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入団当初の長嶋茂雄、王貞治

■天皇賜杯
 
大相撲夏場所で優勝した白鵬…天皇賜杯が貰えず、 悔し涙を流した。
アマチュアスポーツ、全国競技の多くに天皇杯がある…
都道府県対抗の国体、駅伝、サッカー、テニス、陸上競技、水泳、
体操、弓道、剣道、卓球、バスケット、バレーボール、 レスリングetc
 
プロ野球には天皇賜杯がない。天覧試合は、公式戦では昭和34年
の巨人阪神戦…後にも先にもこの一戦のみ。
試合展開は、後に伝説の試合となる、まれに見る熱戦となった。
 
昭和天皇は、公式戦以外にもう一戦観戦している…
昭和41年の日米野球…全日本選抜は、ロサンゼルス・ドジャースに
11対3で快勝した。巨人は堀内投手が先発し、長嶋選手はこの試合
でもホームランを放っている。
 
 
811 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「入団当初の長嶋茂雄、王貞治」
 
今年の文化勲章受章者が政府から発表されました。 合わせて文化功労者も選ばれた…王貞治さん、 吉永小百合さん、そして漫画家の水木しげるさんの3名です。
ブロ野球界からは、川上哲治さん、長嶋茂雄さんに続く栄誉です。
 
長嶋茂雄選手は、立教大時代に六大学・ 8本の本塁打記録を持ち、昭和33年巨人に入団した。入団するや、 打点92、本塁打29本の「二冠」を奪取。
打率は3割5厘2位… 三冠王にあと一歩に迫る活躍で、「新人王」を獲得した。
 
天才スターの登場である…長嶋選手がグラウンドに立つだけで、 ファンの心をわしづかみにした… すべてがダイナミック…走ればカモシカ… 明るく躍動感がり、 太陽そのものである。
天性のバッティングで、どんなに体勢が崩れても、 バットの芯で球をとらえた。
 
一方の王貞治…昭和34年、甲子園優勝投手として、鳴り物入りで巨人に入団。 直後のキャンプで、早々に投手失格を言い渡され、 打者転向を命じられた。しかし、内角高めが欠点の王…
 
1年目の昭和34年は、1割6分・7本塁打。初打席から26打数ノーヒットだった。 2年目は、2割7分・17本塁打と、まずまずの成績だが、101個の三振の山。
3年目も低迷…即戦力と期待されたアイドルの、三年間の姿です。
 
34年の天覧試合で、サヨナラ本塁打を放った長嶋選手は、 神話となって今も継がれる。この試合で、入団一年目の王選手も、 小山投手から同点本塁放っいる…ONアベック本塁打第一号であることは、あまり知られてない。
 
天覧試合で巨人が勝利したのは、王選手の活躍も忘れてはならない… なのに印象がは、長嶋選手が本塁打を2本打ち、その一本が衝撃的サヨナラホーマーだったことにある。
 
長嶋選手は、昭和49年に引退するまで、本塁打王2回、 打点王5回、首位打者6回と、 輝かしい戦績を残した。王選手と共にONコンビを組んで巨人”V9” 達成の原動力になった。
                                 読売新聞 「時代の証言者」より

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