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2011年01月 アーカイブ

2011年01月05日

落語・初天神

あけましておめでとうございます
今年もお付き合い、よろしくお願いします
 
■落語家の「駄じゃれ」
 
・ある朝、米朝が楽屋で高座着に着がえているとき、どうしたわけか、
 何度やり直しても長じゅばんがハミ出すのを見て…
    「じゅばん長いが見せたいな…」と、誰かが節を付けて歌った。
 →「♪自慢じゃないが~ 見せたいなァ~」 
 
・米朝が盲腸で入院したとき、中村扇雀が一句口ずさんだ…
   「ベィチョウめ~ ベィチョウめモウチョウ(米朝め盲腸)」
 →「♪ベッサメ~ ベサメムウチョ~」
 
・上方落語で人気があった、今は亡き三遊亭百生が、
 お得意の『天王寺参り』のなかでの会話…
    「これが天王寺の石の鳥居や」 「りっぱな鳥居でやんなァ」
    「りっぱな鳥居やろ、これは日本三鳥居というねや」
    「あァほんなら、ここの坊んさん、ウイスキー造ってんのんか? 
                         日本サントリーちゅうて…」
 
 
828  「吉村外喜雄のなんだかんだ」 
~ことば遊び~ 「落語・初天神」
 
縁起のよい噺として、毎年正月の寄席で演じられる「初天神」…縁日を舞台に、ほのぼのとした父親と息子の会話が繰り広げられる。
 
♪男が天満宮に参拝に出かけようとした。
すると女房、息子の金坊も連れていけと言う。
男は、息子は「物を買ってくれと、うるさくせがむから…」と渋っていたら、折悪しく息子が帰ってきた。
 
連れてってほしいと懇願する息子をつっぱねると、
ヘソを曲げた息子…お隣の家に行き
「あのね…昨日の晩、うちのお父っつあんとおっ母さん、何してたと思う?」
そんなこと、外で喋られてはたまらないと、大慌てで息子を連れ戻し、 初天神に連れて行くことに…
 
天満宮への道を歩きながら、父は息子に『買い物をねだるなよ!』と念を押す。
「うん、金坊いい子にしているよ…いい子にしているから、何か買って…」
『ほら始まった…今日は買わない約束だろ』
 
それでも息子がしつこくねだるので、口塞ぎに、止むを得ず飴玉を買い与える。
飴がなくなると、またグズりだす息子…今度はどうしても凧が欲しいらしい。
『何でこんなところに店を出していやがる』
と、凧屋の親父にカラミながら、 渋々凧を買い与えた。
 
『さあ…これを持って走るんだ…それっ! アッだめだよ…人にぶつかるよ』
子どもがやること…凧が思うように揚がらない。
しだいにイライラしてくる父親…
しまいには、子どもから凧を取り上げて、自分で走り出す始末。
 
『どうだ…揚がっただろ。もっと糸を出せ…ちゃんと父ちゃんに貸せ…ほら… こうやって糸を出して…どうだ…すごいだろう』
「うわあ…すごいよ…ずんずん揚がっていく」 
『そうだろう…もっと揚がるぞ』
 
「すごいすごい…ちょっと、父ちゃん…おいらにも糸を引かせてよ」
『だめだ…お前には無理…ほら…どうだ…こうすりゃ横にも動くんだ』
「うわあ…ねえ…ちょっと貸してよ」 
『だめだ…子どもは引っ込んでろ!』
 
「ちょっと貸してよ…ねェねェ」 
『うるせえ…黙ってないとひっぱたくぞ!』
「なんだよ…こんなんなら…お父ちゃんなんか…連れてくるんじゃなかった」
 

2011年01月06日

禅僧・関 大徹 「体罰の是非」

■生活リズム向上で健康管理
 
家庭や学校でトラブルもないのに、疲れて学校に行けない子供たちが
増えている。
「子供の基本的生活習慣の確立と、生活リズム向上運動」を推進する、
文部科学省は、次のような実験を実施した。
 
登校拒否の子供たちを、「日中は強烈な人工太陽を浴びせ、夕方徐々に
暗くして、夜になると真っ暗にする」という環境の中に置きました。
すると、身体に昼と夜のリズムがつき、三週間ほどで元気を取り戻し、
学校に通えるようになった。
 
