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心に残るいい話 「ある六日間」

■子供は天使                                       (職場の教養)
 
アナウンサーのF氏、長男が通う幼稚園の授業参観へ行った時の
ことです。砂場で遊ぶ息子の背中にトンボが止まっていました。
それを見た女の子が、「Kちゃんの背中に天使の翼が生えている」
と言ったのです。
その時、F氏の脳裏に、あるドイツの逸話が浮かんできました。
 
『バスの停留所で乗客が乗り降りし、運転席横のドアが閉まりかけ
 ました。その瞬間、一人の男の子が飛び乗ってきたのです。
 乗客の誰もが、運転手に怒鳴りつけられると思って、注目していま
 した。
 しかし、運転手は「坊や、翼をはさまなかったかい」と…優しい一言。
 男の子はニコッとして、首を横に振ると同時に、乗客たちは、優しい
 眼差しになったというのです』
 
「子供は天使」との思いが、生活に根付いているからこそ、このよう
な温かい言葉や眼差しが、自然に生まれてくるのでしょう。
子供の存在は、世を輝らす無垢の光です。
F氏は、我が子から幸福な時間を受け取ったのでした。
 
 
870 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~心に残るいい話~ 「ある六日間」 
 
心に残るいい話…「理念と経営/くちびるに歌を持て 心に太陽を持て(7)」 を転載します。
   人生を振り返ると、誰もが一つや二つ、忘れられない・ 心に残る想い出を持っている…その時のそのことが、その後の人生に大きく影響するのです。 
 
…高校の卒業式の日、ぼくだけ卒業証書をもらえなかった。
貧農だった父母から仕送りが遅れ、授業料から寄宿舎の食費まで、 三ヶ月分が滞納になっていたからだ。 父は、農協や村人からお金を借りつくし、 もう借りるとこがないに違いなかった。
 
卒業式がすんで、寄宿舎は1、2年生だけになり、3年生で残ったのは、 ぼく1人だけだった。 ぼくの部屋は3年生のぼく、2年生二人、 1年生一人の4人部屋だった。
 
卒業した次の朝から、当然のこと、食堂にぼくの食事は出なくなった。 ぼくは十円も持っていなかった。それで空腹を忘れるため、部屋で蒲団にもぐり、 小説を読んだ。
とにかく、父からお金が送られてくるまで、5日でも一週間でも、 水を飲んででも頑張ろうと思った。
 
ところが間もなく三人の下級生が、茶碗に一杯の飯と、お椀に味噌汁を、 ぼくのところへ持ってきてくれたのです。
三人の飯茶碗から少しずつ分け、味噌汁はまかないの小母さんから、 鍋の底に残ったどろどろの汁を、もらってきてくれたものだ。もともと彼らの飯も、 味噌汁も一杯きりで、お代わりはないのだ。
 
ぼくは食べながら、涙を流した。それから六日間、部屋の三人は、朝・昼・ 晩とぼく分たちの飯を分けてくれ続けた。
七日目に父からお金が届いた。
ぼくは卒業証を貰い、 荷物をまとめて寄宿舎を出た。
 
それから26年の歳月が流れた、ある日…かっての寄宿舎の下級生3人を、 温泉へ招待した。みな、 役所の局長や会社の部長になっていた。
ぼくは3人に、「俺がいままで食った飯の中で、 あのときほどうまい飯を食ったことない」と言った。すると3人は口々に、「そんなことあったべか… 忘れちゃったなあ…先輩もつまんないこと覚えているもんだ」と笑った。
 
しかし、あの16・7歳頃は、丼飯を3杯食べても、腹いっぱいにならない頃だ… 彼らが、あの6日間を忘れるはずがない…忘れたふりをして、 ぼくに気持ちの担をかけまいとしているだけなのだ…。
 
もし仮に、本当に彼らが忘れたとしても、ぼくは忘れるわけにはいかない… なぜなら、3年間で習った勉強よりも、あの6日間で教わった、 「人間の優しさとは何か」ということに、 その後のぼくの人生がつくられたと思うからです。

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