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2007年11月 アーカイブ

2007年11月02日

江戸小噺・石川五右衛門

■言葉の語源。今日は「女」のいる漢字から…

女性を呼ぶ言葉は、日本語を知るうえで大変面白い。
組み合わせによって、様々に使い分けられ、感情が込められたものもあります。
女三人寄れば「姦(かま)しい」、古い女と書いて「姑(しゅうとめ)」など、"ことば遊び"から生まれたような面白さがあります。
「娘」は、「む(産)す女」が「むすめ」になったと言われている。
親にとって娘は可愛くてしかたがない。そこで「愛」に「娘」で、「愛娘(まなむすめ)」が生まれた。しかし、 "まなむすこ"という漢字はない。

好きの「好」は、女の子は可愛くて愛らしい。転じて「女」と「子」をくっつけて「好」になった。「女」に「弱」で「嫋(たお)やか」。 しなやかで優美な女性の姿になります。
「嬶(かかあ)」は、鼻息のあらい妻という意味の、日本で生まれた国字です。

「女」に「老」又は「波」で「ばばぁ」。「眉」を付ければ「こびる」。女に「母」は「うば」。
「家」をくっつければ「よめ」。女に「喜」で「うれしい」と、昔の人のユーモア感覚がうかがえ、楽しくなってくる。
このように、辞書で「女扁」や「魚扁」を繰って、その言葉の意味を楽しむのも、いいものです。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 198】
~ことば遊び~
「江戸小噺・石川五右衛門」

今年も、早いもので11月。今席はひとつ泥棒の小噺を申し上げましょう。
11月と泥棒がどうしてくっつくのかって?実は、ほら、柴又の寅さんが言うじゃないですか…。「泥棒の始まりは石川県…じゃなくて、 石川五右衛門」って。

あの五右衛門が生まれたのが、永禄元年(1558)の11月15日なんでございます。今年は奇しくも、 五右衛門誕生450年って訳でしてな。
日本各地で泥棒どもが集まって、「大盗祭」という盛大な祝賀式典を開いているのだそうでございますよ。
またまたいい加減ななことを…ウソでしょうって? いやいや、これはウチの親戚に泥棒がいて、そこから聞いた話ですから、 間違いありませんよ!
という訳で、泥棒の小噺を一席。

♪石川五右衛門が捕らえられて、京都三条川原で釜茹での刑に処せられたのは、文禄3年(1594)8月24日のことでございます。 ただでさえ暑い真夏でございますから、さぞや暑かったことだろうと、お悔やをみ申し上げます。

この日はまた、泥棒稼業では「浜の真砂忌」と申しまして、旗日、つまり其の日一日、 泥棒はお休みすることになっておりますんですよ…(大ウソ)。
悪人とは申せ、五右衛門はさすが大物でございます。グラグラと油の煮えたぎる釜を前にしても、眉一つ動かさず、 立会いの役人に申しましたな。

「しばらくお待ちくだされ。この世の名残に、時世の一首を詠みとうござる」
『おお、奇特なことよ…早う詠め!』
「されば…かかる時 さこそ命の惜しからめ かねてなき身の 思ひ知らずば」
『な、なんと、それは太田道灌公のお歌ではないか!?』
「ふふン、これが本当の盗み納めじゃ…」

~提供「風亭弥次郎」~

ちなみに、石川五右衛門の辞世の句は、
「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に罪人の 種は尽きまじ」
また、太田道灌は室町中期の武将で、歌人。江戸城を造ったことで知られる。

2007年11月06日

三つ子の魂百まで(3)

■17世紀、オランダの巨匠「フェルメール」

十月初旬、映画「真珠の耳飾りの少女」 をNHK・BSで鑑賞して以来、このあどけない少女は、私を魅了し、私の好きな絵画になった。
原作は、1999年に世界で200万部売り上げを記録した、同名のトレィシー・シュバァリエのベストセラー。
このあどけない少女を描いた画家は、ヨハネス・フェルメール(1632~75)。