東北大学・川島隆太教授は、「人間の脳は、午前中に一番よく働きます。
夜型の人間でも、午前中がピークです。早起きをしている子のほうが、
脳が活発に働いている。故に早寝早起きは非常に重要」と述べている。

昔から「早起きは三文の徳」と言う。日が昇るともに一日が始まる…
太陽に合わせた生活リズムの中で、適切な運動、バランスの取れた食事、
十分な休養・睡眠を取るようにすると、健康な心身か養われるのです。
 
 
 
829 【心と体の健康情報】
~禅僧・関  大徹~ 「体罰の是非」
 
近年、子供を虐待する件数が右肩上がりに増え、社会問題にっている。
以下、人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から・・
 
40年も前の、大徹が富山・光厳寺を預かっていた頃の話です。
夏だったと思う…子供たちが遊んでいる砂場に、 頭上から雀の子が降ってきた。
 
たぶん、木の枝に巣をつくっていたのが、 なにかのはずみで落ちたのであろう。
数人いた子供たちは、最初驚いた様子で、 まだ飛び立つこともできぬ雀を見守ていたが…そのうちの一人が、こわごわ手を出して、雀の子を拾い上げた。
 
ちょうど四・五間離れた場所に大徹はいた…「事件」を目撃して、 事件そのものよりも、子供たちがそれにどういう反応を示すかに、関心を抱いた。
ここは、お寺の幼稚園である。普段から、小さな命をいたわるように教育してきた。 その教育の成果を試すよい機会だった。
 
ところがどうだろう。拾い上げた子は、その小さな手で、 小さな生き物をひねりつぶそうとしたのである。
大徹は、とっさに飛んでいき、その子の首根っこをつまえた。かなりきつくつまみ上げたようである。子供は悲鳴を上げ、 手の雀した。
大徹はしかし許さなかった。子供は身をもがいて苦しんだ。
「どうだ、痛いか」…『痛い』。 大徹は、やっと手をゆるめた。
「雀は、もっと痛かったかもしれん。 おまえが痛いように、雀も痛いのだ…わかったか!」
 
その後大徹は、その事件をすっかり忘れていた。
それを思い出させてくれたのは、当の本人だった。
四十年以上もたって、五十歳ちかい立派な紳士になって、吉峰寺へ訪ねてきた。
そして彼は言った…「五十年の人生で、あれほど恐かったことはありません」
 
なんでも人間…もっとも頭脳の発達する時期は、四・五歳の頃だという。 保育園、幼稚園の年齢である。仏教では 「識」という。 この時期に、人間としての根源を鍛えておかねばならない。
 
この時期、まっすぐすくすく伸ばしてやるために、成長を阻害する無駄な枝をはらてやらなければならない。
しかし、体罰を間違えて加えたら、子供は真っ直ぐ成長せず、いじけて小さくまとまってしまうであろう。
 
大徹がもしその時、子供の手から雀をとりあげて、 優しくたしなめていたとしたなら、おそらく本人は、そのことを忘れてしまい、思い出すこともなかったでしょう。 そして、 小さな生き物の痛みに気づくこともなく、大人になったでしょう。
 
大事なのは、体罰は断じて”報復”ではないということである。
子供が悪さをして、大人を困らせたからといって、 カッと逆上して、思わず手を出すのは、これは報復である。
体力的に劣る幼児に、 大人と同じような応酬をするなどといったことは、本来あってはならないことである。
 
ここのところを混同するから、幼児教育における体罰の是非論が、 マスコミの話になるのです。
そして、当節の学校のように、何でもかんでも暴力はいけないという、安易な答えで済まされてしまうのです。

農耕民族…日本人の特性・和の精神

■日本人の「和」 の精神
 
日本人を漢字一字で表すと、「和」になるであろう。
日本人が好み、大切にすることばである。
この「和」の精神をさかのぼっていくと、聖徳太子「十七条憲法」
第一条書き出し 和を以って貴しと為し… 」に始まり、以下の
ことばで結ぶところに行き着く。
 
「…上和らぎ下睦びて、 事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬる
ときには、 即ち事理 (ことわり)自ずから通ず。 何事か成らざむ
「上の者も下の者も協調し、親睦の気持をもって論議するなら、
 おのずから物事の道理にかない、どんなことも成就するものだ」
 
