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2012年03月 アーカイブ

2012年03月01日

みっともない日本人(3)

日本人らしさ

倫理研究所は今年の初め、日本文化を探るために、

「日本人らしさとは何か」について調査を行った。


その回答から、日本人の長所が明らかになった。

◇盗みや嘘を嫌い、正義を好み、恥を知る

◇礼儀正しく、人に優しく親切である

◇伝統を大切にし、規則を守り、約束や規律を重んじ、真面目


その一方で、眼の前のことに囚われて対処しようとし、

長いものに巻かれてしまう。

人が(外国が)自分をどう見ているか?やたら気になる短所も・・


東日本大震災が世界に報道され、日本人の冷静さや礼儀正しさが、

世界から高い評価を得た。


944 【吉村外喜雄の]なんだかんだ】

「みっともない日本人(3)」


全米の優績者を表彰する、USAワールド・コンベンションに招待された時のこと・・

ホテルのロビーは、美しくドレスアップした女性や、タキシードに蝶ネクタイの男性でにぎわっている。会場は、白人、韓国系、中国系、中南米系と国際色豊か・・とっても明るく、あけっぴろげだ。


日本と異なるのは、招待者の多くが夫婦同伴であること。
妻の表彰に、夫が仕事を休んで参加しているのです。
日本で、共働きの奥さんが表彰されるからと、夫が会社を休んだりするだろうか?


日本から招待された私たちは、一ケ所にかたまり、華やぐ会場の雰囲気になじめずにいる・・英会話が不得手なため、交流できないのです。

約千五百人の招待者でにぎわう会場で、優績者表彰が始まった。


名前を呼ばれ、檀上に向かうアメリカ人夫妻・・夫は妻に寄り添い、奥様の手を取って壇上に上がる・・そして、並んで表彰を受ける。

まず、ご主人に花束・・次いで奥様に賞状とトロフィーが手渡される。


ここで感動が・・夫が妻の健闘をたたえ、場内の視線を一点に集める中で”抱擁”・・会場は割れんばかりの拍手。舞台を下りる時も、夫が先に段を下り、妻の手を取る。


次いで、日本から参加した夫婦が呼び出された。夫はスクッと立ち、後ろも見ずに歩いていく・・途中で振りかえり・・「何しとる、早よ来んか」のそぶり。

一人さっさと段を上がり、妻を待つ・・表彰のあと、また先にトットと段を下りて、席に戻ってしまった・・

人前で妻の手を取って歩くなど、恥ずかしくて出来ない・・あがってしまい、普段の夫婦の在り様が出てしまった。アァ~みっともない・・恥ずかしい。

表彰後、バイキング形式の豪華パーティー・・日本から招待されたおばちゃん達が一斉に席を立ち、われ先にと、並べられた豪華料理に群がり、皿に盛っていく・・何度も往復して、テーブルの上は、寿しや果物など料理の山(料理がなくなれば補充されるのに)・・隣の席のアメリカ人は、呆れ顔・・みっともない・・恥ずかしい。


少人数だと、控えめでつつましやかな日本人女性・・団体になるとどうしてああも大胆になるのでしょう・・

数年後の大会・・日本人招待者の表彰はなくなり、バイキングの朝食は、日本人だけ別室になった。

2012年03月04日

家庭環境が育む子どもの性格

相田みつお 「にんげんだもの・道/こんな顔で」


かなしみに堪えた顔である くるしみに堪えた顔である

人の世の様々な批判に   じっと堪えた顔である

そして   ひとことも弁解をしない顔である

なんにも言いわけをしない顔である


そしてまたどんなに苦しくても  どんなに辛くても  

決して弱音を吐かない顔である

そのかわり やらねばならぬことは

ただ黙ってやっていくという 固い意志の顔である

一番大事なものに 一番大事な命をかけてゆく  

そういうキゼンとした顔である


この眼の深さを見るがいい

深い眼の底にある さらに深い憂いを見るがいい

弁解や言いわけばかりしている人間には

この深い憂いはできない

息子よ こんな顔で生きて欲しい

娘よ こんな顔の若者と めぐり逢って欲しい



945 【心と体の健康】

~子育て~「家庭環境が育む子どもの性格」


「一体誰に似たんだろう? こんな子に育てた覚えはない」とは、よく聞く親の愚痴です。期待通りに育つ子供もいれば、そうでない子供もいる。どちらにしても、親の影響は大きいのです。


