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2011年06月 アーカイブ

2011年06月02日

自由に、伸び伸びと、個性豊かに(3)

■「こむらがえり」 の予防と治療
 
昨年の夏頃から、ゴルフでたっぷり汗を流した日の夜半に、
「こむらがえり」の症状が出るようになった。
医者に尋ねると、筋や血管に栄養や潤いが行き渡らなくなると出る
そうで、一番の予防は、筋肉を疲労させないことです。
 
コース移動中はカートに乗るようにし、運動前後のストレッチ体操、
筋マッサージ、発汗後の塩分補給などが予防になる。
運動の前に、クエン酸(梅干、レモン)を摂取するのもいいそうです。
 
運動中は脱水症状に気をつけ、スポーツドリンクの補給を怠らないこと。
バナナはカリウムが多いので、プレーの合い間に食べると効果がある。
 
真夜中の突然の発作…ふくらはぎが吊って、我慢できないくらい痛い。
こむらがえりが起きたら、爪先立ちしてゆっくりしゃがむと、ある程度
回復する。
漢方の芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)を飲むと、数分後にケロッと
治ってしまう。軽くマッサージしたり、お風呂につかって足を暖めるのも
いい。
 
 
 
869  【心と体の健康情報】
~子育て~
「自由に、伸び伸びと、個性豊かに(3)
 
以下、日本航空学園理事長 梅沢重雄著「わが国の将来と教育」及び、 小学校校長・ 鶴野篤子著「お母さんの出番ですよ」からの抜粋です。
私たちが疑問にも思わなかった「戦後の教育」 について、その問題点を語っている。
「自由に伸び伸びと個性豊かに」を基本とした教育は、裏を返すと 「管理教育はいけない」、だから「押しつけ教育もいけない」 というふうに誤解されがちです。
「しつけ教育」とは、言葉を変えれば「押し付け教育」の一面が強いのです。
 
例えば、朝先生とすれちがうとき、”お早うございます” と挨拶しなければならないとしたとき、立ち止まって、きちんと先生の方を向いて、 おじぎをして言えなければ駄目!…それが出来るようになるまで、 ある程度の強制も入れて、何度でも繰り返しやらせていくようでなければ、 しつけにはならない。
 
「挨拶しましょう」といくら喧しく言っても、生徒の自由意志を尊重し、 生徒の個々の判断に任せ、自らその気になるのを待っていても、うまくいかないのです。
 
「何故先生に挨拶しなければならないのか?」 「何故敬語を使わなければならないのか?」 「何故明るく大きな声で挨拶しなければならないのか?」まで、きちんと教えていくのが「しつけ教育」です。
 
最初は、何故そんなことをやるのかわからない子供たちに、その意味、 目的を理解させ、自ら進んで生活習慣の中に取り込んでいくようにさせることを、 「しつける」というのです。
企業の社員教育もまた、同じではないでしょうか。
 
「家庭の掟だから」「学校の規則だから」「社内で決めたことだから」といった力で強制し、 守らせようとするのとは、意味が違うのです。
 
日本の教育現場は、人を育てることよりも、「知識・技術」 の詰め込み教育が優先される。「哲学・ 宗教・道徳」などといった、人間を育てる教科は軽視されてきました。
 
哲学・宗教が教育に含まれないということは、「意味を問う」 ことがなくなったということです。「幸福とは何だろう」「人生とは、命とは、 結婚とは何だろう」「何のために働くのか」といた意味を問い、 意味を考える機会が与えられることがないのです。
 

2011年06月05日

心に残るいい話 「ある六日間」

■子供は天使                                       (職場の教養)
 
アナウンサーのF氏、長男が通う幼稚園の授業参観へ行った時の
ことです。砂場で遊ぶ息子の背中にトンボが止まっていました。
それを見た女の子が、「Kちゃんの背中に天使の翼が生えている」
と言ったのです。
その時、F氏の脳裏に、あるドイツの逸話が浮かんできました。
 