意見が異なる相手に対し、自らの考えをわからせようとする前に、
まず自ら凝り固まっている”邪念や独善”のヨロイカブトを脱ぎ捨て、
素直に相手の意見・考えを聞き入れ、 自分との違いを受け入れる
「和」の精神が大切になってくる…         今週の倫理687 
 
 
830 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~日本人のアイデンティティ~
「農耕民族…日本人の特性・和の精神」
 
世界のほとんどの国は狩猟民族です。 牧草地を求めて家畜と共に移動する。
当然、良い牧草地は、強い部族が我が物にしようとする。
狩猟民族歴史は、領土の覇権をめぐる戦い…民族移動の歴史です。
 
日本は島国です。四方を”海”に囲まれ、外敵に苦しめられることもなく、 山には獣が少なく、家畜を養う土もない。
それ故日本人は、太古から農耕で暮らしを立ててきた。
農耕は人手がいる。村長(むらおさ)を中心に、 一族力を合わせて田畑を開墾し、 水路を開き、作物を育て、実りを蓄える…ために、 定住する必要があった。
農耕一筋の暮らしの中から、日本人の特性「和」 の精神が育まれたのです。
 
特性の幾つかを取り上げていくと…
(1)組織のリーダーには通常、温和で「和」を尊ぶ 「調整力」の
   ある人物が選ばれる。
※狩猟民族のリーダーは、誰よりも力が強く、 戦う能力に優れた人物が選ばれる。農耕を営む日本人は、人望があって、人を束ねる能力の高い人を選ぶのです。
 
三人の猟師が狩りをしに山に入った。夕刻、1人の猟師は鹿を引きずって、 1人は兎を二羽ぶらさげて戻ってきた。残る1人は獲物もなく、すごすごと戻ってきた。
西欧なら、猟師は事前に契約した取り分を、当然の権利として持ち帰る。 獲物が無かっ猟師は、 ひとかけらの肉も貰えない。
日本社会では、村長が獲物を一まとめにして、 村人みんなに平等に分け与える。
 
(2)まれに、ひときわ優れた能力を備えた人物が現れると、
  組織は雪崩をなして追従 してしまうのが、日本人の短所。
 
※強いものには、不平があっても「長いものに巻かれろ」と、おとなしく従ってしまう。少数意見は、多数の中で口をつぐみ、黙してしまう。
集団を敵に回すことを避けとし、多数派は少数派に、 組織の中で波風を立てないよう諌め、気配りする。
 
(3)1人で行動するのは苦手で、集団になると力を発揮し、
   大いに成果を挙げる。
※HNKの「プロジェクトX」を見ていると、日本人の特性がよくわかる。
 
(4)危機が眼前に迫っているのに、呑気・鈍感である。
  然し、一旦事が起きると懸命に対応し、 見事に処理して
     しまう。
※災害大国日本は、頻繁に繰り返される災害で、鈍感になっている。 発生危80%の東海地震がそう。 震災に見舞われた、 阪神淡路大震災を思い出す。
 
(5)事故・事件・不祥事が起きると、先ず犯人探しに熱中する…
   マスコミ報道に煽られ、猛烈に批判する。
   ほとんどは一過性に終わり、 本質に迫ることはない。
 
(6)マニュアルや中期計画などの作成が好き…
   立派に作るが、 それだけで終わしまう。
※日本人で一番多い血液型はA型…几帳面でまじめ… 目先のことに囚われやすい国民性の表れでしょう。
 
(7)難しい問題に直面すると、結論を急がず、期限を曖昧に
    して、問題を先送りようとする。
※黒船到来時の幕府の対応がそう…国会答弁での「善処します」もそう… 問題を先送りしようとする… いつまでに何をどう善処しようというのか?
普天間は、問題解決の期限を明確にしたために、 自らの首を絞めることになった非常に珍しいケースです。

2011年01月13日

禅僧・関 大徹 「体罰の是非(2)」

■幸せを感じる三つの種類
敬愛する故・梶谷忠司さんが、私たちに残された”人生訓”です。
 
(1)してもらう幸せ
   沢山の人から慕われる幸せ
(2)できる幸せ
   商いを通じてお客様に奉仕できる幸せ
(3)させてもらう幸せ
   縁ある人に自分の体験を語り、元気と勇気をさし上げる幸せ
 
私たちは、日頃「あれがない、これがほしい」と不平不満を募らせ、
”求め続ける”人生ではなかっただろうか? 
 
