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人はなぜ苦しみ争うのか

■お釈迦様


「お釈迦様」・・正しくは「釈迦牟尼(むに)世尊」といいます。

「釈迦族出身の聖者で、世にも尊い方」という意味になります。

ほかにも、「釈迦如来」や「ブッタ」という名で知られています。


お釈迦様から受けるイメージは・・この世を創造した超越的

存在の聖人、のように思われますが・・そうではありません。

また、祈祷や布施によって、特定の恩恵を与えたり、罪を

犯した人に罰を与えたりする人でもありません。


苦行の末に、煩悩にさいなまれる人間世界の本質を見抜かれ、

悟りを拓かれた方なのです。


933 【心と体の健康】 ~幸せな人生~

「人はなぜ苦しみ争うのか」

お釈迦様は、釈迦族の王子という恵まれた環境に生まれ、贅沢な暮らしの中で、自らにもたらされる悩みや苦は、財力や権力では解決できないことに気づかれた。


生きていく上で、老・病・死から逃れることはできません。
望まない出会いや別れなど、人生思い通りにならないことばかりです。

人はみな”貪(むさぼ)る欲”、煩悩に惑わされて生きている。

釈迦は、そうした人間の”業”を拭い去ろうと、出家した。
師匠に付いて学問を積み、修行に励んだ。


出家してまず、「所有欲」が苦をもたらす、大きな原因になることを学んだ。そうした煩悩は、「瞑想」によって捨て去ることができることも学んだ。

物や貨幣、地位や名誉、美しい女性など、自らの所有物になったとき、人はそれを手放すまいとする。

嘘やごまかし、妬み、だまし、争いなど、手に入れたモノを守ろうと必死になる。所有が格差を生み、他人を支配し、苦しませることになる。

結果、そうした所有欲に振り回され、ストレスが溜まり、不安も不満も解消されないことになる。物欲は更に深まり、所有したモノの権利を守ろうとして、苦しむことになる。


位が上がるにつれて、求める物も増え続ける・・物に満たされても、心は満たされず、感謝の心も湧いてこない。

欲しい物が手に入っても、喜びは一瞬・・更に物欲が高まっていく。歴史を振り返れば、古今東西、地位と権力を手にした覇者の行き着く先は皆同じです。


そう言う私も、願いを叶えようと神仏に手を合わせ、拝む。
無意識に神仏を、自分の欲求を満たす道具にしている。

そんな接し方では、何も得られないのです。


仏教には、「喜捨」をすることで、他者に貢献することを喜びとする教えがあります。
自利・・「自分のために」努力することは大切ですが、もっと大切なのは、”利他”の心で人に接することでしょう。

私たちは、人間関係が良くならないかぎり、自分を満足させることができないのです。

                                               真城義麿/善照寺住職・前大谷中高校校長

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