17世紀、世界を覇権したオランダ。その時代、裕福な事業家をパトロンに、後世にその名知られる優れた画家が、沢山排出した。
フェノールはその一人で、日本ではあまり知られていない。
オランダを代表する画家では、18世紀印象派を代表する"ゴッホ"が一番。

映画を見るまで、私はフェルメールを知らなかった。縁とは不思議なもので、9月26日から12月17日の間、 フェルメールの代表的作品が、国立新美術館開館記念で、日本初公開されているのです。
いつもなら、オランダ・アムステルダム国立美術館でしか見られない名画です。
11月1日、東京へ張した折りに鑑賞してきました。

真珠の耳飾りの少女牛乳を注ぐ女



【心と体の健康情報 - 318】
~子育て心理学~ 「三つ子の魂百まで(3)」

人間の左脳は言語活動を主にコントロールし、右脳は直感力、音楽、創造力などの非言語活動や、 視空間的部分をコントロールしています。

健康情報-99 女はおしゃべり」で、男性は話をするとき、 言語をコントロールする左脳しか働かないのに、女性は左脳に加え「直感力」や「創造力」 をつかさどる右脳が同時に働くことを書きました。女性は、 「人の話を理解する能力」が、男性よりはるかに高いのです。

NHKの「ためしてガッテン・脳イキイキ楽器入門」を見て、人が奏でる曲を一回聴いただけで、寸分違わず真似て、 奏でることができる人がいるのです。
「音感」も「リズム感」も「記憶力」もずば抜けて優れている、楽器を奏でることを職業としているプロでも、 十人に一人くらいしか出来ない芸当だそうです。

研究の結果、"4歳"までにピアノやバイオリンを習い始めて、その後プロになった人の"92%"に、その能力があるという。
"8歳"で約半分に減り、"14歳"を過ぎると、その能力は限りなくゼロになってしまうという。幼い頃、 音楽にふれさせるのが一年遅れると、人間が潜在的に持っている特殊な能力が、急速に消滅していくのです。

リズム感や音感は、右脳がつかさどりります。3~4歳のころから、ピアノやバイオリンなどを繰り返し学習していると、 右脳だけでなく、言語をつかさどる「左脳」も一緒に働くようになるのです。
奏でる音楽を、「言語的解釈」として記憶する能力が育っていくのです。
ですから、成人の後、それが特殊技能となり、生かせるのです。

小学校2~3年の頃になって、ピアノを習わせるのは、既に時期を逸しているのです。もっと早くに習わせるべきなのです。 私のようにとりえのない親が、子供に夢を託そうと思うなら、3~4歳のころから、一つのことに集中して習わせ、厳しく教育・ 訓練する必要があるのです。

最近は囲碁ブームで、囲碁教室に小さなお子さんを通わせるお母さんが増えています。高校生のアマチュアゴルファー石川君が、 並み居るプロを押しのけて優勝し、マスコミを騒がせたのは、つい最近のこと…。スポーツや囲碁の世界では、10代後半に才能を開花させ、 20代前半で頂点を極める若者が続出している。
ほとんどが、3、4歳ごろに習い始めている。大きくなってから努力することは大切です。
しかし、能力を開発しようと思うなら、3~4歳の頃に始めるのがいいのです

2007年11月09日

老舗と暖簾

■NHK・BS朝7時45分からの連続小説「都の風」(再放映中)

京都室町の呉服問屋の三姉妹。ある日当主(婿)に呼ばれ、当主の前に座らされた。
「末娘(ドラマの主人公)に婿を取って、当家の後を継がせることにする。長女は商家に嫁に出す。次女は養子を取って別家を持たせる。」と、 言い渡した。
そこから物語が展開し、大騒動が巻き起こる…

・三女に店を継がせることにした理由は…
長女は「新しものがりやのくせに、すぐに冷めてしまい、長続きしない。」
次女は「性格がおとなしく、身代を守っていくには頼りない。」
三女は「人の心が分る優しさと、何事にも前向きにとらまえる積極性がある。」



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 199】
~歴史から学ぶ~ 「老舗と暖簾(のれん)」

512号に続き、伊勢の赤福。創業以来三百年、代々暖簾を継承してきた老舗である。 市場環境の変化に機敏に対応してきたからこそ、暖簾を守り通せたのでしょうが、それだけでは、 これほど長く暖簾を守ることは難しいのです。

