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2013年08月 アーカイブ

2013年08月05日

王道と覇道

王道と覇道
孟子(前372~289)は、古今の君主を「王者」と「覇者」とに、

そして政道を「王道」と「覇道」とに弁別し、前者が後者より

優れていると説いた。


儒家によって理想とされた「夏・殷・周」の時代、徳をもって

世の中を治めることを「王道」と呼び、それを遂行する支配者

を「王者」と呼んだ。

また、春秋時代の諸侯ように、知力武力でもって世の中を
治めることを「覇道」と呼び、それを遂行する支配者を「覇者」

と呼んだ。

孟子の言う「覇者」とは、武力を背景にして仁政を装い、天下

国家を支配しようとする野心家のことであって、他国を侵略

して自国の領土を拡大することで、覇者としての力を誇示し、

国民の指示を得ようとする。

日本においては、は天皇、は武家政権(源氏・平氏・

北条・織田・豊臣・徳川)と解釈された。


※春秋戦国時代とは、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ
    移してから、紀元前221年、秦が中国を統一するまでの時代
    をいう。



1091 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~ 「王道と覇道」


アベノミクス政策で国全体が元気になり、心なし明るいムードに包まれている。

「理念と経営2月号と3月号/伊与田寛・論語の対話」に、「王道と覇道の政治、その違い」について、分かりやすく記述されているので、抜粋しました。


天に通ずる「徳」を以って政治を行うのが「王道」、権力を背景に政治を行うのが「覇道」です。 覇の「革」は”革ひも”のことで「鞭打つ」、「月」は体を表しますから、 ”体に鞭を当てる”という意味です。

ですから、ちょっと潤いを与えて体に鞭を当てる・・飴と鞭です。


そういうものを内に秘めた政治の在り方が「覇道」です。

王道の「徳政」に対して、覇道は「権政」です。
”権”は力ですから、力の政治です・・今の中国がそうです。


”権”の本来の意味は、竿秤(さおはかり)の分銅をいいます。
量る重さによって、一方の重さを変える・・従って、常に変化る。
”権”は本物でない”仮のもの”です・・権力を背景にした政治は、仮のものであって、常に変動するから長続きしません。

一方、”徳”を背景にした政治は、永続性があり、長続きします。


「尖閣」で争う日本と中国・・急速に成長拡大した経済力を背景に、覇権国家を目指し、覇道政治を行う中国・・すなわち、国を富ませて軍備を増強する、富国強兵を背景に、近隣諸国に圧力をかけ、領土を拡大しようとする・・決して長続きしません。


本来、共産国家は平等思想により、貧民を救済することを目的に建国された。その後、独裁政権を維持するために、国民の不満には厳しい法律と軍事力でもって統制してきた。
軍備を拡張して、近隣諸国に国力を誇示し、国民の愛国心をあおることで、政権の安寧を図ろうとしたのです。


最も顕著な例が旧ソ連で、力をバックにソビエト連邦をつくり、領土を拡大し、世界覇権を目指したが、1991年一瞬にして滅び去った。
事あるごとに軍事力を誇示して、虚勢を張る北朝鮮もまた、同じ歴史をたどっていくのでしょうか・・


中国共産党は建国当時希望に燃えていた。その後、文化大革命を断行して、数千万の餓死者を出し、国民を闇から闇へ葬り去るという、歴史的汚点を残した。

「今の中国は、いつ瓦解してもおかしくはない・・日本人が思うほど安定した国家ではない」と歴史家は分析する。

2013年08月08日

仕事は取り組み方しだいで、辛くも楽しくもなる

村上信夫氏の逸話「鍋磨き三年」


帝国ホテルの料理長を26年間務めた村上信夫氏。
十代の時厨房に入ってから、3年間鍋磨きだけさせられ、

料理に触れることは一切許されなかった。


ほとんどが1年も満たずに辞めていく中で、村上さんは

辞めなかった・・「日本一の鍋磨きになろう」と決意したのです。
そして、自分の顔が映るくらい、ピカピカに磨いた。

 

鍋に料理が残っていても、洗剤などが入れられ、新入りが

ソースを舐めても、分からないようにしてあった。

仕事ぶりが認められ、村上さんが鍋磨きをする時だけ
舐めさせてもらえた・・隠し味の勉強ができたのです。

 

