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2011年10月 アーカイブ

2011年10月03日

教え魔

■良薬口に苦し

 

れう薬 口ににがし。忠言は耳に逆う
「よく効く薬ほど 飲むときは苦い…
                      人の忠告は 耳ざわりなものだ」
孔子の言動を集めた、中国の「孔子家語」という古典にある
ことばです。
人への忠告も、耳ざわりのいいものでは、効果がない。
それこそ体を張った忠告でなければ、何の役にも立たない。
しかし、それには相手を見きわめる必要がある。
それで怒ってしまうような相手だったら、忠告などしない方がいい。

 

このことわざの中心は、”忠言”の方にある。薬の味をどうこう
言ってみても、仕方あるまい。薬の味を引き合いに出すことで、
「耳ざわりな忠告こそ、聞きなさい」と言っているのです。

 

会議での小数意見は耳ざわりだが、強硬に自己主張して
孤立するのを恐れ、多数意見に相づちを打つ、「長いものに
巻かれろ」的人間が多いだけに、少数意見であっても耳を傾け、
良いか悪いかの判断材料にすべきでしょう。

 

「理念と経営/江戸いろは歌留多」

 

 

903 【心と体の健康】

~幸せな人生~ 「教え魔」

 

ゴルフ練習場でクラブを振っていると、近くで練習している顔見知り…欠点が目に付き、つい教えたくなるのでしょう…後ろにやってきて、「もっと脇を締めて…ヒジが抜けている」「右肩が下がっている…肩の力を抜いて」などとアドバイスをしに来る。

 

言われた通りやってみると…なるほど「いい!」…教える方も熱が入ってくる…そんな親切な教え魔が4~5人、入れ替わりやって来る。
最初の頃は有難かった…言われた通り練習すれば、上達すると思った。

 

ある人は「足を広めに開いて、下半身をどっしり構え、スイングの時頭を動かさない」
又、ある人は「スタンス巾をもっと狭くして…そう、腰の回転が良くなるから…頭が動いても気にしない」

 

皆、言うことが違う…言われた通り練習していたら…何が正しくて、何が良くないのか?…わけが分からなくなってくる。
習ったことを間違って解釈し、練習する私にも問題がある…練習するほどに”変な癖”が付いてくる…修正するのに苦労することになる。

 

間違った練習をいくらやっても、うまくはならない…スイングを理解したつもりでいても、正しいスイング理論を知らずに、ワンポインの手直しばかりでは、上手くならない。
昨年「習う人を一人に絞ったらいい」と言われ、Yさんの指導を受けることにした。

 

スポーツでも仕事でも、経験豊かな先輩…未熟な後輩の欠点が気になり、ついアドバイスをしてしまう。
あれこれ親切に教えても、それは教える人の長年の経験の積み重ねによるものであって、経験の浅い未熟者がやってもうまくいく訳がない。折角のアドバイスが無意味になってしまう。

 

教わる側の能力レベルを考えない、指導やアドバイスは困りものです。
教える人は、相手の習熟度を考慮し、「なるほど、こうすればいいのか」と、教わる人自らが理解し、納得できるまで、指導を焦らないことです。教え過ぎにならないように・・


2011年10月06日

童謡/かごめ かごめ

■イースター島、名前の由来
1000体のモアイで知られるイースター島は、チリ沖 3800kmの
太平洋上に浮かぶ孤島です。
1722年、この島に立ち寄ったオランダ人が、 「イースター島」と
名付けた。この島を発見した日が、 キリストの復活祭「イースター」
だったのです。

 

■「ハッケヨイ ノコッタ」の語源は
がっぷり組んで動かない時は、「ハッケヨイ」
技をかけている時は、「ノコッタ ノコッタ」と行司は気合を いれる。

 

・「ハッケヨイ」の語源は、陰陽道の「八卦良し」から来た説、
・もっと気を発して戦え、「発揮掲陽」から来た説、
・韓国慶尚道の方言、「ハッケヨ(始めましょう)」から来た説、
いろいろな説があます。

 

904 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~ことば遊び~
「童謡/かごめ かごめ」

 

童話や童謡の中には、私たちが長年抱いてきたイメージとは、全く異なる意味が隠されていることがあって、驚かされることがあります。

 

「しゃぼんだまとんだ  やねまでとんだ
やねまでとんで  こわれてきえた
しゃぼんだまきえた  とばずにきえた
やねまでとばず  とちゅうできえた
かぜかぜふくな  しゃぼんだまとばそ」

