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2009年06月 アーカイブ

2009年06月02日

食習慣を改める

■「ブルーガイド」日本版

昨年秋、フランスでミシュランと双璧をなす観光ガイドブック、「ブルーガイド」日本版が発行された。発行部数は15,000部。
石川県からは「金沢市」「兼六園」「金沢21世紀美術館」が最高ランクの三つ星を獲得した。

全国で三つ星を格付けられた地域は、東京・京都・高山など22カ所のみ。
県内では、金沢市の武家屋敷「長町」と、朝市の「輪島」が二つ星。
「金沢城」「金沢・ひがし茶屋街」など、9ケ所が一つ星に選ばれた。

ミシュラン効果で、石川県を訪れたフランス人の宿泊者数は、前年比1.5倍の2,951人。
兼六園の入園者数も1.5倍と、順調に伸びている。
近年、石川県を訪れる観光客が減りつつあるだけに、県も市も、外国人観光客誘致に熱心です。

北国新聞


【心と体の健康情報 - 669】
食と健康「食習慣を改める」

わが家で漬けた漬物、自慢出来るくらい美味しい…つい食べ過ぎて、塩分の取り過ぎが心配になってくる。
どんな良い栄養素、食品でも、取り過ぎは良くない。が、減らし過ぎるのもよくない。

塩分の取り過ぎを防ぐには、それなりの工夫がいる。例えば、醤油は直接上からかけるのではなく、小皿にとって付ける。 味噌汁が濃いと思ったら、お湯で薄めます…"薄味の食事"に慣れることです。家族全員でやらないと、"減塩"の効果は上りません。
食習慣を改善するのは容易なことではありません。家庭によって、取り組まなければならない課題は違ってきますが、 ここでは4つ取り上げてみます。

第一は「塩分の取り過ぎ」です。
高血圧を引き起こし、脳卒中や心臓疾患に結びつく危険があります。
厚生省が薦める1日の摂取目安は10グラムです。
漬物好きの我が家は要注意…改善策は、山盛りの大鉢で食卓に出して、好きなだけ食べていたのを止め、 1人分づつ小皿に取り分けて出すようにしています。

第二は「肥満
昨年厚生省から発表され、マスコミで話題になった「メタボリック・シンドローム(内臓脂肪症候群)」です。肥満は生活習慣病の元凶… 万病の元です。
シンドローム該当者の私は、ダイエットに取り組なければなりません。

第三は「癌(がん)
塩分の取り過ぎは「食道がん」「大腸がん」などの消化器系のがんになりやすく、肉類、洋食メニューの多い家庭は「直腸がん」。 酒の飲み過ぎは「胃がん」「肝臓がん」。タバコを吸う家庭は「肺がん」と、食習慣、生活習慣が大きく影響します。

第四は「骨粗しょう症
高齢者が増えるに従い、骨粗しょう症が問題になってくる。
つまずいて転んで利き腕を骨折…よくある話です。入院してベッドに伏せるうちに筋力が落ち、体力が衰え、老け込んでしまうのです。 若いうちから、カルシウムの摂取を意識した食事を心掛けないと、年をとってからでは、なかなか改善されません。
2000年の調査で、日本人の平均寿命は、男性が77.7歳、女性が84.6歳ですが、がんや脳こう塞など、 食事が大きく関係する生活習慣病が増えてきているのが心配です。
バランスの良い食事を心がけ、生活習慣病を引き起こす食習慣を改善し、健康で長生きできる身体をつくっていかなければなりません。

読売新聞「食と健康」から

 

2009年06月05日

落語・あたま山

■上方落語「一門」
メルマガ629号で、アメリカで英語落語にチャレンジしている"桂かい枝"師匠を紹介しましたが、06年、天神橋筋に「ライブ繁昌邸」が竣工するなど、 近年上方落語の人気が急上昇。
以下、上方で活躍する「一門」です…

[笑福亭松鶴一門]…"笑福亭仁鶴"一門59名(名六代目笑福亭松鶴は故人)
             弟子に鶴瓶がいる
[桂米朝一門]…三代目"桂米朝"一門58名
          弟子に、月亭可朝、月亭八方、枝雀、雀々、ざこば、などがいる
[桂文枝一門]…"桂三枝"一門42名(五代目桂文枝は故人)
          弟子に、きん枝、文珍、かい枝 がいる)

