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2009年07月 アーカイブ

2009年07月02日

落語「ぞろぞろ」

■日本漢字能力検定協会「変換ミスコンテスト」   
・理事長親子が
 采配を振るっていた頃        … 「検定協会、 良く出来た内容です」
                     「ぜんざい三杯の誘惑に負けた」
                                            「お金の貸し借りは現金です」
・理事長親子が
 収賄・横領の疑いで辞任      … 「検定協会、 欲で汚いようです」
                    「全財産倍の誘惑に負けた」
                                       「お金の貸し借りは厳禁です」
 「深くお詫び申し上げます」 → 「不覚お詫び申し上げます」 
 
○エントリー作品から
「500円でおやつ買え」 → 「500円で親使え」
「言わなくったっていいじゃん」 → 「岩魚食ったっていいじゃん」
「帰省中で渋滞だ」 → 「規制中で渋滞だ」 → 「寄生虫で重態だ」
「助走は出来るだけ速く」 → 「女装はできるだけ早く」 
「正解はお金」 → 「政界はお金」
「根気よく待ったかいがあった」 → 「婚期よく、待ったかいがあった」
「私と居てください」 → 「渡しといてください」
 
 
678 【吉村外喜雄のなんだかんだ】  
~ことば遊び~ 「落語・ぞろぞろ」
 
落語の値打ちは、噺の面白さと”落ち”で決まる。
最後の”落ち”で、噺を何倍も面白くし、 味わい深いものにしてくれる。落語フアンにはそこがたまらないのです… 「ぞろぞろ」は、そんな噺です。
 
♪浅草田圃の中ほどに、小さな寂れた稲荷の祠。
すぐ近くに流行らない茶店があった。
ある日、その茶店の主人が、お稲荷さんにお参りをして帰ってくると、 まもなく夕立になった。珍しいことに、客が飛び込んできて、雨宿りをした。
 
雨も上がったので、店を出ようとした客が、道がぬかっているので… 主に「わらじはないかい」と訊いた。
主は、一年前から一足売れ残っている、天上からぶら下がっているわらじを薦めた。
「いくらだい?」『八文でごぜえやす…引き抜いてくださいまし…』
客は八文置いて、わらじを引き抜いて履き替え、店を出ていった
と…また客が入ってきて「わらじをくれ…」
『一足残っていたわらじ…今しがた売れたところで…もう有りません』
「なにを言ってんだい…一足ぶら下がっているじゃねえか…」
 
『あれッ?』と思いつつ…売った。
客は八文置いて、わらじを引き抜いて履き替え、店を出ていった
と、またもや客が…断わると…客は
「なに言ってんだい…一足ぶら下がっているじゃねえか…」
主はまた『あれッ?』と思いつつ…売った。
 
よくよく見ると、客がわらじを引き抜いて、履いて店を出て行くと、
天井裏から新しいわらじが、ゾロゾロッと下りてくるのだ。
「こりや、稲荷のご利益に違いねぇ」と大喜び。
これが口伝に伝わり、評判となって、毎日毎日えらい行列…
 
と、この店の向かいの流行らない床屋。
「近ごろはとんと客が寄り付かなくなった…それに引き換えなんでぇ… あの茶店の人だかりは…」
 
親方、主から”ぞろぞろわらじ”の話を聞かされて、 お稲荷さんへすっ飛んでいった…「床屋もわらじのように、ゾロゾロ繁盛しますように…」 と拝んだ。
店に戻ってみると、珍しいことに客が待っていた…
 
「急いでいるんだ…ヒゲをやっておくれ…」
ありがてえ…早速ご利益様々だ。この客が帰ると、後から、後から新しい客がゾロゾロ…その客が帰ると、また新しい客がゾロゾロ…
『ゾロゾロ、ゾロゾロ客がやってくるなんて、こんな嬉しいことはねぇ…』
親方は腕によりをかけて、客の顔をツーッと剃ると…
あとから、新しいヒゲがゾロゾロ…
                               三遊亭円窓「五百噺ダイジェスト」から