「企業は外から潰れるのではないんですね。多くの場合、内から崩壊していく。内がしっかりしていなければダメなんです。」
日創研・田舞徳太郎氏が「理念と経営」9月号で、BSE問題で大打撃を受けた、(株)吉野家・安部修仁社長との対談で語っている。

今回の「製造日偽装事件」。平成12年の雪印乳業に端を発し、姉歯耐震強度偽造事件、不二家製菓など、 多くの企業が内部告発などで、企業内の悪事が表ざたになった。そして、消費者にソッポを向かれ、歴史の幕を閉じている。
何故、類似職種の経営者は、そうした事件を教訓に、自社を総点検し、悪習があれば正そうとしなかったのでしょうか?

赤福も、北海道の「白い恋人」の摘発で危機感を高めた。一度は悪習を断ち切ろうと、改善を図った…にもかかわらず、 利益率追求の誘惑に負け、長年続けてきた悪習を断ち切ることができなかった。経営者は見て見ぬ振りをしてしまったのです。
バレることはないと、たかをくくった経営者…。叩けば埃の出る企業がまだまだ隠れているのでは…。もうこれっきりにしてほしいものです。

以下、ほうじん「江戸異聞」から

父祖伝来の"家業"と"しきたり"を代々踏襲(とうしゅう)し、守ってきた「老舗」。
創業者や中興者は、"家訓"や"遺訓"を示して、末代までの安泰を願った。
子孫は家訓を守り、生き馬の目を抜く厳しい経営環境を生き延びて来た。そうした老舗の家訓には、 危険を伴う営業方法を戒めたものが多い。
中には、バカ旦那が出現したら、「当人を隠居さすべく候」という家訓を定め、バカ旦那を座敷牢に入れたり、 勘当して追放する店もあった。
三井の「大坂別家=暖簾分け」によれば、実子の相続は51件中、わずか12件。残りは"養子"が占めた。 男子相続で店を治めることができたのは、2割程度だったのです。

これが江戸っ子になると、もっと徹底する。日本橋博労町の紙問屋。
「当家に男子出生いたすとも、別家または養子に遣わすべし。男子相続は後代まで永く永く禁止し、 当家相続は養子に限ることを、堅く定めおき候。」
娘に優秀な婿を取るのが、商家の習いとなった。近年になって、東京神田・日本橋・京橋の老舗40店を調べたら、 すべて養子だった。
老舗は女系相続で、暖簾を守ろうとしているのです。

以外なのは、店の当主と娘の一存で、婿を決められななかったこと。親族・別家の同意だけでなく、 同業組合の"議決"が必要なのです。
つまり、商家の結婚は"私事"ではなく、同業組合の"公事"であり、婿は"公職"なのです。

江戸時代、万が一にも「お上」のご法度に触れるようなことがあると、家族に留まらず、町内や同業組合までも、 連座して罰せられた。
故に、一商家の婿取りであっても、親戚・組合の同意がいるのです。

この伝統は昭和の初期まで残り、市中の金融機関は、「婿取りだったら融資するが、息子が当主だったら融資しない。 」のが、一般的だった。その婿も、バカ婿であれば、はした金で離縁させられた。

私は商家の三男坊。二十歳の頃、私を養子に欲しいと、金沢の某老舗が人を介して申し込んできた。その老舗、 40年経た今も隆昌なのを見ると、ちょっぴり惜しい気がするが、「自分は養子向きではない。」と断ったのは、正しかったと思っている。

2007年11月13日

三つ子の魂百まで(4)

■早く寝る子は、賢い子に育つ

以前、1~2歳の頃に、毎夜9時に寝付く習慣を付けさせないと、体内時計が狂って、いつまでも夜更かしする子になり、 脳の発達に大きく影響する…という話をしました。
俗に「寝る子は育つ」というが、夜更かしをして睡眠を十分に取らない子は「太る…肥満になる」のです。
順を追って説明すると、夜更かしすれば⇒日中眠くなる⇒日中眠いと、動きたくなくなる⇒運動不足になる⇒肥満になる…という流れだ。
医学的にも睡眠時間が短いと、脂肪分解代謝に変化が生じて、肥満になるのです。