子供は教えられなくても、身近にいるだれかを手本にして、多くのことを学習していきます。子供が大人のしぐさをそのままマネて、笑いを誘うことはよくあることです。


だれが見ても親子だとわかる、外見がそっくりの親子がいる一方で、見た目は似ていないのに、ちょっとしたしぐさや、趣味が親ゆずりで「やっぱり」と、納得させられる場合もあります。

子供が親に似るのは、遺伝的要因も大きのですが、一番身近にいる親を観察し、学習して成長していく・・まさに、子は親の鏡です。


好き嫌いの激しい親に育てられた子どもは、親に似て好き嫌いが激しい。
「おはよう」「お休み」をしつけられていない家庭の子供は、大人になって挨拶をしようとしても、恥ずかしくて声が出ません。


今の子ども達は銭湯を知りません。修学旅行で、同級生と大浴場に入るのを恥ずかしがり、海水パンツをはいて入浴します。

また、お母さんが赤ちゃんにお乳を飲ませるとき、恥ずかしがり隠すようになったのは、いつの頃からでしょうか?

男女間の恥ちゅう心は、性の違いに気づき、人前で見せてはいけないもの・・隠すもの・・と教えられて身についた、後天的”慣習”なのです。

夫婦も、長年連れ添っているうちに、表情や雰囲気、言葉づかいが似てきて、似た者夫婦と言われるようになるのです。


◇以下は、アメリカの家庭教育学者/ドロシー・ロー・ノルトの詩です。

批判ばかりされた子どもは   非難することを おぼえる

殴られて大きくなった子どもは   力にたよることを おぼえる

笑いものにされた子どもは   ものを言わずにいることを おぼえる

皮肉にさらされた子どもは   鋭い良心のもちぬしとなる

しかし

激励をうけた子どもは   自信を おぼえる

寛容に出会ったこどもは   忍耐を おぼえる

賞賛を受けた子供は   評価することを おぼえる

フェアプレーを経験した子どもは   公正を おぼえる


友情を知る子どもは   親切を おぼえる

安心を経験した子どもは   信頼を おぼえる

可愛がられ抱きしめられた子どもは
世界中の愛情を感じとることを おぼえる


**************************************** 以下は私が・・

貧しい家庭の子どもは   早くに志を持つことを おぼえる

甘やかされて育った子どもは   わがままを おぼえる

教育ママの子どもは   言われたことしかやらない人間になる


ちやほやされて育った子どもは   傲慢さを おぼえる

優しい母親の子どもは   人への愛を おぼえる

そして 厳しい父親の子どもは   人を許せない人間になる


幼いころの家庭環境と両親の教育が、個性となり、人格になるのです。

2012年03月09日

命燃やせる夢を持とう

中国大河ドラマ「恕の人・孔子伝」が始まる


世界のベストセラー「論語」に興味を持ち、書店で何冊か買い求めて、
読んではみても、かた苦しく読みづらく、なかなか頭に入りません。
そんな、論語への興味が薄れつつある私に、朗報です!