 

これは”野口雨情”の童謡「しゃぼん玉」です。
雨情が、結婚八年目にようやく授かった女の子…目の中に入れても痛くないほどの可愛がりようでしたが、二歳のとき死んでしまった。亡くなった我が子への父の思いを謡ったのが、「しゃぼん玉」です。
(詳しくはメルマガNo152

 

かごめ  かごめ  籠の中の鳥は  いついつ出やる
夜明けの晩に  鶴と亀がすべった  うしろの正面 だあれ

 

子どもの頃、当時の子どもたちが謡っていた童謡です。
なんとも不思議な歌詞である。謡い出しの「かごめ かごめ」からして?意味が分からない。

 

真ん中に、目をふさいでしゃがむ子どもを、5~6人の子どもが輪になって、手をつないでくるぐる廻る。遊び方から、「囲め囲め」の意味だという説。

 

この謡の発祥地と言われ、「かごめの像」が立つ千葉県野田市では、川の水門を通る時の「かがめ かがめ」が転じた言葉だと言う。
他に、「カモメ」がなまって「かごめ」になったという説もある。

 

この童謡は、江戸時代の絵入りの読み物、「黄表紙」にも載せられていて、”かごめ”は、篭女(かごめ)…籠から出られない女…つまり”遊女”のことをいう…というのが、最も有力な説です。

 

家が貧しく、やむなく遊郭に身売りした娘のことを、いつになったら出られるやら…と、親が心配する様子を謡っている。
「おしん」が、いかだに乗せられ川を下っていくときの、貧しい山村のひとコマが浮かんでくる。

合田道人「童謡の風景」より


2011年10月11日

目を見て”ダメ!”しっかりと

■小学校低学年の子どもに身に付けさせたい「四つの力」

 

(1)「生きる力…しつけ」
    「命・絆・心・夢」に関する四つ
    それぞれ、正しい生活習慣を身につけさせる

 

(2)「学ぶ力」
    ・漢字を読む力     ・本を読む力     ・モノを数える力

 

(3)「考える力…創造する力」
    ・作文能力     ・モノを描く能力     ・話す能力

 

(4)「人と交わる力」
    ・集団の中で遊ぶ力(挨拶、かたづけ、協調、援助)



905 【心と体の健康情報】
~子育て~
「目を見て”ダメ!”しっかりと」

 

私の娘は夫婦共働きで、二人の子供がいる…長女は小1で、長男は幼稚園。
週に数回、娘が仕事で手が離せないときは、孫の送迎を引き受け、孫を預かり、遊ばせている。

 

今日は、若いお母さんの「レッスン日」…会社の一画に臨時の遊び場を作り、幼児を預かる。子連れのお母さんが実習室にいる間、子どもを預かり、遊ばせるのです。

 

しばらくして、年長の子が、年下の子が持っている玩具を取って、泣かせてしまった。
お姉さんが駆け寄って、「○○ちゃん、よその子のおもちゃ、取っちゃダメ!」と叱るが…知らんプリ。
いたずらを叱っても、言うことを聞かない○○ちゃん。

 

そこでお姉さん…○○ちゃんを抱きかかえて立たせ、子どもと向き合ってしゃがみ、同じ目線で○○ちゃんの目をしっかり見ながら…「○○ちゃんダメよ! お友だちが遊べなくなって困るでしょ!」と言って聞かせる。
すると○○ちゃん…ビックリした様子で、お姉さんの顔を見つめ、無表情になった…「なんで叱られるの…わからないよ~」といった反応をしている。

 

○○ちゃんは、日頃からよくいたずらをする。○○ちゃんの母親は、度を過ぎたいたずらをしたとき、一応注意はするものの、きちんと対応して、叱ることをしなかった。

 

お母さんは、叱るとき大きな声を出すが…いつものこと…その声は、○○ちゃんの頭の上を通り過ぎていってしまう。

 

■幼い子どもを注意するとき
  悪いことをしたその瞬間、しっかり目を見て、
  「お母さんは怒っているよ!」と、幼い子に伝わるように、
  怖い顔をして、言って聞かさなければなりません。
  後になって、「あの時…」と注意しても、
  子どもには何のことやら、チンプンカンプン。
  大人の中途半端な対応は、子どもを混乱させるだけです。
  ※犬を躾ける時も同じです。

