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2008年06月 アーカイブ

2008年06月03日

日清戦争・日本の戦略

■自爆テロ

イスラムの国、イラクやアフガニスタンでは、自爆テロが後を絶たない。
毎日のように、罪のない市民が巻き込まれ、死んでいく。
狂信的イスラム教徒にとって、テロは"聖戦"…神のために誇り高く、
爆弾を抱いて死んでいく。

この「自分で自分の命を断つ行為」、その元祖といえば、日本の"神風特攻隊"
その精神をさかのぼれば、「切腹」に行き着く。
「カミカゼ」は、世界中に知られるテロの代名詞なのです。
ところが、ヨーロッパやアメリカには、このような自らを死に至らしめる行為は、
見受けられないのです。

キリスト教の国では、生命は"神から授けられたもの"…との意識が高い。
(2~3世紀前まで…「全ての大地と生命は、神が創造した」と信じられてきた)
故に、自らを死に至らしめる行為は、神を冒とくする行為になります。
キリスト教徒から見れば、日本人もイスラムも異教徒…
不可解で、理解できない人たちに見えるのです。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 572】
~歴史から学ぶ~ 「日清戦争・日本の戦略」

前号に続き、日清戦争から…
日本は大国「清」と戦争することになった。清国海軍には「定遠」と「鎮遠」というずばぬけて巨大な戦艦があり、 巨大な大砲が積まれている。
その巨艦から打ち出される砲弾は、届く距離が長く、命中すれば甲板を貫き、船内で破裂して、一発で敵艦の航行を不能にする破壊力がある。

当時、ヨーロッパの列強は、海戦を有利に導こうと、巨砲を積んだ戦艦の建造に
しのぎを削っていた。(その名残りは、戦艦大和や武蔵の建造に行き着く)
しかし、砲弾の命中率は低く、巨艦だけに、迅速性に欠けるところがある。
清国海軍が所有するその他の戦艦は、軽量・遅速まちまちで、速力も全体に鈍い。
国力は衰え、規律は乱れ、旧来の固定観念に囚われた海軍幹部が、指揮をとっていた。
一方の日本は貧乏国。戦争に必要な資金がなく、国力は弱く、短期決戦でしか戦えない。
清国と対等に戦うだけの艦隊も保有していない。
唯一の強みは、当時の陸海軍には海軍大臣の"西郷従道"、海軍大将"山本権兵衛"、
後の日露戦争で名をなす大本営司令官"大山巌"、"児玉源太郎"、"乃木希典"などの逸材が揃っていたことでしょう。

大国清国海軍に勝つために立てた、日本の戦略・戦法とは…
「狼の群れで、 犀の群れを襲う戦法」
(1)小粒だが高速で、同じ速度、迅速にまとまって戦える戦艦を外国に発注。
      (日本が得意とするチームワーク作戦です)

(2)戦艦に速射砲を沢山積み込み、敵が発する巨砲をかいくぐって、小口径の
      砲弾を短時間におびただしく敵艦に浴びせ、 敵の艦上建造物と敵兵をなぎ倒す。
      艦上を無人の状態に陥れ、 軍艦としての機能を消滅させる作戦。

(3)敵艦の甲板を貫く大砲が無い代わりに、何かに触れるとすぐ爆発し、
      敵艦上を焼き尽くす、焼夷弾のような砲弾を開発した。

こうした戦術で、敵艦を沈めることよりも、艦を航行不能に陥らせ、敵海軍の戦意を削ぐことに重点を置いた。

(4)敵艦の戦力が低下したスキを突いて、漁船を改造した魚雷艇が敵艦隊に
      忍び寄り、敵艦を撃沈させる戦法で臨んだ。そして、 清国に勝った。

司馬遼太郎「坂の上の雲」より

相手の強みにばかりに目を奪われ恐れていては、何一つ解決しない。
どんな強い相手にも必ず弱点があるはず。それを何とか見つけ出し、対応を考え出したことが、清国に勝利する勝因になった。

先々週の土曜日、女子バレーが北京五輪最終予選で、6戦全勝という快挙をやってのけ、オリンピックの切符を手にした。サッカーも、 昨日のオマーン戦で3対0と快勝…本大会出場へ向け、一歩前進した。

身長が低く、体力やパワーに劣る日本人が、バレーボールやサッカーで、世界の競合と互角に戦うことが出来るのは、 軽量を強みに変える戦術…敏捷さ・素早い動きを武器にし、加えて、日本人特有のチームワークの良さを、存分に発揮する戦術が、 功を奏しているのです。