BS4日テレで、来週の3月12日月曜から、毎週月・火の二回、

PM六時から、中国大河ドラマ「恕の人・孔子伝」が始まります。

ドラマのタイトル”恕(じょ)”は、”他人を思いやる”の意味で、

思想家で教育家の孔子が、教えの中で最も重んじた言葉です。


論語の孔子の言葉が、ドラマに頻繁に出てくるのも魅力です。

「孔子伝」を通して、孔子の生きざまや、顔回や子路、子貢などの

弟子との繋がりを知ることができます。


孔子の生涯から、四大聖人の一人と言われる人物を知り、
論語を解りやすく面白く学べる、またとない機会になるでしょう。


946 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「命燃やせる夢を持とう」


プロ・スキーヤー三浦雄一郎・・・70歳と75歳の二度、エベレスト山頂に立った。次は80歳での再挑戦を目指し、訓練に励んでいる。

ここに至る過程で心に刻んだことがある・・「命燃やせる夢を持つ」ことです。

60代で引退を意識した後、運動不足に加え、飲み放題、食べ放題・・
食べること大好きが、典型的メタボ人間になった。

心にまで脂が付き、何をするのもおっくう。狭心症になった・・明け方布団の中で、心臓が何かにつかまれたような激痛・・


病院で検査を受けたところ、高血圧、高脂血、不整脈の半病人・・
自問自答の末、思い当たった・・命を燃やす夢を持たなくなったこと・・
それが真の原因だと。


当時、90歳を超えていた父が、99歳の白寿でモンブランの氷河を滑ろうと、スキーと登山に夢中になっていた(その後達成している)。

自分も、「エベレストに登る」目標を立てた。手始めに札幌の自宅裏の藻岩山に登ってみたが、513メートルの頂上に着く前に、伸びてしまつた。

とぼとぼ下りながら、掲げた目標に気が遠くなった。


両足に”重り”、背中に”ザック”のいでたちで、街を歩き始めた・・
半年後富士山に登った。

三年たち、両足に10キロ、背中に20キロかつぐ頃には、長年のヒザや腰の痛みが、なぜか消えてなくなった。

夢に向かって懸命に体を鍛えていると、生命力が高まってくるのです。


03年70歳の挑戦・・不整脈がひどく疲労困憊の中で、登頂に成功。
その十日間で、体重が10キロ落ちた。

2度の心臓手術を経て臨んだ08年、75歳の再登頂に成功した。

3年前スキーで転倒、左大腿骨付け根と骨盤を割った。リハビリを経て、80歳での中国側からの初登頂を目指している。


1924年、「そこに山があるから」と語った、英国の登山家ジョージ・マロリーが行方不明になった、伝説のルート。

なぜ80歳にもなって登るのか? そう聞かれたら、答えは「80歳だからですよ」・・我々は皆、何かを征服するために登り、天国に近づいていくのかもしれない。

                                                                   読売新聞「論点・ニッポンの元気」

2012年03月12日

兄弟・性格の違い

「第一子」によく見られる性格

・何かをするときに、人の迷惑になるかどうかをよく考える

・あまりしゃべらないで、人の話を聞いていることが多い

・めんどうなことは、なるべくしないようにする

・欲しいものでも、遠慮してしまう

・よそへ行くと、すまし屋さんになる

・何事もていねいで、失敗のないようにする

・いつもきちんとしていないと気がすまない ・責任感が強い


末っ子によく見られる性格

・親にいつも甘ったれる ・告げ口する ・やきもちやき

・おしゃべり ・人にほめられると、すぐ調子にのってしまう

・せっかち ・無理にでも自分の考えを押し通そうとする

・好き嫌いをする ・ハキハキしてほがらか

・少しでも困ることがあると、人に頼ろうとする


                                        渋谷昌三「よくわかる心理学」                                  


947 【心と体の健康情報】

~子育て~ 「兄弟・性格の違い」


私は七人兄弟の四番目。兄と姉、弟が二人に妹がいます。

戦争のさなか、三男の私が二歳の頃、次男と二人病気になり、次男が亡くなって、私は生き残った。

後に、「忠雄(次男)は賢かった・・お前と入れ替わっていたらよかったのに」と愚痴られた・・死んだ子が不憫で可愛かったのでしょう。


同じ両親の元、同じ環境に育ったのに、兄は長子らしくしっかりして、末子の弟は、どうしようもない甘えん坊。

私は、三男によくあるやんちゃできかん坊、独立心の強い性格になった。

小学生の頃、親に知れたら大目玉をくらうような、悪いことをよくやったが、親をわずらわせたのは一度だけ・・あとは、絶対バレないようにした。

中学に入って、入学式は無論、父兄参観も卒業式も親に知らせず、親が学校に来るのを嫌った。進学や就職先を決めるのも、親に相談したことがない。

今は考えられないことだが、どの高校を受験し、成績はどうだったかは親に話さず、合格発表も見に行かなかった・・合格祝いや就職祝い、誕生祝いも、やってもらった記憶がない。


兄弟がそれぞれ「らしく」なっていくのは、両親の子どもへの接し方、愛情のかけ方の多少にあるのでしょう・・

妊娠、出産、育児・・何から何まで初めての第一子と、育児慣れした三子・四子以降とでは、子どもへの関わり方に違いが出て当たり前です。


私の兄と姉は、親からの愛をいっぱい受けて育った。
兄は、「総領の甚六」に違わず、性格は物静かで控えめ、おっとりして、争いごとを好まない。大らかでのんびり、人が良く、人を疑うことを知らない。

