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孔子の教え(26) 「論語に親しむ」

■”品性”が具わった日本人
 
私は 世界をいろいろ航海してきたが、欧州においてさえ、
 日本人のように落ち着いた華麗さと、威厳を持った国民に
 出会ったことがない
この、耳がこそばゆくなるような褒め言葉を、自伝に書いたのは
誰あろう、1854年に日本と和親条約を結んだペリー提督でした。
 
当時、日本の政府高官や武士は、おしなべて清貧で、威厳と
品性を身につけていた。その背景に、藩校や寺子屋で「論語」
を学ぶ、世界一高い識学率があった。
 
君子は義にさとり 小人は利にさとる」と論語にあるように、
「人の上に立つ者は、利益を追い求めるべきではない」
が、武士階級のモラルとして定着していた日本。
 
当時の日本人は、「論語」や「儒教」に描かれる理想の人物像…
人間として”徳”を具えることが、求められたのです。
これが、ぺリーが絶賛する日本人感になった。
 
何かにつけ賄賂を求め、私腹を肥やす…同じ時代、そんな汚染
にまみれた韓国。同様に権力を手にした日本の士族階級…
贅沢を慎み、清貧な暮らしを貫くことを美徳とした。
 
                     守屋淳「論語に帰ろう」より       
  
 
 
725 【心と体の健康情報】 
~古典から学ぶ~  
孔子の教え(26) 「論語に親しむ
 
日頃私たちは、中国古典とは極めて縁遠い存在にある。何かきっかけと、
学ぶ気にはならない。 私が論語に興味を持ったのは、8年前の2001
「仕事と人生」 の編者、川人正臣氏との出会いがきっかけです。
 
当時、川人さんの家では、毎朝家族全員 「仮名論語」の”素読”を行っていた。
「ヘェ~、こんな家庭があるんだ… どんな家庭だろう? どんな子育てをしている
んだろう?」と、すごく興味を持った。
る祭日、 大坂の帰りに奈良県の自宅を訪ねた。それがご縁となって、
親しいただき、論語に興味を持つようになった。
 
最初の頃は、読んでも意味が分からず、戸惑うだけ…普通ならここで、難しい                                                                                                                                  かと、 興味が失せるだろう…そこで、 書店で解説書を求めて読ん
数年後、論語のバイブル「仮名論語」の著者”伊与田 覚”先生が、 京都で                                                                                                                                      「論塾」 ことを耳にした
受講料は交通費・宿泊費込みで、年間約100円になる。
それでも、こんなチャンスはないと、申し込んだ。
 
月一回出かけ、 3年間論語を学んだ。 論語を学ぶうちに、「ビビッ」と
心に響く個所が随所に出てくる… しだいに語への興味が深まってくる。
良い語句に出くわすと、解説を開き語句意味を深めて楽しむようになった
 
学ぶ内に、論語だけでなく、四書の「大学」や 「孟子」にも興味が湧いてくる
中国古典の奥深さを知り 「論語読みの論語知らず」と言われる意味や、
怖さをうにった以下は、 論語で特に心引かれる語句です。
 
(あした)に道を聞かば 夕(ゆうべ)に死すとも可なり」 
                             (里仁第四)
吾が道は 一以って之を貫く」 (里仁第四)
身自ら厚くして 薄く人を責むれば 則ち怨みに遠ざかる
                            (衛霊公第十五)
(自分に厳しくして、人を責めることがなければ、人に怨まれることはない)
 
2年目と三年目、その年の論語塾が終了する時、レポートの提出が求められた。
それが「私が選んだ論語の一句」 として、一冊の本にまとめられ、 受講生全員に
配られた。
以下、受講生が選んだ「論語の一句」で、 特に多かったものを取り上げます。
 
学びて時に之を習う 亦説(またよろこ) ばしからずや
 朋(とも)遠方より来る有り 亦楽しからずや…」 (学而第一)
仮名論語…最初の1ページ、1行目書き出しの言葉です。
 
吾十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 
 五十にして天命を知り 六十にして耳従い 
 七十にして心の欲する所に従えども  矩(のり) をこえず(為政第二)
 
徳は弧(こ) ならず 必ず隣有り」(里仁第四)
(報いを求めず、陰徳を積んでいる者は、決して一人ぼっちではない。
  必ず思わぬところに、これを知る者がいるものだ)
 
君子は義にさとり 小人は利にさとる」(里仁第四)
 
(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る 以って師と為るべし」   (為政第二)
(古いことを尋ねて、そこから新しいことを知る者は、人の指導者になれる)

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