『バスの停留所で乗客が乗り降りし、運転席横のドアが閉まりかけ
 ました。その瞬間、一人の男の子が飛び乗ってきたのです。
 乗客の誰もが、運転手に怒鳴りつけられると思って、注目していま
 した。
 しかし、運転手は「坊や、翼をはさまなかったかい」と…優しい一言。
 男の子はニコッとして、首を横に振ると同時に、乗客たちは、優しい
 眼差しになったというのです』
 
「子供は天使」との思いが、生活に根付いているからこそ、このよう
な温かい言葉や眼差しが、自然に生まれてくるのでしょう。
子供の存在は、世を輝らす無垢の光です。
F氏は、我が子から幸福な時間を受け取ったのでした。
 
 
870 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~心に残るいい話~ 「ある六日間」 
 
心に残るいい話…「理念と経営/くちびるに歌を持て 心に太陽を持て(7)」 を転載します。
   人生を振り返ると、誰もが一つや二つ、忘れられない・ 心に残る想い出を持っている…その時のそのことが、その後の人生に大きく影響するのです。 
 
…高校の卒業式の日、ぼくだけ卒業証書をもらえなかった。
貧農だった父母から仕送りが遅れ、授業料から寄宿舎の食費まで、 三ヶ月分が滞納になっていたからだ。 父は、農協や村人からお金を借りつくし、 もう借りるとこがないに違いなかった。
 
卒業式がすんで、寄宿舎は1、2年生だけになり、3年生で残ったのは、 ぼく1人だけだった。 ぼくの部屋は3年生のぼく、2年生二人、 1年生一人の4人部屋だった。
 
卒業した次の朝から、当然のこと、食堂にぼくの食事は出なくなった。 ぼくは十円も持っていなかった。それで空腹を忘れるため、部屋で蒲団にもぐり、 小説を読んだ。
とにかく、父からお金が送られてくるまで、5日でも一週間でも、 水を飲んででも頑張ろうと思った。
 
ところが間もなく三人の下級生が、茶碗に一杯の飯と、お椀に味噌汁を、 ぼくのところへ持ってきてくれたのです。
三人の飯茶碗から少しずつ分け、味噌汁はまかないの小母さんから、 鍋の底に残ったどろどろの汁を、もらってきてくれたものだ。もともと彼らの飯も、 味噌汁も一杯きりで、お代わりはないのだ。
 
ぼくは食べながら、涙を流した。それから六日間、部屋の三人は、朝・昼・ 晩とぼく分たちの飯を分けてくれ続けた。
七日目に父からお金が届いた。
ぼくは卒業証を貰い、 荷物をまとめて寄宿舎を出た。
 
それから26年の歳月が流れた、ある日…かっての寄宿舎の下級生3人を、 温泉へ招待した。みな、 役所の局長や会社の部長になっていた。
ぼくは3人に、「俺がいままで食った飯の中で、 あのときほどうまい飯を食ったことない」と言った。すると3人は口々に、「そんなことあったべか… 忘れちゃったなあ…先輩もつまんないこと覚えているもんだ」と笑った。
 
しかし、あの16・7歳頃は、丼飯を3杯食べても、腹いっぱいにならない頃だ… 彼らが、あの6日間を忘れるはずがない…忘れたふりをして、 ぼくに気持ちの担をかけまいとしているだけなのだ…。
 
もし仮に、本当に彼らが忘れたとしても、ぼくは忘れるわけにはいかない… なぜなら、3年間で習った勉強よりも、あの6日間で教わった、 「人間の優しさとは何か」ということに、 その後のぼくの人生がつくられたと思うからです。

2011年06月09日

水道水は安全?