[桂春團治一門]…3代目"桂春團治"一門24名
[露の五郎兵衛一門]…2代目"露の五郎兵衛"一門12名
               今年3月30日死去。前・上方落語協会会長
[桂米團治一門]…昨年、五代目"桂米團治"を、57年ぶりに、桂米朝の息子
           "小米朝"が襲名した。
[林屋染丸一門]…4代目"林屋染丸"一門11名
[森乃福郎一門]…2代目"森乃福郎"


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 670】
~ことば遊び~ 「落語・あたま山」

先々週の土曜日、香林坊赤羽亭・四列目のかぶりつきで、「桂米助、桂雀々・東西落語ふたりの会」を楽しんだ。
上方落語界で異彩を放つ"桂雀々"…もっさりと噺すが、オーバーなアクションが売り物で、身振り・手振りよろしく、 あほな人物をやらせたら天下一品!

この日の出しものは、得意ネタ「あたま山」…期待通り、お腹がよじれるくらい大笑いした。
645号の「落語・だくだく」は、噺家が自らの話芸を駆使して、 聴き手の想像力を喚起して笑わせる噺です。「あたま山」は、それを上回る奇想天外な噺…聴き手をイマジネーションの世界へ… 落語ならではの語り口で引き込んでいく。

♪けちな男がいて、さくらんぼを食べたが、もったいないからと、種まで飲み込んでしまった…この種、温かい腹の中で根をおろし、 やがて頭のてっぺんに芽を出した。
桜はすくすく育ち、幹が太くなって枝も広がっていく…やがて春になると花が咲いて、"あたま山の一本桜"と評判になった。
(ここからにぎやかなお囃子が入り、聴衆をイマジネーションの世界へ…雀々の話芸が冴える)
それを伝え聞いた"たいこもち"が、さっそく旦那に持ちかけて…
「それは見事でございますよ…どうです、出かけようじゃございませんか…
花奴に歌奴、冷奴なんぞ、芸者衆も勢ぞろいしておりますから…」

という調子で大店の旦那が、たいこもちや芸妓衆を連れて花見を始めるし、町内の連中も群れをなしてやってくるようになった。
花を見て楽しむだけならなんの問題もないが、花見客の目的は飲んで騒ぐこと…。

それも朝っぱらからドンちゃん騒ぎで、飲めばへどを吐くし、喧嘩にもなる。
「なにィ? 俺の言うことォ聞けねえか…」などと、江戸っ子は気が短い。
あまりうるさいので頭を振ると、「地震だ!」と驚き、大騒ぎして逃げてしまう。

こんな木があるからいけないのだと、桜の木を引き抜くと、頭の真ん中に大きな窪みが出来てしまった。 この男が用足しに行くと夕立にあって、穴に水が溜まった…が、根がけちでものぐさだから、水を捨てようとしない。

するとボウフラが湧き、それを餌にフナだのコイだの、ドジョウなどが湧いて、それを知った子供たちが釣りに来る。朝から夕方まで、 わめいたり歓声を上げたりと…そのうるさいこと。

子供が帰って一息ついたと思う間もなく、夜になると男たちが夜釣りにやってくるが、これも黙って釣るわけではない。酒を飲んだり、 女にもてた自慢話をしたりと、うんざりするほどだが、やがて舟を出す連中まで現れた。
投網で魚をごっそり獲ろうというのである。

櫓を漕ぐ音がギイギイとうるさいし、網を投げれば大きな音がする。
しかも、「舟をあっちィまわせ」だの、「揺らすと網が打てねえじゃないか」などと大騒ぎし、その挙句が「なにが釣れたい?」 「わらじが釣れた」「冗談じゃねえぜ」と馬鹿笑い。
こううるさくてはとてもたまらないと、頭の池に自分で身を投げてしまった…。

野口 卓著「古典落語の名作」より

2009年06月09日

やる気が出る秘訣

■中日の守護神"岩瀬"のスイッチオン

プロフェッショナルは、本番前にプレッシャーを跳ね除ける一連の"決まり事"をやって、持てる力を発揮する。 毎回決まった手順を繰り返して、本番に臨むのです。

メルマガ665号プレッシャー克服方)

5月上旬、史上4人目の通算200セーブを達成した、中日の守護神岩瀬。
岩瀬は通常5回前後になると、ブルペンで肩慣らしの投球を始め、6回から7回と、試合展開をにらみながら、徐々に集中力を高めていく。

8回から、呼ばれたらすぐ登板できるよう更に集中し、仕上げていく。
岩瀬はこれを、「スイッチを入れる」と表現している。
いったんスイッチが入ると、誰も寄せ付けない岩瀬がそこにいる。