2009年07月06日

ヨガの薦め

「不況克服の心得十ケ条」    松下幸之助
 
 1. 「不況またよし」と考える
 2. 原点に返って”志”を堅持する
 
 3. 再点検して、自らの力を正しくつかむ
 4. 不退転の覚悟で取り組む
 
 5. 旧来の慣習・慣行・常識を打ち破る
 6. 時には一服して待つ…
 
 7. 人材育成に力を注ぐ
 8. 「責任は我にあり」の自覚を…
 
 9. 打てば響く組織づくりを進める
10. 日頃から、なすべきことをなしておく
 
 
679 【心と体の健康情報】
「ヨガの薦め」
 
世の中のスピードが増して、便利になっていく中、 あらゆる情報が時空を越え、伝わってくる…毎日が慌しく目まぐるしく過ぎて行く… 仕事は忙しく、の経あまりにも早い。 もっとゆっくり、 シンプルに生きたいものです。そんな思いしてくれるものに” ヨガ”がある。
 
朝5時、太陽が山から神々しく顔を出す…その太陽の光を浴びて”ヨガ”をやる。 両足を揃えて立ち、大地を踏みしめる。お腹を引っ込め、 さわやかな空気をっぱい吸って、両手を天に伸ばす…静かに息を吐き、 合わせた両の手を顔面ろしてくる。
 
太陽を拝み…しばしそのまま、 降りそエネルギーを浴びて、
今日の始まりに感謝する。 10分間ヨガで体がほぐれる… 身体の細胞が生き生きしてくる…毎朝のです。
 
インドでは古来、”ヨガ”は出家した修行者たちによって伝えられてきた。 修行者は世俗を離れ、 自分の内面と向き合い、 厳しい修行の積み重ねによって、 ヨガのを今に伝えてきた。
 
ヨガで大切なのは「吐く・吸う・止める」の” 呼吸法”、そして”瞑想”。 の中心をなす呼吸は、目に見える身体と、 見えない精神を結ぶ役割を担っている。私たちは嬉しい時、楽しい時、くつろいだ気分の時…ゆっくりと呼吸します。怒っている時、恐れている時は、呼吸が激しく乱れます。
ヨガを体得した人は、呼吸をコントロールすることを覚えるという。
呼吸がコントロー出来たら、意識もコントロール出来るようになる。
ヨガを体得すると、「身体と呼吸と意識」を調和させることが出来るようになる。そして、どんな時でも冷静で、幸せいられるようになるのです。
 
およそ二千年前に書かれた、ヒンドゥーの聖典バガヴァッド・ギターの第六章に、 「ヨガの定義」が記されている。
 
「ヨガとは、どんなことにも動揺しない意識の状態をいう。
風のないに置いた灯火が、けっして揺るぐことが無いように、
ヨガをめた人は、心をしっかりとコントロールすることができる。
また、大きな困難に遭遇しても、動揺することなく、すべての苦し
から解放される。それが、ヨガと呼ばれるものである。
このヨガを、ひるむことなく、 決然と修めよ」
 
苦しみから解放してくれる”ヨガ”…ブッタもキリストも皆”ヨガ”をやった。
「”ヨガ”を会得すれば、健康で幸せになるだけでなく、 周りの全ての人や生き物に立てる」と、ヒンドゥーの高僧は、世界の人々に語りかけるのです。
 

2009年07月10日

思い込み

■人は”見てくれ・外見”で判断される
 
昭和三十年代に「アジャパー」で一世を風靡した、コメディアンの”伴淳三郎”氏、 某民放TVの企画にのって、乞食に身をやつし、銀座の老舗Mデパートへ…店内ですれ違う客、誰一人、その乞食が有名なコメディアンだとは気づかない。
 
顔をしかめ、脇へそれる。入店間もなく、店員がやってきて、外へつまみ出して]しまった。某TV局、その一部始終を、 隠しカメラでお茶の間に流た…
何故か、忘れずに覚えている。
”見てくれや外見で相手を判断してしまう”ことは、誰にもあることです。
 
ヨーロッパのレストラン…初めてのお客さまは、履いている靴を見て判断する。
磨いてない靴は「怠慢」、古い靴は「懐具合の貧しい人」…のように見るのです。
アメリカでは、歯並びや白い歯を見て判断する…
 
このように、第一印象が人物評価に大きく影響するのです。
 
 
680 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「思い込み」
 
ゴルフ、スキューバーダイビングと…年中アウトドアースポーツを楽しむ私は、 日焼けをして真っ黒。
最近は、幼稚園児が遠足に出かける時、紫外線を避けるためと、 ツバ広の帽子をかぶせ、子ども達を日差しから守ろうとする。
私たちの子どもの頃は、夏休みが終わると、みんな真っ黒になっていたのに…。
 
