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2011年11月 アーカイブ

2011年11月02日

二兎を追うものは一兎も得ず

■風 評

 

アメリカの子どもは、友達がみんな持っているから「いらない」と言う。

日本の子どもは反対で、みんな持っているから「欲しい」とねだる。

 

私たちは、ものごとをニュートラルに、自由な目で見ているだろうか?

友だちの多くが、「あの人は悪い人だ」と言えば、悪い人に見てしまう。

 

原発の風評被害のように、情報のすべてを把握する以前に、その時

の世間の風評を信じて、良し悪しを判断をしてしまう。

 

 

911 【心と体の健康】

~幸せな人生~

「二兎を追うものは一兎も得ず」

 

人生で私が貫き通したことに、「二兎を追うものは一兎も得ず」がある。

人生を振り返ると、21歳、28歳、38歳の3度、それまで打ち込んだ仕事の縁を切り、勤めていた会社を辞めて、未経験の異業種の世界に飛び込んでいった…

今の仕事の何倍も可能性が広がることに賭けて…


新しい仕事の見通しが立ったら、今の仕事を辞めよう…

というように二兎を追っていたのでは、新たな人生の扉を開くことは出来ないでしょう。


以下は”ひろさちや”の「ほどほど人生論」からの抜粋です。

「二兎を追うものは一兎をも得ず」は、ローマ時代のことわざを日本語に訳したものです。

欲張って二羽の兎を捕らえようとすれば、結局は一羽も捕らえられなくなる…同時に二つの事を一度に為そうとすれば、二つとも失敗してしまう。


よく考えてみれば、左右反対方向に逃げていく二羽の兎を、同時に追いかけるバカはいない。同時に二羽の兎を追うのは、二羽がくっついて同じ方向に逃げて行った時だけである。

私たちは「お金持ちになれば、幸福になれる」と思っる。     故に、幸福になりたかったら、お金持ちにならなければならないと考えてしまう…これが二兎を追うことになるのです。


即ち、金持ちが一兎で、幸福がもう一羽の兎になる。

考えてみれば、金持ちと幸福は同じものではない。

「金持ちになれば幸福になれる」と思い込むのが間違いで、金持ちで幸福な人もいるが、金持ちで不幸な人も大勢いるのです。

逆に、貧乏だから不幸になるとは言い切れません。貧乏でも幸福な人は大勢います。

つまり、金持ちになって幸福を得ようとするのは、金持ちと幸福の二羽を同時に追いかけることになり、一兎も得られないことになる。

2011年11月03日

落語・たらちね

■ことばの語源 「オッス!」


挨拶を交わす言葉に「オッス!」がある…その語源は?

青年が、同輩または年下に向かって交わす「オッス!」

親しみを込めた挨拶ことばで、戦後間もなく、部活などで頻繁に

使われるようになった。


「オッス!」の語源は「おはようございます」が詰まったものです。

「おはようッす!」と縮まり、頭の”お”とおしまいの”す”を残して、

真ん中をすべて省略…「オッス!」になった。

 

912 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「落語・たらちね」

 

「たらちね」は古典落語の名作です。あらすじは知らなくても、題目はご存知でしょう。

前座の頃に身に付けるネタで…難しいので、きっちり噺せて、なお且つ笑いが取れるようになったら、二つ目が見えてきます。

語りの中で出てくる「チンチロリンのサ~クサク…」は、故植木等が、全盛期の頃歌って大うけしたことは、今も忘れられない。


♪人は好いが、貧乏でなかなか嫁の来てがなかった八五郎に、長屋の大家さんが、願ってもない縁談を持ち込んできた。
しかも、炊事・洗濯・縫いものは一通りこなし、嫁入り道具まで一揃い持って来るという。