石川県の調査では、「園児の半数は、夜十時以降の就寝」との結果が出ている。
就寝が遅ければ、お腹が空いてお菓子を食べ、朝、寝起きが悪く、朝食を抜くようになる。
親もまた、子どもが朝食を食べないからと、朝食を手抜きし、ギリギリまで寝ている。それが習慣になって、子どもの「食育」に影響する。 延いては社会人になってからの、子どもの将来に影響する。

北国新聞「デスク日記」より


【心と体の健康情報 - 319】
~子育て心理学~
「三つ子の魂百まで(4) 思うようにしつけられない」

我が家に、2歳とゼロ歳の孫がいて、朝夕の保育所の送り迎えは私の役割。
食事時ともなると、それは大変。親の言うことを聞こうともせず、勝手気ままに動き回り、部屋の中は散らかった玩具で、足の踏み場もない。

上のお姉ちゃん。そろそろしつけなければと、遊んだ後のおかたずけ、食事は、座ってきちんとご飯を食べさせようとするのですが、 なかなか言うことを聞かない。厳しく叱ると泣き出すし、すねてしまう。休日の"ゆっくりしたい"願望もどこへやら、 妻は孫の世話でヘトヘト。疲れ果て、泣きたい心境…と愚痴をこぼす。

以下、北国新聞・丹羽俊夫の「教育一本勝負・遊びの力を利用しよう」から…

江戸時代の庶民の教育方針に、こういうのがあった。
「三つまでに"心"を、六つまでに"しつけ"を、九つまでに"言葉"を、十二までに"文"を、十五までに"理 (ことわり)"を教える」

確かに鉄は熱いうちに打てという。三歳前後のしつけも大事だ。
だからと言って、何でもかんでも今びっしりというのではなく、小学校に入るまでに、 基本的なことを身に付けさせればいいと思う。

今の時代、二十歳前後の若者のしつけが出来ていないため、新卒者を採用した企業が、ある一定期間みっちり、 行儀マナ-を教えているのが実情だ。
ありがたいというか、残念というか、複雑な思いだが、今言いたいのは、二十歳前後の若者のしつけと、 幼児期のしつけとは違うということです。
幼児期のしつけは、「善悪の判断」「あいさつ・行儀」、そうした基本中の基本を教えることです。これは、しつけようと、 無理やり教え込もうとしても、身に付かない。まだ理屈が分らない幼児だけに、嫌がるだけ。「なんで、できん」 と怒れば、 なお逆効果だ。
子どもに行儀を教えるときは、子どもと一緒になって遊び、楽しく教えるようにするのがいい。

今朝のこと。孫が保育所に行きたがらず、反り返って嫌がるのを、妻は無理やりベビー椅子に座らせ、シートベルトをガチャリ。 運転中すねて、靴を脱いで放り投げ、「イヤン、イヤン」と泣き叫ぶ。「ちゃんと靴を履かないとダメ」と言っても、言うことを聞かない。
そんな時、「ゾウさん、ゾウさん、お~鼻が長いのね…」と、好きなお歌を歌って、気持ちをはぐらかす。そうこうする内に一緒に口ずさみ、 「もっとォ~」とねだる。「お靴を履いたら歌ってあげる。何歌ってほしいの?」保育所に着くころには、ルンルンになっていた。

孫は、「肩車」が大好き。「やるか」と言って「うん」と言えば、まずお父さんが正座して「よろしくお願いします」 と、あいさつをしてから始める。楽しく遊んで、終わる時が肝心。もう一度正座して、「ありがとうございました」 と締めくくる。

子どもは、「肩車」をしてほしいから、あいさつも正座もちゃんとするようになる。
悩みは、こちらが遊び相手に疲れて「これでおしまい」と言っても、「もう一回・もう一回」と、グランパを離さないことだ…。

2007年11月16日

金沢の姉妹都市・蘇州

9日~13日、ハワイ観光を楽しんだ。
ハワイは八つの大きな島と、約120の小島から成る。
オアフ島は東京都くらいの大きさ。
島人口は約130万人。内100万人がホノルルに集まっている。