誰にでも、新人の頃には下積みのお試し期間があります。

「今置かれている状況に文句を言わず、黙々とやっている人に
神様は微笑むのです」

                                         1分で感動「目の前のこと」より


1092 【心と体の健康】

~幸せな人生~

「仕事は取り組み方しだいで、辛くもなり楽しくもなる」


東京でステーキのフランチャイズを経営する(株)サンチャレンジ会長・

佐藤康行氏は、十代の頃、帝国ホテル料理長村上信夫氏と似た体験をして、村上氏と同じ考え方で、仕事に取り組んでいる。


将来「億万長者」になる誓いを胸に、15歳のとき青函連絡船に乗り、
単身上京した。

コック見習いで、社会人の第一歩を踏み出した・・仕事は皿洗いだった。

定時制高校に通いながら、毎日 々 社員食堂の皿洗いに暮れた。

400人分の皿を一人で洗わされた・・辛くて辛くてしようがなかった。


寝ても覚めても皿洗い・・400人分の皿ってすごいんですよ・・
器物の山。
それを、毎日毎日皿洗い・・辛かった。

先輩にいじめられ、陰で泣いたこともあった。


その辛い皿洗いが、ちょっとしたことがきっかけで、面白くてしようがなくなった。

腕時計を流し台の前に置いて、皿を並べ・・時計を見ながら・・1分間に何枚皿が洗えるか? 挑戦したのです。

時計の秒針を見ながら洗っているうちに、昨日よりも1枚多く洗えた・・

二枚多く洗えた・・夢中になって挑戦したのです。


挑戦し続けているうちに、ものすごく皿洗いがうまくなり、速くなった。

先輩は料理を作っている・・私は皿洗いしかできない。

たまに、先輩も皿を洗うことがあったが、私よりはるかに下手だった。


皿洗いに関しては、先輩より私の方が断然うまかった。

先輩も最初の頃は、皿洗いをやったはずだ・・ 先輩は、なにげなく皿を洗っていたのだろう・・ 私は、時計の秒針を見ながら、皿洗いに挑戦した。 進歩の度合いが全然違ってくる。


それからの私は、皿洗いが楽しくなり、皿洗いを待てるようになった・・

皿がたまってから洗うようになった。その間、ほかの仕事を覚える余裕が出てきた。

先輩に認められるようになり、少しずつ料理を教えてもらえるようになった。

仕事というものは、受け身でやるものではないことを学んだ。

「こんな仕事をいつまでやらせるんだ」と、ぶつぶつ言いながら仕事をするから・・辛いのです。

どんな仕事であれ、辛いとか、やりがいが有る無しではなく、
「自分は、その仕事をどう受けとめるのか?」という、仕事への姿勢が

問題なのです・・そのことを、皿洗いから学んだのです。

2013年08月12日

艶笑落語・目薬

江戸小噺「魂胆」


ある男、女房を貰って十年近くなるのに、まだ子宝に恵まれない。

連れ添う女房は、器量はいいが、浮気っぽいのが玉にきず。

とうとう隠し男をつくって、ポツポツうわさが広がり出した。


気づかう友人が、こっそり男を呼んで知らせると・・
「俺も、うすうす感づいてはいたが、こっちはこっちで、

ちょっとした魂胆があるのさ・・」と、すごんで見せるので・・


『なるほど・・しこたま銭でも巻き上げるつもりか?』と言うと・・

「なになに・・そんなケチな了見じゃあねえ

女房を盗ませておいて、代わりに子種を取る魂胆さ」


                                                 山住昭文「江戸のこばなし」



1093 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「艶笑落語・目薬」


表舞台の寄席などでは決して演じられず、ごひいき客のお座敷などで

密かに演じられ、語り継がれてきた・・艶笑落語。


落語のオチは卑猥で、ちょっと顔を赤らめたりしますが、江戸庶民文化の伝統の中から生まれたエロチカとして、おおらかで楽しい笑いをさそい、和ませてくれるのです。

今日のお題は、春風亭小朝師匠の得意ネタ「目薬」です。


♪ある大工の亭主、目を患っており、しばらく仕事にもいっていない。

女房「もうお釜の蓋が開かないから、仕事に行っとくれ」と頼みます。

亭主は、それもそうだと思ったが、医者に行く金がない。


そこで、薬屋の目薬で治そうということになり、女房が買いに行った。

店の主人に「いい薬がありますよ、使い方は裏に書いてあります」

と言われ、そのまま買って帰ってきた。


早速使おうとしますが、開けてみると”粉薬”・・どうすりゃいいんだ?

