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2011年03月 アーカイブ

2011年03月03日

死生観を養う(3)

■苦難に遭って                   3/2 職場の教養
 
兵庫県の西宮神社では、毎年一月に「開門神事福男選び」の神事が行な
われる。十年ほど前の神事のとき、先頭を走りながらも、残り5メートルで
転倒し、後続に抜かれてしまった平尾亮さん…TVで見た記憶がある。
間を置かずに交通事故にも遭い、塞ぎ込んでいた。
 
そんな平尾さんを救ったのが、「えべっさんが命を守ってくれたんやないか」
という友人の一言。以来平尾さんは、毎年神事の時、整理券配布・交通整理、
走者の服装指導などの手伝をするようになった。「福をおすそ分けする男」に
変身したのです。
何事であれ順調な時は、勢いに乗って前に進むことができます。
が、ひとたび何かに躓くと、それまでの勢いが嘘のように止まり、マイナスの
面が表に出てきます…それが分岐点になって、 人生に影響を及ぼす
です。
苦難に遭った時、「何に気づき、何を学ぶか」 で人の真価が
問われる。今は、苦しみの渦中にあっても、『だから良かった』と
言える来ることを、 心に留めておかねばならない。
 
 
845  [心と体の健康情報]
「死生観を養う(3)」
 
私たちは日々、 生きているのが当たり前のように暮らしている。そのられた命…大切にしているだろうか? どのように生きようとしているのか
以下、末期ガンと闘って健康を取り戻した、O医師の体験談…
最終です。
北陸は浄土真宗の盛んな土地柄です。親鸞聖人は「熱心に信心すれば、 皆等しく光輝く極楽浄土へ行ける… 地獄に落ちることはない」と説いている。
 
O医師、余命1年弱と言われ、絶望の淵に立たされた時、「たとえ死んでも浄土に行くことできるなら、 それも悪くない」との思いが救いになった。亡き母や友人、 父母が逝った世界に自分も戻って、一緒にいられる…と思うと安心した。
 
でも、モヤモヤしたものがある。「じゃあ、生きているうちはどうなんだろう? 努力すれば叶うのか…叶わずにこのまま死ぬとしたら、 それは努力が足らないなのか」…あれこれ思いは尽きない。
残された時間はわずか…明るく前向きに生きようと思っても、 気持はなえる。
 
ガンとの闘いの中で、むしろ「人間は淋しく悲しいものだ」 との思いを持つことの大切さを、 S医師が教えてくれた。
死にいく人の顔を見ていると、みんないい顔になる… 今しがた亡くった人とはとても思えない、仏さまのような表情をしている。
 
ある人にその話をしたら、「それは、死ぬ間際に何かを見るんじゃないでしょうか」言うんです…死ぬ間際に何かを見て、ほっとするんじゃないか…と。
 
とすると、やはりそれは”あの世” としか言いようがない…そんな気がするのです 一面お花畑の、美しい”あの世”を見て安心し、心が和むのでしょうか。
 
人は誰しも、長生きしたいと願う…可能なら百歳までも生きたい。
もし願いが叶い、 百歳以上生きることができたとしたら…兄弟・ 我が子・親戚みな、 先に逝まい、 友人も知人も他界していない… 一人取り残され、 寂しさだけが残る。
 
どこか適当な年齢で区切りよく死んだ方が、 本人も・周りもせだし、楽でないろうか。
死後の世界の有無は別にして、”死” というものを考えて生きることは、良いことに思えてくるのです…とO医師。
 
自分が今生きているのは…十代先祖を遡れば、およそ千人の遺伝子が…二十代遡ると、何と百万人もの遺伝子が、今の私の身体とつながってくる… 生かされていることに気づくのです。
 
この命、自分一人のものではない。 先祖に支えられた我が命なのす。
ガンの病にならなかったら…死を覚悟することがなかったら…
そのこ気づず、自分一人の狭い了見で、苦悩しているであろう…愚かさ。 病を得たことに感謝ればない。

2011年03月07日

かなざわなまり(7)

■冬の金沢なまり
[たるき]
1月末、金沢は久しぶりの大雪に見舞われた。
子供の頃は今よりずっと寒く、たくさん雪が降った。
冬になると学校やお寺の軒先に、1メートルくらいの長い「つらら」が
下がった。子供のころ、「つらら(氷柱)」のことを「たるき」と言った。
 