聖書のことばに「与えよ さらば与えられん」がある。
人のために、自ら率先して与えていく…
「無償・無条件の奉仕をすることによって、自己の内面や
 他者を通じて、神の祝福が与えられる」と説いている。
 
タイガー「伊達直人」を名乗る慈善行為は、全国300件に迫る
という。見返りを期待して何かをする、狭い了見ではなく、
見返りを求めない、精神面での無償の報酬を言うのです。
 
 
831 【心と体の健康情報 】
~禅僧・関 大徹~ 「体罰の是非(2)」
 
以下、人生の書、禅僧・関  大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
子どもをしつけるとき、何がなんでも暴力はいけないという。
馬鹿をいっちゃいけない。人生の大事を、子供が成長する最も大切な時期にしつけるには、言葉で補いきれない場合もある。体罰は、大いに加えればいいのである…ただ、感情に走った報復はしていけない。
 
先生が生徒を殴ったという話なら…まだいい。この頃はどうであろう…逆に、 生徒が先生を殴ったという、とんでもない新聞記事におめにかかることが、 珍しいことではなくなった。
 
中には集団で教師をとり囲んで、 足腰が立たぬほど暴力をふるう事例もあるこれは生徒の「報復」である。生徒が教師に対して、 気にくわぬことがあるからと、 腕力に訴えてきたのである。
 
中学生ともなると、腕力だけなら、 ちょっとした大人も歯が立たぬほどに成長している。頭は子供のままなのに、 体力だけが伸びたのである。その体力のなんたるかを知らぬまま、大きくなったのである。
 
この子の幼児期の子育てが、よほどいい加減だったのであろう。 両親も先生も、 全身全霊で子供をたしなめなければならないときに、 見てみぬ振りをしたのであろう。 人間としての根幹を教えるしつけは、 子供より大人の体力が優っている時期にしか、通用しないのである。
 
この時期に、力の強いものが、弱いものに対する尊厳を教えておかなければ、体力を備わってからでは、遅すぎるのである。
 
まともな教育を受けた子なら、成長とともに人生… 体力の強さだけではないという道理に気づくであろう。初めは、 体力にまかせた行動をしていても、やがて”人格”を具えた大人に心服するようになる。
 
心服されるだけの人格を具えた教師でなければならない…生徒に媚びることなく、人格と誠意でもって、全身全霊で生徒と向合っていくことである。

2011年01月18日

宮古島の洞穴に潜る

■ドイツ商船遭難事件
 
明治6年7月9日、宮古島沖でドイツ商船が台風のため座礁した。
この船は、中国で茶を積み、オーストラリアへ向う途中だった。
2本のマストは折れ、船員2名が海に流され、ボート2艘も流出して、
座礁。
近くを航行していたイギリス船が、小船を出して救出しようとしたが、
高波で断念。同じ時刻、島民も座礁を発見…夜間・高波のため救出
を断念…海岸にかがり火を焚いて、残った乗組員を励まし続けた。
 
翌朝生存者8名を救出…村役人は役場を宿泊所に提供し、自らは
仮小屋に住んだ。島民は貧しく、キビを主食にしていたが、救難者
には米や鶏肉を与え、手厚く看護した。
 
約1ヶ月島で過ごした後、台湾からイギリス船で祖国ドイツへ帰国。
漂流記が新聞に載り大反響…皇帝ウイルヘルム1世の耳に入った。
感動した皇帝は、宮古に親善使節を派遣し、感謝の石碑を建立した。
 
その後、文部省が全国から募集した「美しい話」の一等に選ばれ、
小学校の修身にも載った。平成12年、主要国首脳会議が沖縄で
開催された折、ドイツのシュレーダー首相が宮古島を訪れている。
 
832 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「宮古島の洞穴に潜る」
今年も正月、スキューバーダイビングに出かけた。宮古島の海に潜るのは今回が三度目。サンゴ礁や熱帯魚が目的ではない。海中のダイナミックな景色と、洞穴を楽しむことにある。
様々な形の海中アーチや、鍾乳洞に似た洞穴が二十数ケ所あり、それぞれ趣の異なるダイビングポイントとして、私たちを楽しませてくれる。

口のような穴から潜り込む 天井の穴から差し込む光
口のような穴から潜り込む 天井の穴から差し込む光
※写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