永平寺の訓え 「水五訓」
 
  ・自ら活動して 他を動かすは 水なり
 
 ・障害に遭いて激し その勢力を百倍するは 水なり
 
 ・常に己の進路を求めて 止まざるは 水なり
 
 ・自ら潔うして 他の汚濁を洗い 
    しかも清濁併せ容るるは 水なり
 
 ・洋々として大海を満たし 発しては雲となり 
    雨と変じ凍っては氷雪と化す 
    しかし その性を失わざるは 水なり   
 
 ※この五訓は、 黒田如水の作と伝えられる。
  
 
871 【心と体の健康情報】 
~食と健康~ 「水道水は安全?」
 
東北大震災…いまだに復旧の目処が立たない地域がある。
日常生活に欠かせない水道・電気・ガスが止まったら、一日も耐えられないというのに、 避難所には十数万人が不自由な生活を強いられている。
 
時折訪れる京都…飲料水の水源は琵琶湖…水質は悪く、スナックで飲む水割りは、 炭酸水で割らないとカビ臭くて飲めない。
比べて、犀川の上流を水源に持つ金沢の水は美味しい。学生の頃、 蛇口にをつけ、水道水をがぶ飲みした… あの爽快さは今も忘れられない。
 
私たちの暮らしを守る水道水。水源の水質が落ち、 塩素の量が以前の10倍になった市や町があるという。
今は「生水は体に良くない」が、 常識になっている
いつの頃からか、我が家の台所にも高価な”ろ過器” が取り付けられるようになった
 
安全な飲み水に欠かせない塩素。その塩素が、 水中の汚染物質と反応して、ガン性物質になる… その代表格が「トリハロメタン」という物質
塩素は沸かせば消滅するが、このトリハロメタンは、 沸かしても増えるばかり…
煮詰めると更に濃度が増す。
夏場は塩素の量が増え、発ガン物質の濃度も上るというから、困ったものです。
 
二十年ほど前…東京都の保健所の所長が水道水の危険性を訴え、 全国紙記事にした。
「20年や30年、水道水を飲んでも身体に害はない…しかし、 の代には、 健康に重大な影響が表れるだろう」 と…。
 
この報道に慌てた東京都…うわさが都民に広がり、 政治問題化し大変…
都のにも影響すると、保健所の所長を更迭… 口封じしてた。
都民の生命・安全にふたをしてしまったのです。更に、家庭への水道引き込みに”鉛管” が使われたとも問題になった。
 
加えて、知っておかねばならない「下水道」。家庭から排出される水… 水洗トイレ、お風呂、洗濯、 食事の準備、食器の洗浄水など、すべて下水に流される。
その処理に水道水が使われる。本来の目的、 飲料に消費される量は1%にも満た
 
わずか1%のために、 「美味しい水」 にしようと設備にお金をかける…おかしなです。 金沢で下水処理場に運び込まれる水の量は、1日約18万立方メートル…25メートルプール700杯分にもなる。
 
金沢市内の上・下水道の総延長は、 2千キなる
二十年前は、犀川や浅の川の下流で洗剤が泡立ち、 悪臭が漂っていた
下水が完備した今、糸ミミズがうごめく側溝(どぼす) 掃され、川の流れは透き通るようにしくなった。

2011年06月13日

火の用心 お仙泣かすな…

■「羽生流・勝利の五ケ条」                    
 
第69期将棋名人戦七番勝負…羽生名人が0勝3敗の崖っぷちから、
6月8日の第六戦に勝って…3連勝…森内挑戦者と3勝3敗の五分に
…6月21~22日の第七戦に持ち込む粘りをみせた。
 
将棋界初の「七冠達成」の記録を持ち、勝率七割を誇る羽生善治名人。
オリンピックを目指すアスリートたちに、「羽生流・勝利の掟」を講義した。
テーマは「決断力」…以下、勝つための五ケ条です。
 
(1)直 感 力… 長く考えた答えが正しいとは限らない。
          これまでの経験を基にした直感力が最優先する
(2)大 局 観 先入観にとらわれず、広い視野で物事を判断する
(3)見 切 力 必要かどうか分からない用件は、思い切って捨ててみる
(4)忘 却 力… 失敗したら原因を反省するが、後にそれを引きずらない
(5)裏切らない… 自分自身を、そして周囲を裏切ってはいないか?
   