器量も十人並み以上と、なかなか悪くなさそうだ。

あまりの好条件に、かえって驚く八っつぁん…

何か事情でもあるのかと、尋ねてみると、相手の女性には

傷があるという。

「なんです…傷ってのは…あっ、おでこに三日月の形をした

傷があるとか…」


『そうじゃないよ。実はね、屋敷奉公のせいで、ちょっと言葉が
丁寧すぎるんですよ』

「へっ、丁寧すぎる? いいじゃありませんか…

おいらなんか乱暴すぎるって、怒られているんだから、

丁寧ならいいでしょう…よ~し、貰ったぞ! 嫁に貰いました!」


さあ、それからは嬉しくてしかたがない。

「ついに俺にもカカァができるんだ。そうなると、飯を食うの一つとっても、今までとは大違いだぞ。

お茶漬けなんぞ食っても、カカァは小さい茶碗でチンチロリン、上品に箸を使ってサークサク、沢庵食べてポ~リポリ…

チンチロリンのサークサク、サークサクのポ~リポリ…
とくらぁ」

「俺はガサツだから、大きい丼でガンガラガンのザックザク、

ボーリボリとくらあ…ガンガラガンのザックザク、ザックザクの

ボーリボリ…」


わけのわからない妄想で、すっかり盛り上がっているうちに、

いよいよ新妻がやって来る。

ひと通りの家財道具が運び込まれ、仲人として付き添ってきた大家が帰ると、ついに二人きりに…。

「いけねえ、まだ名前も聞いてなかったな…あの~お前さんはなんてえ名前だい」


『わらわの姓名を問いたもうや? 父はもと京都の産にして、

姓は安藤、名は慶三、あざなを五光と申せしが、わが母

三十三の折、一夜丹頂鶴を夢見、わらわをはらめるがゆえに、たらちねの胎内を出でしときには、鶴女と申せしが、

それ幼名、成長の後これを改め、清女(きよじょ)と申しはべるなり』


「え~ッ! 今のが全部名前かい? こりゃ大変だ…
まあいい、明日にでも相談して短くつめるよう…じゃ…
もう寝るか」

さて、あくる朝。働き者の嫁は、すっかり膳を整えて八五郎を

起こしにかかる。


『あ~ら我が君、日も東天に出現ましませば、早々ご起床召され。うがい手水(ちょうず)に身を浄め、神前仏前に御灯明を供え、御飯召し上がって然るびょう存じはべる。恐惶(きょうこう)謹言』

「朝飯で恐惶謹言だぁ? なら、酒を飲んだら、酔ってくだんの
ごとし…だろう」

2011年11月07日

二兎を追うものは一兎も得ず(2)

■こだわり・常識を見つめなおす

 

私たちの頭の中には、世間の常識がいっぱい詰まっている。

今の日本人の最大の常識といえば、

「お金持ちは幸福だ…お金があれば幸福になれる」

誰もが、こうした常識にとらわれている。


よく考えてみると、常識といわれるものに、間違っているものが

多々あるようです。そうした常識を一度きれいに捨て去り、

「自分にとって…幸せとは何か?」を、自由な発想で

考え直してみる必要があります。


人によって、幸福への道のりは様々…

人それぞれ違うことに気づかなければならない。

例えば、親の言うままに一流大学に入り、一流企業に就職する

ことが、自分に最もふさわしい人生の選択なのかどうか?

 

                                     ひろさちやの「ほどほど人生論」から

 

 

913 【心と体の健康】

~幸せな人生~

「二兎を追うものは一兎も得ず(2)」

 

商売が順調だと、もっと売上を上げたい、もっと会社を大きくしたい、もっとお金儲けをしたいと思うようになる。

金沢で一番になったら、北陸で一番に…北陸で一番になったら、中部で一番、日本一の会社にしたいと…「成功」の兎は、どこまで行ってもキリがない。


己の器が何ほどかも知らずに、事業拡大を掲げて突っ走った。投資が増え、借金が増えてくる…借金を返済するために、積極経営にならざるをえなくなる…生活に潤いがなくなり…気付いたら資金繰りに追われて四苦八苦…金持ちも幸福も遠ざかってしまうことになるかも。