ベストスリーの人気スポット、「魔王の宮殿」に潜った。 海低10メートルに、ダイバー2人がやっと通れるくらいの穴が開いている。ライトを照らしながら、地底に入っていく。
真っ暗な未知の世界を、先行ダイバーの後から進んでいくと、ぽっかり広場に出た。上部の穴から幻想的な白い光が差し込んでいる。

真っ暗な穴の中に群れるアカマツカサ 出口に広がる鮮やかなブルー
真っ暗な穴の中に群れるアカマツカサ 出口に広がる鮮やかなブルー
※写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

真っ暗な穴の中…ライトで照らしながら進む…ライトを天井に向けると、びっくりするほど魚が群れていた…出口が見えてきた…開口部に広がる海のブルーは、サファイアのように美しく幻想的だった。
島の淡水池と海が、地下でつながっている穴を潜り、池に浮上したりした。
 

2011年01月21日

~禅僧・関 大徹~ 「よく生きぬくとは…」

■親鸞聖人の「極楽浄土」
 
新年から、北陸中日新聞に小説「親鸞」の連載が始まり、
毎日楽しく読んでいる。
北陸は浄土真宗が盛んな、信心深い土地柄です。
 
親鸞の時代は、生きていくのが大変な時代であった。
当時の仏教の教えは、善行を積まないと、
来世「地獄に落ちる」と説き人々の心に重くのしかかた。
 
怖い鬼がいて、血の池地獄、針の山地獄と、人々を苦しめる
絵図が、信者の脳裏に焼きついて離れないのです。
日々、生き地獄のような暮らしをしているというのに、
死んでまた地獄かと…信者は悲嘆にくれたのです
 
親鸞聖人は、「熱心に信心すれば、皆等しく光輝く
極楽浄土へ行ける地獄に落ちることはない」と説いた。
当時の人々に、生きることへの希望与えたのです。
 
 
 
833 【心と体の健康情報】
~禅僧・関  大徹~ 「よく生きぬくとは…」
以下、人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
人間生まれてきた以上、必ず死ぬときがくる。死というのは、人間が行う最大の事である。
生死一如生きるとは 死ぬことであり、死ぬことは 生きている者証しである
これが仏教の大原則である。
 
禅宗では、人は死んでも「(ごう)」という働きが永遠に残る。
苦しんで死ぬのも、ぽっくり死ぬのも、そのための通過点であり、死ぬ時になっみなければ、誰わからない。
 
わかっているのは、生きている間に「次に生まれ変わってきたとき、何をなすのか」という課題を、しっかり固めておかねばならぬということである。
その覚悟ができ、「業と因果の道理」をわきまえることができたら、これまで生きてきた短い人生の、この上もない尊さがわかってくるであろう…これが仏教・禅宗の考え方です。
 
-  *  -  *  -  *  -  *  -
いずれ死ぬ時が来る。その時に備え、普段から、いつその時がやって来ても、シャキッと腹を据えて臨めるようにしておかねばならない。
 
ところが、いずれ死ぬときが来るに、そのこに触れたくないし、考えようとし…いや、「考えたくない」のがでしょう。しかし、生きている以上は、いつか必ず死を迎えなければならない。
まだ若いからとか、人生、先が長いからといっても、誰も将来のことはわからない。ある日医師から、癌の病で余命三ヶ月と告げられるかもしれない。死はまだまだ先のことだと、勝手に思っているだけなのです。
 
太平洋戦争で赤札が来た時、多くの青年は、国のために死ぬ覚悟で、出征していった。そして、一部の若者は「特攻隊」に志願し、散っていった。
数年前、そうした特攻隊員を教育・訓練した、生き残り教官の講演を聞いた。
戦後になって、博識な文化人が「将来る若者が、国の犠牲になって死んでいた」と哀れんだが、「それは全く違う!」と元教官。
 
「お国のために自ら志願し、命捧げたのであって、上官の命令で特攻隊になったわけではない。どの青年も、ら死に行くというのに、明るくさわやかであった…己の運命を呪ったり、泣喚いたりする者ただの一人もいなかった」と当時を振り返って、語るのです。
 
