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野口英世の逸話

■野口英世の母が息子に宛てた手紙

おまイの しせ(出世)には みなたまけ(驚き)ました
わたしもよろこんでをりまする
なかた(中田)のかんのんさまに さまにねん(毎年)
よこもり(夜篭り)をいたしました
べん京 なぼでも(勉強いくらしても)きりがない
いぼし(鳥帽子…地名) ほわ こまりおりますか
おまいか きたならば もしわけ(申し訳)かてきましよ

はるになるト みなほかいド(北海道)に いてしまいます
わたしも こころぼそくありまする
ドか(どうか)はやく きてくだされ
かねをもろたこト たれにこ(この事は誰にも)きかせません
それをきかせるト みなのれて(飲まれて)しまいます

はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ
はやくきてくたされ いしよ(一生)のたのみて ありまする
にしさ(西を)むいてわ おかみ(拝み)
ひかしさむいてはおかみ しております
きたさむいては おかみおります
みなみ(南)たむいてわ おかんておりまする

ついたち(一日)にわ  しおたち(塩絶ち)をしております
ゐ少さま(栄昌様…僧侶の名前)に  ついたちにわ
おかんて(拝んで)もろておりまする
なにおわすれても これわすれません

さしん(写真)おみるト いただいておりまする
はやくきてくたされ いつくるトおせて(教えて)くたされ日
これのへんちまちて(返事を待って)わりまする
ねてもねむれません


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 617】
「少年、野口英世の逸話」

「自分が志し、目指したその道を天職と思い、一生やり続け、生き抜く…」
前号で、「天職」について、二つの事例を紹介しました。

世のため人のために"人生をまっとうした人"…といえば、様々な偉人が浮かんできます。
二宮尊徳や野口英世などが、そうでしょう…。
一万円札は福沢諭吉、五千円札は樋口一葉…ところで千円札は?
そう、野口英世です。
以前、猪苗代を観光した時、野口英世の生家を見学した。
玄関土間は薄暗く、馬小屋と粗末な部屋が一緒になった農家だった。
建物を見学していると、一郭に、母が息子に宛てた手紙を、大きく拡大して展示してあった。
「ひと目でいいから、我が子に逢いたい」…そんな思いが痛々しく伝わってくる名文である。
2歳の時囲炉裏に落ち、左手を火傷した。医師にかかるお金がなく、指が癒着してしまった…誰もが知る逸話である。
学校で、「手ん棒」というあだ名を付けられ、イジメられた。

磐梯山のふもと、猪苗代湖のほとりにある、三ツ和小学校。
卒業の口頭試問(面接試験)を行っていた小林先生。「秀才を、このまま埋もれさせるわけにはいかない」と、考え抜いた末、 野口少年を自室に呼び寄せた。

「清作君、たしかそう言ったね」 『はい』
「うん、ところで君は卒業したらどうするつもりかね」
『上の学校へ行きたいです…でも、やはり家を手伝います…。
 やる気があれば、勉強はどこででも出来ると思います』
はきはきと答える野口少年の顔には、一抹の寂しさがただよっていた。

「野口君どうだ、猪苗代の高等小学校に来ないかね…私が学費を全部出してあげるよ。だから勉強一筋、一生懸命頑張りなさい」
『本当ですか…ありがとうございます…まるで夢のようです』
「夢じゃないよ、それより早くお母さんに話して、喜んでいただくんだな…」

小林先生に、一切の学費を出してもらった清作少年。
毎日12キロの道のりを歩いて、学校に通った。
ある日、教員室に校長をはじめ、小林先生ほか、職員が集まっていた。
「校長先生、私はこの作文を読んで泣かされました。あの野口が"てんぽう"とからかわれながらも、一途に勉強に励んでいる姿が、 あまりにも…」

『小林君、私も同感だ…ねえ、できることなら手術でもして、元どおりにしてやりたいなあ…先生どうでしょう、 近頃この町にアメリカ帰りの良い外科医が開業している。一つ私たちでお金を作って、診てもらったら…少ないが…』

校長先生がお金を出したことで、職員もこれにならった。生徒たちもお小遣いを出し合った。全校あげての支援に感激した渡辺医師は、 誠心こめて執刀した。
麻酔もかけずに、つながった指を切り開いたこの逸話…あまりにも有名です。

皆の願いが通じて…手術はみごと成功…ゆ着していた指が自由に動くようになった。この時、手術に付き添っていた級友の秋山義次は、 清作の母に一刻も早く手術の成功を知らせたいと、25キロの山道をひた走りに走った。
手術の成功を祈って、神仏を拝んでいた母は、吉報を聞いて涙にくれた…。

長い間屈辱に耐え、悲しい思いをしてきた清作少年。この時、しみじみ人の情けを知ったのです。この手術が動機となって、 「将来医学の道を志そう…」と、強く心に誓った…この時、清作は16歳でした。

※野口英世
アメリカに渡り、「梅毒」の研究で、世界の医学界にその名を知られるようになる。
「小児麻痺」の病原体を特定し、狂犬病の病原体を特定する。
1918年 黄熱病が大流行しているエクアドルへ…黄熱病の病原体を特定。
1928年 アフリカ・ガーナに黄熱病研究施設を建築。間もなく自身が黄熱病に感染。志半ばに51歳の生涯を閉じる。

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