故に、金持ちになって、不幸になることも承知の上で、金持ちになろうとすることです。

会社が大きくなれば、世の中から成功者と言われ、地位・名誉・お金・幸福の全てが手に入ると思っている…いつしか、2兎どころか、3兎も4兎も追いかける亡者になり、「裸の王様」になっていく。


以下、「理念と経営10月号/荘子の教え」から・・

役人は官吏として栄達し、知謀にすぐれた者は頭角の機会を待ち構え、軍人は戦争が起こればいいと待っているし、農夫や商人は儲けたい一心で働く。

つまり、金銀財宝を積み上げることに熱中する。そのうちに己の器が何ほどかを忘れてしまい、成功を掴むと、自らなすべき本質を忘れてしまう。

自分が他人より抜きんでていると高慢になり、自分の能力や技を自慢するようになり、ついには身を滅ぼすことになる。

ここで、荘子の説話の中でも有名な「高慢な猿の死」が語られる。

呉の国の王が長江に船むを浮かべて、猿の住む山に行ったことがある。猿の群れは船を見るとあわてふためき、水辺の住家を逃げ出し、深い灌木の茂みに逃げ込んで、身を隠した。

ところが一匹の勇敢な猿が、木の枝を掴んで飛び回り、王に自分の素早い動きを見せつけた。

猿に矢を射ると、素早くその矢をたたき落とした。

王は何人もの漁師に命じて、間をおかずに矢を射させたので、とうとう猿は木から落ちて死んでしまった。

王は言った「この猿は自分の素早い技に自惚れ、その敏捷さを自慢して、私を馬鹿にした。この哀れな死にざまを見よ! 皆も他人に尊大になってはならんぞ」

2011年11月10日

かぐや姫に求婚した五人の男

■「ならぬもの」

 

        忘れてならぬものは    …恩義
        捨ててならぬものは    …義理 
        人に与えるものは       …人情

 

        繰り返してならぬものは …過失
        通してならぬものは        …我意

        笑ってならないのは        …人の失敗
        聞いてならないものは     …人の秘密
        お金で買えないものは    …信用

 

 

914 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「かぐや姫に求婚した五人の男」


日本最古の物語といわれている「竹取物語」

竹取の翁夫婦に育てられたかぐや姫は、絶世の美女になり、世の男たちの憧れの的になった。

最後まであきらめなかった5人の貴族に、かぐや姫は求婚を受ける条件として、一人ひとりに難題を課した。


「仏の御石の鉢」を持ってくるようにと言われた一人目の皇子は、最初から入手をあきらめ、手近な山寺の鉢でごまかそうとした…あっさりかぐや姫に見破られ、振られてしまった。


二人目の皇子は、「蓮菜の玉の枝」を求められた。

そこで、当代最高の職人に、本物に寸分違わぬレプリカを作らせた。レプリカとはいえ、誰の目にも本物に見えた。

あと一歩というところで職人がやってきて、まだ支払われていない代金を請求したため、ウソがばれてしまった。


3人目の左大臣”安倍みむらじ”は、依頼を受けた「火鼠の襄」を手に入れるため、唐の国の貿易商人”王恵”という人物に捜索を依頼した。しかし、王恵が持ってきたのはにせ物で、かくや姫の期待に沿うことはできなかった。