紫外線を浴びるとガンになるというのは、本当だろうか?
そうなら、漁師やお百姓さん、スポーツ選手のガン発生率が一般人より高いはず?
イギリスや北欧では、皮膚ガンになる人が多く、紫外線には神経質である。
イタリアやギリシャでは、問題になっていない。毎日、 太陽の光を浴びている人達はガンにならず、日差しが弱い地域に住む人達が、 ガンに弱いのです。
 
痩せた人、普通体重の人、やや肥満の人、肥満体…最も健康で長生きするのは?
厚生労働省が、上記4タイプを10年間追跡調査したところ、「やや肥満」の小太り… 私のようなタイプが、最も健康的で病気になる比率が低かったという。
痩せてカリッとした人が長生きする…というのが一般常識です。
調査では、糖尿病りやすい人の一番は「痩せた人」 で、
次いで「肥満体」という果が出た。
 
何故?…人の脳…体重の2%しかない脳が、体内のブドウ糖の
25%を消費する。
痩せている人は、体内のブドウ糖が脳に取られてしまい、 その他の器官のブドウが慢性的に不足し、糖尿病を誘発するのだという。
美しく見られたいと、カロリー制限してダイエット…でも、 痩せ過ぎは健康に良くないのです。脳に栄養が回らないと、様々な病気を引き起こすし、 寿命に影響するのです。
 
磯で遊ぶ楽しみの一つに、タコ獲りがある。タコが潜んでいないか、 1メートルくらいの浅瀬の石ころのすき間を、シュノーケリングをしながら覗き込む。探し回って、ようやくタコを見つけても、道具がなければタコは獲れない。
 
あらかじめ用意した、赤い布切れを先端に結び付けた棒切れで、 タコが潜む岩穴の入り口で、ひらひら、ひらひら…タコはエサの子魚と勘違いして? 赤い布切れを掴もうと穴から出てくる…そこを捕まえるのです。
 
犬や牛から見える世界は、すべてモノクロ…カラーではなく、 見える世界はすべて白黒なのです。スペインの闘牛士は、赤いマントをひらひらさせますが、 牛は赤い色を見て興奮するわけではありません。
 
「赤い布が牛を興奮させる」と、てっきり思っていただけに…驚きです。 何色であれ、牛には関係ないのです。そうとは知らず、 「生き物は赤い色を見て興奮する」と、思い込んでいたのです…。
 
ニワトリや山羊の鳴き声が、国によって違って聞こえるように、 私たちが見る色も、国が違えば違った色に見えるようです。
アメリカ人が「オレンジ色」と言っている色は、日本では「茶色」になります。
日本人は、十人が十人、太陽は”赤い”と思っている。
ところが、フランス人やアメリカ人には、太陽は”黄色”に見えるのです。
日本の子どもは絵を描くとき、太陽を赤く塗り、月を黄色く塗ります。
アメリカの子どもは、太陽を黄色く塗ります。だから日本人は、 アメリカ人が描いた太陽を、月だと思ってしまう。アメリカやフランスでは、月の色は”白” になる。
 
このように民族によって、違った音に聞こえたり、違った色に見える… ということは、友人であれ、異性であれ、人それぞれ、 見るものも聞くものも違って見えて当たり前…考え方も違って当たり前… ということになります。

2009年07月13日

伊達政宗/引越しの心得

今日のことば
・地球温暖化を考えるとき…
 「一人の目覚めが 百人におよび、百人の目覚めが 千人におよび、千人の目覚めが 万人に そして社会全体におよぶ」
                                               松下幸之助
 「うまくいかぬから、望みを失うのではない。
  望みをなくするから、崩れていくのである。
  見かけが良く見えたり、悪しく見えたりするのは、
 ただ表面の変化であり、 一時のきまぐれで、
 かえって面白いことである。
  それは、すでに大きく伸びるための一時の屈曲であり、
 高く昇るためのふんばりである」
                                    「万人幸福の栞」          
    
681 【心と体の健康情報】 
~歴史から学ぶ
「伊達政宗/引越しの心得」
先週日曜のNHK大河ドラマ「天地人」に、東北の暴れん坊”伊達政宗”が登場した。
秀吉から景勝に書状が届き、「勢力を拡大する伊達を打て!」との命。
兼続が正宗に対面し、「力では人の心はつかめない」、 戦いをやめるよう説得…そんなシーンがあった。
 