「やれることは全部やった」という自負があれば、胸を張って決断できる。
勝負…その一瞬に、自身の決断力が試される。
”ここぞ”の場面で、しっかりと決断できる精神力が、勝利へと導く。
                          
 
872 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 
「火の用心 お仙泣かすな…」
 
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ
ご存知、日本一短い手紙…この手紙を書いた”本多作左衛門重次”という人物を知る者は少ない。
 
1530年現在の岡崎市に生まれ、7歳の時から松平家三代に仕えた人物です。 三河一向一揆の際、戦功を上げ、 家康が三河を平定した後、「三河奉行」に任ぜれて、三河の地に知行を与えられた。作左衛門は、生まれつき勇猛果敢、 豪快にして正直な人間であった。
 
作左衛門の武勇を語るなら…元亀3年(1572)三方ケ原の闘い… 3万の武田徳川軍は左翼を破られ、中央を崩されて総崩れとなった。
作左衛門は身に多数の傷を受け、身動き出来ないほどであったが、 主君家康死にもの狂いで退却するのを見て、最後の力を振り絞って敵を倒し、騎馬一奪って家康の後を追い、 襲いかかる敵を倒しながら城に着き、家康の命を救った。
 
天正3年(1575)長篠の戦いの折、陣中から妻に宛て書いたのが、 上記の手紙である。
このようなずば抜けた戦いぶりから、人々は「鬼作左」「鬼殿」と呼ぶようになった。
一軍の将として、数々の武功を重ねただけでなく、兵糧の備蓄、新領・ 駿河の国政務、家康出陣中の守城役、 岡崎城城代を務めるなど、多岐に渡り能力を発揮した。
 
小牧・長久手の戦いの後、天正12年(1584)、我が子”仙千代” が秀吉の人質ような状態になったとき、 巧みに秀吉を欺いて、仙千代を京都から連れ戻しいる。
 
天正14年、家康が秀吉の要請に応えて上洛する際、秀吉の母”大政所” が人質して岡崎に下向した。
作左衛門は、伊井直正と共に守護するが、居館の側に薪を積み、 京都に異変が起これば、直ちに火を付ける体勢をととのえ、大政所を虐待した。
 
6年後の天正18年、太閤秀吉が小田原攻めの途中、駿府城内で秀吉・ 西方武将居並ぶ面前で、 作左衛門は家康を諫言した。小田原攻めの後、秀吉が駿府城宿陣したとき三度、作左衛門を呼んだが、応じなかった。
更に、岡崎城見参御免の事件などで、関白が激怒したと言われている。
 
関白から作左衛門殺害の命が下ったが、 家康は作左衛門を隠して病死と報告 閉居させた。
関白に遠慮した家康は、作左衛門に三千石の知行を与えに留まっが、 一言の不平も言わなかった。
 
1596年、68歳で没した。自分を捨て、 ひたすら主君家康に尽くした作左門… 人々は「三河武士の鏡」とほめたたえた。
家康は、作左衛門の功を忘れず、関が原の戦いに勝ち、天下人となった後、 作左衛門の子”本多成重(お仙)”を、越前丸岡城主、 四万石の大名に取り立てた
 
百万石加賀藩西方に隣接する越前丸岡。万に一つ、 加賀藩が幕府に反旗をひるすようなことがあれば上洛を妨げる要所となる。家康はその要所を、衛門に与えのです。
一筆啓上の本多作左衛門…私たちの故郷と、意外なところでつながっているのです。
 

2011年06月17日

勉強とスポーツ、両立は無理?

■好きな言葉                

焼肉チェーン「えびす」の勘坂康弘社長…今、人生最大の
試練に直面している。 以下は”坂村真民”の詩です。
 
 だまされて善くなり        悪くなってしまっては駄目
 いじめられて強くなり      いじけてしまっては駄目
 踏まれて立ち上がり      倒れてしまっ
ては駄目
 いつも心は燃えていよう 消えてしまっては駄目
 いつも瞳は澄んでいよう にごってしまっては駄目
 