ハワイ一番の産業は「観光」。
街を走っていて、大きな看板やネオンが無いことに気づく。
上海で気になるベランダの洗濯物、ハワイでは見苦しいからと、禁止。

ハワイの現地語は"12音"で出来ている。「ワイキキ」の"キキ"ように同じ"音"が重なった言葉が多い。

「ワイキキ」の「ワイ」は現地語で"真水"。"噴出する水"の意味になる。
「アロ~ハ」は、"いらっしゃい、さようなら、愛してます"などに使い分ける。
では、「フムフム・ヌクヌク・アプアア」は??
答えは「カワハギ」。お魚です。

「♪この木なんの木 気になる木…」で知られる"日立の樹"。
高速からは、あちこちで見ることができる。ハワイ名は「モンキーポッド」、「アメリカン・ネムの木」である。「マロハ~(ありがとう)」



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 200】
「金沢の姉妹都市・蘇州」

金沢市と蘇州市が姉妹都市になって、昨年25周年。
金沢市に、蘇州市から寒山寺の鐘が寄贈された。今年そのお返しに、中国で縁起の良い数字とされる"九"にちなんで、 99本の"桜"を蘇州市に寄贈した。
蘇州市博物館と、金沢21世紀美術館の文化交流を、今後より盛んにしたいと、両市の市長が意欲を示した。

5/25 北国新聞

今年の2月、上海と蘇州を観光した。小松空港から上海に直行便が週3便も出ていて、アクセスが良く、 韓国同様手軽に海外旅行が楽しめる。
蘇州市は、上海から高速道路で約1時間の所にあり、太湖の東岸に位置する美しい水郷の古都。
市の人口は217万人。春秋時代には呉の国の都が置かれ、北宋代に建立された八角七層の「虎丘塔」(中国のピサの斜塔として有名)、 明代に建設された庭園、唐代に建立された「寒山寺」、清代の建築物も多い。これらはユネスコ世界遺産になっている。
"東洋のベニス"とも言われる、蘇州の水郷を遊覧船で観光した。
しかし、下水設備のインフラがまだ不十分なのでしょう…。湖面は濁り、時折ドブ臭い匂いが漂ってくる。折角の美しい景色が台無しだ。

5月29日、太湖に面した"無錫市"の上水道が、濁りと異臭で突然飲用できなくなり、百数万戸の水道管の中に、 百数万トンの汚水が残って、当面水道が使えなくなるという、深刻な事態に陥った。

6/2 無錫日報

原因は、化学肥料の多用による農業汚染。紡績染色工場、化学製造業、食品製造業などから、太湖に流れ込む大量の工業排水。そして、 人口の増加に伴う生活排水。更に、近年の高温少雨が太湖の水位低下を招き、太湖の取水口の水質汚染を引き起こしたのです。

6/3 西安新聞

石川県からは、観光客やビジネスマンが大勢蘇州を訪れる。逆に蘇州から北陸への中国人観光客はゼロに近い。 中国からの誘客に力を注ごうにも、中国の海外旅行が、まだ一般的とはいえない状況にあるのです。

十数年前までは、中国のスポーツ選手が国際大会の宿舎を抜け出し、亡命するということが頻繁に起きていた。
今の中国で海外旅行を楽しめるのは、一部の富裕層に限られている。
海外に出るには、日本円に換算して50万円以上ともされる、保証金を積まなければならない。旅行者の逃亡防止に、 随行員が監視の目を光らせたり、多額の保証金を積ませたり、受入れの国に保証人がいることを条件にしたり、まだまだ、 気軽に海外旅行を楽しむ環境には、なっていないようです。

