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禅僧・関 大徹「入門の儀式・庭詰」

■日本における禅宗の歴史
 
禅宗は6世紀の初め、インドから中国へ来た菩提達磨(ボジダーマ)の
思想から起こった。
その教義は、大乗仏教の教義と変わらないが、儀礼・経典の形式的な
ところを極力排除し、仏陀の根本精神を伝えることに、重きをおいた。
 
禅においては、仏教の真髄を「般若」と「大悲」に置き、知識の習得よりも、
修行を通して得る「悟り」を重視。修行者は、その体験を通して禅の精神を
学ぼうとした。
禅宗を初めて日本にもたらしたのは、法相宗の始祖”道昭”(629~700)。
鎌倉時代になって、”明庵栄西”(1141~1215)が、中国から「臨済宗」
を、続いて”道元”(1200~1253)が「曹洞宗」を導入してから、禅宗が
勃興した。
 
 
 
792 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~
「入門の儀式・庭詰」
 
人生の書、禅僧・関 大徹「食えなんだら食うな」からの抜粋です。
 
曹洞宗「発心寺」で三年間修行した後、禅風の違う臨済宗 「正眼僧堂」の門を叩いた。
「頼みましょう」…大声で叫んだ。間をおいて、三度叫んだ。
三度目に「どうれ」と応答があり、奥から接客係(客行) が現れた。
私は、式台に横向きで腰をおろし、両手をついて、 額をくっつけて名乗りをあげ、当山で修行をしたい旨告げた。
 
「当僧堂は、ただいま満衆である…早々に立ち去りなさい」
客行はそう言い捨て、 立ち去った。一時間ばかりして再び現れ、「まだ居るのか」と毒づいた。
「おまえのようなものは勤まるまい」とも言った。 「既に修行に入ってしまっている今頃、のここ出てくるのは何事か。その上、到着時刻は過ぎているし、 装も法のごとくでい」
 
あとでわかったことだが、修行が始まって半月も遅れてやってきて、 到着時刻早朝とされているのに、 八時だった。
出かける前に住職が知らん振りして、教えてくれなかったのだ。
昼になった。客行が現れて、昼食だけはとらせてやるから、 済みしだい立ち去ようにと告げ、 台所の片隅に案内された。
 
午後、再び式台で同じ姿勢をとった。時々客行が来て、 嫌味を言っては奥に消えた。 そういう姿勢を保持することは、既に限界に達していた。 横座りの姿勢で、骨格と関節をねじり続ける姿勢。首は充血し、肩は痛み、 体全体がしびれて、まったく生きた心地はない。
 
夕刻になった。奥の方から庭に向かって掃除が始まった。
私は邪魔だとわかっが、動かなかった。相手のことなど構っておれないのである。 この難関を通過できるかどうかの瀬戸際なのである。
「退け!」と、鋭く叫んで、手にしたほうきで私の頭を小づいた。
体中に電流がた。不思議なことに深い感動を覚えた。
なんという尊い所へ来たのだろうと思った…。                                      
 
- * - * - * - * - * - * - * - 
タイ国では、成人男子はすべて、一度仏門に入らなければならない。
韓国にも兵役がある。 日本にもは兵役があって、若者はそこで鍛えられた。
「鉄は熱いうちに打て」と言う…肝の坐った男らしい男…いわゆる日本男児育てるには、 一度はこのような試練を経験することだろう
 

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