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天から与えられた我が命…何に使うか?

■光市、母子殺害事件

最愛の妻子を殺された"本村洋"23歳。
青年は、こぶしを握り締めて震えながら言った…「僕は…僕は…絶対に犯人を殺します」
妻子を殺された深い悲しみの中、裁判を傍聴し、マスコミや、国民に訴え続ける。
幾度となく、司法の厚い壁に跳ね返される…それでもなお、敢然と挑み続けた。

自殺を考え、遺書も書いた。絶望の淵を彷徨う青年を励まし、支え続ける人たち。
巨大弁護団に1人で闘う青年。亡き妻と娘のためと、愛と信念を貫いた…。
一審の山口地裁、二審の広島高裁とも「無期懲役」…だが、最高裁は差し戻し判決。
9年にわたる辛い闘いの末、ついに「死刑判決」を勝ち取ったのです。

裁判の場では、被害者の無念の思いを汲み揚げる場がない。
被害者は蚊帳の外におかれたままの、日本の司法界。
"本村洋"は「司法の在り様」を大変革させた人物である。
死刑廃止論者も、肯定論者も、今一度見つめ直さなければならない事件です。

講談社「なぜ君は絶望と闘えたのか」


【心と体の健康情報 - 622】
~幸せな人生を歩むために~
「天から与えられた我が命…何に使うか?」

今の時代、大人も子どもも、なにかイライラして「将来に希望が持てない」…
そんな人が多くなってきている。

子どものとき飼っていた犬が、保健所に処分されたからと、その恨みを30年も持ち続け、殺意を募らせ、 関わりのない市民を殺害するに及んだ、犯人の異常性…人の命を虫けらのように軽んじる、恐ろしい世の中になったものです。

「今週の倫理586号」は、「この世に生を享け、与えられた"命"を何に使うのか?」
がテーマ…日頃、"命"について深く考えることがないだけに、この号を読んで、いろいろ感じるものがあります。

以下、今週の倫理586号から…
自身の人生の中で、絶望の淵に追い込まれるような出来事に見舞われながらも、
その後自暴自棄になることなく、いよいよ自分の人生に対して、真正面から真摯に 向かう人が、時としています。

1999年4月、山口県光市で起こった凄惨な母子殺害事件で、大切な家族を喪った
"本村洋"さんも、そうした中の一人ではないで しょうか。

事件後、公判が進む折々での、ご本人の会見や、事件に関するマスコミ報道等でご存知の方も多いでしょうが、 『なぜ君は絶望と闘えたのか本村洋の3300日』(新潮社 門田隆将著)には、氏の事件直後からの心の葛藤や、また本村さんを支え続 けた、周囲のたくさんの方々との、交流が綴られています。

事件で、18歳の少年が逮捕された。が、「少年法」が壁となって、家庭裁判所の判断によっては、 事件の詳細を遺族さえ知ることなく、闇から闇に葬り去られる可能性がありました。

同様の事件が1997年、神戸で起こり、その猟奇的な犯行は、世間を騒がせました。
担当の刑事の配慮により、本村さんはその被害者(当時11歳の少年)の父親と交流を持つことができ、 同じ境遇を体験した者同士ということで、大変勇気づけられたそうです。

担当刑事は、本村さんが、最愛の家族を守ることが出来なかった自分を責めて、自殺を図ることを危惧していたのです。実際、 本村さんは、一審判決の直前、両親と義母に「遺書」を書いています。

また本村さんは、初公判が迫り、心が落ち着かない時期、勤務先へ辞表を出しています。
会社に迷惑がかかる…との思いからでした。しかしこの時、辞表を受け取った上司は…

「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。
君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。
でも君は、社会人として、発言していってほしい。労働も納税もしない人間が、社会に訴えても、 それはただの負け犬の遠吠えにしかならない。君は社会人たれ」と応え、
また、「亡くなった奥様もそれを望んでいるんじゃないか」と、諭したそうです。

これを契機に本村さんは、単に裁判の終結を静観するのではなく、積極的に社会に対し、被害者として発言し、 事件が社会の目に晒されることで、司法制度や、犯罪被害者の置かれる状況・問題点を、見出だしてもらうことに、全力を注ごうと決意しま した。

この背景には、本村さんの幼少期の闘病経験や、妻子の「命」、さらには犯人の「命」 に必然的に向き合わなければならない状況にあったことから、「死生観」というものの存在を、感ぜずにはいられないのです。

「この世に生を享け、与えられた"命"を何に使うのか?」という大命題は、
常に私たちに突き付けられているものですが、意識することはなかなか難しいものです。

多くの人々に支えられ、そして、天国の最愛の妻子に背中を押され、何度となく挫折感を味わった9年間の長い闘いの末、犯人に、 自らの罪と向き合わせた本村さんですが、見舞われた悲劇は察して余りあります。

「絶望」という状況の中でも、投げやりになることなく、「使命感」をもって取り組まれた本村氏の姿勢は、 個々の人生を歩む私たちに、大切なことを教えてくれるのです。

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