これら三人は、自ら汗することなく業者に丸投げ。その上、依頼しただけで、なんのチェックも行わず、にせ物でごまかそうとした。

四人目の”大伴の大納言”は、「龍の首の珠」を求められた。

彼はすべての家来に「龍の首の珠」を手に入れるよう命じた。

家来たちはみな途方に暮れ、主人の悪口を言うだけで、結局よい知らせを持って来た者は、一人もいなかった。

具体的方策を示さず、ただ数に頼ったことが失敗の原因だった。


最後の中納言”石上のまろ”は、求められた「燕の子安貝」を手に入れようと、目的を家来に伝え、「燕の巣があったら知らせるよう」命じた。

ある者は、「いくら燕の巣を探しても、見つからないだろう。でも、出産の時なら…もしかしたら可能かも…」との情報を持ち帰った。


別の家来は、「大炊寮の屋根裏に沢山巣がある。出産の巣が見つかるかも…」と進言した。

そこで、大炊寮に人を遣わし、子安貝を取らせようとした。

自らも現場に出かけ、「燕が尾を上げて七回回ったときが、出産の時」といった情報を入手した。


そこで、自ら屋根裏に上がって、あれこれ捜し求めたが、落っこちて、大怪我をしてしまった。

これを聞いたかぐや姫、自ら手紙を出し同情した。
かぐや姫から好意を寄せられたのは、最後の中納言だけであった。


彼は、他の4人とは違っていた…難問を問題別に小分けし、多くの人たちの知恵を集め、情報を収拾し、自ら危険に立ち向かい、問題解決の方向に近づこうと、確実な努力の積み重ねをしたのです。

2011年11月15日

般若心経・大乗仏教の教え(7)

■仏教と般若心経

 

日本人に一番人気があり、読まれているお経は般若心経です。

日本仏教のほとんどの宗派が、このお経を読みます。

読まない宗派は、浄土真宗と日蓮宗だけです。

信者数が多いこの二つの宗派が、般若心経を読まない

わけは、読む必要がないからです。

 

浄土真宗は、仏説無量寿経(大経)、仏説観無量寿経(観経)、

仏説阿弥陀経(小経)、三経を読んでいればよく、

日蓮宗は「法華経」だけ、読んでいればよいからです。

宗派にとって、必要がないから読まないだけであって、

読んでいけないわけではありません。

 

般若心経が、日本人に愛される第一の理由は、経文が

300字足らずと短いことです。第二は、「般若心経」が

大乗仏教の奥深い思想を説いていることにあります。

 

                                     ひろさちやの般若心経第一講

 

 

915 【心と体の健康】

~般若心経~ 「大乗仏教の教え(7)」

 

大乗仏教の基本教理は”空”…「物を実体視するな。差別するな。よしんば差別をしても、その差別にこだわるな!」と説く。


私たちは日頃様々なモノを比較して、そのことに”こだわり”生きている。 ”幸福”を例に挙げてみると、誰もが幸福になりたいと願っている。ならば、幸福というもの、どうすれば、どこに行けば手に入るのだろう?


メーテルリンクの童話「青い鳥」・・幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、散々探し回った挙句、自分たちの最も身近なところ…鳥籠の中に幸福があったのです。

”幸福感”は、誰でも感じることができます。
しかし幸福は、探し求めても見つかりません。


例えば暮れのボーナス・・今の会社の現状から、今年のボーナスの支給は少ないだろう…

去年の半分の20万円貰えれば、まあまあ幸福だろう。

ところが、25万円貰えることになった・・これは「やったぜベイビー」である。
次の日、同業の友人が「うちは30万円出た」と言った瞬間、幸福感は泡のごとく消えてしまうのです


戦前までの日本人・・幸福感を物や金銭で量ることに、庶民の心は向いていなかった。

戦後になって、アメリカ型拝金思想が、日本人の心を蝕むようになった。金儲けの為なら…バレなければ…モラルに反することをしても、「何が悪い」と開き直る。挙句露見して、社会からバッシングを受ける事例は、枚挙にいとまがない。


日本人は「幸福」とは言わず、「仕合せ」と言う・・ここが日本人にしかない幸福感です。西洋とは違う思考で幸福を見るのです。

物質面で金銭面で、己の欲望を大きく満たすことで、幸福を大きくしようとするのが西洋。

日本人は、禅に見られるように、そうした欲望を小さくしていくことで、幸福を大きくしようと考えたのです。

                                                                            中村靖雄「広やかな心」より

2011年11月18日

県民性(5)

■「つれあいにモノ申す」             中日新聞

[産地物にかぎる]