忠臣蔵の浅野匠守…不祥事の責任を問われ、お上から切腹を言い渡されたとき、「いかに潔く散るか」ということが最大事だった…時世の句を詠み、いさぎよく腹切った。
誰一人、恐れおののいたり、痛さを想像するまり泣き叫び、命乞いをすという、みっともない行為をする者はいなかった。武家に生まれた以上、切腹もありうる。若くして武家の作法を身につけ、覚悟が備わっていたのです。
 
いつ我が身に降りかかるかもしれない”死”…普段からその覚悟が出ていれば、その時になって不運を歎いたり、死を恐れたりことはないであろう
昨年の大河ドラマの正岡子規のように、どんなに辛く苦しい病であっても、いずれは死ぬ…死ねば治るのです…これが禅宗の教えです。

2011年01月26日

イスラムにとって聖戦とは

■国際テロ/ビン・ラディン
 
オサマ・ビン・ラディン…その所在はいまだ明らかでない。
サウジアラビアの、ムハマンド家の17番目の子として生まれた。
父は建設業を営む大富豪で、66年・自家用飛行機で事故死した。
3億ドルの膨大な遺産を手にしたオサマ…この資金をアルカイダ
やタリバンへの支援資金に使った。
 
オサマ・ビン・ラディンによる反米テロは、93年のニューヨーク
貿易センタービル爆破事件、ソマリア、サウジ、ケニアなどの
米軍基地や大使館爆破など…
 
パレスチナを不当に占拠し、アラブの地でイスラムの同胞に暴虐
の限りを尽くすイスラエル。そのイスラエルを支援し、聖地サウジ
に軍隊を駐留させるアメリカ…
イスラムへの侵略者に「ジハード」で報いようというのです。
 
1997年11月、エジプト・ルクソール無差別虐殺事件の後、
1998年アルカイダは「ジハード」の大儀のもと、イスラムの最大
の敵は、イスラエルとアメリカと宣言。
2002.10    インドネシア・バリ島・クタ/ディスコ爆破テロ
    .11    ケニア・モンパサ/リゾートホテル爆破テロ
2010. 9.11 アメリカ同時多発テロ
 
834 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~
「イスラムにとって聖戦とは」
中東で宗教紛争が絶えないのは、キリスト教、イスラム教共に「一神教」…自らの宗教・宗派以外は異端者とする、宗教戦争なのです。
一千年栄えたローマは、多くの神々を有する「多神教」の国…支配した異国の宗教・異教徒に寛容だったことがある。
日本も多神教の国ゆえ、宗教には極めて寛容な民族です
 
イスラムにとって、国家も民族も人種も問題ではなく、真に重要なのは、イスラム教を信仰しているか否かである。
ここまではキリスト教も同じなのだが、ここから先がイスラム的になる。
イスラムの考えは、世界には「イスラムの家」と「戦争の家」の二つしかなく、「イスラムの家」に住む者の責務は、その外側にある「戦争の家」に行って闘って勝利し、「イスラムの家」を拡大していくことです。
 
キリスト教にとっても、イエスの教えを広めることは最重要課題である。しかし布教活動は、司教や司祭などの教会専従者の責務であって、信徒が負うことはない。
 
イスラムがジハードの意識を高め、異教徒と戦ったのは、中東から勢力を拡大し、ビサンチン帝国(東ローマ帝国)を脅かし、北アフリカ地中海沿岸からスペインに至るまで、イスラム圏を急速に拡大していった、7~8世紀の間のわずか百年でしかない。
そして11~13世紀…キリスト教十字軍がイラム圏に攻め入り、信者を虐殺した二百年…その二つの時代に集中している。
 
「イスラム原理主義」が台頭したのは、1967年の第3次中東戦争以降…アラブ諸国がイスラエルに大敗した時に始まる。
彼らが目指すところは、教徒に課せられた「5つの行」を厳格に実践し、古典的イスラム法を国法として厳格に社会に適用すること…イスラムの原点に立ちて、イスラム共同体を再構築し、本来の姿に戻していくことにあった
 
西欧では彼らを原理主義者と言う。異教徒の欧米人がイスラムに持ち込んだ文化や価値が、イスラムの社会に著しい悪影響をもたらし、今や危機的状況に陥っていると考えたのです。
イスラムの教えから逸脱したアラブの政治指導者や、異教徒アメリカに追従する、敗した政治勢力の打倒を叫ぶようになったのです。
 