対応を誤らないためには、味方の強みを探り、相手の弱みを見つけ出すことです。
相手に勝とうと、弱みの改善に努めても、あまり効果は期待できません。
それよりも、自らの弱みには目もくれず、強みを更に強める努力をした方が、
効果も高く、戦意も高まろうというものです。

2008年06月06日

話し上手になるには

■エベレスト

15番目の峰とされていた山が、世界最高峰とわかったのは1852年のこと。
101年後に、ヒラリー卿の英国隊が初登頂。そのヒラリー卿の家に飾られていた写真を見て、若きプロスキーヤー三浦雄一郎は、 エベレストに惚れたという。

70年に、8千メートルから滑降した。03年には、当時世界最高齢の70歳で頂上に立った。
異彩を放つエベレスト暦に、先月5月26日、新たなページを書き加えた。75歳7ヶ月で、2度目の登頂を果したのです。

エベレスト頂上へは、15時間かけて登って下りた。
今回に備えて、心臓を手術した。左右に5キロの鉛を入れた靴を履き、重いリュックを背負って街を歩いた。
電車に乗れば、つり皮で懸垂…老いと競い、「75歳の夢」を追った。
「涙が出るほど厳しくて、辛くて、嬉しい」と、頂上から言葉が届いた…。

5/28 朝日新聞「天声人語」

8千メートルの半分にも満たない富士山でも、気力を振り絞って登頂しなければ、頂上には立てない。高山病にも苦しめられるだろう。
私が三浦雄一郎の歳になった時、どんな夢に向かって努力しているだろうか?
患ってベッドに臥せ、生きる希望を無くした老人にはなりたくない。



【心と体の健康情報 - 573】
~幸せな人生を歩むために~
「話し上手になるには…」

「私は話ベタ。だから人前で話すのは大の苦手」という人…本当にそうでしょうか?
話し上手になりたかったら、答えは簡単です…下手でも何でも、あらゆる機会をとらえて、積極的に人前で話すようにします。場数を踏み、 経験を積めば、誰でも上手に話せるようになるのです。

民法TV、ラーメン選手権大会日本一に3度も輝いた、「博多・一風堂」河原成美社長。会社が大きくなって、人前で話す機会が増え、 話ベタを苦にするようになった。
河原氏とは、2年間京都で机を並べ、論語を学んだ。その時河原氏、話ベタを何とか克服しようと「1年間100回講演」を公言した… 「呼んでくれるなら、どこへでも…」

始めた頃は、全身汗びっしょり…しだいに話せるようになり、話し方のコツを掴み、目標の100回に近づく頃には、 聴衆を笑わせるまでに、上達していた。
その間、石川・福井両県の四つの経営者団体にも誘われて、講演している。

20代の頃の私、結婚式のスピーチが苦手で…悩みの種だった。わずか数分間人前で話すだけなのに、 スピーチ事例集を買ってきて原稿をつくり、1週間も前から練習を繰り返したものです。
そんな話ベタ、上がり症を克服しようと、28歳の時店を畳んで、営業では最も厳しい住宅会社に就職…セールスの世界に飛び込んだ。 数年後、大勢の前でリラックスして話せる私に変身していた。

話ベタに悩むあなた…喫茶店などで、親友や恋人と会話を楽しんでいる時は、実に話し上手なのです。 人前で"普段通り"気軽に話すことができるようになれば、あなたは話上手になるのです。

例えば、ゴルフで良いスコアを出した時や、海外旅行での失敗談など、実に生き生き、ジェスチャーたっぷりに、 目を輝かせて話すじゃないですか…。
それが人前に立った時、まったく別人のようになり、話ベタになってしまう…。
何故なんでしょう?
大勢の前で話し始める時、大概「改まった言い方」をします。
普段使わない話し言葉・口調・声・態度で…しかも、上手に話そうとするのです。

結婚式の媒酌人、スピーチの出だし…「本日はお日柄もよろしく、ご多忙にもかかわりませず、ご臨席を賜りまして、 心より厚く御礼申し上げます…」
普段使わない言葉で、改まった口調で話そうとするから、うまく話せないのです。
緊張で声が上ずり、上がってしまう…これではいつまで経っても、苦手意識が抜けません。
私が尊敬する、金沢支店元支店長の女性。会議の席で話す時「おいね、そんながやちゃ~」と、生まれ育った辰口弁丸出しの、 普段のままの口調で、手振り身振り、笑顔満面、身を乗り出すようにして語りかける。
そのスピーチ、実に明るく、親しみがあって、聞いている私たちの心に響くのです。
ですから、結婚式のように、改まったスピーチであっても、友人に語りかけるような話し方をすればいいのす。
「今日は…お忙しい中を…幸せいっぱいの…お二人の門出の席に…お集まりいただき…ありがとうございます」でいいのです。