私の家は商家・・跡取りの長男への期待は大きい。「立派に育ってほしい」と、兄と姉には小さいときから教育熱心だった。

一方、末っ子は可愛くてしようがない・・ついつい甘やかしてしまう。
末の弟と妹もまた、両親の愛をいっぱい受けて、甘ったれになった。


真ん中の私と四男の弟・・親から貰うストロークは、兄や姉、弟や妹ほどに「たっぷり」というわけにはいかない。

戦後の貧しい時代です。学生服も鞄も、何もかも兄のお下がりで我慢させられた。クリスマスやお正月にオモチャを買ってもらった記憶がない。


真ん中の子に共通するのは、大なり小なり疎外感を味わっていること・・この疎外感こそ、ストローク不足の結果なのです。

故に、真ん中の子は妙に反抗的で自己主張が強く、意地っ張りなところがある。

生活環境も大きく影響した・・兄と姉は勉強が出来たが、当時家が貧しく、親は高校を出すのが精一杯・・大学へは行かせてもらえなかった。

私の代になって、地元の大学(金大Or富山大)なら受験しても良いと言われた。 弟の時には、暮らしに余裕が出て、私立も県外もOKだった。

2012年03月15日

心に太陽を持て/球場で・・

災難に立ち向かう二つの心


東北大震災から一年・・歴史を振りかえれば、関東大震災では

東京が壊滅的被害に合い、太平洋戦争では全国主要都市が

焦土と化し、東京でも10万人が焼け死んだ。


幾多の困難に直面しながら、その都度くじけずに立ち上がり、

克服して、現在の豊かな社会を築き上げてきた日本人。

日本人には、その基になる二つの強い心がある。

[1.希 望]

地震・台風・水害・大火・噴火・・次から次と災害に見舞われる日本。
心休まることのない日本・・しかし、落ち込んでばかりはいられない。

気持ちを前向きに、心を奮い立たせ、希望を胸に、明日に向かって
共に助け合っていくエネルギーがある。


[2.今日という日を大切に・・]

一日一日を大切に、今日なすべきことを先送りせず、今日中に

やってしまう・・それが日本人です。

                          「理念と経営1月号・新しい日本を創ろう」


948 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「心に太陽を持て/球場で・・」


フェイスブックで「魂が震える話・一分で感動」を読んでいる。
「理念と経営/小桧山博・くちびるに歌を持て 心に太陽を持て」も、
魂に訴えるものがあり、毎号欠かさずに読んでいる。
三月号の「球場で・・」も、心を打つお話しでしたので、転載しました。


『55年前、ぼくの高校は野球が強く、春か夏の全国大会へ出場するための、北海道代表を選ぶ大会に、2年に一度は出場していた。
ぼくが高校3年のときも出場・・ぼくら全校生徒が応援に球場へ行った。相手校も、全校応援だった。


試合は四回までお互いに点が入らず、五回、我がチームの投手がホームランを打たれ、2点をとられた。六回表、こちらが1点返して二対一としたが、その裏、こちらの投手が、相手の四番打者の頭に、ボールをぶつけてしまったのだ。


その打者は、頭を両腕で抱えて地面に横たわり、相手応援団は皆立ち上って様子を見つめる。ぼくらの応援団は黙って見ていた。間もなく、相手校の選手が起き上がって、一塁へ走った。相手校の応援席から、激しい拍手が起こった。が、ぼくらの応援席は静かなままだった。


けっきょく六回の相手校は無得点で、七回の表、ぼくらの学校が2点をとって、3対2と逆転した。そして八回、こちらが守備のとき、相手校の打者が三塁側にファールボールを打ち上げ、それを追った三塁手が、観客席ぎわの柵に激突して、地面に倒れた・・ボールは取っていた。


球場は一瞬静まりかえり、ぼくらの応援団は全員立ち上がって、三塁手の大沢を見つめた。

その時だった・・相手校の応援団から、敵の選手である三塁手の大沢を励ます「大沢頑張れ!大沢起きろ!大沢頑張れ!」という、激しい大沢コールが巻き起こったのだ。相手の応援団の全員が叫んでいた。