干物が大好きな夫が、産地からアジの干物を、

30枚もお取り寄せ。

夕食の時、「やっぱり産地直送は違う…絶品、うまい!」

『 … 』 私は言えませんでした…2日前にスーパーで

買ったアジを、先に焼いたということを。


[ 犬 ]

「来世も夫婦になりたい?」って聞くと、

「しょうがない、面倒見てやるわ」と夫。

私も「あなたが犬になってたら、面倒見てあげてもいいわよ」

と返した。

翌朝、二階から「ワン、ワン」と言って下りてきた。



916 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「県民性(5)」

 

富山・石川・福井の県民性を、様々な視点から取り上げてきましたが、石川県にはまだまだ隠れた「日本一」が数多くあります。


コンビニのレジの横に置いてあるユニセフ募金箱

この募金額を人口千人当たりで換算すると、石川県は3,691円…なんと全国平均の6倍にもなる。

一世帯当たりの和服、それと茶碗類の消費支出も日本一。      ネクタイの年間支出額は2,900円で、全国平均1,400円の二倍になる。

これらは、加賀友禅、九谷焼、茶道などの伝統文化が今なお盛んなことと、見栄っ張りな県民性の表れといえます。

実際、耐久消費財は、高級品から売れる傾向があるし、中でも、金沢は衣食住すべてに派手。


加賀百万石の城下町として栄え、独自の伝統文化を築いたことが、「富山や福井の人とは違うのや…」という、都会人気取りの人が多く、プライドが高いことが影響しているようです。


人間国宝
が七人と、京都に次いで二位。また、日展入選者は二位の京都の倍に近く、全国平均の六倍強とダントツに多い。


石川県の一世帯の食品消費量では、鮮魚レンコンお餅が全国一位…鮮魚はなるほどと思う…レンコンは金沢が特産地であり、お餅は、よその県がお正月だけなのに、石川でも能登は祭りが多く、祭りのお供え物として消費されるからでしょう。

教育面では、高校進学率が98,6%で全国一位。

登校拒否の児童数の比率が全国最小なのは嬉しい。


景気低迷による完全失業率が、過去最悪を更新する中、石川県の中年(45~54才)の完全失業率1.8%は、全国最下位。全年齢でも全国41位。五十五歳以上の高年齢者就職率も、北海道、岩手に次いで三位と高い。


それを裏づける経済成長率は、高知県に次いで全国二位。石川県の生活、雇用環境は悪くなく、住みやすい県といえます。

その他、産業展示館の事業所当たりの面積は全国一位。ホテル旅館の数も人口比、長野県に次いで全国二位。

ちなみに和倉温泉の加賀屋は、「プロが選ぶ100選」で、31年連続日本一の座を守っている。


有感地震は全国平均年/396回。能登大地震に見舞われるまでは、石川県はわずか72回と全国最下位で、最も地震のない県だつたのです。


石川県は風水害も少なく、穏やかな土地柄。どんなに窓際に追いやられても、減給されても、会社に居つづける人が多いのが石川県民。

転職して、「自分をもっと評価してもらいたい」といった、野心や行動力のある人が少なく、職場の定着率では、石川県が81.4%で、全国平均の74.8%を上回っている。


控えめで忍耐強く、のんびりしていて、保守的な石川県人。薬売りに代表されるように、商工業が発展し、何事にも積極的な富山県人とは対照的です。

2011年11月21日

般若心経 「波羅蜜多」

■「彼岸」に渡るには・・

 

法然上人は浄土宗の開祖です。父親は美作国(岡山県)の

押領使でしたが、法然9歳の時夜討に殺されてしまった。

死の間際、「決して父の仇を討とうとするな」と遺言した。

 

法然はこの遺言を守り、出家した。

当時、仇討は立派な行為だった。しかし、それで問題は

解決しません。子が父の仇を討って、目的を達すれば、

相手の子はまた、父の仇を討とうとするでしょう。

 

印度の「ダンマパダ」という仏教経典には、「この世において、

怨みに報いるに怨みをもってすれば、ついに怨みのやむこと

がない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である」と

説いている。これが般若心経の教えです。


                                     ひろさちやの般若心経・第九講

 