語源は「垂氷(たるひ)」…垂れる氷。
東北宮城県と石川県、そして何故か雪の降らない長崎県…その三ケ所
でのみ呼ばれる方言です。「たるき」は、”たるひ”がナマったものです。
 
[雪すかし]
「今朝、たくさん積もったので”雪すかし”したら、足や腰が痛いわいね…」
何気なく言うこの「雪すかし」という言葉…これってかなざわ弁? 
「すかし」は「空かし」の意味でしょうが、「雪を除ける」とか、「除雪する」と
言うのが普通…。
 
 
846  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~ことば遊び~ 「かなざわなまり(7)」
「あてがいな」「らくまつ」「まいどさん」
「だちゃかん」「言いまさんな」「おいでましたら」
「おいだすばせ」
 
夜の明けるのが日ごとに早まって、明るくなってきた…春はもうそこまで来ている。
あと二週間もすると選抜、そしてプロ野球が開幕し、桜咲く。
 
60万人と36万人…兼六園事務所と県警が発表した、一昨年の兼六園の” 花見”人出のである。
花見の人数を厳密に数えられないだけに、どうしても食いが生じる これを金沢弁であてがいな…」と言う。
 
「あてがい」は、「いいかげん」「当てずっぽう」という意味になる。
また、何をするにも、 大ざっぱで無責任な人を、「あてがいな人」と言う。
らくまつ」もあてがいな人… 当てずっぽうにモノを言う人に投げかけられるです…「ノー天気な人」 「のん気者」のことです。
 
「まいどさん…このタケノコ、少しまけとくまっしま!」
『う~ん、だちゃかんわいね』
「そんなら、三本で千円にしとくまっしま!」
『アリャ~ムチャクチャ言いまさんな』
 
まいどさん」は、子供の頃、 近所の商店主が訪ねて来たとき耳にした、親しみを込めた「こんにちわ」の挨拶言葉である。
また、金沢では「駄目だ」を だちゃかんわいね」 と言う…
これも味わいのある言葉です。
 
金沢市内の医院で…「○○さん、おいでましたら受付へお起こし下さい」のアナンス。 「おいでます」は金沢で使われる方言で、 「いらっしゃる」敬語になる。
県外から来た人が「エッ」と驚くのは、身内に対する場面である。
お客様が訪ねてきたとき、「父はおりません」 と言うところを、「父はおいでません」と言う。会社でも、「社長はおいでません」と言う社員さんを時折見かけ.。
 
身内を名乗るのに、敬語は可笑しいかもしれない…が、金沢は百万石城下町。 かって、家庭での父親は偉い人… 敬語の対象にされてきた…そのなごりです。
 
「おいでます」に、金沢ことば「あそばせ」がくっつくと、 おいだすばせ」 になる。
昔「あそばせ」は宮廷言葉だっが、現代の日本では、この”京言葉” を残す数少な町が、金沢なのです。
 
茶屋街のお座敷に上がるとき、おかみさんの「お上がりあそばせ」がここちよい。 食事をすすめる際にも 「お箸をお付けあそばせ」と言う… 「召し上がれ」とは言わない… 金沢だなあ~と思う。
                                      「頑張りまっし、 金沢ことば」より

2011年03月10日

死生観を養う(4)

「妖怪・さとり」と千葉周作
 
古来から、日本に語り継がれてきた”妖怪”の一つに「さとり」という鳥がいる。
この「さとり」という妖怪、人の心を見透かす力を持っているのです。
 
ある時、「さとり」を見つけた木こりが、生け捕りにしようとした。
すると「さとり」は、「我を生け捕ろうと思っただろう…」と飛び去った。
次いで木こりは、斧で打ち殺そうとしたが、やはり見透かされてしまった。
 
木こりは、これではどうにもならぬとあきらめ、再び木を切り始めた。
突然、斧の頭が柄から抜けて、飛んでいった…直撃を受けた「さとり」は死んだ。
 
江戸時代の剣客”千葉周作”は、この寓話を例にあげて、言った。
流石のさとりも、無念の斧には打たれし
斧には心がなく…流石の妖怪、見透かす術が効かず…打たれてしまった。
続けて千葉周作…
剣術も、この無想の場に到れば、百戦百勝疑ひなし、
 千辛万苦の労を積み、無想の場に進むべし」          
 