戦国時代、仙台藩の基礎を築いた伊達政宗…都から遠く離れたにありなら、武田や浅井・ 朝倉がそうであったように、時代の変化を見誤ることなく、様々を克服・乗り越えて、確固たる地盤を築き上ることができた、戦国大名である。
 
その伊達政宗、 家臣に引越しの心得」を厳しく教えている。
「国替え、屋敷替えなどの時は、家の中をすみずみまで掃除して、チリさえもさぬようにしてから、 立ち去るべきである。
また、破損所は修理し、れた壁は塗り直してから、 次の人に渡すべきです。
 
 それは、後からいろいろと非難を受けることを避けるために、 大切ある。武士の名を傷つけないように、常に心がけなけれぱならない。 もし、父子、 兄の間で屋敷を譲る際に、 このような問題があったなば、 他人相手よりも恥ずかしいことです」
 
戦場で勇ましく戦うだけが、武士の名誉ではなかったのです。
他人に迷惑をかけない
整理整頓に心がける
借りたものは、 元の状態に戻してから返す
これらは、武士の心得として、幼少の頃から厳しく教え込まれたのです。
戦場で命がけの働きをしようとする者は、 普段の心構えが出来ていなければならない。当たり前のことを、きちんとやれない者が、 いざ戦場で手柄を立てようなど、無理というものです。
                           木村耕一著「こころの朝」より
 
余談だが、伊達政宗といえば「だてこき」がある。しゃれっ気に溢れたいきな人、派手な装いを好む洒落物のことを言う。この言葉に象徴されるように、相手の心のをつかむのがうまく、また、世の中の情勢を見極めることに長けていた。
 
秀吉に仕えていたが、関が原では家康側につき、 仙台藩62万石の大名ている。細かいことに気を配り、 一つとしておろそかにしない、正宗の用心深さが、 戦国の世をみごとに渡りきっていく要因になるのです

2009年07月17日

「剣岳点の記」を鑑賞して

■「剣岳点の記」映画化構想のきっかけ

旧国道8号線を呉羽から富山市に入る時、小さな峠を上り下りする。
峠に差しかかると、富山市街が前方に見えてくる。「オオ~ッ」と声を発するくらい、
市街地の後ろに屏風のようにそそり立つ立山連峰…雄大な景色が目に入ってくる。

自然撮影では第一人者のカメラマン"木村大作"さんが、「剣岳点の記」映画化の
構想を思い立ったのは、2006年の2月。車にカメラを積んで、ふらり能登半島を
訪れた時に始まる。その帰りに、フッと思い立って、剣岳の雄姿を見に行った時だという…。
剣岳を見ながら、その場で新田次郎の原作を読み返し、「無理だとは思うが、
この山と対峙して映画を作ってみたい」との思いが芽生えたのです。

脚本作りを始めた木村大作…この年の6月、室堂から別山へと登った。
別山から見た剣岳…こみあげてくる感動を、映像に収めたいと思った。

7月末、今度は剣岳頂上を目指した。木村大作は68歳。自分が登れば、
若いスタッフや俳優たちもきっと登れる…その思いを込めて頂上に立った。
山頂から電話した…「トラ、トラ、トラ」。ここから本格的映画化がスタートした。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 682
「剣岳点の記」を鑑賞して

剣岳点の記パンフレット先週の土曜日、日本地図完成のために命を賭けた男たちの物語、「剣岳点の記」を鑑賞した。
この映画の原作は、「八甲田山死の彷徨」 「武田信玄」で知られる"新田次郎"

「八甲田山」「鉄道員(ぽっぽや)」「火宅の人」などの作品で、日本人の心と自然を撮り続けてきたカメラマン"木村大作"さん…
日本で自然を撮らせたら「木村さんが一番」と言われている。

当時、木村さんは67歳、2006年の夏、51年の映画人生全てを賭けて、
「剣岳点の記」の映画作りを始めた…初めての監督作品に取り組んだのです。
そして、雄大で芸術性の高い山岳映画が完成したのです。

以前、木村さんが撮影した「八甲田山」は大ヒット。あの映画は全て
極寒の山中での撮影で生まれた。今回の作品も、全部現場に入り、
本物の場所で撮影する。しかも、ヘリコプターからの空撮はやらない。
全て自分の目線で撮っていく…企画・脚本・撮影・監督全て自分でやる…と、
木村監督の固い決意。