「本日は…」と、改まった口調で話し始めるから、「…お日柄もよろしく、ご両家におかれましては…誠におめでとうございます」と、 ロレツの回らない、無味乾燥な話し方になってしまうのです。
普段通りに、「今日は…」から話し始めれば、いつもの語り口になるのです。

もう一つ大切なポイントは…会話は、思った以上に「センテンス」が短いのです。
吸って、吐いて…呼吸に合わせた、短いセンテンスで話します。
原稿でまとめた文章は書き言葉…一区切りの文章が長くなりがちです。
センテンスの長い文章を、そのまま話そうとすると、吸って吐いての呼吸バランスが乱れ、平常心が保てなくなります。

ゴルフのスウイングもそう…スウイング・スタートで軽く吸って、ダウンスイング・インパクトで「フゥ~」と吐く…すると、 力みのないナイスショットになる。
"三井住友"で吸って、"ビザカード"で吸った息を吐く…そんな要領です。

 

2008年06月10日

なぞかけユーモア

■’08サラリーマン川柳 ベスト10

(一位) 「空気読め!」 それより部下の気持ち読め! 
(二位) 「今帰る」 妻から返信 「まだいいよ」 

(三位) 減っていく…ボーナス・年金 髪・愛情
(四位) 円満は 見ざる 言わざる 逆らわず

(五位) ゴミ出し日 捨てにいかねば 捨てられる
(六位) 「好きです」と アドレス間違え 母さんに

(七位) 国民の 年金 損なの 関係ねえ
(八位) 社長より 現場を良く知る アルバイト

(九位) 赤字だぞ あんたが辞めれば すぐ黒字
(十位) 「いつ買った?」 返事はいつも 「安かった」 

どれも、日頃思っていることであり、心掛けなければならないことばかりです。
男性は益々頼りなく…女性は益々しっかりして見える。
「21世紀は女性の時代」と、某評論家が言っていたのを思い出す…。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 574】
~ことば遊び~ 「なぞかけユーモア」

良い川柳には、「クスッ」と笑わせる、ユーモアのセンスが溢れています。
そこで、今日のことば遊び、「なぞかけユーモア」 とまいりましょうか…

最初に、「朝は四本足、昼二本足、夕べは三本足、これなァに!」
皆さまよくご存知、スフィンクスが、前を通る旅人にかけたなぞなぞです。
解けなかったら、食べてしまうという伝説です。答えは"人間"。
生まれてしばらくは這い這いし、二本足で歩くようになり、歳をとると杖を突いて歩く…。

日本のなぞかけの起源は、「日本書記」に天武天皇が「無端事(あとなしごと)」で以って問いたもうた…と言われている。
なぞかけは、落語のネタにも使われていて、落語「三十石」の中で、乗り合い船の客同士が、こんななぞかけをやっている。

♪「"数の一の字"とかけて、"感心な寺の小坊主"ととく…」
「 その心は、心棒(縦に一本心棒)、すると十字"住持"になる…と、どうだす」
(※十字→住持…住職のこと)

『ふッなんだ、くだらねえや、そんなもの。じゃ、俺がやってみようじゃねえか』
数の"二"の字とかけて、 "道楽者の寺の小坊主"ときた…』
「ほう、こらおもろい。で、その心は?」
『辛抱しても、住持にならない…』
(※一にニをたすと、"サ"の字、あるいは"三"の字になるが、偉くはなれない)

「そりゃ…むちゃくちゃや」
「ほんなら題を変えて、"いろはのいの字"をかけて、 "茶の湯の釜"ととく」
「その心は…"ろ(炉)の上にある"…どうでえ!」

『では、私はその、"ろ"の字をもらいましょう』
「はあ、あげましょう」
『これをもろうて、"上唇"ととく…その心は、"は"(歯)の上にある』
「なるほど…」
「こんどは、"いろはにほへと"とかけましょうかな。これを貰って"花盛り"ととく」
『その心は…』
「ちりぬる前」
『うまいッ!こりゃァきれいだ。
 ナゾッてえもんは、こういうふうにいかなくちゃ…いけねえョ』

2008年06月13日

話し上手になるには(2)

