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球史に残る天覧試合

■「敗者」の汚名を背負い続ける村山投手
 
「箸よく盆水を回す」一昨日の金沢市長選挙、非勢覚悟で臨んだ
山野候補が当選した! 熱烈な支持者の応援で、逆転満塁ホームラン
を放ったような爽快感を味わった。
 
「ニューヨーク9.11テロ」のように、生涯忘れられない出来事があります。
スポーツでは、王・長嶋選手が活躍した「天覧試合」もその一つ。
昭和34年6月25日の巨人・阪神戦(当時私は17歳)…
天皇陛下がプロ野球を観戦したのは、その日が初めてでした。    
 
観戦の日からわずか14年前は、戦時中だった…野球は”敵性スポーツ
で、アウトを「ひけ」セーフを「よし」と言わされた。その野球を、昭和天皇
が観戦されたのです…「時代は変わったものだ」と新聞は論評した。             
 
リリーフに立って打たれ、敗戦投手になった阪神の大黒柱・村山投手…
その夜宿舎に帰り、恩賜のタバコを1本吸って、無念の思いを紫煙に
まぎらわせた。そのタバコは、生まれて初めて口にする一服になった…
と、後に長男が懐古している。
 
華麗なヒーロー長嶋の影に、「敗者」の汚名を背負い続ける村山投手の
悲壮があることを、忘れてはならない。      
                         
 
 
819 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「球史に残る天覧試合」
 
昭和34年6月25日後楽園球場… 四万人大観衆を集めて行なわれた巨人-阪神は、4-4の同点のまま9回裏を迎えていた。
 
先頭バッターは入団2年目の長嶋茂雄。長嶋は5回裏に、 阪神のエース小山投手から、1-1の同点に追いつくソロホームランを、 レフトスタンドに放っている。
巨人は、続く坂崎選手が連続ホームランを打ち、2-1と逆転… 試合の流れを引寄せたかに見えた。
 
阪神も負けじと、6回裏にタイムリーと2ランホーマーで、4-2と逆転。 すると今度は、入団1年目の王貞治が、7回裏ライトスタンドに同点2ランを放ち、 勝敗の行方は混沌としていた。
 
阪神は9回からエース小山に代えて、村山実を投入した。
入団1年目の村山は、 フォークボールと150キロの剛速球を武器に、 小山に次ぐ阪神の大黒柱に成長していた。
 
1球目は、内角へのフォークボールでボール…2球目も外への、 これまたフォークボール…三球目は内角に突き刺さるストレート…4球目は、外へ外れるフォークでボール。左右に散らすうまい配給でカウントを2-2とし、長嶋を追い込んだ。
 
そして運命の5球目…村山の振り下ろしたシュート回転の球は、内角高めに入った。 長嶋はこん身の力でフルスイング…バットは完璧にボールを捕らえ、 弾丸ライナーとなって、レフトスタンド上段のポール際に突き刺さった。
 
瞬間、球場は歓喜と興奮の声にどよめいた。奇跡の逆転さよならホームラン… ゆっくりダイヤモンドを一周する長島選手に、興奮・ 狂喜したのを覚えている。
 
見ごたえのある試合に、陛下も大喜びしたご様子で、翌日の新聞には、 「長嶋のなゼスチュアに、 思わずニコニコされた」「王のホームランも、 落下点までジッ目で追っておられた」 などと伝えている。
 
一方、選手も緊張していた様子で、試合後長嶋は 「昨日はよく寝られなかった…十時頃床へ入ったが、 両陛下をお迎えして、初めて野球をお見せする興奮で、眠ったのは1時頃…まるで子供ですね」とコメントしている。
 
                 学習研究社「ヒーローと偉大なる敗者」
 

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