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孔子の教え(32)天の書・・論語

論語は、どのようにして作られたのか?


論語は、孔子やその弟子たちの言行を、一冊にまとめた書物
です。孔子の死後、弟子たちは三年の喪に服して、それぞれ
故郷に帰り、師の意志を継いで活動します。


やがて彼らの間に、師の言行を記録しておきたいという気運が

生まれ、論語の編さんが始まります。

論語は、学而(がくじ)編から堯曰(ぎょうえつ)編まで、全部で

二十篇、総字数15、900余字の読みごろの語録になってい

ます。

各編は一貫したテーマでつながってはなく、師や弟子たちの

印象深い言行の断片を集めた書物・・毛沢東語録のようなも

のと言えます。



1083 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「孔子の教え(32)天の書・・論語」


論語は私たちの「心の書」として、今日までその教えは生き続けている。
二千五百年もの長い時空を超えて、現代人の意識でもって論語を読み、現代人の心理をもって、自分自身の姿をその中に見出そうとする。


論語は「天の書」であるとともに「地の書」である。

孔子は一生こつこつと地上を歩きながら、天の言葉を語るようになった人である。

天の言葉を語ったが、彼には神がかりなオーラも、神秘も奇跡も感じられなかった・・いわば、地の声をもって天の言葉を語った人である。
門人たちも彼にならって、天の言葉を語ろうとした。

しかし、彼らの多くは結局、地の言葉しか語ることができなかった。

                                               下村湖人「論語物語/序文」より


孔子は、普通の人と変わらない生活をしながら、「天の道」を直観しようとした。

子曰く 朝(あした)に道を開けば 夕(ゆうべ)に死すとも可なり

「先師が言われた。「朝に、人としての真実の道(天道)を開いて、悟ること ができれば、夕方に死んでも悔いはない」


これは「人の道」のことを言っているようですが、「天の道」を言います。

だから孔子は、それが分かったらいつ死んでもいい・・と言っているのです。

すなわち、孔子の「五十にして天命を知る」は、孔子にしかない「直観」によって、天の道を知ったということです。

孔子は五十にして天命を知った・・そこから、孔子は人間の世界に帰っていきます。

そして、人々と同じ生活をしながら、世の中から更に学びを深めていく。

それが、「六十にして耳順う」です。
他人の言葉や天の声が、一層素直に聞けるようになったのです。


そして、「七十にして 心の欲する所に従えども 矩をこえず」になる。

すなわち、七十も超えるころになると、完全に純粋というわけにはいかないけれど、ほとんど”純”と言える状態になっていく・・いわゆる「従心」です。

                                          「理念と経営五月号/伊与田寛・論語の対話」より

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