監督は、俳優・スタッフを次々と決めていった。面接の時…
「この映画はかってない厳しい撮影になる。機材や荷物はスタッフ
自身が背負って、歩いて運ぶ。泊まる場所も、何十人も詰め込まれて
眠る山小屋だ。しかもそれが何十日も続く。この条件に耐えられるか?」
その条件を受け入れて、共に山へ登る覚悟をした者が、彼の回りに
集結していった。

立山連峰の雄大な景色、息を呑む美しさ、立ちはだかる剣岳、
厳しい自然を背景に、お金でもなく、名誉でもなく、ひたすら
自らに課せられた仕事への誇りをかけて、苦難に立ち向かって行く人々の物語。
その姿が、映画を作る作業と重なって見えてくる…。

撮影は、天候がらみの一発勝負だ…撮り直しがきかない。一刻一刻
変化していく山の風景。場面は、その一瞬の風景が切り取られ、
ドラマになっていく。

映画は、剣岳・立山連峰各所の山々に、100年前の史実に沿って、
三角点を設置していく姿を、忠実に再現…四季折々美しく、或は
荒々しく変化する大自然…想像を絶する、厳しい大自然に挑む人たち
の姿を、延べ200日を費やし、標高3千メートル、氷点下40度の中
でのロケーション…。
あまりの厳しさに俳優たちは「これは撮影ではない、これは行だ!」
と言った。
音楽は、木村監督自ら選曲した、クラシックの名曲の数々…
ヴィヴァルディ「四季」や、バッハの名曲が全編を彩り、自然と人間が
織り成す壮大なドラマが盛り上がっていく。

上映時間2時間20分…日本人の"心"の物語である。
この作品から、今は失われつつある"日本人魂"が、映画を観る私
たちの心を打つ。
撮影中のスタッフから、「自分たちは日本一凄まじい、すごい現場に
いるんだ」という、誇りが感じられる…映画を観る私たちにも、それが
伝わってくる。
感動の大作だ…これほどに美しく、また雄大で、人の心を打つ山岳
映画は過去に例がない…日本映画史にその名を残すだろう。

「剣岳点の記」カタログから抜粋

2009年07月21日

後始末の心得

■「引越しの心得」
戦国大名・伊達政宗は家臣に 引越しの心得」 を厳しく教えている。
                              (メルマガ681号)
「国替え、屋敷替えなどの時は、家の中をすみずみまで掃除して、
チリさえも残さぬようにしてから、立ち去るべきである。
また、破損した所は修理し、崩れた壁は塗り直してから、次の人に渡す
べきです。
それは、後からいろいろと非難を受けることを避けるために、大切である。
武士の名を傷つけないように、常に心がけなけれぱならない。
もし、父子、兄弟の間で屋敷を譲る際に、このような問題があったならば、
他人相手よりも恥ずかしいことです」
    

【心と体の健康情報 - 683】
~幸せな人生を歩むために~
「後始末の心得」

「今週の倫理」617号 「後始末を習慣化させ、けじめのある生活を」を転載します。
 「 事、 未だ成らず、 小心翼々
    事、 まさに成らんとす、 大胆不敵
     事、 既に成る、 油断大敵          」
「実行前は、細心な研究・調査・計画のもとに充分な準備をする。その際には、 あたかも"小心"と思えるほどに行なう。 実行段階に至っては、 一切の不安をて、 一気呵成に行なう。 そして、 成就の後は油断せず、緊張感を持続する」  
江戸時代末期、幕臣として活躍した勝海舟が遺した言葉で、 大事に当たっての構えを述べたものです。 中でも実践が難しく、かつ銘肝すべきは、「事、 既に成る、油断大敵」と、後末の重要性を説いている箇所ではないでしょうか。
「勝って兜の緒を締めよ」 「立つ鳥は跡を濁さず」等、物事や心の後始末の大切を説いた教訓は色々ある。 それらが示唆するように、 人は物事がスムーズ進むと、 つい気を抜いたり、最後の詰めが甘くなったり、 確認を怠ったりして、 逆に招いてしまいます。
大きなイベントのお世話を引き受けて、懸命に取り組み、大成功を収めた後、 一緒に手伝った仲間への気配りを怠ったために、 周りからよく言われず、努力が報われない などといった事例、よくある話です。
取り組んでいる仕事が一段落して、これで完了したと思っても、いま一度、 点検業を徹底する必要があるのです
後始末を実践するポイントとして、次の三点が挙げられます。
<1>間髪をいれずに、 すぐに行なう
後始末をする時、まず大切なのは「間髪を入れずに速やかに行なう」 こと。
一息入れたり、間をおいてからでは、緊張感が途切れたり、 おっくうになったりて、
結局はやらないようになってしまうのです。
<2>感謝を込める
後始末は、形だけではなく真心を込めてやらなければなりません。
次回開催に供えて、 使用した道具・グッズの後始末はもちろんのこと、
お手伝いいただいた方や、お客様に対しても、 機会を見て お礼の訪問をしたり、
お礼状を
送るなど、手抜かりなくやっておくことです。
<3>"気"を抜かない
先に述べたように、気の緩みや油断が失敗や事故につながります。
最後まで集中力を途切らせずに、パーフェクトを目指しましょう。
      