 

917 【心と体の健康】

~般若心経~ 「波羅蜜多」

 

「般若心経」…正しくは「摩訶般若波羅蜜多心経」…その中にある「波羅蜜多」を訳すと「彼岸に渡る」の意味になる。

大きな川があります。川のこちら側が”此岸(しがん)”で、私たち凡夫の住む煩悩の世界です。


川の向こうは”彼岸”で、悟りの世界であり、仏の世界です。

私たちは何れ、此岸から彼岸に渡らなければなりません。

どうしたら「到彼岸」できるか…を教えるのが仏教であり、般若心経なのです。                    (ひろさちやの般若心経・第9講)

 

人間は”貪(むさぼ)る欲”、煩悩に惑わされる。それでは幸せになれないので、仏教では「布施をしなさい」と教える。

布施とは”与える”こと…与えると”徳”になり、貰うと”得”になる。

”徳”とは、人のために一切の見返りを求めず尽くすこと…

そうするといずれ形を変えて自分に返ってくる。

”得”は、思わぬ儲けがあったとき「得をした」と言うように、

一時的なもので、その幸せは長く続きません。


”本当の徳”というのは、「日々の積み重ね」である…凡事徹底の積み重ねが人生を変えていく。

”徳”を積むか、”得”を積むかで、まったく違った人生になる。

”徳”という字は、「人が行う十四の心」と書く。
十四とは、八正道の八と、六波羅蜜の六を合わせた数字である。

●八正道とは…

正見(正しく見る)、正思(正しい考え)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい願い)、正定(迷いのない境地)をいい、人格を完成するために実践する正しい道をいう。

●六波羅蜜とは…

布施(ほどこす)、持戒(つつしむ)、忍辱(しのぶ)、精進(はげむ)、禅定(静める)、智慧(学ぶ)をいい、菩薩さまが実践すべき徳目をいいます。

                                                                    坂爪捷兵「和尚が書いたいい話」

2011年11月24日

県民性(6) 「うどんとソバ」

■「いなりうどん」

 

近所で繁盛しているうどん店の「いなりうどん」…1センチ幅に

短冊に細く切った油揚げが、ネギと一緒に混ざっている。

よく知られる「きつねうどん」は、甘くどく煮た四角い油揚げが

一枚乗っかっている。

 

「いなりうどん」なる代物…どうやら石川県独特のものらしい。

金沢の文化圏、富山県西部のうどん屋さんを除けば、北陸は

どこへ行っても「キツネうどん」である。

キツネは稲荷神社の使いであり、油揚げが好物とされる。

なぜ石川県にだけ、「いなりうどん」なるものがあるのだろうか?

 

ちなみに私は、味付けしてない”いなりの皮”の味を、そのまま

味わえる「いなりうどん」が好きだ。「きつねうどん」の甘くどい

油揚げは、いまいち好きになれない。

 


918 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~県民性(6)~ 「うどんとソバ」

 

JR高岡駅に「ちょっとユニークな日本食がある」と、評判になったことがある。
「さて何でしょう?」…某テレビ局のクイズ番組で流したものです。それは、一つのどんぶりに「うどん」と「そば」が仲よく半分づつ入っていて、両方一度に味わえる…これが評判になったのです。


元をたどると大阪はうどん、長野県や山形、秋田はソバどころである。高岡は丁度その中間地点になり、うどんもソバも、どちらも好まれる土地柄なのです。


テレビ番組では、それを証明しようと「お店の暖簾の書き順」に着目した。富山県呉東のお店の暖簾は「ソバとうどん」である。西に下って、金沢までくると「うどんとソバ」になる。


JR駅の立ち食い店を順に追っていくと、「ソバとうどん」から「うどんとソバ」に名前がひっくり返るのは、富山県の最も石川県寄りの「小矢部市」であることが、民放TV番組の追跡でわかった。
店主に聞くと、お客様の注文は、うどん六割、おソバが四割だと言う。
実を言うと、本州を二つに折ると、その折り目の線上にあるのが、小矢部市なのです。