人は困難に出会ったときに、人間としての真価が問われる。
苦労を重ね人間でなければ、人の本当の苦しみや痛みが
分からない。
順風満帆時は、その人の本当の姿は見えてい。
人間の真の価値は、困難に出会った時、初めて試される…。
 
 
873 【心と体の健康情報】
「勉強とスポーツ、両立は無理?」
 
小学校一年の孫娘、週に一度ジャズダンスを習わせている…
同級生にも、我が子を”習い事” に通わせているお母さんが多く、その熱心さには驚かされます。
 
上級生になると、「勉強とスポーツの両立は無理」と塾に通わせて、勉強オンリーのお母さんも少なくない。 その理由は「勉強以外のことに時間を割くのは、学業影響する」 「部活動との両立は、勉強に身が入らなくなる」というが一般
 
スポーツは、大脳・中脳をフルに刺激し、身体の運動能力や反射神経を向上させます。忍耐力や判断力を高め、 環境への対応力が増します。 運動は脳を鍛え、知能の発達を促します。
ストレスを発散させ、 ストレスに負けない健康で強靭な心身を育みます。
 
毎日勉強ばかりでは学習意欲がなえる…部活動ばかりでは学業成績に影響します。 「文武両道」 られた時間を有効かつ集中的に生かし、両立させる… 勉強だけ、 スポーツだでは視野が狭く、 いびつな人間になってしまいます。
 
朝、ウオーキングで薄っすら汗をかくと、 頭がスッキリして爽快な気分になる…脳に血液が回り活性化するのです。
頭の痛い、難しい問題に取り組んでいる時、適度に”有酸素運動”を挟みながら頭を使うと、デスクに座ったままじっと作業しているよりずっと作業効率がアップし、アイデアも涌いてきます。
 
心と体は切り離して考えるものではなく、根底ではつながっていると考えるべきょう。朝雨が降っていたり、 寝起き時などは起き辛いものです。
 
運動すると爽快になり、ストレスが取れることは分かっているが、 滅入っている時や落ち込んでいる時は、運動する気にはならない。
運動が気分にいい影響を与えるのではなく、 健康で気分が良いから運動するのです…運動するから更に気分が良くなるのです。
 
「運動神経が人より劣っている」ことを、運動嫌いの理由にする人がいる。
天才と言われ、オリンピック選手になった人はともかく、 運動神経の有無など関係ありせん…演劇でセリフを覚えるのも、ゴルフが上達するのも、繰り返し熱心に練習すれば、も上達するし、 身に付くのです
 
何事であれ、真剣に取り組む姿勢が大切です。分らなかったら、恥ずかしがらずに、何度で手を挙げ質問する… そのエネルギーは、運動で汗をかく中から育まれるのです。
           (一部、何かからの引用ですが、 思い出せません)

2011年06月23日

火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ(2)

いないのは義経か?弁慶か?
 
徳川家康が、くつろいで座談をしていたとき…
「今の世に、武蔵坊弁慶のような剛勇の士はいないようだな」と言った。
と…頑固一徹の家臣本多正重が、異を唱えた。
「いやいや、弁慶は幾らもござるが、 義経のようなよい大将がござらぬ…て」
 
古川柳に、
「義経は八艘(はっそう)飛んで べかこ(アッカンベー)をし」がある。
壇ノ浦で、八艘飛びの離れ業を演じ、敵にアッカンベーをする義経の得意顔
を詠んでいる。
今日の政界…義経ほどの英知に長けた人物が見当たらないようです?
 
 
874 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 
「火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ(2)」
 
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ
日本一短い手紙…その手紙を書いた”本多作左衛門重次”知る人は少ない。
手紙にある”お仙”という名は、女の子のようだが、跡継ぎ”仙千代” (後の福井県 越前丸岡藩主)ことである。
 
家康が、三河平定した後の永禄8年、作左衛門は天野康景、高力清長と共に「三河三奉行」 に任ぜられた。
分断支配の得意な家康…岡崎の奉行を三人制にして、 一ヶ月交代で勤務させた。
すると住民は、「先月の方が良かった」「今月の奉行はもっといい」 と比べられる。
そうなると三人の奉行、競い合って実績を稼ぐようになる…という筋書きだ。
 