後始末は、単なる後片付けではなく、物事のけじめであり、「感謝の気持ち」 を表る"時と場"でもあります。さらには、 終点であると同時に、次回につながる発点にもなります。
後始末することが習慣化すると、「この機をのがさず」という、 前向きな姿勢が磨かれ、 次々と小さな成功を手にするようになります。
積小為大」…日頃から、 事の大かわらず、 「後始末」 をおろそかにしないような取り組みをしていきたいものです。

2009年07月23日

近江商人の三方よし

■近江商人の「陰徳」
 
百姓の身分から大豪商になり、「陰徳」に励んだ近江商人”松居遊見”
遊見は、誰よりも早く起き、粗食、粗末な家、木綿の着物と…質素な生活をし、
陰徳を積むことを何よりの喜びとした。
そうして、無駄をはぶいて蓄え、貧民に米や物品を与えて救済…社会に還元した。
 
ある日、千両箱を背負った手代と、箱根峠にさしかかった。
夜もふけ、うっそうと繁る森の中…二人の山賊に出会った。遊見はひるまず、
「すまぬが、この荷物、ふもとまで運んではくれまいか?駄賃は弾む…」
引き受けた山賊、背負ったとたん「これは千両箱」に違いないと、直感した。
案の定、1人は途中で逃げた。追おうとする手代を、遊見は引きとめ…言った。
 
「どうせ、賭博か女に入れ揚げて、無駄遣いしてしまうだろう…
 そして、働くことを知らぬまま、一生を台無しにすることだろう」
 
残った山賊、それを聞いて驚嘆した。五個の千両箱を、荘の邸宅まで運んだ。
遊見は、この山賊の律儀さを見込んで、商道を学ばせたところ、よく精進して、
大坂店を委せられるまでになった。
                            泉秀樹「近江商人に学ぶ」から
 
684 【吉村外喜雄のなんだかんだ】        
~歴史から学ぶ~ 「近江商人の三方よし」
 
衆議院が解散された。小選挙区制になって15年…ようやく、 2大政党がい合い、国民が政権政党を選択できる、 歴史に残る選挙になった。
反面、地元や一部組織の利益を代表する政治家ばかりが目につき、 真に国家の将来を憂い、 活動する政治家がいなくなったように思える。
 
江戸から昭和初期にかけて、近江商人の次男・三男は、 十歳のごろに丁稚奉公に出された。
奉公先で寺子屋に通いながら働き、行儀見習いをした… 映画「てんびんの詩」が思い浮ぶ。元服後の十六歳のころ、手代に昇進。番頭の指図で出納・ 記帳を覚え、お得意様周りをして、 一通りの商いを覚え、一人前になっていく。
 
三十過ぎるころ番頭になり、奉公人の指導・監督にあたり、 店の経営を委されるようになる。やがて別家して屋号を分与され、独立する。 事業が成功すると家業の繁栄を願って、”家訓”を定めて隠居する…そんなパターンが多かった。
 
近江商人の家訓は、「倹約・堪忍・堅実・ 勤勉・正直・知足・寛容」を旨とし、中でも、 人知れず社会に貢献し、報恩の気持ちをあらわす「陰徳の精神」は、家訓の中に繰り返し登場する。
公共に貢献しない商人は、近江商人と呼ばない…そんな風潮があったのです。
 
その近江を代表するものに、「三方よしの精神」がある。
「売り手によし」「買い手によし」「世間様によし」… 「他国で行商するからには、我が事のみに走らず、其の国の人を大切にして、私利を貪ること勿れ」
この言葉を家訓にした中村治兵衛は、”麻布”を信州に行商し、帰りに麻原料入れて製品化し、また、 それを行商して歩いた。
 
