« 井原西鶴の商家経営原則 | メイン | 心に残るいい話 「待つということ」 »

般若心経 「大乗仏教の教え」

■坐禅のこころ             曹洞宗 「坐禅作法」より
 
「禅」とは、インドの古代語「梵語(ぼんご)」の”ゼンナ”を、
当て字で表したものです。
禅を意味するものは、ものごとの真実の姿、あり方を見極めて、
これに正しく対応していくために、心を整えることをいいます。
 
それにはまず、身体を整え、心を静かに落ち着かせます。
好きだ嫌いだ、善いの悪いのと、日頃の雑念に執われていては、
心を整えることはできません。
 
心は一瞬一瞬動いています…その一つひとつを追いかけるのではなく、
我が身をあるがままに任せるようにします。
こうした心の動きに執われないことを、”三昧”とも”無念無想”とも言います。
 
このように、身の回りの事象に執われることなく、”真実”を見極める
ことを解脱という。この解脱を体解(たいげ) するのが禅の真義であり、
その悟りを求めて、日々坐禅修行に励むのです。
 
 
 
879 【心と体の健康情報】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え」
 
大乗仏教の経典「般若心経」…正しくは 「摩訶般若波羅蜜多心経」 といいます。
「摩訶不思議」という言葉がある。「摩訶」とは、サンスクリット語で「大きい・ 偉大」いう意味になり、 大乗仏教の頭文字”大”につながる言葉です。
大乗仏教の教えは、芥川龍之介の作品「蜘蛛の糸」を読むと、 僅かだがその意味理解できます
 
『お釈迦さまがある日、極楽の蓮池を覗き込むと、 はるか下の地獄でもがき苦しむ罪人たちの中に、カンダタの姿を見た。
極悪人のカンダタにも、生前たった一度だけ善行があった。
一匹の蜘蛛を踏み殺そうとしたが、思いとどまり、 命を助けてやったのです。
 
そこでお釈迦さまは、極楽の蓮池からくもの糸を一本、カンダタにたらしてやった。
カンダタは喜んでくもの糸をたぐり、極楽に向って登りはじめた
ふと下を見ると、彼の後から大勢の地獄の亡者どもが、 糸をたぐって登ってくるでないか… このままでは、糸は重さに耐えきれず、切れてしまうだろう
 
びっくりしたカンダタ…「これは俺さまのための糸だ!お前たちは、 極楽に登ることならない…降りろ!降りろ!」 とどなった。
その瞬間、蜘蛛の糸はプツリと切れ、カンダタは再び地獄の底に落ちていった』
 
自分一人が助かればいい…人はどうなろうと知ったことではない… それが地獄に住む者の心です。「みんなと一緒に…」という心があって初めて、 極楽が見えてくるのです。
地獄から天国につながる蜘蛛の糸は、細くて今にも切れそう…
本当は何人ぶらがろうと切れることはなかった。カンダタには、それが分からなかった… 細くてない糸に見えたのです。
 
私たちの心が小さいと、糸は細く弱々しく見えます。
大きな心の持ち主であれば、糸は太く丈夫に見えます…
これが「大乗」の教えであり、「大乗」の意味なのです。
 
「般若心経」は短いお経ですが、多くの人を教え導く”大きなお経” ということで、「摩訶」 の語が頭についているのです。
                                 「ひろさちやの般若心経」より

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.noevir-hk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1514

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ひとつ前の投稿は「井原西鶴の商家経営原則」です。

次の投稿は「心に残るいい話 「待つということ」」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36