奉行所は、次々と法令を発した。住民に対し「○○すべからず…」 という条文がかった。 ところがその法令…一向に守られない…三人の奉行は額を集め、 探った。
作左衛門は、「条文を書いた高札を持ってまいれ…」と部下に命じた。
一読して、「これではダメだ…漢文ばかりで難しすぎる…住民には読めない。全文仮書き換えるように」と命じた。
 
法令を仮名で書いた前例がない…役人たちは顔をみあわせ、渋った。
しぶしぶ命に従い、書き直された法令…読み下した作左衛門は、 満足そうにうなずき、 最後に筆をとって付け加えた…
「これに背くと、作左叱るぞ」
 
この高札が立てられると、不思議なことに、 住民たちは法令を守るようになった…
最後の「作左叱るぞ」が効いたのです。
三人の奉行を住民たちは、「ほとけの高力」「鬼作左」「どちへんなし (どっちでもない)の天野三郎兵衛」と謡い評した。
 
作左衛門は、鬼のように恐れられていたのです。後に、 秀吉の逆鱗に触れ、閉居させられたように(前号)、ガンコ過ぎて晩年は不遇だった。
                    童門冬二「歴史に学ぶ知恵」より

2011年06月28日

ピロリ菌発見

■信 頼
 
焼肉チェーンの「えびす」…”ゆっけ”中毒事件から丸二ヶ月…
市から営業再開の許可がおりず、取引銀行の支援も得られず、
廃業に追い込まれた。
「一皿100円」のキャッチフレーズが当たり、急成長していた矢先の
「まさか」の失態…
「もしかしたら、うちの店で起きていたかも…」
「ユッケ」を提供している、同業焼肉店の偽らざる思いである。
今回の事件は、焼肉業界に一石を投じ、問題を提起することになった。
 
仮に、えびすが営業再開にこぎつけたとしても、顧客の「安かろう・
悪かろう」 「えびすの肉は怖い」 イメージは拭えないだろう。
再開すれば…事件の後だけに、日本一” 安全・安心”のお店になって
いただろう。
しかし、顧客のこだわり、先入観、 偏見を拭い去りるには、何年もかかる。
顧客の信頼を失ってはおしまいだ…雪印乳業や北海道・ミートホープ
偽装事件のように、顧客を裏切った企業に将来はない。                   
 
 
875 【心と体の健康情報】  
「ピロリ菌発見」
 
数年前…定期健診で胃カメラを呑んだ折り、TV画面に映し出された胃壁が、 白く粉をふいたように真っ白になっていた。
胃カメラは毎年欠かさず呑み、胃や腸の検査をしているに… びっくり。
「ピロル菌が繁殖しています…大丈夫!抗生物質を呑めば、 一月くらいでなります…しかし、 このまま放置すると”癌”になります!」と先生
 
ピロリ菌を発見したのは、オーストラリアのバリー・マーシャル博士と、 ロビン ウォーレン博士の二人。二人は2005年に、ノーベル医学賞を受賞した。
ピロリ菌の繁殖が、胃炎や胃かいようの原因になることを、突き止めたのです。
 
この病気になると、胃が荒れて痛くなり、吐いたりする。
ピロル菌が見つかる以前は、胃から胃酸が多く出過ぎるのが原因…と、考えられていた。当時、 胃酸を減らす薬を呑んでも治らず、ひどい場合には手術をしなけれらなかった。
 
1980年代初頭、ウォーレン博士はオーストラリア西部の病院で、 患者の胃から採った組織に変な細菌がいることに気づいた。
「この病気と関係があるのでは」…といっても、当時、 胃酸が細菌を殺すとみらいたので、博士の考えは学会で採用されなかった。
 
医学に失望し、研究をあきらめかけていたとき、ウォーレン博士に出会った… 二人で研究を再開… この細菌を増やす実験を何度試みてもうまくいかない。
たまたま休みが続き、五日間放置しておいたら、細菌が増えていた。 普通の細菌よりもずっと成長の遅い菌だったのです。
 