滋賀県を本拠地に、天秤棒を担いで他国に出かけ、商品を売り歩く近江商人。
行く先々で大切にされることが、商いには不可欠だった。豪商になったとしても、 「1人勝ち」は禁物だったのです。
呉服商として成功した塚本喜左衛門家の家訓には、 「積善の家に必ず余慶ありとある。これも 「1人勝ち」に対する戒めである。
 
おごれる者は久しからず」 のことばを座右の銘にした松居遊見は、百姓の身分ら大豪商になった… 「陰徳善事」に励んだ商人です。
畿内・尾州・遠州から仕入れた繰綿、麻を、信州・上州・江戸へ持ち下り、生糸・ 綿布、紅花などを信州・奥羽から仕入れて、京阪・丹後・近江に売って商った。
 
江戸時代、商人の行動範囲は藩内に限られていた。しかし近江商人は、 行商をて全国各地を巡っていた。幕藩体制を乱す存在にもかかわらず、 藩から締め出し食うことはなかった。各藩の名産品を他藩へ運び、 広げていったのが近江商人…各藩から、歓迎される存在だったのです。
行商先の土地での経済貢献こそが、「世間によし」であり、 近江商人が各藩でを許される、最大の理由になったのです。
 
藤野四郎兵衛は、蝦夷の産物を全国に流通させ、急成長。松前藩から、 名字帯刀を許され、藩の御用商人になった。 四郎兵衛が納める運上金は、松前藩の出納総額の四分の一を占める至ったというから、四郎兵衛は、名実ともに大商人だったのです。
 
1836年の天保の大飢饉では、豪壮な屋敷を普請して窮民に仕事を与え、 窮民を飢饉から救済しようとしている。 これも「陰徳」 「世間によし」の、近江の商人の表れである。   泉秀樹 「近江商人に学ぶ」
最近の世相を見ると、私腹を肥やし悪事を働く商人は後を絶たず、保身のために国民を欺き、 政治家は、己の政治生して、 国家の将来をうこと少なく、ひたすら”自利” に走るので、 徳の精神がうかがえない… ああ~嘆かわしい。

2009年07月27日

今日を大切に出来ない者に、未来はない

■「道をひらく」               松下幸之助
 
いま立っているこの道  いま歩んでいるこの道
ともかくも この道を休まず歩むことである
自分だけしか歩めない 大事な道ではないか
自分だけに与えられている  かけがえのないこの道ではないか
 
他人の道に心奪われ  思案にくれて立ちすくんでいても
道はすこしもひらけない
道をひらくためには  まず歩まねばならぬ
心を定め  懸命に歩まねばならぬ
 
それがたとえ遠い道のように思えても  休まず歩む姿からは  
必ず新たな道がひらけてくる  深い喜びも生まれてくる
 
                  
 
685 【心と体の健康情報】
~幸せな人生を歩むために~
「今日を大切に出来ない者に、未来はない」
 
以下、人生の書、禅僧・関 大徹著「食えなんだら食うな」からの抜粋です。
 
若者にとって「未来は宝」である。 未来という宝を持っているからそ、 若者の輝かしさがあるといってよい。
若者は、ただ若いというだけで、人を惑わせるほどのエネルギー持っている。 だからといって思い違いをしてはいけない。
若者が未来という宝を持っているといっても、必ずしもそれが色であるという保証はどこにもない。
 
この頃は、冷ややかに未来を見つめる若者が多くなった。
むしろ、その方が多いであろう。そういう時代になってきた。
若者が将来を夢見なくなった。
 
一流大学出たから、将来がバラ色に保証され、又、 二流大学をたら、それなりに、 そこそこ歩んでいけるものでもない。
学歴が無らお先真っ暗というものでもない。
この世は「諸行無常」である。 将来の保証など何もない。
 
若者にかぎらず、人はみな「明日」がわからない。
明日、どうなっているかわからないが、仏法の法則に従えば、 の自分は、前世ら昨日に至るまでの、長い長い” 業(ごう)” の積み重ねの結果が表ているのであり、明日は、今日までの”業”の成果である。
明後日は、さらに明日の”業”が加わってゆくであろう。
 
先祖代々生まれ変わり、死に変わりしていくうちに、 「善因は善表れ」、「悪因は悪果に表れる」 。今日、いいことがあるのも、去に蒔いたタネの果実である。今日、 慢心を起こして、人を悲しませたりしていると、やがて、いつ日にか、 自分に報いとなって返ってくるであろう。
 