2007年11月20日

教育は、訓練し鍛えることである

■総入れ歯に見た職人魂

意外と知られていないが、祝い事に欠かせない「水引細工」は、金沢の伝統工芸の一つである。 07年春"北国風雪賞"を受賞した水引職人の匠、津田剛八郎氏。
40歳の時に総入れ歯にした。
水引を歯で引っ張って結ぶ際、歯茎に水引が食い込んで歯茎を傷める。それで、一ヶ月かけてすべての歯を抜いてしまった。 我が身を削って仕事に打ち込む職人魂が見えてくる。
大正時代から続く、家業を守るための心構えを聞くと、「気を張って積み木をしているようなものだ」と語る。 木を寸分違わず重ね合わせていけば、高く積み上げられる。が、いい加減に積めば、すぐに傾き、崩れてしまう。

「一日一生」という言葉があるように、一日一日手を抜かず、懸命に仕事に励むことによって、お店に信用が付き、 お客様が店を守ってくれるのです。

北国新聞「デスク日誌」より


【心と体の健康情報 - 320】
~子育て心理学~
「教育は、訓練し鍛えることである」

どのように子育てをすれば、親が期待する子どもに育ってくれるのでしょうか?
以下、小学校校長 鶴野篤子「お母さんの出番ですよ」からの抜粋です。

子どもたちの持っている「なりたい願望」 を上手に伸ばしてやり、生かしていくには、"訓練"し、"鍛える"必要があります。
電気通信大学の西尾寛治名誉教授の言葉、「初めに訓練ありき、 これこそ教育の真髄だ」。 訓練が伴わない教育など、あり得ないのです。

平仮名を覚えるとき、九九を覚えるとき、何回も何回も繰り返し覚えます。
書けるようになるまで、言えるようになるまで繰り返します。お箸を持つことも、教えるだけでは駄目で、 繰り返し訓練するから身につくのです。

訓練することを「鍛える」と言います。戦後の教育は教えるだけです。
英語を中学・高校と六年間学んでも、話すことができるようになる生徒は、数えるほどしかいません。前へ前へと進む一方で、 繰り返し訓練しないから、身につかないのです。知識の詰め込み教育だけでは、身につかないのです。

子どもは何れも、「もっと知りたい」「もっと上手くなりたい」といった願望が強いのです。その願望を刺激して、繰り返し訓練して、 身につけさせるようにすると、更に強い願望が湧いてきます。そういった子どもの意欲を引き出してやればいいのです。「出来た、出来た」 と喜んで、自ら進んでやるようになります。

子どもが何かしようとするとき、親からみれば危なっかしいか、任せきれず、つい親がやってしまうことが多いのです。「いいから、 お母さんがやっておくから…」と言ってしまう。子どものためと思っても、子どものためにならないのです。甘やかしていては、 子供は育ちません。

子どもを教育するとは、子どもを訓練するということです。
親にとっては厳しいことです。辛いことなのです。将来社会人として自立し、人に愛され、受け入れられる人間になるために、 今厳しく鍛えなければならないのです。
それから、子どもの教育を人まかせにして、それで良しとしていないでしょうか? 将来のためとピアノを習わせ、勉強は塾、 しつけは学校に期待する。
何でも人まかせ…親である自分はパートでの稼ぎに忙しく、家を留守にする。

娘にピアノを習わせるよりも、女性らしいたしなみ、礼儀作法、挨拶の仕方、家庭料理など、母親が娘に教え・ 伝えることがいっぱいあります。面倒がって、子どもと関わる時間を手抜きしていたのでは、子どもは育ちません。

2007年11月27日

教育は訓練し鍛えることである(2)

■※橋本佐内の「啓発録」

橋本佐内は幕末の福井藩士。藩主松平慶永の側近として、藩校の学監をしたり、藩政改革に当たったりした。積極的攘夷開国論者で、 将軍継承で慶喜擁立に活躍。
反対派井伊大老のため、若年26歳にして吉田松陰と共に、安政の大獄で処刑された。
左内15歳のとき、これから後の自らの生き方を明らかにする戒めとして、以下の五項目を文章に書き記した。

 

「稚心を去る」 子供じみた心を取り去り
「辰気」 気力を養い 
「立志」 向上心を持ち
「勉学」 勉学を怠らず
「択交友」 自分を戎めてくれる友人を持つ

 