この細菌に「ヘリコバクター・ピロリ菌」と名付けた。 大きさは1000分の四ミリ らせん状の本体に数本の尾が伸びている。
アルカリ性物質を出して、胃酸から自らを守っている。
 
ここからが有名な話…マーシャル博士は自ら、 胃炎の原因を突き止める実験台なろうと、 ピロリ菌培養液を飲み込んだ。
一週間後、食べたものを吐くなど症状が表れて、 ウォーレン博士の推測が証明されたのです。
 
その後、ピロリ菌を退治する薬が開発され、胃がんとの因果関係も分かってきた。 日本人の七割が、子供の頃からピロリ菌を持っているという。
しかし、発症して気になるのは、 ほんの一部の人だけ…
なぜ、病気になる人少ないのか? ピロル菌が人体に及ぼす仕組みが、まだ十分わかっていないのです。

米国・州名の由来

■字謎あそび
 
言葉遊びに「字謎あそび というのがある。
江戸時代、庶民の間でトンチを効かせた” 字謎”がもてはやされた。
 
香林坊・東急109の道路向かいに”菊一”というおでん屋がある。
その店の欄間に飾られている色紙に、次のような文章が書かれている。
「春夏冬二升五合」
このまま読んでも意味不明トンチを効かせて読みます。
 
「春夏冬」…秋が抜けている…「秋ない」、すなわち「商い」と読む。
「二升」は、「升+升」ですから…「ますます」と読む。
「五合」は、一升の半分ですから「半升」、すなわち「繁盛」と読む。
これらを合わせると、「商いますます繁盛」となる。
 
「一斗二升五合」 という色紙も並べられている
一斗は五升の倍なので「五升倍」…すなわち「ご商売」 と読む。
「ご商売ますます繁盛」となる。
 
 
876  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~ことば遊び~ 「米国・州名の由来」
 
アメリカ51州、州名の由来をたどっていくと、その土地の先住民、 インディアンの言葉に絡んだものが多いのに驚く。
 
アラバマ  … 北米インディアン・クリーク族の部族名。
                     「茂みを開く」の意味
アリゾナ  … 北米インディアン・パパゴ族の言葉「小さな泉」
アイオワ … 北米インディアン・ダコタ族の言葉「眠い人」
アイダホ … 北米インディアン・ ショショーニ族の部族名
アーカンソー … 北米インディアン・クオーポー族の言葉
                          「下流の人たち」
イリノイ   … 北米インディアン・ アルゴンキン族の言葉「人」
オクラホマ … 北米インディアン・チョクトー語「赤い人々」
オハイオ … 北米インディアン・イロコイ語「きれいな川」
オレゴン … 北米インディアン・ アルゴンキン族の言葉
                    「カンバの樹皮製の皿」
カンザス … 北米インディアンの部族名
 
ケンタッキー … 北米インディアン・イロコイ語「平原」
コネチカット … 北米インディアン・ モヒカン族の言葉
                        「干満のある長い川のところ」
テネシー …  北米インディアンの村の名前
テキサス … 北米インディアン・カドー族の言葉 「友人・仲間」
ネブラスカ … 北米インディアン・オートー族の言葉 「浅い水」
ノースダコタ/サウスダコタ … 北米インディアン・ スー族の
                                                「同盟者」
マサチューセッツ … 北米インディアン・ アルゴンキン族の
                                  言葉「大きな丘」
ミシガン  … 北米インディアン・ チペワインディアン語
                    「大きな湖」
ミネソタ  …  北米インディアンの言葉
                      「乳白色がかった青色の眠い人」
ミシシッピー … 北米インディアン・ オジブエー族の言葉
                          「大きな川」
ミズリー  … 北米インディアン・ アルゴンキン族の言葉
                     「大きなカヌーに乗る人たち」
ユタ     …   北米インディアン・ユテ族の言葉「山の住民」
ワイオミング … 北米インディアン・ デラウェア族の言葉
                          「大平原」

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