■「妖怪・さとり」と「千葉周作」

古来から、日本に語り継がれてきた"妖怪"の一つに「さとり」という鳥がいる。
この「さとり」という妖怪、人の心を見透かす力を持っている。

ある時、「さとり」に出会った木こりが、生け捕りにしようとした。
すると「さとり」は、「我を生け捕ろうと思っただろう…」と。
次いで木こりは、斧で打ち殺そうとしたが、やはり見透かされてしまった。

木こりは、これではどうにもならないとあきらめ、再び木を切り始めた。
突然、斧の頭が柄から抜けて、飛んでいった。直撃を受けて「さとり」は死んだ。

<その1>江戸時代の剣客"千葉周作"は、この寓話を引用して言った。
「流石のさとりも、無念の斧には打たれし」
斧には心がなく、流石の妖怪、見透かす術が効かず、打たれてしまった。
続けて千葉周作…
「剣術も、この"無想"の場に到れば、百戦百勝疑ひなし、千辛万苦の労を積み、
 "無想"の場に進むべし」と…。

千葉榮一郎扁「千葉周作遺稿」

<その2>米沢興譲教会の田中信生宣教師、「心の力はこう使う」と題した講演で、この寓話を引用。巧みな語り口で、 聴衆を引きつけていく…。
(講演テープご希望の方は、米沢興譲協会へ)



【心と体の健康情報 - 575】
~幸せな人生を歩むために~
「話し上手になるには…(2)」

■話し上手になるためのチェックポイント

  • 最初に話す内容を、「一つ何・二つ何」と前置きしてから、話し始めるといい
  • 普段のままの話し言葉で話す
  • 「例え話」や「実例」を入れて、話しを分りやすくする(状況は詳細に話す)
  • 大切なところは「繰り返す」
  • 短いセンテンスで話す
  • 聴衆のAさんBさんと、話のつど相手を変え、視線を送ります
    1対1で会話するように語りかけます
  • 時々「アイコンタクト」を入れ、聴き手とうなずき合う
  • 「大きな声」で語りかけるかと思えば、「声を小さく」したりして、話しに抑揚をつけ、聴衆を引きつける。
  • 両手を前に組んで話さない。両手は、大きく小さく動かして、話しを盛り上げる道具に使う(緊張すると、 手が動かせなくなります)
  • 「ユーモア」の技術を取り入れる
    (言葉遊び・駄じゃれ、面白い話はメモしておいて、笑いを誘う材料にする)
  • 終始「笑顔」を絶やさず、ありのままの自分を出す

人と話をするとき、話し上手になるより、聞き上手になることの方が大事です。
それが出来なくて、話し手の言葉を取って邪魔をしたり、人の話を自分の方に持っていって、得意になって話す(私のことです)… まず人の話を聞くのが、思いやりというもの…しゃべり過ぎず、言葉足らずくらいが、丁度いいのです。

以下は、話し上手の事例です。
日頃、人前で話すことを生業とする、米沢興譲教会・田中信生宣教師の講演導入部分です。最初に笑いを誘ってほぐし、 普段と変わらぬ語り口で、センテンスは短く、分りやすい語り口で、聴衆の心を引きつけていきます…。

♪北方は美人が多いですね。(会場から拍手)
あのォ~、美人が多いと、緊張して話にくいんですけどォ~、
でも、今日は緊張しませんね…いゃいゃ~(会場笑い)
(小さな声で…)
褒めてるのか、けなしているのか、分らないという…
(元気はつらつと…)
皆さん、今日はね…主催者から「心の力はこう使う」
「心の力」という…それをどのようにご活用いただくか…
そのように、お話をするようにと、演題をいただいたわけです。

皆さんね…、今は21世紀に入りましたけれどもォ、
この20世紀までの、世界の力…
ひょっとすると、今もそうかもしれませんけれど…
何がね、一番"力"になるかというと…皆さん、何だと思いますか?
それはね! やっぱり"お金"ということかなァ~。
お金が沢山あったら、幸せになれる…ですから"力"は"お金"

母  「お金のために、そう…一生懸命勉強しろよ~」
息子『何でかあちゃん、勉強すんのよォ~』
母  「そしたらお前、県立高校さ…入れるぞ」
息子『何で県立高校さ入ったらいいの…かあちゃん』
母  「そうしたら父ちゃんと違って、お前、大学さ入れるぞ~」
息子『何で、大学さ行くの…母ちゃんよ~』
母  「そうしたらおめェ、一流企業さ勤められるぞ」
息子『何で、一流企業に勤めるのよォ~』
母  「そうしたらおめェ、給料いっぱい貰えるでねェかよォ…」
…後は危ない(会場笑い)

