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様変わりする葬式

直ぐ検査したがる病院


・詳しく検査することで、おおよその診断がつき、
誤診を防ぐことができるので、何よりまず検査です。


・医師が患者に、数値や画像でもって客観的証拠を
示すことで、患者を納得させ、後で「見逃した」と
言われるのを防ぐことができ、訴訟対策になります。


・病院経営での収入増が見込めるので、必要のない
  検査まで受けさせようとする病院がある。


・一方、長期に薬を服用する患者の副作用の出方を、
  定期的にチェックする目的があります。



1095 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

「様変わりする葬式」


今はジミ婚が当たり前になったが、葬式の在りようも、大きく様変わりしてきている。

最近の例では・・会社を経営している私の友人の母親は、八十歳まで現役の工場長として働いていた。

その母親の葬儀に参列して・・祭壇は遺影を真ん中に、菊の花が美しく飾られている。ところが、家族や会社の取引先など、喪主の人間関係を誇示する、名前入りの献花やお供え物は一切なかった。

 
              花葬儀


弔電の読み上げはなく、焼香は、喪主・親族が終えた後、焼香者の呼び出しはなく、順不動で前の列から順に焼香を済ませた。

親族のほか、参列者は故人や喪主と交わりの深かった友人・知人に限られ、仕入れ先や取引先、銀行関係の参列者の姿はまばら・・
こじんまりした簡素な葬式でした。


昭和八十年代・・バブル全盛期の頃は、弔問者に喪主が力を誇示する葬式が多かった。

献花者の名前が入った大きな花輪が、葬儀場の内外にずらりと並べられ、司会者が、何十通もの弔電を読み上げた。


葬儀のたびに思うのは、生前、故人や喪主とまったく関わりのない政治家の弔電を、最初にもったいぶって読み上げる・・ 空々しいだけである。

葬式に訪れる弔問者は、喪主が偉い人であればあるほど多くなり、香典も多く集まる。家族の中の誰が亡くなろうと、喪主が偉ければ、葬式の規模も大きくなっていく。

香典は、亡くなった本人より、喪主の顔を見て出すのが世間というもの・・「ご仏前にお供えください」というのは、金銭に執着するのを忌み嫌う日本人のキ弁で、「お葬式の費用にお使いください」と言うほうが正しいだろう。

今さら、亡くなった人の仏前に香典を積み上げたところで、何になろう・・死者にお金は不要である。

友人の元社長さん・・「自分が死んだら、身内だけの家族葬にしてほしい」と真面目顔で言う・・遺言にする人もいるという。


少子高齢化時代になって、通夜を行わず、告別式と火葬で済ませる人や、お通夜も告別式も行わず、火葬のみで済ませる家族も増えている。

長年の生活がしみ込んだ自宅で、葬式をやってほしいと言い残す人がいる時代。

我が子に、自分の死後の墓守りを期待せず、遺骨をお寺の納骨堂や合葬墓に納めて、死後は一切寺まかせで由とする人が増えてきた。

そうした要望に応えてか、新しい納骨堂を建てるお寺が目に付くようになった。

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