                                             千葉榮一郎扁 「千葉周作遺稿」
 
 
847 【心と体の健康情報】 
「死生観を養う(4)」

人生には、善いこともあれば悪いこともある。 私は思わぬ不幸に遭遇したとき、 この程度で済んで…良かった」と、あるがまま肯定的に受け止め…感謝するのです。
起きてしまったことを、悔やんでみても仕方がない。 それが原因で失うものがても…それに囚われたり… 悔やんだり…くよくよしないことです。
 
以下「致知1月号」、平成13年に芥川賞を受賞した禅僧”玄侑宗久”氏と、 聖心女子大学教授”鈴木秀子”氏の対談から…
 
禅の世界に「知足」(足るを知る)という言葉がある。
「自分の身に起こることはすべて偶然ではなくて、 起きることすべてに…意味がある」 と考える。
私が日本人に生まれたのも、男子に生まれたのも、突然病気になったりするのも、すべて何か意味があることなのです… 意味があって起きたのであれば、起きたことに過不足を思うことはないのです。
 
「生まれたときはみな裸、死ぬ時もまた裸…棺桶は縦6尺、横2尺… 何一つあの世に持っては行けない…何を不足に思うことがあろうか」

禅の世界では…例えば、何かの角に頭をぶつけたとする。
「痛い!」と言わずに、「風流だね」って言う… 痛いからって自分に腹を立てたり、人に文句を言っても仕方がない…逆に人から 「ボヤッとしているからだ」なんて言われると、余計に腹が立ち、 痛みが増す。

ぶつかってしまった以上、 痛みをなるべく速やかになくす言葉を吐くようにする… それが「風流だね」になる。日常起きる様々な出来事、 バカバカしいこと、楽しいこと、悲しいこと… 「それが人生」と達観して、 何があっても 「今が最高!」と思うことです。

今日は今日でしかない…「今ここに」 なのです。今日が最高なんだと、今この瞬間喜び、生かされている命のありがたさを実感できれば、すべてに感謝すようになる…何があっても、 素直に受けとめることができるようになる。
  
故に「人生にはピークがあって、年とともに衰えていく」 という考え方をしない…「今を最高に生きるなら、明日はもっと高まっていく」 というふうに考える。
「生きている限り、 高め続ける 思いで、明日に向って生きていく。
  - * - * - *  - * - * - 
私は今年70歳…「今、 70年間待ちに待った最高のときがやってきた」 と考え
人生、何が起きるかわからない…目の前に立ちふさがる難問・ 悩みは、何れも、 解決できることばかり… 解決できない問題に悩まされることはない…と考える。
某セミナーで学んだことです。
 
平凡で、何の取り得もない私が、 「東京都知事に立候補してほしい」と懇願されて悩むことなど、 あり得ないことす。
 
目の前に表れる良いことも悪いことも、すべて自分にとって”必用なこと”であり、人生を生きるための” 必然”である…と考えるなら、悩んだり悔やんだりすることにも、意味あることになる。
 
癌の病を克服した人が、「ガンは素晴らしい贈り物だった」と言う。ガンになって、 「生きる喜びを知り…家族の有りがたさに感謝し…身体につい実に多くのことを学んだ… 悪しき食習慣も改善することが出来た…すべてに感謝きられるようになった」 と…

2011年03月15日

つれあいにモノ申す

■ 夫婦川柳
 
「出て行くわ ああ出て行けと 半世紀」
 
「ついて来い 今は女房に ついて行く」
 
「聞こえない 範囲で妻に 口答え」
 
「鬼の夢 目覚めてそっと 妻を見る」
 
「裂けるまで 妻の胃袋 詰め放題」
 
「ハゲなのに 割引ききかぬ 散髪屋」
 
「最大の 偽装は私の 素顔です」
 
「かすがいは 昔こどもで 今ペット」
 
 
848 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~女(男)の言い分~ 
「つれあいにモノ申す」
 
東日本大震災で被災された皆様に、心よりお見舞いもうしあげます。
 - * - * -
中日新聞に週一回掲載される「つれあいにモノ申す」は、妻に優しい声一つかけられない、 不器用六十代男性の笑えない姿が、鏡のように写しだされています。
 
◎「あなたのせいよ」
胸が締め付けられ苦しいので、「救急車呼んで…病院に行く」と言ったら、 「連れて行くから、この大河ドラマが終わるのを待て…」とおっしゃったあなた。
病院に運んでくれたのはいいけれど、待合室では高いびき。
ほかの患者さんからは白い目で見られるし…
もしかして、(病気の)原因は…あ・な・た?
 