お母さんが、息子にこう言ったというんですけどね…。
でも、何となく分りますねェ。
お金を得るために、一生懸命勉強する…。
ですから、一生懸命勉強して、よりいい大学に入り、
沢山給料を貰えるところに勤める…。
それが、人間を幸せにするという…
そういう"力"とは、何か…"物やお金"です。
そういう価値観で、ずゥ~っと、日本が来ました。

日本人は、お金を得るために、最大限の努力をする。
それが人間が求める、最終的な"力"だと…。
もしそうだとすると…皆さん、どういうことが起きるでしょうか?

(以下略)

田中信生先生の講演は、ジョークを織り交ぜ、聴衆を笑いの渦に巻き込んでいく。話が面白いから、もっといろいろ聴きたいと、 録音テープを買っていく…。
「型破り痛快人生」の中村文昭氏の講演もそう…地場産センターの定員300名の会場に、400名も詰めかけ、 入り口のドアの外にまで人が溢れた。
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の五日市剛氏の講演もそう…何度聴いても飽きません。

一方、こうしたタイプとは反対に、静かに淡々と話すのに、聴衆をぐいぐい引き込んでいく…そんなすごい先生がいるのです。
「一隅を照らす人生」の、作家・神渡良平先生や、「歌づくり人生」と題して、自らの生い立ちを語る、作曲家・遠藤実先生などがそうです。

2008年06月17日

コモンズの悲劇

■ダーウィン展(6/22日まで)

日曜夜のNHK・TV「ダーウィンが来た!」を、毎週楽しく見ている。
5月末、東京出張の折、上野の国立科学博物館で「ダーウィン展」を見学した。
アメリカで好評を博し、日本初公開。ダーウインの生い立ち・人生をたどりながら、
「種の起源」(1859年出版)を世に出した、時代背景を追っていく。

当時は、「地上のあらゆる生命は、主イエスキリストが創造した」と、固く信じられ、
生命の起源に異を唱えようものなら、捕らえられて絞首刑にされかねない時代だった。
20代に進化論を完成…その後様子を見ること20年。
四十半ばになり、他の生物学者が、類似の理論を発表するに及んで、ようやく世間に発表。進化論は、それまでの世界観を大きく変えていった。
ダーウインは進化論で、
「最も強いものが生き残るのではなく、 最も賢いものが生き延びるのでもない。
  唯一生き残るのは、環境に変化しうる能力を持ったものだけである」

と言っている。「何代も永続する企業」の絶対条件でもある…。

会場は、進化論の着想をもたらした、ガラパゴス諸島の生物のはく製、地球一周の航海に乗船した「ビーグル号」の模型、航海日誌、 身の回り品など、日本では見られない展示品の数々…。生きているゾウガメと、ガラパゴストカゲも見た。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 576】
「コモンズの悲劇」

米国の生物学者ハーディンが1968年、「コモンズの悲劇」というエピソードを学会に問題提起した。 コモンズというのは、 イギリスの農民が慣習的に共用利用してきた、「共有地と、その運営仕組み」のことです。

たとえば、羊を飼う放牧地があります。その放牧地は、村人達が共同利用しています。
そこで、一人の農民が、自分の羊を一頭増やしました。
すると、本人の財産が増え、得をします。

それを見た農民たちがみんな得をしようと、次々と羊を一頭、また一頭と増やしていったら、どうなるでしょうか?
餌となる牧草がどんどん減っていって、ついには、その牧草地は滅んでしまいます。

日本にも、古くから「コモンズ」があります。山や川などの資源を村の人々で共有する「入会権」、漁師の「漁業権」などがそうです。
山には所有権者がいます。主に山に生える樹木を所有します。
でも、山に入れば、枯れ木が落ちていたり、キノコが生えていたり、動物が生息しています。それらを、村人が自由に採って、 自分のものにできるという慣習が、「入会権」です。
村人たちが共同で山を管理し、森がもたらす様々な恵みを、村人みんなで享受するのです。山は「みんなのモノ」であり、「自分のモノ」 でもあるのです。
ところが車社会になり、「入会権」を持たないよそ者…町に住む人たちが、休日ともなると、大勢山に押しかけて、村人の共有財産… 山菜やキノコを採って、山を荒らすようになったのです。

