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2014年01月 アーカイブ

2014年01月02日

立川談志/羽団扇(はうちわ)

明けましておめでとうございます。

「吉村外喜雄のなんだかんだ」

今年も、よろしくお付き合いください。



1136 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「立川談志/羽団扇(はうちわ)」


今年最初の噺は、立川談志アレンジしの得意ネタ、初夢を題材にした

「羽団扇」です。 元々は長編古典落語「天狗裁き」の前半部分を、上方の三代目桂米朝が、一席の落語に復活させたものです。


♪正月2日の夜、七福神の刷り物を枕の下に敷いて寝ると、

初夢が見られるという。

年始回りをして、ほろ酔いで帰ってきた亭主が、先に寝るという。

「お宝が枕の下に敷いてあるから、良い初夢を見てね・・」

との女房の言葉を耳に、寝付いた。


寝言や笑い顔が・・起して聞くと『夢は見ていない』という。

「あんた!私に言えない夢を見たのでしょう」って、喧嘩になった。


そこに仲裁人が入って、なだめたが『夢は見ていない』の一点張り。

「それでは・・こうしてくれる」と、襟首掴んで空高く放り上げられた。


落とされたところが、鞍馬山であった。

木の上に天狗がいて、「ワシが連れてきた・・」という。


羽団扇(はうちわ)で飛んで、貴様の家の上を通ると、

夢の話しで喧嘩をしていたから、ここに連れてきた。


女房にも言えない面白い夢を見たようだから、「話せ」という。

「話したら帰れるが、しゃべらなければ八つ裂きに・・」と脅した。


では・・と、でたらめな花火の話しを語り出したが、

落語家は噺をするとき、扇子を持っている。

だから『その羽団扇がないと話せない』と強引に取り上げた。


夢中で話しているように見せかけて、羽団扇(はうちわ)をあおぐと

・・身体が浮いて・・天狗が制止するのも聞かず扇ぎ続けると・・

森の上を飛んでいって・・大海原のど真ん中に出た。


落ちたところが、七福神の宝船の中。

今まさに・・正月吉例の宴会の真っ盛り。


仲間に入って、綺麗な弁天様にお酌をしてもらい・・ご機嫌で 恵比寿様にも勧めたが、恵比寿ビール以外のお酒は駄目だという。
肴は恵比寿様が釣った鯛のお刺身・・これがまた美味しい。

飲んで食べて、芸をする間もなく寝入ってしまった・・

と、弁天様に起される。

女房であった・・弁天様と女房がこんがらがって・・

女房は弁天様と呼ばれて喜ぶし・・夢を見ていたことが初めてわかった。


早速、女房に夢の話しをしたら、

女房「春早々、縁起の良い夢でよかったね」とご機嫌で、

七福神ってどんな人たち?


何度数えても・・六福神しか思い出せない。

「あとの1人は?」と聞かれたが・・亭主窮して、
『いっぷくは、吸い付けタバコで・・飲んでしまった』

2014年01月06日

歴史から学ぶ「永遠0を観賞して」

靖国参拝に思うこと

12月27日、首相の突然の靖国参拝には

驚かされた・・小泉首相以来だという。


翌日の朝刊・・読売と産経は「国民との約束を
果たした。平和維持に妥当」と論評。

朝日や中日は全く正反対で、アメリカ国務省

は「失望した」、「韓国・中国との関係は悪化」
と批判一色。

隣国の動向がやたら気になる日本のマスコミ

・・日本の弱体化をもくろむ、中・韓の思うつぼ
です。

TV朝日の「朝まで生テレビ」の国民意識調査

では支持71%。ヤフーの調査では八割が妥

当と回答している。

多くの新聞は、「靖国参拝=よくない」を前提

にして記事を書いている・・私の思い込みでし
ょうが、 この意識のズレは何なんでしょう・・



1137 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~「永遠0を観賞して」

 

12月31日阿部首相は「永遠の」を鑑賞した。上映後、記者団から
感想を求められ、「感動しました」と、感極まった様子だったという。
何故、あれほど生きることの大切さを訴えていた祖父が、自ら特攻に

