸を使って食べようとしている。
しかし箸が長すぎて、どうあがいても口元に持ってくることが出来ない。
やがて隣同士争そい始め、いがみ合い、みんなご馳走を目の前にしながら、
空腹で目を血ばしらかせ、餓鬼になっている。

一方、極楽の住人たちは、三尺の箸先に摘んだ料理を、自分より先に、向かい合う相手の口元に運んでいる。
皆、互いに差し出すご馳走を食べて、お腹いっぱいになっている。


【心と体の健康情報 - 290】
~子育て心理学~「学校に行きたくない-2」

「不登校」が身近な社会問題になっている。
ちょっとした障害でも、勇気をもって乗り越えることの出来ない、元気のない子供が増えているという。 いろいろ原因があるようですが、 親の子供への接し方に、その原因が潜んでいるようです。
以下、石川 洋先生「美しい川の流れ」からの抜粋です。ある家庭の会話です。

息子 「お母さん、今日の算数の試験、83点だったよ」
お母さん 『本当ォ、偉いわねェ~、やればできるるじゃない!ねえ、同じクラスの○○ちゃんは何点だったの?』
息子 「○○ちゃんは90点だったよ!」
お母さん 『83点ねえ…、○○ちゃんは90点、おまえそれで勉強大丈夫なの?』

どうして、人と人を比較して育てようとするのでしょうか。
兄弟姉妹を「できる子と出来ない子」に、区別していないでしょうか。
『お姉ちゃんを見習いなさい』『お兄ちゃんより頭が悪いんだから…』と言われ続け、 屈辱的な日々を送っている子供たちがいることを…。
そんな子供たちに、安らぐ場所があるのでしょうか。親の何気ない区別や差別に、問題が潜んでいるのです。

日本だけでなく、韓国や中国でも、一番大切なものは「お金」
「お金が沢山ある人が幸福」という考え方が共通した価値観でしょう。
お金が沢山もらえる人間になりたかったら、勉強しろと言う。
一生懸命勉強したらいい高校に入れる。いい高校に入れたら、いい大学に入れる。いい大学に入ったら一流会社に就職できる。 そうしたら給料がいっぱい貰え、幸福な人生が待っている…。

これが日本のお母さんの常識のようです。本当に一流企業に就職したら、親が望むような、幸福な人生が待っているのでしょうか?
子供は、本当の幸せを手にすることができるのでしょうか?
人を押しのけてでも手に入れなければならない価値観なのでしょうか?
誰もが目指さなければならない目標なのでしょうか?

今、日本には13万9千人もの不登校の子どもがいます。
「不登校、二十歳過ぎれば引きこもり」と言うように、成人しても部屋に引きこもったまま出てこない、 そういった子ども達が毎年増え続けているのです。

一点でも高い点数を取ることが良いこととされ、「低いよりも高い方がいい」「小さいより大きい方がいい」 「弱いより強い方がいい」「遅いより早い方がいい」といった価値観・考え方が常識になっている日本。
一番でも上がいいと言う。ちょっとでもクラスの上位を目指すため、我が子を塾へと駆り立てるのです。

そんな自己中心的教育をしていて、幸せになれるのでしょうか?
人を押しのけ、自分さえよければいいというのでしょうか?
大きな家にピカピカの車、「物やお金が人間を幸せにする」といった考え方。
戦後アメリカからもたらされた幸福観が、不登校や引きこもりを生み出している。
そんな、病んだ社会のひずみの中から生まれた、犠牲者ではないでしょうか。

2007年04月27日

植木等とクレージーキャッツ

■クレージーキャッツのヒット曲 「ウンジャラゲ」

♪サラリーマンは ウンジャラゲ   お役人は ハンジャラゲ
 国会議員は スイスイスイ    お百姓さんは モーリモリ
 お巡りさんは キンキラキン
 大学生は ギンギラギンのギンギラ  ギンのギンギラギンのギン

 みんなそろって ランラ ランラ ランラン
 ウンジャラゲのハンジャラゲ   スイスイスイのモーリモリ
 キンキラキンの ギンギラギン   ランラ ランラ ランで一週間♪


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 172】
「植木等とクレージーキャッツ」

「クレージーキャッツ」は、私が25歳の頃、1960年から70年代の初め(昭和三十年代後半)、 日本が高度成長の時代を迎えた頃に、大活躍したグループです。
「♪スーダラ節」 「♪ドント節」 「♪五万節」 「♪だまって俺について来い」
「♪ゴマスリ行進曲」 「♪ハイ、それまでよ」など、
当時、クレージーキャッツの曲が日本中に流れていて、よく歌われた。
その多くは、青島幸男が作詞している。

昭和の最もよき時代のシンボル、植木等。
俳優でコメディアン・歌手・ギタリストと、何をやっても天才肌…。
その植木等が、美空ひばり、ハナ肇、渥美清、いかりや長助など、昭和を演じた人たちの後を追って、天国に行ってしまった。
葬儀には、クレージーの一員だった谷啓、犬塚弘、桜井センリ、そして植木の付き人だつた、小松正夫が参列している。

4月8日日曜の「波乱万丈」は、植木等を忍ぶ特別追悼番組だった。
父親は住職。後を継ぐため、東京の仏教系大学へ進学。
ところが、趣味がこうじてジャズ演奏者に…。ずばぬけた歌唱力、学生時代陸上競技で鍛えた卓越した運動神経に、リズム感覚。 ジヤズギタリストとしての腕も並み外れていた。

植木等がお寺を継がずに、芸能界入りを決意した時、父親の許しを得ようと考え出した屁理屈…
「坊主は死んだ人間を供養する。芸能人は生きた人間を楽しませる。この俺は、生きた人間のために芸能界に入る」と…
父親は、理屈をこねる息子を激しく一喝した。
当時の映画やヒット曲から、植木等には「無責任男」のイメージが強烈に焼きついている。が、実際の植木等は、 自他共に認める真面目な性格…。
「スーダラ節」の楽譜を渡された時、「こんな曲は歌えない」と悩み、父親に相談した。
僧侶の父は、「人類が生きている限り、この"わかっちゃいるけどやめられない"という生活はなくならない。それを"真理"というんだ。 上出来だ!頑張ってこい」と諭されて、歌う決心がついたという。

「歌えば歌うほど腹が立ってくる」と言いながら、「♪スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイスイ…」。 平泳ぎのように手をかき、がに股で陽気に歌う植木等。
当時の人気番組「シャボン玉ホリデー」。
或る時植木は出番を先走り、違うコントに出てしまった。で、「あ、お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました!」と言って引っ込んだ… これがウケた。
その後、カンカン帽にステテコ、ちょび髭、腹巻に下駄という姿が定着した。

「タイムスリップグリコ」より

映画「無責任シリーズ」。
当時流行語にもなった"猛烈社員"さながら、がむしゃらに働いていた私。
組織に縛られず、自由な男を演じる植木等とクレージーキャッツの面々を見て、日頃のストレスを発散するには十分…。 なんとも楽しい映画だった。

植木等は18年11月、我が故郷金沢で、東宝映画「舞妓Haaaan!!」のワンシーンにゲスト出演したのが、 最後の役者仕事となった。
日本がどんどん元気になり、豊かになっていった時代に、老若男女を問わず、すべての国民を虜にした、植木等とクレージーキャッツの面々。
私の中からまた一つ、懐かしい昭和が消えていった…。

 

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