 

■人に対する配慮ができない子ども
  子どもに、やって良いことと悪いことを、
  きちんと教えようとしない親が多い。
  何をやっても我が子が可愛くて、
  人と仲良く交わることの大切さを教えない。

 

  ファミレスで、大声を上げて走り回る子に、
  誰かが注意すると、我が子を抱き寄せ、 
  注意した人をにらみ返す親がいたりする…。

 

  公の場で、子どもが他人に迷惑になるような行為を
  しても、気にならない親が多すぎます。

 

乱暴で我がままな子どもは、友だちから相手にされなくなる。
その子の親は、「我が子が仲間はずれにされている」事実だけに目を奪われ、神経を尖らせる。
幼稚園の先生は、「そうした親に、どのように話をし、説明すれば、その原因に気づいてもらえるか」…思い悩むのです。

 

金沢大学院教授 きむら・るみこ「子どもって/しつけ」より

2011年10月13日

~県民性~ 「生活習慣」

 

■越中ふんどし

 

加賀といえば「加賀友禅」、越前は「越前竹人形」…

ところが越中といえば「越中ふんどし」が浮かんでくる。

No856の「越中強盗」の話といい、富山県人に恨みでもあるのか

と言われそうです。


落語家の故”桂文治”(元落語芸術協会会長)師匠は、

”越中ふんどし”を生涯愛用していたことで知られる。

「風通しが良くてネ、気持ちがいいよ!

                          なにしろ自由自在だかんネ」

と、楽屋でふんどしを見せながら、得意満面だったという。

ひらひらとして、頼りなさげの越中ふんどしだが…これもマニア。

「これでなくちゃ男ではない!」と、男の意地を貫いた。


子どもの頃銭湯へ行くと、年寄りは越中ふんどしだった。

私も小学生の頃は、六尺ふんどしで泳いだものです。

日本男児の象徴”褌”…今は一人として、お目にかかれない。

 

906 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~県民性~ 「生活習慣」

 

県民性の違いは、生活習慣にも現れる。

富山や福井県民の日常の暮らしは、極めて質素。

それに引き換え、金沢市民は見栄っ張りで、着倒れ、食い倒れの一面がある・・加賀百万石の風土がそうさせるのでしょう?


富山県民の生活は、食べるもの着るもの、いたって質素・・
でも、子供の教育費は日本一です。一人当たりの居住面積も日本一。

対する石川県、一所帯当たりのゴミは日本一…
暮らし方が贅沢だから?
県内に大きな温泉町が6ケ所あるのが原因でしょう…
でも褒められたものではない。


富山県と福井県は、昔から結婚式や葬式は派手に見栄を張る。対する石川県はいたって質素。

古い話になるが、砺波の大きな会社の会長さんが亡くなられた。

その時、花輪を一対出してほしいと言われたが、葬式当日・・お寺さんの100メートルも手前から、道路の両脇は花輪でびっしり…200本はあったろうか。

当社の花輪が見当たらないまま、葬儀場に入ったのを覚えている。

石川県で、開店祝いに花輪が並ぶのはパチンコ店の開店ぐらい。

福井県では、商店の開店祝いに造花の花輪が贈られる…
派手で目立てばいい…直径四メートルもあって、花輪の大きさは日本一。

貰ったお店は飾る場所に困るし、贈る方は人より先に届けて、よい場所を確保しようとする。


富山市の友人の結婚式・・引き出物は、30センチもある”鯛のかまぼこ”に、持てないほどのお土産が付いた。

近頃は地味婚が流行る…葬式も、身内だけで質素に済ませる家が多くなった。


花輪も、祭壇の両サイドの親戚の生花も、菓子盛りもないいたってシンプル・・取引先にも知らせず、親戚と親しい知人のみの、質素で控えめな葬式をした友人の社長…世間体や虚栄、見栄を排除した葬式は初めて・・


十年くらい前まで、富山市内でお客様と食事を・・と思っても、気の利いたレストランや喫茶店がなく、昔からの店ばかり。大きなサウナもなく、金沢に比べると街全体が地味に見える。反対に金沢は、何事も派手さが目立つのです。


金沢では、座敷にお通ししたお客様に、上品な和菓子を半紙に載せて出し、お帰りに包んでお持ち帰りいただく慣わしがある。

富山県は、ばら菓子を入れた器が置かれるが、つまむわけにもいかない。初対面だと、茶一杯出ないこともある。
金沢人から見ると、ケチくさく感じるのです。これも、お金にはしびやでつましい、富山県民気質でしょうか?