私は、成人式などの人前でお話をする機会に恵まれたとき、「むやに未来に幻想を抱くのではない」と、 たしなめることにしきた。
「未来を思うなら、今日一日をより善き人間として生きよ」きた。今日一日を大切に生きてこそ、若者にとって、未来が本当の「宝」になるのである。
 
一日一生」という言葉が好きだ。 明日のことをあれこれ思い悩む前に、今日一日切にして、精一杯生きる。 明日になれば、今日という日はない…
過ぎ去った去にってしまう。その繰り返しが人生なのだ。
 
パソコンは、使っている内に、だんだん作動が遅くなってきて、重く感じられるようになる。 そこで、ディスク・ ディフラグを開いて「最適化」する… バーのすき間を左側に圧縮して、 入力空間を広げてやるのだ。
 
人生もそう…過去の様々な出来事が、年月とともに記憶がしだいに薄れ、思い出せなくなる…忘れてしまうのです。その分、人生が圧縮されて、く感じるようになるす。

2009年07月30日

江戸小噺・二題

ことば遊び「駄じゃれ」
 
落語には、酒飲みを扱ったものが沢山あります。「試し酒」は、大酒飲みが五升の酒を一気飲みする、すごく面白い落語です。 その中に出てくる駄洒落。
 
「相撲に負けて高下駄履けば カッタカッタと音がする」
「お酒のむ人花ならつぼみ 今日も咲け咲け(酒酒)あすも咲け(酒)」
これは畳語としても紹介しました。
 
・駄じゃれではないが、聞き違えたために大騒動になった話…
飛行機の中で、アメリカ人…思わぬ場所に友達が乗り合わせているのを見て、
ハァイ!ジャックと、友達の名前を呼んだ。
 
隣の席でうつらうつらしていた日本人…突然の大声にびっくり勘違いして…
ハイジャックだァ~と叫んで、 機内騒然となった…本当にあった話です。
 
 
686 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~ことば遊び~  「江戸小噺・二題」
 
■夕立屋
「暑いねぇ、こういう暑い日には、 一雨ザーッと来てくれるとありがたいんだけど…」
夕立屋『え~夕立や夕立、え~夕立や夕立』
「なんだい、あの夕立屋ってのは、雨を降らそうってのかな。
面白い、呼んみよう…おお~い、夕立屋」
夕立屋『へい、毎度ありがとうございます』
 
「お前さん、夕立屋ってぇくらいだから、雨を降らせるのかい?」
夕立屋『へぇ、さようでございます』 
「「へぇ~、で、いくらなんだい」
夕立屋『へぇ、これはもうほんのおこころざし程度で結構でございます」
「そうかい、じゃさっそく、三百文ほど降らしてもらおうか」
夕立屋『へぃ、かしこまりました」
 
なんてんで、男はしばらく呪文を唱えておりましたが、 やがて雨がザーッと降ってまいりまして…
「おや、お陰で涼しくなったよ、だけど、こうして雨を自由に降らせたり、 止ませたり出来るなんて、お前さん、ただ者じゃないね」
 
夕立屋『はい、実は私は…空の上に住んでおります、龍でございます』
「なるほど、道理で不思議な術を知ってなさる。だけどね、 お前さん、夏暑いは、こうしてお前さんが、 雨を降らしていれば商売になるけれど、冬、 寒くなったら、商売はどうするんだい?」
 
夕立屋『へぇ、寒くなりましたら、倅の子龍(炬燵)をよこします』
 
おすわ
あるお代官の屋敷で、粗相をした女中の”おすわ”、 代官に切り捨てられまして、井戸へ投げ込まれてしまいまして…
ところが、その次の日から、井戸のある庭先で、夜中になると、
ばたばたっという音、そして、 火の玉がボ~ッと障子に写りますと…すすり鳴くような声で、 「おすわど~ん…おすわど~ん」と声がする。
 
代官、すっかりおびえてしまいまして、屈強な浪人者を雇いますと、 この幽霊退治を命じました。
浪人者が、庭に面する部屋の中で、こう待っておりますと…
夜中、ばたばたという音がしたかと思うと、 障子に火の灯りがボーッと写りまして、「おすわど~ん… おすわど~ん」
 
浪人が、「おのれ…おすわ…迷ったか」と、障子を開けてみますと、 夜泣きソバ屋が、渋うちわで、ばたばた火を起こしながら、
「おそばうど~ん…おそばうど~ん」

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