村人がキノコを採るときは、来年また生えるようにと菌糸を残し、キノコの土壌を荒らさないよう注意しますが、 町からやってきた人たちは、採った後のことなど考えようともしません。
山は荒れ、山菜もキノコも採れない山になってしまうのです。
海もまた、漁師たちは「漁業権」を大切に守り、海の恵みをむやみに乱獲したりしません。
お互をい守り合う、暗黙のルールがあったのです。
それは、漁村の人々が、海の資源維持を何よりも大切にしてきたからです。

ところが、魚群探知機や捕獲技術の発達、漁船の大型化などで、年々魚が採れなくなり、
暗闇に紛れて禁漁区域に密漁船が入ったり、漁業権に拘束されない外国の船がやってきたりして、資源が枯渇。 漁業が成り立たなくなったのです。

今、中国は、なりふり構わず世界の「燃料資源」「穀物」などを買いあさっている。
6月初め、ローマで開かれた食糧サミット…アメリカは、日本やフランスの反対を押し切って、食料になるトウモロコシから、 バイオ燃料を更に増産すると発表した。
穀物価格が高騰して、世界に餓死者が増える心配よりも、自国の利益を優先したのです。

地球温暖化や食糧危機が叫ばれる今世紀。資源には限りがあります。
奪い合いが争いを呼び、そして滅亡が待っている。
国の利益の枠を超えた、国際的「入会権」の概念を構築していかなければならないでしょう。
自国の利益ばかりに囚われていると、ハーディンが警告する「コモンズの悲劇」を迎えることになります。

2008年06月20日

孔子の教え(17)

ゴルフにはもう一つ、"己の心"との戦いがある

数日前の全米オープン。タイガーウッズがプレーオフを征して、メジャー通算14度目の優勝を果した。15日、 そして16日の最終ラウンド…何度もやってくるピンチをしのぎ、神がかりとも思えるウッズの底力に、釘付けになった。

今日こそ良いスコアを出したい…ゴルフをしていて、いつも裏切られている私。
プレーの後、「あのOBがなかったら…」「後1センチ…カップインしていたのに」スコアカードを見て、悔しがる。
ゴルフプレーには、良いスコアを出すことの他にもう一つ、自分自身との戦いがある…
「マナー」と「ルール」を守ることです。サッカーのように、イエローカードで反則を宣告されることはありません。

ボールがデュポットに入った…数センチ、ちょっとずらせば…心の中で悪魔がささやく。誰も見ていないと思っても、 誰かが見ているものです。
築き上げた人格…これっぽっちのことで信頼を失い、器の小さな人間に見られてしまう…。<ゴルフ格言>
いかなる局面に遭遇しようとも、己が有利になる方に振舞ってはならない。
 試練こそゴルフの本質と知れ。マナーはゴルフに限らず、人の基本道なり



【心と体の健康情報 - 577】
~古典から学ぶ~
孔子の教え(17)「論語・大事に際して人の真価がわかる」

「子曰く 歳寒くして しかる後に松柏のしぼむに 後(おく) るるを知る」
                                     (子かん第九)

「孔子が言われました。寒い季節になってはじめて、松や柏だけが
 枯れしぼまずに、残っていることがわかる」

「人は、大きな危難に遭遇してはじめて、その真価がわかる」という意味です。
小人と言われるつまらぬ人も、君子と言われる立派な人も、平和な世の中では、違いなど分かりません。だが、ひとたび事が起きると、 小人は、利害をはかって巧みに動こうとするが、君子は、道を外れることがない…。

アメリカの片田舎に、フィリップという男の子がいました。素直で気立てのよい子でした。家は大変貧乏で、 隣の家から借りたお金が返せません。
そこで、大切にしていためんどり6羽を、返済の代わりに引き取ってもらいました。
その日からフィリップは、大好きな卵が食べられなくなりました。

その翌日のことです。隣に譲っためんどりが、古巣に戻ってきて、卵を4コ生み戻っていきました。それを見たフイリップは大喜び。 夜、ゆで卵にしてもらおうと、そっと、台所に運び込みました。
しかし、フィリップはもう8歳。「この卵は隣の鶏が生んだのだから、隣に返さなくては…」と、卵を隣に返しに行きました。

隣のおじさんは、「おお、それは、それは有難う。して、お父さんの言いつけかね」
「いいえ、お父さんもお母さんも仕事に行っていていません。
 でも、帰ってきたらきっと、この卵を返して来いと言うに決まっています。
 だから、その前に僕が届けにきました」
「そうかね、よく持ってきてくれた。感心な子だ」と、フィリップの頭をなでて、誉めた。
夕方おじさんは、その卵とめんどり2羽を抱いて、フイリップの家を訪ね、正直なフイリップへのごほうびとして、差出しました。