中日スポーツ


【心と体の健康情報 - 671】
幸せな人生を歩むために
ヤル気が出る秘訣

「百年に一度の不景気」「消費低迷で売上が落ちた」…業績が悪化すると"ヤル気"をなくし、売れない理由を、 環境や人のせいにしていないだろうか?
「やりたいことをやらせてもらえない」「職場の雰囲気が悪い」など、ヤル気が出ない原因は様々です。

プロフェッショナルも、いつも順調だったわけではない…逆境にもがきながらも、モチベーションを保ち、這い上がってきた。彼らは、 いったいどうやってヤル気を掻き立ててきたのか?
「ヤル気」とは、目標をなし遂げ、達成感やお金などの報酬を得ようとする欲求から生まれてくる。ヤル気が出ないということは、「目標・ 報酬」のどちらかに問題があるということです。

■モチベーションアップ法(1) 「あこがれの人を持つ
プロフェッショナルの多くが、"良き師匠"との出逢いがあって、それを転機としてきた。
脳動脈瘤の手術でその名を知られる、外科医の"上山博康"上山は若き日、師事する脳神経外科医"伊藤善太郎"から、 ある言葉を伝えられた…「患者は命をかけて、医者を信じる」
伊藤のようになりたいとの思いが、上山をプロ中のプロへと磨き上げていった。

脳の前頭葉には、相手の動作を見た時、あたかも自分も同じ動作をしたかのように、反応する神経細胞があると考えられている。 師匠の良き振る舞いを見ていると、前頭葉が反応し、自分も気づかないうちに、同じ振る舞いをするようになる。
それが能力アップにつながると、考えられているのです。

ゴルフを例に挙げると、プロゴルファーのスイングを、ビデオで繰り返し何度も見て、スイングイメージを頭に描き、練習する… プロのスイングを真似ようとするのです。
「あこがれの人」がいない場合は、身近な人の"良いところ"に注意を向けます。
例えば、人前で上手に話せるようになりたいなら、スピーチ上手の人をよく観察します。話題の選び方、組み立て方、間合いの取り方、 話す時のしぐさ、目線の配り方など、学ぶところがいっぱいあります。

■モチベーションアップ法(2) 「小さな"成功体験"を大切にする
脳というのは"成功体験"を通してしか、ヤル気が起きません。
小さな課題でいい…「これがクリアできたらうれしいな」っていう、そういう何かを自分で見つけていく…それが大事なのです。

今年石川県で、昨年に続いて100キロ歩が開催される。
100キロ歩にチャレンジし、完走したいと思うなら、先ず25キロ、そして50キロと、成功体験を積み重ね、 やれば出来るという自信と信念を積重ねていく…。

プロフェッショナル達の中には、高い目標はあるものの、長い間成果が出ず、苦しみぬいた人が少なくない。
世界で初めて、農薬や肥料を使わずにリンゴ栽培に成功した、リンゴ農家の木村秋則さん…木村さんは8年間リンゴの自然農法を続けるが、 実が生るどころか、花さえも咲かなかった。
生活費にさえ事欠く極貧の中で、木村さんを支えたのは、小さな成功体験だった。
「何度もやめようと思った。自然農法の桃とかナシとかブドウはよく実っていた…きっといつかは、リンゴも出来るはずと…」

どんな小さな成功でも成功すれば、脳の中で"ドーパミン"という物質が放出されます。すると、 脳は喜び"快感"という報酬を得ます。
「苦しみを乗り越えると、快感が待っている」…それが脳に刻み込まれたら、自然と勇気が湧いてくるのです。
今は名をなしたプロフェッショナルも、小さな一歩を根気よく積み重ねて、大輪の花を咲かせたのです。

NHKプロフェッショナル 仕事の流儀から

 

2009年06月12日

私の昭和「昭和30年代」

■昭和三十年代の出来事・流行歌

S30 映画「ローマの休日」で、ヘップバーンカットが流行
    山手線ラッシュアワー…押し屋が登場
    「月がとっても青いから」「この世の花」
S31 ホッピング流行  「鉄腕アトム」「鉄人28号」
    「愛ちゃんはお嫁に」「哀愁列車」
S32 裕次郎「俺は待ってるぜ」人気で、リーゼント流行
    「有楽町で逢いましょう」「東京だよおっ母さん」

