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安岡正篤・海老の話

■「蟹変の哲学」
 
21歳の春、16歳の時患った病が再発…隔離病棟に入れられ、
面会謝絶…見舞い来る人もなく、毎日おとなしく寝ているだけ…
有り余る時間…本を読み、ラジオを聞き、囲碁や手相を学んだ。
 
暇を持て余し、手当たり次第に何でも読んだ…経営書や心理学の
本も読んだ。
その一冊に「蟹変の哲学」というのがあった。”蟹変”とは、カニが
脱皮して成長していくさまをいう。脱皮を重ねるたびに大きく成長
していく。
人生の土台をつくるには大切な青年期…いつ癒えるともしれない
長期療養生活。生きる方向・人生の目標を見失いかけていた…
そんな頃に出会ったのが「蟹変の哲学」です。
 
病が癒え、同年代より7年遅れで社会人に…以後、蟹変の哲学は
私の心の支えに…私の座右の銘になり、行動規範になった。
 
 
754  【心と体の健康情報】  
~幸せな人生~ 「安岡正篤・海老の話」
 
以下、小野晋也著「日本人の使命」からの抜粋です。
 
人間としての深い生き方・考え方というものを、追い求めればこそ、常にそこに”脱皮” が生まれる。脱皮といえば、安岡正篤先生がよく例に取り上げた 「海老の話」がある
結婚式などのお祝いの席に出ると、そこには必ずといっていいほど、 海老が並べられている。安岡先生は不思議に思い、何人かの人に聞いてみた。
 
一説は「海老というのは高級な食材であり、 日頃たやすく食べられるものではないから、お祝いの席で出されるようになった」と答える人。
次に「海老というのは、煮るとクルッと腰が曲がる。 つまり腰が曲がるまで長く添い遂げてほしい…そんな願いと、お祝いの心がこもった料理」というのが一説。
 
だが先生…どうも納得がいかない。
ある時、日本海側のある漁村を旅したとき、 そこの漁師がこんな話をした。
「海老というのは、毎年時期が来ると必ず脱皮して、新しい殻をまとうんですよ」。それで、ハッと分かったのだそうです。 つまり、人間が成長し続ける一つの前提は「常に新鮮であること」
そして、その天地自然の理に従って生きていこうとするならば、 常に自ら脱皮し続けことが大事」なのだ… ということです。
 
殻というものは、外から見ればわが身を守るために役立つものであるけれども、 中の方から見ると、体の成長の邪魔をする。
だから、成長するにつれて、よりきな殻にしていかなければ、大きくなれないのです。それが「脱皮」 という作業のです。
 
人生というのは、自分の固まった殻の中に、いつまでも身を置くのではなくて、 殻を破りながら成長していくことを、いつも心がけていればこそ、 人間は健やかに生きられるのです。
 
■安岡正篤先生のことば
 あるがままの己に満足するか、  或いは己により高い要求を架せずにおれぬか… そこに”凡と非凡”との区別がある。非凡な人間ほど己に満で、 より高いものを求めずにおれぬものだからである
 
 
※安岡正篤(やすおか まさひろ)
東洋政治哲学・人間学の権威。陽明学者として政財界、陸海軍関係者に広く知られ、東洋思想の研究と、後進の育成に従事。 国民各層から財界リーダーまで、啓発・教化につとめ、歴代の首相から諮問を受く。昭和五十八年逝去。

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