◎「ストレスの元」
「ストレスは…誰かに話せばなくなる」と言う亭主。
自分は、機関銃のように言いたいこと言って、スッキリしているけれど、 私の話はどれだけ聞いてくれてるの?
聞いているふりしてるけど、右から左だわ…。
亭主の話を聞くのが、私の一番のストレスだわ…。 
 
◎「センスがない」
妻が「あなた、なんで…センスの悪い服ばかり買ってくるの…」と言うので、 「そんな俺を選んだのは…お前だ」と言ってやった。 
 
◎「夫は○、妻は×」
外出の時、自分だけ先に出て、私が遅いと文句たらたら。
途中で忘れ物でもしようものなら、「お前が悪い」と言う。
私が先に出た時は、散々待たせて知らん顔。
自分が忘れ物をすると、「おまえがせかすから悪い」と言う。
みんな、みんな…私が悪いのよね。
 
◎「”お~い”の前に実践を…」
わが夫「お~い、風呂のスイッチ鳴ってるぞ」 「お~い、何か沸いてるぞ」 「お~い、 雨降ってきたぞ」
言わせてもらうけど、 「スイッチが鳴ったらガス止めてよ」
「雨降ってきたら洗濯物入れてよ」… 一事が万事このありさま。
で、もし火事になったらいち早く、 自分だけ逃げるんでしょうねェ…きっと。
 
◎「分らない夫ごころ」
二人の子は大学生。休日は二人きり。
趣味のテレビとパソコンに夢中の夫は、私が話しかけると、 うっとうしがる。
趣味に飽きると、妻に行き先も言わず、勝手気ままに外出。
おまけに「俺はおれで好きなことするから、干渉するな」
「お前も勝手に好きなことしろ!」と言い放つ。
そのくせ、私があなたの休みに、全部パートの仕事を入れてやったら、 とても機嫌が悪く、寂しそうにしているのはなぜ? 
本当に勝手なんだから…
 
◎「どうでもいいわ」
連れ添って30年…夫の口癖は「まあ、どうでもいいわ」
ケンカの後は、決まってこの言葉で黙秘権を行使。
お互い、腹を割って話したことがない…何でもかんでも私が悪い。
私が声を上げて口答えしようものなら…「まあ、どうでもいいわ」
私の気持ちすら分ろうとしない…私だって「どうでもいいわ…」
  - * - * - * - * -
「つれあいにモノ申す」を読むと、何れも心当たりがあって苦笑する。 妻の欠点はよくえるのに 自分のこととなると、 何一つ分かっていないのです
 
赤い糸 夫居ぬ間に そっと切る」という川柳がある。
切られたのを知ったときの夫の憤懣やるかたない姿…想像するだけでも心臓に悪い。     
           

2011年03月17日

禅僧・関 大徹「貧欲・しんに・愚痴」

■ 心 眼
 
民放TV番組での実話です… 5歳の時事故で失明し、両親の顔も、
色も思い出せないまま、 松葉杖にたよる生活で大人になった。
結婚して、二人の子供に恵まれたある日、 眼科の先生から…
「手術をすれば目が見えるようになります…成功率は50%です。
  但し、失敗したら後遺症が残る恐れがあります」
 
悩んだ末に手術…そして成功…視力は0.1に回復した。
奥さんの顔… 初めて見る二人子供… 空の青さ… 目に入る景色
… すべてが感動日々。
しばらくして、大きな問題に直面した。 30年も暗闇の世界にいて、
物を見て判断する脳細胞機能が、退化していたのです…
見たままを脳が処理出来ず、 ストレスとれが溜まり、
日常生活に支障をきたすようになった。
 