S33 フラフープ大流行 東京タワー完成 ベビーブームですし詰め学級
    「お~い中村君」「だから言ったじゃないの」「からたち日記」
S35 池田勇人首相…「所得倍増」「私はウソは申しません」
    国民総バカンス
S36~37 植木等の「わかっちゃいるけどやめられない」「ハイそれま~でぇよ」
      「巨人・大鵬・卵焼き」  TV普及1千万台突破
S38 東名高速道路開通
S39 東京オリンピック「ウルトラC」、「シェー」、東海道新幹線開通


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 672】
~私の昭和~ 「昭和三十年代(14~23歳)」

昭和三十年代は青春真っ只中…三十年代初めの頃の日本は、戦後の貧しさがまだ続いていた。昭和30年… 戦前から十数年続いた我が家の朝食"芋粥"が、ようやく麦入りの白いご飯になった。

三十年代半ばになると、復興期を乗り切った日本が、経済的に大きく発展し、様々な可能性を広げていった。 暮らしを豊かにする魅力的商品が次々発売され、平和を肌で感ずるようになった。
当時、神社のお祭りは人で溢れるほどにぎわったが、どこのお祭でも、片足義足の傷痍軍人が鳥居の下で松葉杖をつき、 首から募金箱を下げて立っていた。

徐々に生活にゆとりが出て、食だけでなく、衣類・日用品・電化製品などが買い揃えられ、暮らしにゆとりが感じられるようになった。
昭和31年、その年高校を卒業する兄は、父親に「商人に学問は不要…学費は出せない」と言われ、大学を断念… 某大手銀行金沢支店に就職した(学歴がないことが、その後の出世を妨げた)。 4年後…私の時は大学受験OKだった。

上部にローラー絞り器が付いた洗濯機、扇風機、電気コタツ、掃除機…次々買い揃えていった。電器釜は、 毎朝薪でご飯を炊く手間が省け、洗濯機は家事にゆとりをもたらした。
大家族の我が家…家事一切を切り盛りする母には、どんなに有りがたかったか…。
更に、トランジスタラジオ、レコードプレーヤー、カメラ、ミシンなど…家の中が豊かになっていった。手回しのエンピツ削り器が出回り、 安価なソノシート(簡易レコード盤)で、当時流行したラテン・ミュージックを楽しんだのも、この頃。

"神武以来"と言われる好景気が続き、消費を刺激…
政府は昭和31年、「もはや戦後ではない」を宣言…家電メーカーや、自動車の大衆化が成長を支えた。大村昆のダイハツ・ ミゼットのTVコマーシャルが、印象に残っている。
機会さえあれば、誰もが豊かになれる…誰もが夢が描ける…そんな時代になったのです。昭和33年、長島選手が巨人入団。翌年王選手入団… 巨人軍ON全盛期の幕開けです…同年、インスタント・チキンラーメン発売…35円だった。

昭和32年、MRO放送がテレビ普及のため、私の家の隣にショールームを開設。
ウインドウに、テレビが横に3台、縦に3段・ズラッと並べられ、受信映像をデモンストレーションした。相撲は大鵬、 プロレスは力道山が大活躍…中継を見ようと、ショールームの前は人垣ができた…。

昭和31年当時…公務員の月給は1万7千円。観音開きの扉が付いたテレビが48万円…庶民には高嶺の花だった。 14インチTVが家庭に普及したのは、昭和34年、皇太子・美智子さんの結婚…ミッチーブーム以降… 東京オリンピック直前の昭和37~38年に、急速に普及した。
そして我が家にもテレビがやってきた…茶の間に据えられ、どん帳がまくられる。
映画館のように、茶の間を暗くして映された映像…やたらとまぶしかった。

2009年06月16日

ヤル気の源泉

「脳は鍛えれば活性化する」

脳は、年齢とともに機能が衰え、記憶力や理解力が悪くなっていくと思われがちです。しかし、芸術家や大学教授、政治家など、 頭を使う職業の人を傍から見ていると、そんな衰え…まったく感じられない。

日本における論語研究第一人者"伊与田 覚"先生…今年93歳になられる。
私たちに論語を教える時、滅多に使わない難しい漢字を、白板にすらすらと書く。
字を忘れたと、手が止まったことはない…頭脳は冴えわたっている。

年老いてボケる人は、毎日が平々凡々、脳に刺激を与え、脳を育み、鍛えることをしなくなったことに、原因があるようです。
「脳と筋肉」は、何歳になろうと年齢に関係なく、鍛えれば鍛えた分だけ活性化する。
結果、若さが持続され、周りから「若い」と言われるのです。