と悩んでいると、薬屋の主人に言われたことを思い出した。

裏を見ると字ばっかり・・「俺、字よめねェんだよ」


困っていると、「そう・・”ひらがな”だったら何とか読める」
そう言って読み始めます。
「こ・の・こ・な・く・す・り・は...」

さて、この次が漢字で書いてあって、わかりません。

「こりゃ、なんて字だぃ?」
『おまいさん、これは湯屋の女湯にある字だよ』

「そうか、"女"という字か」

「こ・の・く・す・り・は・女・し・り・に・つ・け・て・も・ち・う・べ・し」だな・・


古い字で””という字を、”女”と間違えて、「目じり」を「女しり」と読んでしまったのです。

嫌がる女房に、尻をまくらせて、そこに粉薬をかけます・・

「そのままだよ、じっとしてなよ・・」


薬を包んだ紙を三角に折って、そのはじっこから粉を・・パラパラ、パラ

『ちょいとおまいさん、何であんたの目を治すのに、あたしのお尻に薬を付けるのさぁ・・くすぐったいじゃないの』

「そう書いてあるから仕方ないだろ! 女はお前しかいないんだら・・・」


薬を付けた女房の尻に顔を近づけ、チカチカする目の玉を見開いて、
病んだ目を治そうと頑張る。

一方の女房・・亭主のためにと、四つんばいになってふんばる・・

涙ぐましいばかりの夫婦愛でこざいます。


ところが、間の悪いときというものは、しようがないもので、お昼に食べたおかずが、
さつま芋にゴボウのきんぴら・・東京ガスご用達というやつで・・ぼちぼち天然ガスが溜まってまいりました。


お尻がムズムズしてくすぐったい・・ムッと我慢する・・腹に力が入る・・
途端に思わず「ブゥー!」

覗き込んでいた亭主の顔に、もろに吹きかけたものですから・・
堪りません。

「うわっぷ・・プファッ・・よ、よせやイ! おめぇ、なんてぇことしやがんでえ! もろに・・あぁ、薬が全部吹っ飛んじまって・・目に入って・・あれ? あ、そうか! 薬はこうやって付けるのか...」


ばかばかしいお笑いの一席でした・・

2013年08月15日

般若心経における”空”

般若心経の歴史


般若心経は、649年インドから般若心経を持ち帰った、中国の
玄奘(げんじょう)が訳出した”空”や”無”を説く経典が、中国で

大流行した。
奈良時代中ごろ、遣唐使とともに中国から帰国した玄昉(げん

ぽう)が般若心経を持ち帰り、写経に最も適した経典として、

用いられるようになった。


その後、主に禅宗の人々に重用され、一休、沢庵などの著名な
高僧が、般若心経を好んで用いた。

}明治以降、現代に至るまで、般若心経は「諸行無常」や「空」の

哲学に基づいた、生き方・人生論を端的に示す経典として、

とらわれのない境地を与えてくれる「やすらぎ」のお経として、

用いられてきた。



1094 【心と体の健康】
古典から学ぶ 「般若心経における”空”」


私は、落語「寿限無」に出てくる、あの長い名前をそらんじて言えます。

二カ月前から、般若心経もそらんじて言えるようになりたいと、毎朝素読している・・現在、四分の三くらいまでそらんじて言えるようになった。


般若心経は・・「観自在菩薩 行深般波羅蜜多時・・」で始まり、
照見五蘊皆空 度一切苦厄・・」と続きます。

簡単に訳すと「観自在菩薩が、一切の苦しみ災厄を度された」の意味になります。

「五蘊(うん)」とは、
(物質すべて)」「(心で感じること)」「(イメージ)」「(なしとげようとする意志)」「(認識)」
の五つの集まりをいう「人間の肉体と精神」のことで、私たちの肉体や精神はみな””であり・・実体がない。


例えば”善悪”・・戦争で敵をたくさん殺したら、味方にとってその人は英雄(善)となり、敵側から見れば鬼(悪)となる。
あるいはもっと身近に感じる”長・短、多い・少ない”などの概念や存在は瞬間的で、永遠に継続するものではない・・すべては流動的で変化していく。