ご存知金沢はうどんどころ。お多福チェーンが36店、加登長チェーンが19店、百万石チェーンが14店と、うどんは、昔から金沢の庶民に愛されてきた味なのです。
反対に、おそば屋さんの老舗は見当たらない。


福井県はどうか…より関西に近く、うどんが好まれるかと思いきや…そうではない…大根おろしを入れたつゆをソバにかけて、漬けそば風に食べる「おろしそば」が主流である…
それがまた旨い。


金沢のおソバは、うどんのように熱いダシで、ふうふういいながら食べるのが普通で、夏場だけザルそばである。

福井でおそばが好まれるのは、永平寺など禅宗のお寺の影響によるものでしょう。


うどんをダシの濃さで比べると、関東は醤油の色がしょっぱく濃い。関西は透けるくらい淡い色で、さっぱりとしたまるみのある味が好まれる…金沢は関西風である。

 

味の濃い関東だしと、味の薄い関西味の分岐店をたどってみる。名古屋「きしめん」の色は、関東より濃い。
米原まで下ると、関西風の透き通った淡い色のつゆになる。

 

関東と関西の中間のつゆを好む分岐点は、名古屋と米原の中間に位置する何れか…ということになる。

JRローカル線の駅を一つひとつたどっていくと、「尾張一宮」が東西の味の分岐点てあることが、TV番組の追跡調査で分かった。

2011年11月28日

幸せな人生 「生きる目的」

■定められた困難


山繭(やままゆ)とい蛾のマユは、フラスコの形をしています。

蛾が殻を破って完全な形になつて出てくるためには、

何時間にもわたってもがき苦しんで、マユのすぼまった口から、

必死で這い出て来なければなりません。


その時、自然と蛾の体内に圧力が加わり、体液が羽の脈管

にまで行き渡り、飛べるようになるのです。


ある時、必死にもがく蛾を観察していた人が、ついかわいそうに

思ってハサミを取り出し、マユのすぼまった出口に切れ目を入れ、

蛾が楽に出られるようにした。


殻から出た蛾、いつまで経っても羽は開かず、虹色に輝く羽を

広げて宙を舞うことが出来ずに、むなしく床を這いずり回って、

短い命を終えたのでした。

飛び立つ前に困難と闘い、苦しみを乗り越える試練を経ることで、

一人前の蛾に成長していくのです。



919 【心と体の健康】
~幸せな人生~ 「生きる目的」


月刊「理念と経営」連載の、「人に歴史あり 逆境!その時経営者は…」・・どん底から必死に這い上がり、逆境を乗り越えていく…そうした経営者の姿から、リーダーが為すべきことを学んでいく。


そこで思い起こされるのが、一遍の詩…事業に失敗し、失意のあげく健康を損ね、そして病に倒れた。

望みは何一つ与えられなかったが、謙虚さや憐み、知恵、望んでいたものは…すべて与えられた。

この詩は、ニューヨーク大学付属病院の病室の壁に、患者が書き残していったものです。


『私は神に 力を願い求めた

そうすれば 偉大なことを成し遂げられると思った

でも私には 弱さが与えられた

謙虚に従うことを学ぶために


私は健康を求めた 人よりも勝ったものになるために

でも私は病に倒れた 人への憐みを学ぶために


私は富を求めた 幸せになれるように

でもその代わりに 貧しさが与えられた

知恵を学ぶために


私は権力を求めた 人々の賞賛が欲しかったから

しかし 私には弱さが与えられた

神に頼ることを学ぶために

楽しく人生を生きるために


私はたくさんのものを手に入れたかった

しかし 価値ある人生を生きるために

生きる目的を与えられた

求めたものは 何一つ与えられなかったが


私が望んでいたものは すべて与えられた

言葉にならない心の祈りがすべてかなえられたから

今 わかる! 私はこの地上の誰よりも

豊かな祝福を受けているのだと 』

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