これは「啓発録」として納められ、 左内の思想や生き方の根幹を成す名文として、後世に名を残すことになる。
それにしても、若干15歳にして、これほと格調高く、高貴な精神を書き記すとは、他に例を見ない。西郷隆盛をして、「友として最も尊敬する」 と言わしめた、幕末福井藩の偉人です。この「啓発録」、一度は読んでおきたいものです。


【心と体の健康情報 - 321】
~子育て心理学~
「教育は、訓練し鍛えることである(2)」

2~3歳の頃から、徹底してものを教えることで、私達が通常持っている常識を遥かに超えた能力が身につくようになる。 最近スポーツ界、芸能界で活躍している人たちで、そうした英才教育で開花した人達を数えたら、きりがない。

致知十月号に、農業の傍ら自宅の納屋を改築して保育園を開き、園児たちに「古典の素読」を実践している特集記事が載っていた。 朝三十分の素読。
意味を教えたりはしない。解説を加えることもない。園長さんが先に朗誦(ろうしょう)する。
子供たちが後について唱和する。

「※禊祓詞(みそぎはらひのことば)」「※修証義(しゅうしょうぎ)」「般若心経(はんにゃしんぎょう)」、 それに本居宣長などの「和歌」、美輪執斎(しっさい)の「憤」などを唱和する。
恥ずかしいことに、そうした書物に目を通しても、私には何のことやらさっぱり分からない。
自分にも分からない難しいことを、2歳や3歳の子に教えて何になると、一蹴してしまいそうです。

毎日の繰り返しが驚くべき力を発揮する。一年もしないうちにどの子も、古今の名言をすらすらと朗読するようになった。 それだけではない。新しく入ってきた子は、年上の子に倣(なら)って、朗読するようになる。そして、 いつか漢字まじりの原文を読み書きするようになり、意味を理解するようになるのです。

身近な例では、「仕事と人生」を著した川人さんの長男昭徳君。幼稚園児の頃、家族全員、数分間黙祷(もくとう)した後、 「論語の素読」を毎朝の日課にしていた。
数ヶ月前、川人さんのご家族と食事を共にした時、昭徳君は小学校5年生になっていた。
昭徳君におねだりして、論語をそらんじてもらったところ、すらすらとお経を唱えるように、口から論語が出てきたのです。

話を元に戻して、平成15年11月、園長先生が亡くなられた。園児を代表して6歳の子供が読んだ「お別れの言葉」です。 6歳の子が自分で考え、自分の手で、大人たちの手を借りずに書きあげた文章です。

お別れの言葉

園長先生、吉田歩末の声が聞こえますか。2歳10ヶ月の時、丹養塾幼稚園に入園してから、漢字、算盤、諺 (ことわざ)、俳句、花園文庫、伝記、少年日本史朗誦選集など、園長先生には沢山の事を教えて頂きました。
毎日一所懸命勉強して、南宋の文天祥の正気歌を暗誦できるようになったときも、 算盤の大会でトロフィーを貰ってきた時も、園長先生はとても喜んで、褒めてくれました。

それから園長先生は色々な所に連れて行って下さいました。北海道巡歴研修で、クラーク博士の像の前で、 「青年と大志」を朗誦した事、青森駅のデパートの軒先で野宿をした事、北陸巡歴研修で、永平寺で坐禅をした事、※ 橋本佐内の銅像の前で"啓発録"を読んだ事…、沢山の楽しい思い出があります。

他にも、親子教室甲山の遠足、運動会、お餅つき、立志集、卒園式、小音楽会、桃太郎の劇など、 園長先生に教えて頂いた素晴らしい思い出が沢山出来ました。

これから園長先生は天国へ行って、私たちのことを見守っていて下さい。私たちは、 園長先生に教えて頂いた事をいつまでも忘れず、深くさぐって、強く引き出す人になります。そして、 この世に役立つ人になります。園長先生ありがとうございました。

平成15年11月23日
園児代表 吉田歩末

この格調高い文章を、小学校に入る前の6歳の幼児が作文したのです。
大人でも難しいことを、4~5歳の幼稚園児が学び、理解し、身につけているのです。
幼児教育を考えるとき、私たち大人は、まず「あいうえお…」の簡単な文字から教え、徐々に難しい漢字を学ばせていく。 このような教育のあり方に、何の疑問も抱かずにきた私。皆さんはどう思われるでしょうか?