この世に、絶対的不変なものなど、存在しないのです。


江戸時代、臨済宗の高僧に”盤珪(ばんけい)禅師”という人がいました。
ある日、禅師のところに一人の僧が訪ねてきて、禅師に問いかけました。

「 それがしは、生まれつき短気でございます・・
  これは、
何としたら治りましょうぞ」

答えて禅師は・・

『 それは面白いものを持って生まれつかれたの・・
  今も短気でござるか? 
あらば、ここへ出しゃれ・・治して進ぜよう 』

と言われた。

そう言われても”短気”を取り出して見せるわけにはいきません。

なぜなら、私たちの肉体や精神は全て”空”だからです。


このように、”短気”などというモノはなく、それらは全て”空”である。

つまり”短気”が生じてくる状況を、作らないようにすればよいのです。

私たちは、短気そのものを無くそうと思案しますが、かえって問題がこじれるだけです。

2013年08月19日

様変わりする葬式

直ぐ検査したがる病院


・詳しく検査することで、おおよその診断がつき、
誤診を防ぐことができるので、何よりまず検査です。


・医師が患者に、数値や画像でもって客観的証拠を
示すことで、患者を納得させ、後で「見逃した」と
言われるのを防ぐことができ、訴訟対策になります。


・病院経営での収入増が見込めるので、必要のない
  検査まで受けさせようとする病院がある。


・一方、長期に薬を服用する患者の副作用の出方を、
  定期的にチェックする目的があります。



1095 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

「様変わりする葬式」


今はジミ婚が当たり前になったが、葬式の在りようも、大きく様変わりしてきている。

最近の例では・・会社を経営している私の友人の母親は、八十歳まで現役の工場長として働いていた。

その母親の葬儀に参列して・・祭壇は遺影を真ん中に、菊の花が美しく飾られている。ところが、家族や会社の取引先など、喪主の人間関係を誇示する、名前入りの献花やお供え物は一切なかった。

 
              花葬儀


弔電の読み上げはなく、焼香は、喪主・親族が終えた後、焼香者の呼び出しはなく、順不動で前の列から順に焼香を済ませた。

親族のほか、参列者は故人や喪主と交わりの深かった友人・知人に限られ、仕入れ先や取引先、銀行関係の参列者の姿はまばら・・
こじんまりした簡素な葬式でした。


昭和八十年代・・バブル全盛期の頃は、弔問者に喪主が力を誇示する葬式が多かった。

献花者の名前が入った大きな花輪が、葬儀場の内外にずらりと並べられ、司会者が、何十通もの弔電を読み上げた。


葬儀のたびに思うのは、生前、故人や喪主とまったく関わりのない政治家の弔電を、最初にもったいぶって読み上げる・・ 空々しいだけである。

葬式に訪れる弔問者は、喪主が偉い人であればあるほど多くなり、香典も多く集まる。家族の中の誰が亡くなろうと、喪主が偉ければ、葬式の規模も大きくなっていく。

香典は、亡くなった本人より、喪主の顔を見て出すのが世間というもの・・「ご仏前にお供えください」というのは、金銭に執着するのを忌み嫌う日本人のキ弁で、「お葬式の費用にお使いください」と言うほうが正しいだろう。

今さら、亡くなった人の仏前に香典を積み上げたところで、何になろう・・死者にお金は不要である。

友人の元社長さん・・「自分が死んだら、身内だけの家族葬にしてほしい」と真面目顔で言う・・遺言にする人もいるという。


少子高齢化時代になって、通夜を行わず、告別式と火葬で済ませる人や、お通夜も告別式も行わず、火葬のみで済ませる家族も増えている。

長年の生活がしみ込んだ自宅で、葬式をやってほしいと言い残す人がいる時代。

我が子に、自分の死後の墓守りを期待せず、遺骨をお寺の納骨堂や合葬墓に納めて、死後は一切寺まかせで由とする人が増えてきた。

そうした要望に応えてか、新しい納骨堂を建てるお寺が目に付くようになった。

2013年08月22日

釈迦の教え/苦しみから逃れる道

「四苦八苦」


「四苦八苦」は仏教の教えです。”苦”とは「苦しみ」の

ことではなく、「思うようにならない」ことを意味します。


(1) 生 ・・ 生まれのも大変

(2) 老 ・・ 老いる苦しみ

(3) 病 ・・ 病気になる苦しみ

(4) 死 ・・ 死を迎える苦しみ

四つの思うようにならないことを根本とし、


(5)愛別離苦     ・・   愛する人との別れ

   (あいべつりく)
(6)怨憎会苦     ・・ 恨み、憎んでいる者との交わり

   (おんぞうえく)

(7)求不得苦 ・・ 求めるものが得られない

   (ぐふとくく)
(8)五蘊盛苦     ・・ 肉体と精神が思うようにならない

   (ごうんじょうく)