2011年10月17日

~幸せな人生~ 「志」

■[ 第一歩 ] 後藤静香

 

十里の旅の第一歩 百里の旅の第一歩
同じ一歩でも  覚悟がちがう

三笠山にのぼる第一歩 富士山にのぼる第一歩
同じ一歩でも  覚悟がちがう

どこまで行くつもりか どこまで登るつもりか
目標が  その日その日を支配する

 

 

907  【心と体の健康情報】 

~幸せな人生~ 「志」

 

若い人と向き合っていて、危機感を感ずるのは、歴史を知らな過ぎるということと、将来自分が何になりたいのか? 明確に言える若者が少ないということです。


世の中が豊かになるにつれ、人々の将来への「視野」が狭くなってくる。「今が楽しければいい・・」「自分から望んでまで苦労することはない」といった生き方になってくる。

国や社会に無関心になり、世の中の動きにも関心がない。過去も未来も、歴史も関心がなく、周りのことなどどうでもよくなってくる。


戦後の貧しく、食べるものがなかった時代は、逆に視野が広かったように思う。社会に目が向き、若者は皆「今のままでは駄目だ…何か行動を起こさねば」との思いに突き動かされていた。


若い人に、「尊敬する人いる?」って尋ねると、たいていは「父や母、上司」と答える。よくよく聞いてみると、それ以上尊敬できる人が、イメージの上に湧いてこないのです。
   

(「志ネットワーク」上甲 晃)


すべてに豊かで満たされた環境で暮らしていると、今以上にはなりたいと思わないし、努力する気にもなれない。

今以上に、将来に求めるものが見えてこないのです。

過去にも未来にも無関心。時代を切り開いてきた先人達の生き方を知ろうともしないし、知らないのです。


一度しかない人生…を胸に秘め、「そうなりたい」と努力してこその人生です。自分一人の幸せを求めるのは、小さなことです。

故郷のため…日本のため、世界のために…何が出来るのか…何を志ばいいのか? 夢に向かって人生を歩んでいく。

家庭で、学校で、大きな災害に打ちひしがれている今だからこそ、自らの「志」とは何かを、改めて自問してみる必要があるようです。

2011年10月20日

県民性(4)


■方言

 

交通網が整備され、あれほど遠かった信州・軽井沢が、高速

道路なら3時間半で着いてしまう。東京・金沢間も、新幹線が

開通すれば2時間半。昔に比べれば、近くなったものです。

 

なのに、ほんの数キロ隣町の住人の話し方やアクセントが、

微妙に違っている。毎日、テレビが標準語で語りかけてくる

のに、私たちの方言やなまりは頑固に変わらない。

 

生まれ育った土地の環境・風土・慣習・食べ物、そして幼い頃

身についた方言などが、故郷への郷愁となって、恋しくいとお

しく感じるのです。

 

908 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~県民性(4)~

 

無計画に買い物をして自己破産する件数は、何につけ見栄っ張りな石川県が全国31番目なのに対して、お金にはシビアな福井県と富山県は、全国最下位と、下から二番目の46

位なのは、納得できる順位です。


福井県民は、勤倹貯蓄体質の越前商人の輩出地です・・

無駄遣いをしない…日頃から質素倹約に努め、財産を残そうとする。一世帯当たりの預貯金は全国一位で、2,202円。共働き率も全国第2位です。


富山県民も負けずによく働く。経済観念が発達し、生活はいたって質素。損することがわかっているギャンブルに、手を染めたりしない。

結婚したら共働きで、立派な家を建てるのがステータス。

居住面積だけでなく、持ち家率も全国一位なのです。


昔、加賀の人は「越中強盗、加賀乞食、福井詐欺師」と、働き者で商い上手の、富山・福井の商人を揶揄したが、金沢の商人はボッコリして争いを好まない、老舗のぼんぼんが目につくのです。

