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韓国に庶民のお祭りがないのは何故?

 

韓国の歴史を知らない日本人
 
日本人の多くは、隣国・韓国の歴史をまったく知らない。
韓国では、中学生で徳川家康を知らない者はいないという
のに・・。
日本では、寒流ドラマなどを通して、韓国の歴史に関心を
抱いた人を除いて、1335年に李朝を創建し、518年間
続いた”李成桂(イソンゲ)”を知る人は少ない。

日本には、友好を願って韓国との親善に努力する人たち
がいる・・そうした人たちも隣国の歴史には無知で、自己
満足のレベルでしかない。

日本人の多くが善意で韓国に接していても、一たび竹島問
題が生じると、一夜にして韓国嫌いになって、両国の親善
は机上の空論になってしまう。
隣国の歴史を知らないことで、誤解を生み、民族間の衝突
になったなら、両国の安全は危ういものになってしまうだろう。
 
 
1103 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
~歴史から学ぶ~
「韓国に庶民のお祭りがないのは何故?」
 
 能登を代表する祭りといえば、キリコ祭り、御陣乗太鼓、青柏祭など・・能登の村や町には、長い伝統に培われたお祭りがあり、今に継承されている。 
 能登半島だけで、年間に60ものお祭りが行われているので
す。
                    門前・小さな港町のお祭り   
                  門前 025
 
ところが、お隣の韓国には、青森のねぶたや、岸和田のだんじりなど、観光の目玉になるような伝統的お祭りが見当たらない。
何故、韓国にこうしたお祭りがないのか?
その理由は、李氏朝鮮の時代
に遡ります。
 
朝鮮王朝は、徹底した身分・階級制を敷いた収奪国家です。
底辺で貧困にあえぐ賎人や奴婢たちは、支配階級の両班(やんばん)に反抗して、たびたび”民乱”を起こした。
 
支配階級の両班は、「民衆が集う」のを恐れるあまり、「村祭り」や「宗教行事」を禁じてしまった。
朝鮮王朝の政治手法を受け継ぐ、現代の北朝鮮・金政権にも、それが伺えるのです。
 
日本は江戸時代初期、全国の領主の多くが、お国替えで新しい領地に移封させられた。
新しい領主は、領民を手なずけ、不満を取り除き、平穏に治世を行う必要に迫られ、村人が集う「祭り」を奨励したのです。
 
一方の韓国では、中央から任命された行政官が地方を治めた。
任期の短い地方官は、赴任先の住民と交わりを深めたり、村祭り育成する必用などなかったのです。
全国に支店網を持つ日本の大企業も同様・・業務・業績につながらない、地域住民との交流にはまったく無関心です。
 
加えて、「恨」の思想を根底に持つ韓国人・・王様が交代して新しい政権を樹立すると、前王が行っていた施策のすべて・・その良し悪しに関わらず排してしまうのです。
現代の韓国もそう・・二つ前の政権が積極的に推し進めてきた「太陽政策」は、次政権に引き継がれることなく、排除されてしまった
 日本は、長い歴史の積み重ねによる「文化の継承」がなされてきた・・伝統芸能、工芸、祭りなど、地域住民が懸命に守り、受け継いでいく土壌が、日本にはあるのです。
 

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