【心と体の健康情報 - 673】
ヤル気の源泉

昨年の夏は、北京オリンピックで大いに湧きましたが、「アテネより超気持ちいい」と、次々に記録を更新し、 競泳男子平泳ぎ百メートルで、二連覇を果たした北島康介選手…一時引退との噂が流れましたが、次のオリンピックを目指して、 新たなスタートを切っている。
100メートルで世界新を出した後に、「何も言えない…」と涙し、「誰よりも金メダルを取りたい気持ちが、強かったんだと思う」 と語ったのが、印象的だった。
いつも自信満々に見える北島選手ですが、前々回のアテネ以降、メダリストが陥る目的喪失、モチベーションの低下、勝てない日々、 更にケガと、不調が続いていた。

そんな彼が、ゆるぎない自信と強さを身につけて、北京の晴れ舞台に登場したのです。メディアは、その強さの裏に 「勝負脳」ありと報道した。
北京オリンピック後に、勝負脳という言葉が、静かなブームになったのです。
『勝負脳の鍛え方』の著者である、脳外科医の林成之氏は、著書の中で、何事にも否定的で、やる気・意欲が出ないのは、 「脳が疲労状態にあること」が原因であるとしています。
脳の疲労には"心"が深く関係しています…「いろいろなストレスを抱えている」「解決しない悩みごとがある」「性格が暗く、 いつも悪いほうに考える」等々…
そういった状態に陥っている自分を打開するには、「性格を明るくする」「たえず明るく振舞うようにする」ことが第一です。

勝負に強いスーパープレイヤーの多くは、何事にもめげない明るい性格を持っている。日常生活において、 「てきぱきと仕事や目標をこなし、エネルギッシュに行動する習慣を鍛えることが大切」と、述べている。

北島選手の場合…競り合いに負けない脳の使い方を、林医師のレクチャーで身につけた…脳の仕組みを知って正しく使えば、 勝負に勝てるようになるのです。
「勝負脳」を鍛えた結果の、金メダルなのです。

林教授は、"勝負脳"のレクチャーの中で、北島選手に以下の6ケ条を伝授している。
「プールと一体化した…と思えるまで集中する」「プラスのイメージを持ち続ける」
「常に全力で練習する」「否定的な言葉を使わない」「4拍子半のリズムを保つ」
「ライバルに意識を向けるのではなく、自分に勝つ」

キーワードは、「明るさ」と「心の持ち方」にあるようです。
つまるところ、「平常心を保つことができる力」…それが勝負脳ということになります。

明るい」「肯定的」 「プラス発想」…この三つは、スポーツに限らず、 ビジネスの世界でも、地域社会の中でも、持てる力・能力を、ここ一番という時、最大限に発揮できる、"ヤル気の源泉"になるのです。

「今週の倫理」590号/林 成之著「勝負脳の鍛え方」より

2009年06月18日

曹洞宗開祖・道元

■「心身脱落/正法眼蔵」
 
「心身脱落」…この言葉は、道元禅師が留学僧として、宋の天童山・如浄禅師のもとで修行…悟りの境地に至り、「心身脱落した」と、 如浄禅師に答えたことからきている。
 
「心身脱落」の、脱落の”脱”は「一切の束縛から離脱したこと」
”落”は「重荷を下ろして軽々となった感じのこと」
つまり、一切のしがらみから脱して、心身共にさっぱりした境地を言い、一切を放下し、何の執着もない、 自由無碍の精神状態にあることをいう。
 
道元の言う”悟りの境地”とは…単に「心の煩悩」だけ悟るのではなく、「身体の煩悩」と合わせて”解脱”しなければならない… としている。
 
「仏道をならうことは、自己をならうことなり。
                 自己をならうことは、 自己を忘れることなり」
 
 
674 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~歴史から学ぶ~ 
「曹洞宗”永平寺”の開祖/道元の歩いた道」
 
福井県といえば永平寺。誰が、いつ、何の目的で福井県の片田舎に建立したか…そうした身近なことを、意外と知らないのです。
 
曹洞宗を開いて”永平寺の開祖”となった道元禅師…道元は、1200年にまれ、1253年に没した。道元の一生は、激しく燃える求道の人生…学ぶためには命も惜しくないと、 一途自らが信じる仏の道に一生をささげたのです
 