志願し、死んでいったのか・・映画「永遠の」で問われたテーマです。


「特攻に志願した日本の若者も、自爆テロで死んだイスラム原理主義者も同じだ・・洗脳されてやったんだろう」 と、現代の若者たちは、単純に結論づける。

太平洋戦争末期、特攻に志願し死んでいった四千数百名の青年たち・・映画「永遠」では、そんな青年たちの一面を追っていく。
「あと十年もしたら、戦争を知る世代がいなくなってしまう」・・ そんな危機感もあって、古老たちが過去を語り始める。

終戦から今日までの間、決して忘れることなく、心の奥底に仕舞い込んで、家族にも語ったことのない戦争体験を、初めて明らかにする・・。
後世に語り継いでいかなければならない貴重な戦争体験が、映画の中で語られる。

映画に登場する母親は、真珠湾攻撃直後に生まれた・・
私も、真珠湾攻撃の一か月前に生まれている。
私の戦中戦後の記憶と、物語の母親が重なり合って・・ 幼児期の記憶が鮮明によみがえってくる。

「日本の歴史認識に大きな問題がある」と、韓国の朴大統領は日本を非難する・・朴氏だけでなく、日本人の多くは、戦前から戦中、当時の日本と朝鮮の関係がどうだったのか・・正しく認識する者は少ない。


「日本は朝鮮を侵略し、植民地支配した悪い国」という表面的な観念で、「植民地支配=悪いことで、やってはいけないこと」と・・
神風特攻に対する認識と同様、単純に結論づけてはいないだろうか。


本当に日本は半世紀にわたって、朝鮮で、朝鮮人の恨みを買うような悪いことをしてきたのか?
どんな悪いことをしたというのか?
さっぱり分からない・・ 近代史が数ページ抜け落ちてしまっている。


韓国政府は、「従軍慰安婦」をことさら問題にし、日本に謝罪を求める。ふと?疑問に思うのは、この一点以外に、日本が朝鮮で悪事を働いた事実が、どこからもから聞こえてこない。


同時代、台湾と韓国は日本の統治下に置かれていた。
台湾も朝鮮も、統治のあり方に違いはなかったはず・・なのにどうして?

終戦後独立した台湾は、戦後いの一番に戦争賠償請求を放棄し、

インドと共に日本の独立を支持し、戦勝国に働きかけている・・
韓国とは正反対の親日国です。

 

2014年01月09日

李氏朝鮮王朝500年の終焉

韓国併合


日本は、当時破産状態にあった朝鮮の独立と

近代化に手を貸そうとした。
朝鮮も、日本との対等合併を条件に、併合賛

成派が多数を占め、 先進諸国の賛同を得て、
合併に調印 した。
軍事力で朝鮮半島を蹂躙し、奪い取ったので
はない。
会社に例えるなら、破産状態の会 社を吸収
合併し、人・モノ・金を注ぎ込んで立 て直しを
図った・・とすれば理解が早い。
無論、きれいごとばかりでは ない。
日本は、ロシアの南下を食い止 めないと、

直接ロシアの脅威にさらされることになる。


経済界は朝鮮市場の拡大を欲し、軍部は西欧

列強に習って、植民地化を望んだ。
そうした思惑から日韓併合が進展したのです。



1138 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~
「李氏朝鮮王朝500年の終焉」


1388年、高麗王の命を受けた右将軍の”李成圭”は、約4万の軍勢を率いて遼東半島奪還に向け進軍中、こともあろうに敵である明と通じて、平城に引き返えし、クーデターで高麗王朝を滅ぼしてしまった。
92年に李朝を創建・・明を政権のバックボーン、天子の国と仰いだ。
以後500年、中国の”属国”に成り下がることになったのです。


李斯朝鮮は、1910年高宗の子の純宗の代に滅亡した。
純宗は、李成圭から数えて27代目になる。 李朝が五世紀にもわたって韓族に君臨したため、韓族の精神をゆがめてしまった。
「小中華」であることを誇る、呪われた国にしてしまったのです。


李朝末期の政治は・・支配者(両班)たちは権力闘争に明け暮れ、官僚は不正腐敗、両班の横暴によって人心は荒廃し、絶望的な慣習制度と身分差別で、朝鮮全土は腐敗・麻痺状態にあった。