思うようにならない四つを加えて、八苦と呼びます。



1096 【心と体の健康】 ~幸せな人生~

「釈迦の教え/苦しみから逃れる道」


釈迦がどういう人物だったのか?
二千五百年も昔のインドの話なので、その詳細はよく分かりません。

伝説によれば、北インドの小さな王国の王子に生まれ、幸せいっぱいの幼少期を過ごしたが、思春期を迎える頃、人生の意味を深く考えるようになった。

この世に生まれた以上、いずれ必ず、老・病・死の苦しみに耐えねばならない・・定めを知ったとき、生きることの苦しみ、苦悩に苛まれるようになった。

そこで意を決して出家・・修行生活に入って、老・病・死の苦しみから我が心を守るための方策を追及し、菩提樹の下で瞑想し、鍛錬を重ねていった。

35歳の時、ついに悟りを開いた。その後80歳で亡くなるまでの45年間は、インド各地を歩いて人々に教えを説いて回った。
その教えが仏教になった。


ところで、この仏教という宗教、「人助けのために生まれてきた宗教ではない」。釈迦は、ひたすら自分のため、自らの苦しみを消すために修業し、悟りを得たのであって、困っている人たちを救うために、仏教を創ったのではなかった。


修業は35歳で完成した。瞑想によって得られた強い洞察力と、自己を律する力を用いて、心の煩悩を鎮めることに成功したのです。

自分自身を救うために積み上げられた様々な秘策を、今度は自分と同じように苦悩する世の多くの人のために、役立てようと思い立ったのです。

悟りを開いたことにより、それまでの「利己的」な考え方の釈迦から、
「慈悲の人」へと生き方を大転換したのです。

釈迦の教えは、「心の苦しみを消す」自らの体験に基づいて生みだされた、本物の教えなのです。


釈迦が「自分のために見つけ出した道」だからこそ、信ぴょう性がある・・釈迦という人物が、実際に自らを治療するために見つけ出した、信頼できる心の治療薬・・それが仏教なのです。


                                            佐々木閑・花園大文学部教授「釈迦に魅せられて」

2013年08月26日

ゴルフを以って人を観ん

マナーが悪く、嫌われるゴルフアー


・ローカルルールを守らず  自分勝手な判断でプレーする人

・進行が遅れていても  急ぐ様子がないグループ

・後方から打ち込んでも  知らん顔している人

・隣りのコースから打ち込み  挨拶なく割り込んでプレーする人


・同伴者が構えに入ったのに  大きな声で話している人

・打つまでに時間をかけ  何度も素振りをする人
・バンカーを直さない人

・前の組みとの距離が充分あるのに 打たずに待っている人


・クラブを一本だけ持ち 距離が合わないと取り替えに戻る人
・グリーン上でもたもたして プレーの遅い人
・プレー中にかかった携帯電話が長引き 同伴者を待たせる人

・服装がだらしない人

・タバコを吸いながらプレーする人



1097 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

「ゴルフを以って人を観ん」


以前、私が勤めていた会社・・大阪の親会社から、取締役のS氏が社長として赴任してきた。S氏がまず最初に行ったのは、各部署に適材適所の配置を考えること・・いち早く部下の能力・適正を掌握し、人事配置を済ませる必要があった。


単身赴任のS社長・・夜、社宅に入れ替わり幹部社員を招いて、酒を酌み交わし、語らうことを始めた・・その後雀卓を囲み、密かに部下の人物評価をしたのです。

6年後、業績が認められ、社員1千名の、大阪の子会社の社長へと、転任していった。
後任の社長には、800人の部下を擁し、中部支社長の要職にあったN締役が赴任してきた・・N氏は、部下とゴルフを共にすることで、人物評価をした。
酒を酌み交わす・・麻雀やゴルフを通して部下と交わる・・互いの心を通わせるには、極めて有効な方法といえます。


以下、夏坂 健著「ゴルフを以って人を観ん」から・・

■自分の性格が最悪の形で表れるゲーム・・それがゴルフである
ゲームの途中に垣間見せる言動に、プレーする人の人柄が浮かび上がってくる。最初の数ホールで、人柄のすべてが露呈されてしまうのがコ゜ルフである。
ティーマークぎりぎりにボールを置く人は、グリーン上でもボールを1ミリでも前方にマークして、有利に図ろうとする。 その性格に余裕はなく、品性は「さもしい」の一語に尽きる。


こうしたスコア至上主義者たちは、他人の目を盗んで、素早くライの改善をやるだろう・・そのセコい性格が嫌われ、生涯、真の友人ができないタイプである。


相手に気を配れ・・
  自分が楽しみたかったら、まず相手を楽しませよ!