ぼくは突っ立ったまま茫然とした。六回のこっちの投手が、相手の四番の顔にボールをぶつけて倒れたとき、こっちの応援団は黙って見ているだけだった・・何もしなかった。


それなのに、今、相手の生徒全員で、こっちの大沢を励ましている。

しかも相手チームは負けているのだ・・何ということだ。

ぼくは自分の喉の奥から、「すごい!」という声がもれるのを聞いた。』

2012年03月19日

遺伝子を学ぶ

サムシング・グレートの存在


遺伝子学の、筑波大・村上和雄名誉教授は、遺伝子情報の

偉大な力・・サムシング・グレートの存在と、それによる大きな

力を、講演や著書を通して、私たちに分かりやすく説明する。


以下、三つの条件が揃ったとき、「サムシング・グレートが働く」

という。

(1)「何かをしたい!」という、明確な目標があること

(2)その目標に向かって、ひたすら努力を続けていること

(3)努力の過程で、障害に阻まれ、行き詰っていること


NHKの「プロフェッショナル」に登場する偉大な人物は、何れも

この三つを満たしている。中でも(3)の壁には、くじけることなく

挑み続ける姿に、私たちは感動するのです。


949 【心と体の健康情報】

「遺伝子を学ぶ」


私は、男5人女2人の7人兄弟の4番目です。私と下の弟は頭が禿げ上がり、兄と末の弟の髪はふさふさです。

姉と妹はお酒に強いが、男兄弟はなぜかみな下戸です。

学業成績は…兄と姉は勉強が出来て優秀だったが、下の弟は勉強嫌い・・中学卒業と同時に東京に出て職人になった。


父母から先祖を七代遡っていくと、128人になるという。先祖の中には、様々な素質を持った人物がいたことだろう。

松下幸之助のような、百万人に一人の優れた遺伝子を持った人間が、ひょっこり生まれて来ないとも限らない。

「親が東大を出たから、子どももできる」「親の頭が悪いから、子どもも駄目だ」と、決めつけるのは早計のようです。


一方で、「遺伝子は相続する」と言われている。両親のどちらかが糖尿秒を患っていると、子どもも糖尿病に悩まされることになる。

糖尿病の遺伝子が、次の世代へと引き継がれていくのです。
それも、すべての子どもに平等に引き継がれるのではなく、引き継がれる遺伝子が強かったり、弱かったり・・発症しない子もいるのです。


遺伝子といえば、筑波大・村上和雄名誉教授の名前が浮かんでくる。
村上博士、行徳哲夫先生、芳村思風先生の三人で始められた「サムシング・グレードの会」大阪の会に、金沢から二度参加したほど、博士の遺伝子の講演に興味があった。


遺伝子は、DNAの4つの物質からできている。

細胞の中に染色体があり、染色体の中に4つの文字でもって、40万個が3進法で情報が組み込まれている。

分かりやすく言えば、1ぺージに千字書き、それを千枚重ねて一冊の本にします…その本を千冊積み上げる…それだけの情報が、たった”一個”の細胞遺伝子の中に納まっているのです。

実に神秘で驚きです・・人間は、その細胞を何と”百兆個”も持っているのです。


大腸菌には、細胞が二千個詰まっている・・大腸菌の遺伝子は、人間の
ものと全く同じです・・あらゆる生物みんな同じです・・「私たちの先祖は大腸菌から進化したのかも・・」と村上教授は語る。

2012年03月22日

落語・明烏(あけがらす)