三才で父親、八才で母親と死別した…道元、 初めて世の無常を感じたときです。
十三才で比叡山に入る。公円のもとで「得度」「受戒」して”仏法房道元”と称する。
当時の叡山は、時の権力と結託し、欲世での名声や利欲をむさぼる、 堕落した態にあった。
 
失望した道元は、二年後山を下り、 正法を求めて建仁寺で修行。24才の時 真の仏道を説く師を求めて、中国に渡る。道を探し求めて諸山遊歴の末、 26き天童山の如浄禅師に出会い、 28才で帰国するまで、 如浄禅師のもとで、 修行に励んでいる。
道元が天童寺で、如浄禅師に学んだ一番のことは、”心身脱落” をしたことです。
 
帰国後、一度は建任寺に入るが、叡山の迫害を逃れて深草に隠棲…執筆に専念
1233年、深草に興聖寺を開創する。その時道元の人柄にかれて、九州から本に禅の様式を伝えた棟梁が、 一党を連れて駆けつけている。
 
三年後に僧堂を建てて、禅の修行場を整備し、教団の拡大を図ったが、 道元を嫌う比叡山の圧力で、興聖寺は破壊され、道元は京都を追われてしまった。
 
命からがら逃れて、弟子たちと落ち着いた先が、 福井県越前…禅師43歳の時です。
吉峰寺を建て、翌年大仏寺を建て、 道元47才のとき”永平寺”と改名。 故郷の京都に帰っのは、死の直前だった。
 
道元が説いた教えは、名誉や地位といった大欲を捨て、 ただひたすら坐禅する只菅打座」。お経も上げず、 死者の霊を慰めることもなく、 ただひたすら坐禅修行を行い、”悟りの道”を求道し続けるのです。
                                月刊致知「道元の歩いてきた道」より
 
 
 

2009年06月22日

道元禅師の教え「貧に道あり」

「貧に生きる」ことは難しい
仏教の「貧に生きる」の教え、キリスト教にも同じような教えがあります…
 
イエス・キリストのところに、ある裕福な武道者が尋ねてきた。
武道者「師よ、私は何をしたら永遠に罪を削ぐことができるでしょうか」
イエス 『モーゼ律にあるように、姦淫せず、殺さず、盗まず、汝の父母を敬いなさい』
 
武道者「そういうことならば、私は物心ついた頃からずっと、守ってまいりました」
イエス 『更に足らぬことが一つある…今汝の持てる物をことごとく手放し、貧しいものに分かち与えよ。その後に来たりて、我に従え… 』と言われた。
 
それを聞いた武道者、大変悲しみ、恐れ、イエスのもとを去っていった。
 
立ち去る武道者の後姿を見て、イエスキリストが言われた。
「富める者の神の国に居るは、ラクダが針の穴を通るよりも難い…」
 
一度豊かな暮らしを経験した者は、神の国入ることは不可能であろう…と。
今の豊かな暮らし…長い年月をかけて手に入れた土地や家や財産のすべてを、手放せと言われたら、今の私には出来ないでしよう…。
 
 
 
675 【心と体の健康情報】 
~古典から学ぶ~
「道元禅師の教え・貧に道あり」
 
なんだかんだ579号」、孔子の教えは…
『子曰く 貧しくして怨む無きは難く、富みておごる無きは易し』                                                  (憲問第十四)
「孔子が言われました。貧乏しても、不平を言わないことは難しい。 金持ちになっても、おごり高ぶらないことのほうが、まだしもやさしい」
 
孔子は、「貧乏で不平を言わない者よりも、貧しい中で、 心の楽しみを失わな者のほうが、 より優れている」と言っている。
お金さえあれば何でも手に入る、豊かな時代に生きる私たちには、「貧しくあれ」という道元禅師の教えを、孔子の言うように、 素直に受け入れることは至難のことです。
 
「貧に生きる」とは、「貧しくあれ」という意味ですが、「貧乏に生きなさい」 という意味ではない。「物欲から離れなさい」という意味に解釈します。
 
以下は、「正法眼蔵隋聞記 四ノ十一」、”財多ければ志を失う”の教えです…
 僧来たりて 学道の用心を問ふついでに、 示(じ) にいわく、学道の人は 先づすべからく貧なるべし。
 財多ければ 必ずその志を失う。
 在家学道の者、なほ財宝にまとはり、 居所を貧(むさぼ)り、 眷属(けんぞく) に交われば、たといその志ありと云へども、 障道の縁多し。
 ……………… (略)……………
 僧は一衣一鉢のほかは 財宝を持たず、居所を思はず、
 衣食を貧(むさぼ) らざる間、一向に学道す。
 これは分々皆徳益あるなり。 その故は、貧なるが道に親しきなり。
                           