その影響が、イランのイスラム急進派革命、エジプトサダト大統領暗殺、アメリカアフガン攻撃への報復、9・11テロへと発展。アラブの敵イスラエルと、支援する欧米キリスト教国に対し、敵意むき出しの「聖戦」…自爆テロへと拡大していくのです。
 
キリスト教国の迫害と侵略からイスラムを救出しようとする原理主義者。彼らの宗教的大儀「ジハード」を排除しない限り、「殉教テロ」は永遠に根絶できないでしょう…
塩野七生著「ローマ亡き後の地中海世界」より

2011年01月27日

禅僧・関 大徹「よく生きるとは…(2)」

■孤独な社会
 
死ぬ間際になって、人は何を思うのだろう…
その瞬間は一人なのか、それとも手を握る者がいてくれるのか…
いずれかで、人生のラストシーンは違ったものになる。        
                (仲代達矢主演「春との旅」から)
 
超高齢化社会になり、一人住まいの老人が増えている…
さぞや孤独なことだろう。人前では明るく楽しそうに振舞って
いても、独りになると寂しさがこみ上げてくる…
 
今の社会…老人だけでなく、若者も孤独に悩まされている。
原因を探っていくと…”愛”の欠如にあるようです。
親子の愛、夫婦の愛が希薄になり、両親との同居が嫌われ、
子供は部屋に閉じこもり、家族の会話は途絶えたまま…
 
NHK朝ドラ「てっぱん」のような、向三軒両隣の付き合いもない。
独り暮らしをしていると、社会から置き去りにされ、忘れ去られ、
姥捨て山に捨てられたような、そんな寂しさに苛まれるのです。
                                               
 
835 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~
「よく生きるとは…(2)」
 
以下、人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
禅宗の坊主は、常日頃「死を額に貼って生活せよ」と言われて、 修行をんできた。禅には生死一如という言葉がある…「よく生ききることは、 よく死ぬことなり」 と。
 
死を目前にして、死を恐れることなくゆったりと死んで逝く人と、 そうでないいる…その差はいったい何だろう?…それは、日々の心がけと、 平常の修練よるところが多い。
一日をよく生きるなら、多分、そうなるんじゃないかと思うのです。 よく生ききるとは、 よく死ぬための練習ようなものです。
 
私が先師から学んだことは、人間は生まれたからには、「何れ必ず死ぬ!」 ということです。 毎日朝、目覚めてから夜寝るまで、与えられたこと、ささいなことも、 何一つおろそかにければ、 いざという時になって、覚悟をする必要がないのです。
 
「与えられた命を、ひと時も無駄にせず、生への油断がなければ、いざとう時に覚悟の必要がない」 ということを先師は徹底された。ですから 「一日をよく生ききる生き方に徹す安楽に死ぬことが出来るのです。
 
私はその教えに従い、修行を積むうちに、一日一日が… 場合によっては死の勉強であると考えるようになった。
「一日一日をよく生ききることは、死を勉強することでり、よく死ねることになる」と…それを繰り返すこと五十有余年、 七十にしてようや身についてきた
 
初めの頃は、教えと自分の考え・行動というものが、なかなか一致しなかった。 「行解一致」…つまり”悟り”と”行い”が、なかなか一致しなかったのです。 七十の齢なってようやく、論語にあるところの 「己の欲するところに従い のりず」というふうになってきた。
 
五十・六十はまだ若い…六十前後の頃が一番迷ったかもしれない。その年になると、社会的にも評価されるようになり、物質的にも恵まれてくる。いつしか、 世間のなどというものを気にしなくなり、あつかましくなってくる。 だから、早くに開いても、 良いことはないということです。
 
この世に迷いや未練があったり、思い残すことがあるようだと、 死ぬときになうろたえる。明日に未練を残すことがないよう、一日一日を徹底して生き抜く…    「一日一生」である。
 
道元禅師の言う「生也禅機現、 死也禅機現」 生きるとは、 無駄なく生きる「生きるっきり」、死ぬとは、この世に未練なく「死ぬっきり」ということです。

2011年01月31日

テロの温床を育てた米・ソ

■中東キリスト教徒受難 (1/5読売新聞)
 