普段、みんないい人に見えても、何か事があった時、勇者か臆病者か、善人か悪人か…明らかになってくる。大金を拾ったとき、 人はこっそりそのまま、自分のものにしたいという誘惑にかられる。心のしっかりした人は、その誘惑に負けることなく、 警察に届けるでしょう。
どんな困難、悲しみ、迷いに出会っても、判断を誤らないためには、日頃の心がけが大事になってきます。 その心の支えになるのが"論語"です。

(論語の友145号)

2008年06月24日

かなざわなまり

■石川県にしかない食べ方

[その1 めった汁
暖まる「めった汁」はお袋の味。
大鍋には、豚肉、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、こんにゃく…
県外から来た人、「めった汁」って何?これって、石川県にしかない家庭料理なの?
そもそも、めった汁の「めった」って…何だ?
そりゃあ、「やったらめったら具を入れるからやろ」
違う、「具をめっためったに切るからや」、いや、「めったに食べないからや」
答えは、やったらめったら具を入れるの"めった"が語源のようです。

「豚汁」の方が世間に知られているが、違いは"さつま芋"が入っているのが「めった汁」。
金沢のお袋の味…その秘密は、さつま芋だったのです。

[その2 冷ヤッコに練りカラシ
暑くなってくると、やっこ豆腐が美味しい。食べる時に、練りカラシを付けて食べる。
練りカラシを付けるのは、石川県人だけだって…「エッ!そうなの?」
生姜を擂って添えるのが、全国共通の食べ方なんだと…。
でも、練りカラシの方が、絶対美味しいんだから…嘘だと思うなら試してみては…


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 578】
~ことば遊び~ 「かなざわなまり」

「はがいしい」「あ~はんげ~」「…がいてね」
「…げんて~」「あのォんねェ~」「…がいね」

前号で、上手な話し方をするには、「普段のままの話し方」で話すと良い…と言いましたが、金沢弁丸出しの人と接すると、 とりわけ親しみを覚えます。
金沢に生まれ育ち、日頃無意識に喋っている"かなざわことば(なまり)"。
よそから来た人には、意味不明の言葉がいろいろあるようです。
改めて、その言葉の一つひとつを取り上げててみると…結構面白いのです。

5月31日。バレーボール男子五輪予選。日本がイタリアに惜敗した。
第四セット…あと一点のマッチポイントを迎えながら、まさかの7連続失点。
テレビを見ていて、「あ~、はんげ~」
この言葉、私のような頭の薄い人のことを言っているのではない…。
金沢の代表的な方言、「はがいしい」 を、若い人が使うとこうなる。
この言葉の語源は、「歯がゆい」「もどかしい」

かなざわなまりの特長は、語尾が"柔らかい"こと。締りがなく、空気が抜けていくような話し方をする。
「あのォんねェ~、知っとるゥ~、○○さん結婚するげんてェ~」
こんな言い方をするのです。
この「あのォんねェ~」 から、かなざわなまりの、のんびりした言い回しが伝わってくる。
そのほか、「そやけどォ~、○○げんて~」といった、会話の途中や終りによく出てくるこのイントネーションには、 かなざわなまり独特の"うねり"が感じられる。
「げんて~」は、 「結婚しまさるがいてね~」という年寄りことばが、若い人達に変形して使われているのです。
「はよ帰るげんろ」「泊まったほうがいいげんよ」など、よく使われる言い回しです。それを聞いて、「ほんながかいね、よかったがいね」 と言う。
「…がいね」 もよく使われる言い回しです。

自分のことばをテープに録って、改めて聴くと、何とも気恥ずかしい…。
何気なく使っている方言が、思っている以上にダサく、田舎くさく感じるのです。
近所の人や、幼友達と話すときは、方言丸出しの私でも、ビジネスで県外の人と話す時は、標準語に近い喋り方をしている。
"ふだん着"と"よそいきの"使い分けをしているのです。

2008年06月27日

孔子の教え(18)貧に耐える

■今日のことば ~四書「大学」の一節~

(とう)の盤の銘に曰く 苟(まこと) に 日に新たに 日々に新たに
 又日に新たならんと

「湯の王様が、最上の地位に就いたが、うっかりすると、その上にあくらをかいてしまうので、洗面器にその銘を書き付けていた」 という逸話

・昔の人は、「小学・大学・中庸」から人間学を学び、倫理・道徳・人としての生き方を
 身につけていった。
 論語は、人間学の根本聖典ですから、「小学」も「大学」も「中学」も、まとめて学ぶ
 ことが出来るのです。