近年、富山・福井・岐阜から、石川県に進出する大型店が目立つ。いずれ、県内企業は淘汰されてしまうかも…


我が社の例では、金沢の代理店の女性所長…
お客様のところへ出かけるのに、セールス鞄を近所の人に見つからないよう、風呂敷に包んでいた。

見栄っ張りで、世間体が気になる金沢人を象徴した話です。


金沢の商家では、「嫁をとるなら富山から」と言う…

「富山の嫁はよく働く」というのがその理由。

富山の女性は、YES、NOをはっきり言うので、可愛げがないが、素直でグチ一つこぼさず、コツコツ働くので、重宝するのです。

 

2011年10月24日

お釈迦様の教え

 

■「盲亀流木のたとえ」


ある時、お釈迦さまが弟子に「そなたは人間に生まれたことを

どのように思っているか?」と尋ねられました。

「大変喜んでおります」と弟子が答えると、お釈迦さまは、

次のような話をされました。

『 果てしなく広がる海の底に、盲目の亀がいた。

その亀は、百年に一度海面に顔を出すのだ。

広い海原に、一本の丸太が浮いていて、

風の吹くまま西へ東へ、南へ北へと漂っている。

丸太の真ん中に、小さな穴が開いていた 』


「弟子よ、亀が水面に浮かび上がった拍子に、この丸太の穴に

ひょいと頭を入れることがあると思うか?」

聞かれた弟子は驚いて、

「お釈迦さま、百年に一度しか浮上しない亀にとても無理な話、不可能です」

「絶対ないと言い切れるか?」とお釈迦さまが念を押された。

そして言われた。

「弟子よ、私たちが人間に生まれるのは、亀が丸太の穴に首を

入れるよりもっと難しいことなのです…有難いことなのです」


※「有難い」とは「有ることが難しい」…つまり滅多にないことを言う。


909 【心と体の健康】

~お釈迦様の教え~

「黒白二鼠(こくびゃくにそ)の喩え話」


お釈迦さまは、35歳でさとりを開き、80歳で亡くなるまでの45年間、教えを説かれた。そして、七千余巻の仏典をまとめられたのです。

仏典の要所に、お釈迦様が仏の道を説くときの喩え話が折り込まれている。その中の一つに、「人間とは?」をテーマにした、「黒白二鼠」の喩え話がある。


『秋、旅人が山道を歩いていると、白骨が散らばる森に出た。
ふと見ると、飢えに狂った虎が、こちらに向かって来るではないか。必死に逃げたが、その先は断崖絶壁・・逃げ場を失ってしまった。


崖っぷちの一本の木に、藤ツルが垂れ下がっている。

天の助け、ツルにぶら下がって、間一髪難を逃れた。

やれやれと崖下に目をやると、荒波が打ち寄せ、白波が立っている。三匹の毒龍が、海面から頭を伸ばし、獲物にありつこうと、荒れ狂っているではないか。


陸に目をやれば、野火の炎がこちらに向かってきている・・

木が炎に包まれたらそれまでだ。


命を預けた頼みの藤ヅル・・見上げると、白と黒の二匹の鼠が、交互にカリカリつるをかじっている。鼠を追い払おうと、右に左に藤ツルをゆすると、大きな蜂の巣に触れる。

驚いた蜂は、旅人を襲おうとする。


蜂蜜がつるを伝って垂れてきた・・一口なめた蜂蜜の何と美味なこと・・余りの美味しさに、虎や龍や野火の危険が・・死が目前に迫っていることを、忘れてしまった』


この喩え話を、人の生き死に置き換えれば・・

」は人生、「旅人」は今を生きるすべての人間を指す。

」は、人生の寂しさを表す・・「独生独死、独去独来」

人は一人生まれ、一人死んでいく。一人この世に来たり、一人去っていく。自分のことを、何から何まですべて理解してくれる人間は、一人もいない。


白骨」は、いずれ自分も死んで白骨になることを暗示している。親・兄弟・親戚・知人・・突然死を知らされたとき、いずれ我が身と、ドキッとする。


飢えに狂った「」は”無常の風”・・明日の己の命がどうなるか、わかりようがない。人は病だけでは死ねない・・東北大震災のごとく、いつ思わぬ無常の風に誘われるかわからない。