ある日、目をつむって家の中を歩いてみた…
口笛を吹くと、 音の反射で、周りの家具や壁の位置が分かる…
目が見えなかった時、 普通にやってことです。
それからは、視覚を「心眼」 の補助機能にすることで、
快適に出来うになった。
 
 
849 【心と体の健康情報】
禅僧・関 大徹「貧欲・しんに・愚痴」
 
人生の書、禅僧・関 大徹「食えなんだら食うな」から…
 
結婚式で新郎は、「あなたを生涯幸福にします」 と新婦に誓う。
ところが「少し幸福にしてくれないじゃないの…」と、離婚騒ぎになるのは茶飯事。妻が思っていた「幸福」とは、一体何であったのだろう?  そして、夫が誓った「妻を幸福にする」という幻想は、いかなる世界なのか?
 
吉峰寺には、目や耳の不自由な人が時折坐禅に訪れる。
23歳で失明して、 盲学校に通って点字を覚え、 マッサージも覚えて、いま 「修証義」を点訳し、 点字で写を続けている人がいる。
「方丈さん…目がつぶれたときは、人生に絶望しました。
けれども、そのお陰で”技術”を身につけることができ、 結婚もでき、子供も大きくなりました…これに勝る幸せはありません」
 
この人は、家事労働は無論、食事も作る。ボタン付け程度なら、裁縫もやる。 身体の不自由な人は、 健常者の何倍も努力してきた結果… 勘がするどい。
たとえ目が見えなくても、 心眼」 が開いているのです
 
だから五体満足で、肉体の目は開いていても、まるで” ものが見えていないちを、気の毒に思うそうです。
目は見える…しかし、それを自分の内面でとらえる” 心の目”がっているのです。
 
仏教ではそれを「三毒の煩悩」という…「貪欲」 「瞋恚(しんに)」 愚痴」である。
「貧欲」とは、あれが欲しい…もっと欲しい…安楽に暮らしたい… というむさぼり心。
「瞋恚(しんに)」とは、自分は間違っていない…あの人が間違っている… という勝手怒りの心。
「愚痴」は、自分の運命は自分で背負っていかなければならないのに、そのことが周りの責任であるかのように、愚痴る心。
 
人間として、生かされている幸福を確かめられぬ者は、すべて、この曇りによものと心得られるがよい。 しかし、この曇り…自分自身の手で取りよりないのである。

2011年03月22日

落語・はてなの茶碗

■住友生命「創作四文字熟語」
 
’10    「棄想県外」(奇想天外) …  「最低でも県外」普天間問題
     「諸牛無情」(諸行無常) … 口てい疫で、牛大量処分
     「全人見塔」(前人未到) … スカイツリーを見上げる都民
 
以下、優秀200作品から、歌人・俵万智さんが選んだ四文字熟語
 
’09  「遠奔千走」 … 高速道路千円ぽっきり
’07  「医師薄寂」 … 小児科や産婦人科の医師不足が叫ばれた
’04  「様様様様」 … ヨンさま、韓流ブーム
’02  「日本熱闘」 … 日韓W杯開催
’01  「万国胸痛」 … 米国9.11同時テロ
 
’98  「倒行巨費」 … 山一證券など、金融危機多発
’96  「高官無恥」 … 霞ヶ関官僚接待汚職
’95  「震傷膨大」 … 阪神・淡路大地震
’93  「扇扇狂狂」 … ジュリアナ全盛
’90  「異旗統合」 … ベルリンの壁崩壊・東西ドイツ統合
 
 
850 「吉村外喜雄のなんだかんだ」 
~ことば遊び~ 「落語・はてなの茶碗」
 
今日の出しものは「はてなの茶碗」…話が面白く、場面転換が多く、 色々な人物がてくるので、 描写が難しい…ベテランでなければ演じきれない噺です。
上方落語・三代目桂米朝の十八番と言われるだけあって、 米朝の右にでるものはいないという… 上方落語、屈指の名作です
 
♪京都は清水寺、音羽の滝のほとり。
大阪から来た油屋が、茶屋で休憩していると、 京では名の知れた茶道具屋の金兵衛… 通称”茶金”が、油屋の隣に座ってお茶を飲み、茶屋の茶碗の一つをこねくり回しながら、しきりに「はてな?」と首をかしげていた。
 