一見さんお断り


吉原で位の高いおいらんと遊ぶためには、ますず手引茶屋で

宴席の準備ををしてもらい、茶屋男の案内で見世(女郎屋)に

登楼するという手順を踏まなければならない。

吉原は、初めて登楼する一見さんはお断りです。

金沢の遊郭も、バブルがはじける頃まで、一見さんはお断り

でした。

理由は、お馴染みさんに、お勘定を気にせずに遊んて゜もらい

たい(盆暮れ払いです)・・気心が通じたお馴染みさんがいい

・・故に、一見さんはお断りなのです。


私も若いころ・・町内の若旦那に伴われて、西の遊郭へ連れて

いってもらった・・女将が若旦那に、

「おわんさんのお爺ちゃんの頃から・・大旦那はんもよう来られ

とったわいね・・いんぎら~と遊んでいくまっし」

・・そうして二階に案内され、お座敷遊びに興じたのを覚えている。


950 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「落語・明烏(あけがらす)」


古典落語の名作「明烏」は、吉原が題材です。

純情堅物で女性にウブな若旦那を、吉原へ連れ出す噺です。


聴きどころは、お供を頼まれた遊び人が、若旦那を吉原まで連れて行く  くだり・・遊び人の奮闘ぶりに加え、若旦那の堅物ぶり、ウブさ加減が際立つほどに、ラストのサゲが生きてくる。三代目古今亭志ん朝の得意ネタでした。


日向屋の若旦那時次郎は、生真面目で堅物、読書ばかりで世間知らずの純情男・・

跡取りの将来を心配した父親の半兵衛・・町内の遊び人、原兵衛と太助に、時次郎を吉原へ連れ出すように頼んだ。

太助は時次郎のお守りは面倒と、一度は断ったが、世話焼きの源兵衛に、「日向屋のお金で遊べるんだから」となだめられ・・三人は吉原へ。


吉原の大門をくぐり、おいらんたちの姿を見ると、さすがに世間知らずの時次郎でも、ここが書物で読んだ吉原という場所だと気づき・・泣きながら「帰ります!」と叫ぶ。

源兵衛と太助はとっさに、「一人で先に帰ると、大門の見張りに怪しまれて、拘留されますよ」と嘘の脅しをかけ、部屋にとどまらせた。


時次郎のお相手は、浦里という美女。「あれほどウブな青年は珍しい。ぜひ、わたしが」と申し出て・・堅物の時次郎もおいらんの魅力に、
すかっかり骨抜きに・・

一方、源兵衛と太助は飲み過ぎて、おいらんとの一夜はだいなしに・・
そして翌朝。


源兵衛と太助は、時次郎が浦里と極上の一夜を過ごした聞き、おもしろくない。そのうえ、時次郎が寝床の中から、ノロケ話を始めたものだから、見ていられない。「先に帰るよ!」と言うと、時次郎・・

『ええどうぞ、でも大門で留められますよ』

2012年03月26日

あなたの仕事は何ですか

何のために学び・働くのか?


一週間後の4月2日、新入社員が出社してくる。

ところで、「君は何のために働くのか?」と、入社したばかりの社員

さんに尋ねたら、どのような答えが返ってくるでしょうか?


日創研の理念研修で、講師が受講生に同じ質問をした。

「生活のため、家族を養うため」という回答が一番多かったように思う。

更に、「どんな生活のために働くのですか?」と質問したら、

明確に答えた受講生は、私を含めいませんでした。


「何のために学校へ行くのですか?」「何のために働くのですか?」

突き詰めれば…幸せになりたくて学校へ行き、働いているのです。

しかし、多くの人は幸せになるために働いていないし、幸せになる

ための勉強をしていない。幸せになることを忘れて、漫然と仕事をし、

学校に行っているのです。


それでは、いくら学び・働いても、幸せにはなれません。

幸せになりたかったら、目指すべき目標・到達点を明確にして、

幸せになる働き方をし、学び方をしなければならないのです。



951 【心と体の健康】
~幸せな人生~ 「あなたの仕事は何ですか」


日創研の研修に足げく通っていた頃に、学んだことです。

研修の主なテーマは、「考える力」「仕事ができる人間」「人間力を磨く」「感謝の心」などです。


講師の先生が受講生に尋ねた。

「皆さんにお尋ねしますが、お隣の人から『あなたの仕事は何ですか?』って聞かれたら、何て答えますか?」

会場には百人近い受講生がいた。このありふれた質問に、皆、即座に答えを用意した。


前列にいた青年が手を挙げ、「私の家は、親の代からの和菓子屋です。そして私はあと取りです」と答えた。

すると先生、「それは”仕事の種類”でしょう…あなたの仕事は何ですか?」と、また尋ねた。


「私は今、店で作った和菓子を、得意先へ配達する仕事をしています」

「それは”職種”でしょう…あなたの仕事は何ですか?」と、また同じ質問をした。

はて? 何て答えればいいのだろう…人は何て答えるんだろう?…と思って見ていました。


そうしたら講師の先生、「私の質問の答えは一つです・・人のお役にたつ事をしています…これが答えです」

丁寧に答えるなら、「当店で製造した和菓子を通して、お客様に喜んでいただき、世の中のお役に立つこと・・それが私の仕事です」でしょう・・


あなたの仕事は何ですか…人のお役に立つ事です…それは何をしてですか…今やっている自分の仕事を通して…この”大義”があって初めて、本当にお客様に喜ばれる仕事ができるのです。