「中東キリスト教徒受難・・テロ多発 保護求める声・・
  イスラム過激思想拡大か」
の大見出しで、1月5日の読売に以下の記事が載った。
 
・2010年10月     イラク
 バクダッドキリスト教会襲撃で52人死亡    
・2010年12月24日 ナイジェリア  
 連続爆弾テロで80人死亡。武装集団が牧師ら6人殺害
・2011年1月1日   エジプト 
 アレクサンドリアの自爆テロでキリスト教徒23人死亡
     
この数ヶ月の間に、160人近いキリスト教徒が殺害され、 欧米から懸念
声が強まっている。 長い歴史共存してきたイスラムとキリスト教徒。
イラク戦争以降、反欧米・反キリスト教感情が高まり、 教徒襲撃事件
急増…
イラク戦争を、キリスト教徒のイスラム世界への侵略とみなし、 国際テロ
組織アル・カイーダは、 「あらゆるキリスト教徒がジハード(聖戦)的」 と、キリスト教徒を徹底排除しようとする風潮が高まってきている。
 
 
836 【吉村外喜雄のなんだかんだ】  
~歴史から学ぶ~ 
「テロの温床を育てた米・ソ」
 
1月24日、モスクワ郊外の国際空港・到着ターミナルで、自爆テロが発生。 居合わせた35人が犠牲になり、約180人負傷とのニュースが飛び込んできた… ロシアからの独立を叫ぶ、イスラム武装勢力の犯行とか…
 
中東や北アフリカでは、毎日のように自爆テロが発生…
痛ましい犠牲者があと絶たない。 やられたらやり返す報復合戦…まさに仁義なき 「無差テロ」 である テロを無くすためには、「先進国と低開発国の貧富の差を無くすことが第一」 と言評論家がいるが、 そんな単純な問題ではなさそうです…
 
テロのルーツを探っていくと、1980年初頭、 ソ連のアフガン侵攻を阻止すべく、 米国CIAがパキスタンと組んで、世界に「アフガン・ ジハード」呼びかけ、イスラム戦士約2万人にテロの訓練を施して、ソ連軍へのテロ断行させたことが発端…。
 
更に、1980年から9年間、米国はイラクを使って、 ホメイニ革命で反米じたイランに攻め入り、イラン・イラク戦争を操り、イランを抑制している。
当時、後にイラク進攻を指揮したラムズフェルド国務長官は、レーガ権の特使して、サダム・フセインと笑顔で握手している。
 
イラン抑制目的を達成した米国…今度は、 米国に歯向かうようになったイラクに攻し、仕めた。
覇権国家アメリカの強引なやり口と、母国サウジアラビアを操るアメリカの身勝た、 マ・ ビン・ラディン。
アフガンで、米国CIAに訓練を受けたイスラム戦士一部いて、アルイダを結成。 一挙に反米に転じ、「9/11」を引き起こ
 
「アメリカン・ジハード」…イスラムの国に反米思想高まった原因は、 大国の身勝手な利益誘導と、ソ冷戦から生まれた「代理戦争」にあった。 米国とソ連は、第三世界諸国を戦場とし、 紛争国に武器を持たせて戦わせ、争ってきた。
 
アジア、アフリカ、中南米など、おびただしい国で理戦争が戦われてきたのです。 直接戦場にならない、欧米や日本のような先進諸国では「冷戦」 だが代理戦争やらされた、 これら第三諸国の国民は、貧困と飢えに苦しみ、同朋・家族れ、長い戦い後に、荒廃した国土と憎しみだけが残った。
 
武器を与えられ、米ソが編み出した残忍極まるテロの手口は、 代理諸国の伝授され、 テロの温床を育てていった。元はといえば、米ソがこうしテロを作りあげたのであって、 天に向ってツバを吐く結果にす。
 
私たちはマスコミの報道から、イスラムの原理主義者をよう思ってが、 キリスト教にも狂信的原理主義者はいる。
原理主義者=テロリスト集団ではない。
米国の力ずくのアフガン、イラク政策は、イスラム教徒の屈辱感を増すばかり。 パレスチナ紛争でも、米国は和平仲介と言いながら、 イスラエル寄りを改めよしない。
 
一方、ヨーロッパ諸国には、アフリカ・ イスラム諸国からの移民が、 国の底辺に取り残され、 苦しんでいる
誇り高いイスラムの若者たち…絶望感から反米、 反ユダヤに陥り、 テロとう”聖なる戦い” に手を染めるのです。
 
                         読売新聞記事から

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