 ある僧が道元禅師の所にやってきて、 修行のうえでの心得を質問 した。
禅師は言われた、修行者は第一に貧しくなければならない。 
財産が多ければ、 必ずや、 道を求める志を見失うことだろう…。
 
 自宅で仏教修行をしている一般の人も、財産に囲まれて、良い住まいを求め、 家族や親戚と交わっていれば、どれだけ高い志があっても、修行の妨げとなり、修行にならないだろう。
 
 これに対して僧侶というのは、昔から一枚の袈裟と、 一鉢のお椀し持たず、 自分の家を持とうと思わず、衣食にこだわらない…ために、 ひたすら修行に打ちむことができる。
 これはそれぞれ、利益を得る (俗世界のモノに心を奪われることがない)とこがあるからである。 その理由は、貧しいことが道に親しめることになるので
 
修行する者は”道を求める”のが第一…”財”は修行の妨げになる。
財産を持っていると、失うまいと思ったり、 奪われまいと心配したり、何かとずらわしい心配事が増えてくる。
僧侶は必要最小限の物以外、何も持たず、持つ必要がないため、精神的に安楽られ、 ひたすら修行一途に打ち込めるのです。

2009年06月25日

道元の歩いた道(2)

■和 解
 
6月15日車を運転中、ラジオからびっくりニュースが飛び込んできた。
高野山・真言宗の総本山金剛峯寺で執り行われた「宗主降誕会」に、比叡山・天台宗総本山延暦寺の座主が、 金剛峯寺の座主と並んで参列したのです。
高野山と比叡山は、開山以来1200年、日本仏教界の聖地として、宗教界最高の地位を分け合ってきた。
 
高野山を開山したのは弘法大師・空海。比叡山は最澄(さいちょう767~822)。
二人は共に中国に留学し、仏法修行。帰国後、二人の教えの違いから、以後1200年間一度も和することがなかった… その両者が、硬い握手を交わして和解し、今後の交流を誓い合ったのです。
                             
キリスト教にも、過去によく似た話があります。
1982年、ローマ教皇ヨハネス・パウルス2世がイギリスを訪問。
反目しあっていたバチカンと英国国教会が、450年ぶりに和解している。
 
 
676 「吉村外喜雄のなんだかんだ」 
~歴史から学ぶ~ 
「曹洞宗開祖・道元の歩いた道(2)」
 
道元禅師の作法は厳格。食事も掃除も、 日常生活のすべてが作法にのっとり、とりわけ坐禅は、ただひたすら坐り瞑想することが、悟りそのものであるとしている。その一方で道元は、 「欲心」を否定していなかった。
 
「広く追求せざるを名付けて小欲とす。
  多欲の人は多く利を求むるが故に、苦悩また多し」
とあるように、”多欲”は身を滅ぼすけれども、”少ない欲”はあってもいいと言っている。
人間、欲があるから生きていける。自分なりの欲をコントロールして、 小欲知足生き方ができれば、争いや戦争がなくなり、 世の中が平和になると、説いていのです。
更に道元は説く…「受取するに限りを以ってするを称じて知足という」 と…。
受取ったもので満足すること。現在の境遇、 受取ったもので、満足できないよう者は、 「天堂に処すといえども、 また意にかなわず
 
つまり、どんな素晴らしい御殿に住んだとしても、 満足することはない…と言うです。 他と比べるから貧になるのであって、比べたりしなければ、 不足に思うこともなく、 貧にはならない…このように説いている。
 
道元は晩年、ひそかに故郷の京都に戻り、亡くなっている。
亡くなる直前、 是のところは即ち是れ道場」という言葉を残している。
とても苦しい死の床にあるとき、「ここが道場なのだ」 と言って、病を受け入れる。
どんなに苦しい病にあっても、「いずれ死ねば治る」と悟りきるのが禅である。
 
道元は、自らを高め続け、真理を求めようと、求道の生き方を貫いて、 徹底した。
無常迅速 生死事大
時の流れは速い…うかうかしていると、人生は終わってしまう。
だから一所懸勉強して、修行して、自分の生きる意味、死ぬ意味を考えなさい。
つまり、人生真理を求めなさいと言っているのです。
これがまさに人生の目的だったのでょう… その真理に出会う方法として、道元はひたすら”坐禅”を説くのです。
 