トイレ掃除で知られる、イエローハットの社風は、そのような世界から生まれてきたのです。


イエローハット 鍵山秀三郎の経営至言

『  社風が悪い会社で、未来永劫よくなった会社はありません。

  社員というのは、命令や規則で仕事をするのではなく、
   社風によって仕事をしているのです  』

2012年03月29日

イソップ寓話「ブドウの葉を食べた鹿」

[ よく知られる世界の童話 ]

アンデルセン童話

「赤い靴」「親指姫」「人魚姫」「裸の王様」

「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「雪の女王」

イソップ寓話

「アリとキリギリス」「ガチョウと黄金の卵」「カラスと狐」

「北風と太陽」「金の斧」「熊と旅人」「馬をうらやんだろば」

「ろばを売りにいく親子」


グリム童話

「赤ずきん」「狼と七人の子ヤギ」「かえるの王子さま」

「糸くり三人女」「ヘンデルとグレーテル」「死神の名付け親」

ヨーロッパの童話

「親ゆび姫」「ジャックと豆の木」「白雪姫」「シンデレラ」

「長靴をはいた猫」「眠れる森の美女」

●メーテルリンク 「青い鳥」

●ウォルト・ディズニー 「三匹の子豚」


日本の童話

「浦島太郎」「おむすびころりん」「笠地蔵」「かぐや姫」

「かちかち山」「かわいそうなぞう(上野動物園)」

「こぶとりじぃさん」「猿かに合戦」「舌きりすずめ」

「鶴の恩返し」「花さか爺さん」「桃太郎」


952 【吉村外喜雄の]なんだかんだ】

イソップ寓話「ブドウの葉を食べた鹿」


イソップは、二千五百年も前の紀元前六世紀に、ギリシャの奴隷だった人です。地位が低く弱い立場にあった彼は、人々に注意を喚起しようと、動物を例え話にして創られたのが、イソップ寓話です。

その後、出生地に伝えられた民話も、この寓話に加えられた。

その後イソップ寓話は、人から人へ語り継がれて、世界中に広がっていった。

物語全体がキリスト教の価値観で書かれたものが多く、日本には1593年に、イエズス会の宣教師によってもたらされ、天草でラテン語から日本語に翻訳された。

日本の童話「兎と亀の物語」は、イソップ物語から生まれたものです。

今日では、子ども向けの童話として、広く親しまれているが、実際は、大人のための「人生の教訓物語」だったのです。


今日の教訓・・「恩を仇で返す者は、必ず破滅する」

                  (「恩」とは、を知ると書きます)


自分の今があるのは、誰のお蔭でしょうか・・両親の庇護がなければ・・恩師に出会わなければ・・朋友に恵まれなければ・・そして、この日本に生まれなかったら・・

感謝の心を知らず、人を平然と裏切る者は・・以下の寓話の鹿と何ら変わらない、愚か者です。


『 一頭の鹿が漁師に追われている。幸いにも、ブドウのツルが巻きついた木を見つけ、その陰に滑り込んだ。
生い茂ったブドウの葉が、鹿の体をスッポリ隠してくれた。息をころして潜んでいると、目の前を、弓を持った猟師が通り過ぎていった。


「この木がなければ、どうなっていたか・・」

安心した鹿は、ブドウの葉をむしゃむしゃ食べ始めた。
そのかすかな音が、遠くへ去った猟師の耳へ届いた。

「おかしいぞ、風もないのに、葉が揺れている」


鹿は少しも気づかず、葉を食べ続けた。
次の瞬間! 放たれた矢が体を貫いた。鹿は大地へ倒れ、「ああ・・当然の報いだ・・命の恩人(ブドウ)を食べてしまったのだから・・」と嘆いて、死んでいった 』

                                                                               木村耕一編「こころの朝」

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