道具屋の茶金が帰った後、 あの目利きの道具屋が注目する茶碗…さぞかし値打ちに違いないと、 茶店の主人からすったもんだの末、なけなしの二両はたいて買い取った油屋。
 
桐箱に入れ、風呂敷に包み、身なりを整えて茶金の店へ…
番頭に「五百両…いや、千両の値打ちもの!」 と息巻くも、どう見ても清水焼でも一番安い茶碗… 「うちでは取り扱えない」と、らちが明かない。
 
無理やり茶金を呼び出して、事の次第を聞いてみると、ヒビ割れもないのに、 どこからともなく水が漏れてくる… 「はてな?」と、 首をかしげていたのだと言う。
油屋、意気消沈し、若い頃に勘当された自らのヤクザな身の上話で、 茶金を口説く…
 
そこは通人の茶金…二両で自分を宣伝してもらったようなものと… 茶碗を油屋から更に一両足して、三両で買い取ることにし、この金を持って、 ふた親に孝行するよう諭した。
この話が噂になって伝わり、時の関白・鷹司公に、
「清水の 音羽の滝の 音してや 茶碗もひびに もりの下露」
と歌が詠まれた。
 
更には、帝の耳にも入り、帝・直筆の「はてな」の箱書きが加わった。
こうして立派肩書きが付いた茶碗… 噂が鴻池家の耳に入り、とうとう千両の値がついて売しまった。茶金は油屋を呼び出し、千両の半分、五百両を渡した。
 
小踊りせんばかりの油屋…後日、再び茶金を訪れ、 「十万八千両の大儲け!」と叫んだ。茶金が問い質すと…
「今度は…水の漏る不思議な水瓶を見せにきました」
 

2011年03月24日

日本人の倫理感

[ポピュリズム]
 
政治に絡んだ問題を、”理性的”に判断しようとする知的な市民よりも、
情緒やそのときの感情に左右され、態度を決めようとする大衆の動き
を重視し、支持し、そうした大衆と共に運動を推し進めようとする行為…
それをポピュリズムという。
 
例えば、今回の原発事故にからんで、一部の政治家が、大衆の欲求
不満や不安感をあおり、自らの政治活動に利用しようとする行為。
こうした手法が乱用されると、民主政治は衆愚政治に堕落し、大衆の
エネルギーは、民主主義を破壊する”集団熱狂”に向っていくだろう。  
                                          ECナビ 「知恵蔵2011」
 
事例…日露戦争終了時、ロシアとの講和条約に不満を持った国民が、
政府の軟弱外交を激しく非難。
東京では暴動になり、都内の交番の7割…新聞社…官邸などが焼打ち
に合い、死者17名、負傷者2千名を超える大騒擾になった。
 
日露戦争の勝利に浮かれた国民に、軍部と政治家の一部が”軍拡”を
唱えて、日本は破滅の道を歩み始めることになる。
 
 
851 「心と体の健康情報」
日本人のアイデンティティ- 
「日本人の倫理感」
 
3月14日、東京都石原知事は、今回の巨大地震に関連して…
「これはやっぱり”天罰”…”我欲” を洗い落とす必要がある」と述べた。
報道陣から、震災へのコメントを求られた時に出た言葉です。
 
都知事は更に付け加えて、親が亡くなったことを長年隠し、 年金を不正に受給していた事件に言及した…
「日本人のアイデンティティーは”我欲”になった。 政治もポピュリズムでやっている。津波を利用してだね、我慾を一回洗い落とす必要があるね…積年たまった日本人のアカをね…これはやっぱり”天罰”だと思う」  
その後の記者会見で「”天罰”は不謹慎ではないか?」 との質問が相次ぎ、謝罪した。              3/ 15 読売新聞
 
世界の国々で大災害が起きた時、必ず目にする略奪…
災害に乗じて商店に押し入り、 物を盗み出す光景が見られる… 「そういうバカな現象は、日本人に限って起こらない」 石原知事。
 
家族や家屋を失って、非難所に身を寄せる人たちが、 スーパの前に行列つくり、長時間忍耐強く順番待ちしている。
日本のそうした悲惨な情況を見た海外の人たち… 被災した人たちが、礼儀正し助け合う姿を目にして、 感嘆の声を上げた。
 