【心と体の健康情報 - 579】
~古典から学ぶ~
孔子の教え(18)「貧に耐える」

日本の歴史を振り返って…今ほど平和で、全てが満ち足りた時代はない。
なのに、何でこうも簡単に人生をあきらめたり、人を殺傷したり、命を軽んじたりするのでしょうか…?
今回の秋葉原の通り魔事件も、人生をはかなんでの刹那的犯行…。
ところで、犯した罪の全てをこの若者の責任と、済ませることが出来るのでしょうか?
私たちは子育ての中で、何か大切なことを、忘れてしまっていたような気がするのです。

アメリカの富豪カーネギーは、自らの体験を以下のように語っている。
腕一本で巨万の富を作るに必要な条件は、 貧乏に生まれることである
と…。
貧乏が人を鍛え、英雄を作り上げていく。そのような例は、古今東西きりがない。キリストは叩き大工の子で、「貧しき者は幸いなり」 と教えている。
孔子も生涯貧乏暮らしだったし、豊臣秀吉は、水飲み百姓から位人臣を極める関白にまで上り詰めている。

私の知る限り、今の時代、幼少の頃、誰よりも貧しい暮らしを強いられたのは、作曲家"遠藤実"ではなかろうか…。
戦時中、東京から新潟に疎開。極寒の北風が吹きすさぶ浜辺で、隙間だらけの電気も暖房もない、ムシロを敷いただけの船小屋で、 母子が身を寄せ合い、寒さを耐えしのんだ…。
中学を卒業して社会に出るとき、母は小学校の時に穿いた半ズボンを二つ継ぎ合わせて、息子の門出に穿かせている。幼い頃の極貧の体験が、 作曲家になって後、心にしみる名曲を次々と生み出すエネルギーになっていった。

生涯、下積みの苦労をたっぷり味わった孔子。論語には、そんな苦労人らしい言葉が、随所に記録されている。
 『子曰く 貧しくして怨む無きは難く、 富みておごる無きは易し
                                (憲問第十四)
"孔子が言われました。貧乏しても、不平を言わないことは難しい。
 金持ちになっても、おごり高ぶらないことのほうが、まだしもやさしい"

世の中には、少し小金が貯まると、かつての貧乏な暮しを忘れ、貧苦の人々を顧みることをせず、わが身だけ贅沢をして、 人を見下すような態度を取りがちです。だから、金持ちになったからといって、威張り散らしたりしない人は、それはそれで、 立派な人物といえます。

しかし孔子に言わせると、それはまだ易しい。難しいのは貧乏だからとヒガまないことです。貧しい暮しを強いられたとき、 自分の運命を呪うだけならまだよいとして、世を怨み、人を怨むようになっては困るのです。
それを抑えるのは至難の技だと、孔子は言う…孔子のように、貧乏暮しの辛さ、苦しさを長い年月体験した者でなければ、 言えない言葉なのです。

孔子の高弟"子貢"が、あるとき孔子に次のような質問をした。
「貧乏であっても人にへつらわず、金持ちになっても人におごり高ぶらない
 人物は、いかがでしょうか?」
すると孔子は答えた。
『かなりの人物といってよいだろう。だが貧乏していても、道に安んじて
 楽しんで暮し、金持ちであっても、礼を愛する人物には及ばないね…』

孔子は、「貧乏で不平を言わない者よりも、貧しい中で、心の楽しみを失わない者のほうが優れている」と言っているのです。 幼少の頃に、貧しい暮らしを強いられた人は、早くから"志"が芽生え、「なにくそ」の精神が飛躍のバネになっている。貧乏・ 不如意は人を鍛え、立派な人物を生み出していくのです。

反対に、富裕の家に生まれ、暖衣飽食の生活に慣れ親しんだ、今の時代の若者たち…
精神肉体が練磨されることなく、薄志弱行の人物になり果て、遂には、生きることの意味すら見失ってしまう…。

「三代続かず」とはよく言ったもの…人の世とはそんなもの。今の自分の置かれた環境が不遇であるからといって、 これを怨むには当たらない。素直にその運命を甘受し、"志"をもって挑戦するなら、いつかは人として功成り、 名遂げる道も開けてくるでしょう…。

PHP「中国古典・論語」、並びに「論語の友」から引用

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