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藤沢秀行・名誉棋聖逝く

■囲碁・7大タイトル獲得数
(棋聖・名人・本因坊・十段・天元・王座・基聖)

42…趙 治勲  35…小林光一  31…加藤正夫(故人)  21…坂田栄男
21…林 海峰  17…大竹英雄  15…張 栩   14…藤沢秀行(故人)
12…高川 格(故人)、依田紀基  11…王 立誠  10…武宮正樹

私が囲碁を覚えたのは昭和39年。昭和36年から昭和60年の25年間は、坂田栄男、藤沢秀行、林海峰、加藤正夫の全盛期だった。
この間のタイトル総数は127(年平均5個)…その半数の68個を、この四人が獲得している。

昭和61年から平成7年の10年間は、小林光一、趙治勲、加藤正夫、武宮正樹が活躍。
この間のタイトル総数は70…その7割49個を、この4人が獲得している。

平成8年から平成20年の13年間は、趙治勲、張栩、依田紀基、王 立誠が活躍。
この間のタイトル総数は91…その半数49個をこの4人が占め、現在"張栩"が史上初、7冠のうち"5冠"を独り占めしている。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 668】
「藤沢秀行・名誉棋聖逝く」

豪快・華麗な棋風で、囲碁界最高のタイトル「棋聖」6連覇の記録を持つ、藤沢秀行名誉棋聖(83歳)が、5月8日亡くなった。
名人位2期、棋聖6連覇を始め、王座5期、NHK杯2期など、通算獲得タイトル数は23…その独創的棋風は、自由奔放、豪放磊落… 昭和を代表する名棋士でした。
平成3年「王座」獲得、翌年67歳で防衛に成功…史上最高齢の防衛記録保持者である。
その人生は破天荒…酒、ギャンブル、借金などをめぐるエピソードには事欠かない。
「囲碁とは 勝負である前に 芸である」という名言を残している。

二十代後半から競輪にのめり込み、1点買いに250万円をつぎ込んだことは、 今も語り草になっている。
目当ての選手に、後続がきわどく迫ってくる…藤沢さん、金網をつかみ「ガマーン」と叫び続けた…最後に抜かれて大金は紙クズに… 金網は菱形にひしゃげた…その後「秀行引き寄せの金網」として、競輪場の名所になった。

三十過ぎてからは酒を愛し、酒のにおいをさせて対局に臨んだり、不動産業に手を出したり、囲碁ツアーを企画したりしたが、 いずれも赤字で、億単位の借金を抱えた。
借金返済のため、囲碁タイトルでは最も賞金の高い「棋聖戦」に自らのすべてを賭けた。
防衛戦の一ヶ月前から、好きな酒を断った執念は、語り草になっている。

秀行の型破り…賭け事にとどまらない。女性関係も…無頼ぐらいでは追っつかない。
将棋の"米長"永世棋聖の若い頃、米長の奥さんが、藤沢さんの奥さんを訪ね、「うちの主人は週に5日は帰ってこない…」と、 悩みを打ち明けたところ、藤沢夫人「うちは(愛人の家に入り浸って)3年、帰ってきませんでした…」

事業に失敗して借金の山を築き、高利貸しに追われ、自宅を競売に掛けられる修羅のさ中、 並ぶ者なき"棋聖戦6連覇"の偉業を成し遂げている。
第5局開始の朝、「負けたら首を吊ろう…」と、枝ぶりのよい木を探しながら、対局場に向かったという…。
この碁で藤沢は、一手に2時間57分という記録に残る長考の末、対局者"加藤正夫"の大石を全滅させるという、気迫の勝利を収めた。
勝利の後、「最善手を求めて命を削っているから、借金も女も怖くない」と語った。

私生活は破天荒だったが、囲碁は謙虚そのもの…「囲碁の神様が「100」知っているとしたら、自分は…」との問いに、 希代の名人が出した答えは、「6」だった。
享年83歳…誰よりもめちゃくちゃな人生を歩み、誰からも愛され、そして囲碁は誰よりも強かった。
戦前・戦後の乱世を、すさまじく生き抜いたプロ棋士…こういうスケールの大きな自由人は、もう現れないだろう。

5/9 読売新聞

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