身勝手な私利私欲で社会秩序乱し、騒動を起こすような者は一人もいない日本 感や助け合いの精神が、日本人の心に根付いているのでしょう。
 
パブルがはじけて20年…社会の力はどんどん弱まってきている。世の中は強い弱い選別され、使える人間のみを残し、 使えない人間はモノのよう「いらない」 と切捨てられてしまう、閉塞した今の社会… (パネリスト・湯浅 誠/談)
 
石原都知事は、今の日本に、 そうした倫理感が薄らぎ始めていることを憂えての、 発言だったのでしよう。
 
震災後、一個人から…全国各地から…世界から…続々救援の手が差しのべらる。私たちは、 石原知事が思うほどに、悲観しなくてもいいようです。
日本人の潜在意識の中に、他の民族の何倍もの、人に対する”優しさや善” があることを、今回の災害で再認識するのです
 
震災で、家や財産すべてを失った人が、 「生きていることが何よりも尊いと語っているのを見て、 命の尊さを改めて痛感させられるのです
メルマガ849号で問われた、「幸福とは一体何か?」の答えのヒントが、 そこにありそうです。

2011年03月27日

英俊豪傑

■ガンジーの「非暴力主義」
 
独裁解放を叫ぶリビア…政府軍と解放を求める市民の間で内戦状態が
続き、死傷者と難民が多数出ている。
 
ここで忘れてはならないのは、インド独立の偉大な指導者”ガンジー”
大勢のインド人が独立を求めて、道路いっぱいにデモっているところへ、
英国の官憲がやって来て銃を放ち、静止しようとした…あげくは撃ち殺し、
戦車で踏みつける騒動になった。
 
デモ隊は無抵抗…素手で戦車の前に立ちふさがった。
最初、戦車はデモ隊に突っ込み、ひき殺した…その次は、ちょっと前に
進めて止めた…その次になると、無抵抗の群集を前にして、進めなくなった。
 
日本では、ガンジーを「無抵抗主義」と言う…彼は「非暴力主義」なのです。
英国官憲の暴力に民衆が怒り、暴力で報復しようとした。
ガンジーは双方何れの暴力も否定し、民衆を必死に説いて歩いた…
 
強い信念をもって「非暴力」を貫き通す姿が、ニュースになって世界へ…
非暴力が大きな力を持つようになり…国際世論を味方に、独立を勝ち
取ったのです。
                         伊与田覚「論語の対話」から
 
 
852 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~故事に学ぶ~ 「英俊豪傑」
 
中国の「淮南子(えなんじ)」という書物に、「英俊豪傑」 のことが書かれている。
知 万人に過ぐる者 之をといい 
        千人なる者は    之をといい
        百人なる者は    之をといい
        十人なる者は    之をという 」
 
「あれは豪傑だ」というときは、百人力、十人力というように、 どちらかというと”力”の世界です。
それ以上、千人に一人の優れた人は、力だけではなく、”智恵” も兼ね備えていなればならない…
弁慶のように勇猛なだけでは、千人を束ねることはできません
 
万人に優れるためには、智恵だけでなく、更に”腹”、すなわち” 胆力” が備わっていなければなりません… 三国志の関羽や、西郷隆盛のような人物をいうのだろう。
 
万人に優れる人を”英雄”といい、英雄の中でも””があって、 偉大な働きをする人を”聖人 聖雄”といいます…三国志の劉備もその一人でしょう。
ガンジーは、インドを無血にして独立に導いた人ですが、 神の心をもって事に当たった。それ故、マハトマ(偉大なる魂)・ ガンジーと呼ばれたのです…ガンジーこそ聖雄です。
伊与田覚 「論語の対話」から
 
坂本龍馬は、「英俊豪傑」のいずれだろう?
坂本竜馬の発案で「大政奉還」が成り、 江戸幕府から明治政府へ無血開城を成功させた日本。
もし幕府と倒幕派双方が、リビアのように真正面から戦争し、 同じ民族が殺し合ったなら、地化をもくろむフランスやイギリスの餌食になり、国力は衰え、 日本は西列強のいいようにされたろう
 