真理を求道していくと、 我は何のために生きているか?」というところに行き着く。
真理に会うことができると、心は穏やかになり、何の葛藤もなくなる。
そうやってこの世を終えることができれば、 それ以上の幸福はない…と。
どんなにお金を稼いでも、心理に出会うこと以上の幸福を、 手にすることはないのです。
「人生は短い、しかし道は深い」…道元は”仏道”を学ぶことで、生涯を貫き通した。
時間を惜しみ、与えられた人生を、命を、仏道一途に、 それ以外のことには目もくれず、激しい気迫で、自らの信じる道を歩み通したのです。
この気迫を…この生き方を…今に生きる私たちに教えてくれるのです。
                                                      月刊致知「道元の歩いてきた道」より 

2009年06月29日

プラス発想の成功哲学

■ソクラテスの逸話
 
賢妻なら「山内一豊の妻」。悪妻と言えば「ソクラテスの妻」。
ある時、夫ソクラテスに怒鳴り散らした妻…収まりがつかず水を浴びせかけた。
が、さすが哲学者…少しも騒がず言った…「雷には大雨が付きものだ」
 
■ソクラテスの逸話(2)
結婚というものは…「若者は結婚すべし。相手が良い人なら幸福になれる。もし、そうでなくても哲学者になれる」
 
■17歳のプロゴルファー 石川 遼
小学校の卒業文集から…将来の夢
「二十歳、アメリカに行って、世界一大きいトーナメント、マスターズ優勝」
 
今年の四月、17歳でその夢が実現した…タイガーウッズ他、世界トッププロに交じって、マスターズに出場したのです。
更に先週の日曜、ミズノオープンでプロ転向2勝目を挙げ、日本のトッププロ・片山晋吾等と共に、全英オープン出場権を獲得した。
大リーガー・イチローに並ぶ逸材です。
 
677 【心と体の健康情報】 
~幸せな人生を歩むために~ 
「プラス発想の成功哲学」
 
東京に出て、40店舗のステーキハウスチェーンを展開する、 S社長の若かりし頃の体験話です。
北海道の中学卒業後、将来コックになろうとの誓いを胸に、青函連絡船に乗り、 単身上京。最初の仕事は皿洗いだつた。定時制高校に通いながら、 社員食堂の皿洗いに明け暮れる毎日。400人分の皿2、000枚を1人で洗わされた。 辛くて辛くてしようがなかった。
 
寝ても覚めても皿洗い。400人分・約2千枚の器の山…すごいんですよ。
それを毎日毎日洗わされる…辛かった。先輩にいじめられ、 陰で泣いたこともった。 その辛い皿洗い…ある事がきっかけで、面白くてしようがなくなった…?
 
それは、腕時計を洗い場の前に置き、時計を見ながら「1分間に何枚洗えるか?」
自らに挑戦することを始めたのです。秒針とにらめっこしながら洗っているうちに、 昨日より1枚多く洗えた… 2枚多く洗えた…挑戦し続けた。
しだいに、皿洗いのコツを身に付けるようになり… うまくなった…早くなった。
 
先輩は包丁を握っている。フライパンを使いこなす。私は、皿しか洗えない…。
しかし、皿を洗う先輩を見ていたら、私よりはるかに劣っていた。皿洗いなら、 誰にも負けない…自分が一番だ!
 
その先輩も、最初は皿洗いをしたはず… 先輩はなにげなく皿を洗っていただろう私は違う、時計を見ながら、皿洗いに挑戦…進歩・工夫の度合いが違っていた。
仕事は取り組み方で、辛くもなれば、楽しくもなる」ということを、 この時学んのです。
それからの私は、皿洗いが苦痛ではなくなった。皿洗いを”楽しむ”ようになった。
皿がたまるのが待ちきれない。その間、 他の仕事を覚える余裕も出てきた。
先輩からも認められるようになった…一石三鳥です。
 
皿洗いから学んだ…「仕事は言われて、受身でやるものではない
「こんな仕事をやらせやがって…」と、ぶつぶつ言いながら仕事をするから、 辛いのです。「自分に与えられた仕事を、 どう受け止めるか」…受け止め方一つで、 辛くもなれば、楽しくもなるのです。
 
そうしたことがきっかけで、認められるようになり、 少しずつ調理を教えもらえるようになった。
その頃です…「将来独立して、お店を持ちたい…」 と思うようになったのは…。
 

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