いかなる局面においても、”己の有利”に振る舞ってはならない・・
判断に迷ったとき、己の有利より”相手の有利”を優先せよ。

他人のプレーに干渉したり、教えようとしない・・
己に厳しく、他人に優しくあれ。
スコアを自慢しない。


例えば、同伴者のドライバーショットの落下地点を見て、聞かれもしないのに「OBではない・・セーフだ」とか、「バンカー手前で止まったよ!」など、憶測でモノを言って、安心させようとする人・・

落下地点に来たら、OBだったり、バンカーに入っていたり・・
こうした憶測で断定する言動は、同伴者のその後のプレーに影響するので、慎まなければならない。


■何があろうとクサってはならない・・言いわけは天下の恥と知れ!

己の心を律せよ・・ゴルフに運・不運は付きもの・・試練に耐えることこそ、ゴルフの本質と悟れ・・常に沈黙して、微笑せよ。


飛距離を競うゲームではない・・常に8分の力でプレーせよ

負けたくないと、つい力いっぱい振ってしまう・・それではどこかに無理が生じる・・滑らかに8分の力で振るのがコツ。
勝ちたい意識が強いと、心に乱れが生じる・・それまで良かったスコアが崩れていく。

リズムよく振って、それで飛んだ範囲内で集中して、無心でプレーするのが、自分のゴルフ。

2013年08月29日

釈迦の教え/苦しみから逃れる道(2)

釈迦の教え「煩悩の苦しみから自らを救う」


お釈迦さまが言われる教えは、ただ一つ・・

「悲しみや苦しみの基になることから、出来るだけ遠ざかる
  ように
します。

煩悩とか欲というものは、苦しみの種を蒔いて歩いている
  ような
ものです。

目の前の、一時的な煩悩や欲に目がくらみ、人生を誤る
  ような
ことになってはいけません。

煩悩の苦しみから逃れるために、心を鎮めるとが出来る
  ように
なったとき、自らを救うことができるのです」



1098 【心と体の健康】 ~幸せな人生~

「釈迦の教え/苦しみから逃れる道(2)」


生まれて直ぐの赤ん坊の心は、どこにも傷のない、ツヤツヤした美麗な玉のようです。

しだいに成長し、知識がつき、言葉を覚え、家族や人との交わりを重ねるにつれ、心はどんどん傷ついていく。

ケンカをすれば憎しみで傷がつき、欲しいものが手に入らないと、貧欲の気持ちで傷がつく。

他人と比較して劣っていれば、妬みや嫉妬が傷になり、老いて病を発すれば、無常の悲しさで、傷はより深いものになる。

釈迦は言われた・・

「人は誰も、心に”苦しみ”(思うようにならないこと)を持って、生きてい る。
いかに人様以上に恵まれた人生であっても、心の苦しみは皆同じだ。
私たちは皆、生まれて、生きて、年をとって、病気で苦しんで死んでいく・・
誰もが、平等に苦しみを抱えている。

それは、人として生まれた以上、避けることのできない苦しみなのだ。

そして、その苦しみから逃れる道は一つだけ・・それは”自分を変える”ことである。

その自分自身を変えるための道こそが、私(釈迦)の教えなのです」

自分自身を変える・・それが、苦しみを消す唯一の方法なら、教えを学ばなければならない。

本当だろうか・・もしも教えを学ぶことで、自分自身を変えることができるなら、ヒビの入った心の苦しみから解放されるだろう・・。

教えの意味を探求し、学んでも、釈迦の教えを全て理解することは無理だろう。

しかし、「ここに、苦しみを消すための教えがある」と、心のよりどころにするなら、心の傷が治るかどうかは分からないが、立派なお医者さまに治療してもらっているような、安心感が嬉しいのです。


自分が辛い思いをすれば、それだけ、人の辛さを理解できるようになる。
人生の辛さは、人生を生きてきた者にしか分からない。

大人の心はみんな傷だらけだが、それが大人の素晴らしさなのだ。


釈迦もまた、傷を負って修業に励み、精進を重ね、悟りを得たのです・・

だからこそ、その教えは慈悲に満ち、信頼できるのです。


  佐々木閑・花園大文学部教授「釈迦に魅せられて」

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