坂本竜馬が信念をもって貫いた「日本人同士、戦をしてはいかんキに…」が、薩摩・ 長州・土佐の諸藩を動かし、 15代将軍徳川慶喜が、 270年続いた地位と名誉、権力を手放す英断につながったのです。
日本の歴史上、大きな節目となる出来事だったのす。
 
江戸末期から明治にかけて、幾多の「英俊豪傑」を排出している。明治が日本の夜明けとするなら、沈みゆく夕日は、 幕府が倒れる直前に放たれた坂本竜馬など、多くの人々のエネギーといえます。
 
立身出世や自己保身を捨て去り、真に国を憂い、 大局を見据えて、深い思でもって事に当たった坂本竜馬…その偉大な生き方に、歴史かした人物として、 後世の人たちは語り継ごうとするのです。 
理念と経営 「明日への指針」より
 

2011年03月31日

失敗から学ぶ

■「鹿を逐う者は山を見ず」
 
中国古典…
「金をつかむ者は人を見ず 鹿を逐う者は山を見ず」
 
呉王”夫差”が”楚”を攻めようと逸り、臣下の諫言を聞こうとしない。
近習の小姓が王を諌めたが、王はふんぎりがつかない。
 
そこで一計を案じ、パチンコを懐に、朝早く裏庭を歩き回った。
朝露が裾を濡らすのもかまわず、三日もそれを続けた。
呉王”夫差”が目をとめて、尋ねた…
「着物が濡れているではないか、なぜそのようなことをする?」
 
 『 庭の樹の高い枝に蝉が鳴いて、露を吸っています。
  すぐ後ろにカマキリが狙っているのに、気付きません。
 
  スズメは首を伸ばして、カマキリをついばもうとしているが、
  私がパチンコを持って、すぐ下にいることに気付きません。
 
  蝉もカマキリもスズメも、目の前のエサをついばむのに懸命で、
   後ろに災難が迫っていることに気付かないのです 』
 
「よく分かった」…夫差はこう言って、楚への攻撃を取り止めた。
 
 
853 【心と体の健康情報】
~幸せな人生~ 「失敗から学ぶ」
 
仕事でも…趣味でも…何かをしようとする時、必ず失敗が付きまとう。
失敗すれ恥ずかしいし…悔しいし…落ち込む。
できることなら、失敗したくない。
失敗したら、くよくよ悩んだりせずに、その原因を改めるようにしたい…
間違ってもせいにはせず自分のこととして素直に受け止めることです
 
「失敗なきところに成功なし」…NHKの「プロジェクトX」の登場者は、 やれることはすべてやりつくし、人から「不可能だ…」 と言われながらも、諦めずに夢を追い続ける執念の人たちです。
 
「失敗は、成功のヒントになり、チャンスになる!」と、 自らに言い聞かせる。
失敗したとき明らかになる課題を、その都度克服していくなら、今は見えな成功が一歩一歩近づいてくるだろう。
 
以下、感性論哲学の創始者、芳村思風先生の「感性論哲学の世界」 から…
『人から問題を指摘されると、ついムッとしてしまう。自分では、正しいとっていても、他人から見れば、 正しくないかもしれない…物事に”完全”はないのです。
 
自らの不完全さに気づいて、受け入れたとき、人は謙虚にれるのです。
謙虚さが身につくと、自分と違った意見に耳を傾けるようになる…人から”器きな人物”と言われるようになる。
逆に、意見を押し通せば… ”器の小さな人間”に見られてしまう 』
 
また、思風先生の著書「人間の格 不完全性の自覚」には…
「神様と人間と動物の違いは?」の問いかけがある。 
神様は完全である…物を盗んだり、人を騙たりしない。
人間は物を盗むし、人を騙す…故に人間は不完全である。
不完全性の自覚を忘れ”傲慢”になったとき、 人間は人間であることを失格する。
 
ならば、「人間と動物の違いは?」 
動物は間違いに気づかないし 反省もしない。
人間は間違いに気づき、反省し、正そうとする。
 
ゴルフと囲碁が趣味の私…何れも、失敗の回数の多い方が負ける。ゲームをより面白く、スリリングにするため、弱い方相応ハンディキャップを与え、勝負する。 それで負けると悔しい…負けたことがエネルギになって、自らのハンディーを減らそうと、練習励む。
上手くなろうとしている間は、 成長するし 強くなです。

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