運悪く無常の風が吹いたら、死ななければならない。

人は皆、生まれたときから、飢えに狂った虎を心中に持っていて、いつ襲われるかわからないのです。


野火」は残された人生と老病を、「藤ツル」は人間の寿命を、垂れてくる「」は五欲、「」は邪思を表し、人生のはかなさを説いている。


白と黒の鼠」・・白い鼠は昼を、黒い鼠は夜を表す・・

昼は白い鼠が、夜は黒い鼠が、交互に藤ヅルをかじり、昼と夜を繰り返して、残された寿命がかじられ、減じていく。

最後に噛み切った鼠が、白い鼠であれば昼に死に、黒い鼠なら、夜死ぬことになる。


三匹の毒龍」・・青龍、赤龍、黒龍、三匹の毒龍が水面で暴れている

青い龍は”欲の心”を持っている。欲には、食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲の五欲があって、欲の本質は「我利我利亡者」・・己の欲を満たすことにのみ囚われる。

赤い龍は”怒りの心”(怒ると赤い顔になる)。

黒い龍は”愚痴の心”・・人を妬み、恨み、心は醜く汚い。


人生とは、この喩え話のようなもの・・すべての人に当てはまる・・過去に囚われ、将来を憂えたところで、どうなるものでもない・・今に感謝し、今を充実して生きることが大切なのです。

2011年10月27日

壊すことから始める

■凡事徹底

昭和36年の創業当初は、吹けば飛ぶような弱小企業だったイエローハット。

取引先に営業にいっても軽くあしらわれ、屈辱を胸に抱いて帰ってきた。

その屈辱を癒そうと、鍵山は会社のトイレを毎日ピカピカに磨き上げた。


更に鍵山は、会社の周囲の道路も隅々まで掃き清めた。いつの間にか

従業員もそれに習うようになった。そしてイエローハットは急成長を遂げた。


掃除がなぜ経営に好影響を与えるのか?

分かる人にはすぐピンと来るものがあるだろう。分からない人はいつまでも

疑問を持ち続ける。

掃除を徹底すること、つまり凡事を徹底することが”社風”となり、骨惜しみ

せず心配りのできる従業員を育て、取引先の信頼を勝ち取り、成功への道

が拓かれたのです。

          「理念と経営/経営至言”道”」

 

910 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「壊すことから始める」


以下、今週の倫理737号を転載します・・

会社が逆境に陥った時、それを克服するために必要なことは何でしょうか。

駿河台大学の水尾順一教授は、会社を甦らせる七つの法則を挙げています。

①壊すことから始める   ②カネを惜しまない 

③何があっても「顧客満足」

④「威張らない上司」を養成せよ

⑤社員がのびのび働ける環境をつくる

⑥「らしさ」で団結    ⑦社会から離れない


今回は、第一の法則である「壊すことから始める」にスポットを当てます。

大きな成功を得た経営者は、ともすると過去の成功体験に引きずられがちです。かっての成功体験を、いまだに心地よい思い出として持っていて、現在の経営を過去の体験でしか考えられない状況に陥っている。


ここで大切なのは、状況が変わってしまえば、過去の成功体験など通用しないことを思い知ることです。

近年、不況風が吹くゴルフ業界も、石川遼、伊藤誠道、宮里藍といった若手プレーヤーの進出によって、新たなゴルフ人口が育ってきている。


そうした中、米国金融グループのゴールドマン・サックス傘下で、急成長したAゴルフ場のT社長は、ゴルフの常識を壊す新しいビジネスモデルを構築して、大成功を収めた。


まず顧客ターゲットを、社用族から定年退職を控えた団塊世代や女性、若者に切り替えた。

利用目的も従来の接待型から、レジャーやスポーツ、なによりも健康増進のためのゴルフを、世間にアピールしたのです。

新しいゴルフ文化を創造するため、T社長は「サービス四原則」を定めた。

1、常に快適なラウンドを約束する、良質な

ゴルフコースを提供する。

2、顧客の多様なニーズに応えられる、多様な

プレースタイルを提供する。

3、専門店のように充実したサービスができる、

プロショップを提供する。

4、ゴルフ場での一日を心から楽しんでいただく

ために、リーズナブルなレストランを提供する。


金沢市近郊の7ケ所のゴルフ場はすべて、経営不振に陥り破産した。為に、私の会員権も紙屑になってしまった。

7ケ所の内5ケ所は、全国に百ケ所以上所有する、二つの大手企業に買収された。


新しい経営陣は、上記”四原則”を掲げ、徹底した人件費削減と合理化・スリム化によって、プレー代が半額(最安値は、平日メンバー料金三千円)になった…

隣県からの来場者も目立つようになり、全盛期を上回るにぎ

わいを見せている。

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