※「禊祓詞(みそぎはらひのことば)」
 神社参拝の時に唱える。
 本文「高天原に神留坐す 神魯岐神魯美の命以て 皇御祖 神伊邪那岐命…」

※「修証義(しゅうしょうぎ)」
 曹洞宗の開祖、道元の「正法眼蔵・95巻」から、特に在家への布教を念頭に置き、
 重要な点を抜粋し、全5章31節にまとめたもの。
 第一章「生を明らめ死を明らむるは仏家の一大事の因縁なり、生死の中に仏あれ
 ば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死なしと厭ふべきもなく…」

2007年11月30日

飲んだら動かぬ

■ゴールド免許

今月、自動車免許の更新をした。5年間無事故・無違反だったから、優良ドライバーのあかしである、 コールド免許が取得できると思っていた。
ところが駄目だった。5年間とは、免許の有効期限の誕生日から5年さかのぼり、更に41日加えた期間だという。
5年+41日、その41日の間に、シートベルト着用違反で、キップを切られていたのです。サッカーの試合の終盤、 3分間のロスタイムに点を入れられ、負けてしまったような残念さが残った。

負け惜しみを言うなら、「コールド免許=優良ドライバー」では決してない。
ゴールド免許保持者の中に、かなりのペーパードライバーがいるという。
運転免許を持っていても、運転しないから"無事故無違反"ということに…。
それで、免許更新をすれば、ゴールド免許取得者になってしまう。
ゴールド免許はただちに、「安全運転優良ドライバー」であることの証しにはならないのです。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 201】
「飲んだら動かぬ」

忘年会・新年会シーズンに入り、なにかと飲む機会の多い今日この頃…。
「乗るなら飲むな」。飲む時はタクシーか代行の何れかにする。ごく当たり前のことになった。それでも、 飲酒運転で検問にひっかかる人が後を絶たない。
「飲んだら乗るな」から、「飲んだら動かない車」…。そんな車が数年後には実用化されそうです。

明日、新車の香りが車内に漂うトヨタ車のセダンが、我が家に届く。10年間愛用してきたボルボを、日本車に乗り換えたのですが、 10年前のクルマに比べ、安全運転のための装備がきめ細かくなされていて、嬉しい限りです。

自動車メーカは、低燃費車の開発と、より安全なクルマの開発にしのぎを削っている。日産自動車は、 運転者がマウスピースに息を吹き込んで、アルコールが検知されたら、エンジンが始動しない車を実用化した。

更に一歩進んだ試作車も発表。運転席に埋め込んだセンサーが、運転席に座って運転しようとしただけで、 吐く息や汗からアルコールを検知し、エンジンをかからなくした。
日産は、更に一歩進めて、「常習者向けに、強制的に動けなくする」ことを検討しているという。他メーカーも同様の開発を始めているが、 「装置の誤作動をどこまで減らせるか」という課題があり、実用化には至っていない。

アメリカは一歩進んでいて、多くの州で既にインターロック装置を導入し、飲酒運転防止の決め手にしているという。 裁判所が認めれば、飲酒運転の違反者に対し、免許停止処分の代わりに、装置の設置を義務付けているのです。
スゥエーデンでは、すべての乗用車に装置を義務づける計画があるという。

読売新聞「新車社会論」より

昨年八月、飲酒乗用車に追突された車が海に転落、幼児3人が亡くなるという痛ましい事故があり、つい先日、 道路交通法では最も重い、30年の実刑が求刑された。そうした中、今年9月、飲酒運転の罰則がより一段と厳しくなり、 酒を提供する飲食店や同乗者も、処分の対象になった。

昨年の全国の飲酒運転による死亡者は、611人。10年前の半分に減少…。
それでも、悲惨な事故は後を絶たない。事故を起こし、解雇されるケースも珍しくなくなった。
また、飲酒運転常習者は、シートベルト着用率が、平均より極端に低いという。
車を運転する時の、安全に対する意識が低いのです。いくら、安全な車を開発しても、車に乗る人の意識が低ければ、意味がないのです。

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