まともな軍事力もなく、国家財政も社会も経済も破綻し、慢性的に農民一揆が頻発していた。1860年代の李朝の国力は、まさしく衰亡のきわみに至り、崩壊寸前にあったのです。


同時代、隣国の日本は違っていた・・民衆は自由闊達・・江戸末期、西洋の脅威に直面すると、それを跳ね返すだけの強い力を、徳川300年を通じて蓄えていた。

ところが李朝は、骨の髄まで腐りきっていた。そこで朝鮮の改革派は、人民を苦しみから解放するため、韓日併合という他力本願の道を歩み出そうとしたのです。


1894年の日清戦争で、日本が勝利した後に結ばれた清国との「下関条約」で、日本は、500年続いた中国の属国から朝鮮を解放・・近代国家への独立を中国に認めさせた。
以降、国号を李子朝鮮から大韓帝国に改め、日本の影響下に置かれることになる。

1904年の第一次日韓協約で、日本人顧問を政府中枢に置くことが義務付けられた。翌1905年、第二次日韓協約によって、外交権を日本に移行・・日本の保護国になった。更に、1907年の第三次日韓協約で、内政権も日本に移管した。

こうした過程を経て、1910年8月、韓国併合条約調印・・最終的に日本に併合され、国家としての李子朝鮮は終焉を迎えたのです。


                                          崔 基鎬(チュ ケイホ)著「韓国堕落の2000年史」

2014年01月12日

歴史から学ぶ 「韓日併合後の韓国」

日露戦争直前の日本の国家予算は三億円。
外国に支払う正貨準備はわずか五千万円しか

なく、そんな僅かな手持ち金で、超大国ロシア
を相手に戦争を始めたのです。


日露戦争は20世紀最初の近代戦・・戦費は、

なんと年間予算の6倍の18億3千万円という、

驚異的支出になった。

戦費は英国と米国からの借金で賄われたが、

戦後期待していたロシアからの賠償金は、

一銭も入らなかった。


韓国を併合する3年前の明治40年には、
日本の債 務残高は22億円と、利払いだけ
で年間予算が消滅する巨額に膨れ上がり、
国家破産は秒読みの段階に入っていた。


野口英世の生家に見られるように、韓国併合

当時の日本は貧しかった。   そんな中での、
韓国と台湾への惜しみのない投資。


併合以降、両国の関係は極めて良好だった。
それが今日どうして、韓国からこれほど憎ま
れなければならないのか・・



1140 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~歴史から学ぶ~ 「韓日併合後の韓国」


日本は韓国を合併した後、現在の試算で約20兆円もの膨大な国の
お金と人・
物を朝鮮半島に投入し、朝鮮の近代化に貢献した。


合併後の朝鮮は、それ以前とは比べられないほど、インフラが整備され、李朝時代の悪習が改善され、医療・教育・生活など、すべての水準が高まった。
併合後半世紀の間に、朝鮮人一人当たりの国民所得は、1910年代の約40ドルから、約80ドルへと倍増した。

1920年~30年代の韓国のGDP平均成長率は、約4%まで高まった。(1920年代の世界経済は2%以下、日本は3%強)

耕作面積は二倍になり、米の反当り収穫量は、0.5石から1.5石へと3倍に増えた。
一般庶民の暮らし向きは向上し、人口は1300万人から2600万人に倍増・・医療の改善により、24歳だった平均寿命も、56歳へと飛躍的に伸びたのです。


中でも学校教育に力を注いだ。教育制度を日本と同じ内容に改革し、
日本のお金で5200校の学校を建て、小学校からハングル文字を教えることにした。
「朝鮮人の言葉を奪い、日本語を強要した」とされるが、事実は、当時
文盲率90%の朝鮮人に、なおざりにされていた母国語のハングル文字で読み書きが出来るよう、整備・普及に努めたのです。


■日韓併合で韓国社会は大きく変貌


・階級制度を廃止し、奴隷制度や人身売買の 
  悪習を撤廃・・両班による搾取・虐待・拘束か

  ら住民を解放して、移住の自由を認めた。


・人権尊重など、法治国家としての基礎を整備
・残忍な拷問・私刑、一族の罪人連座法を廃止

・前夫に終生貞操を求める悪習を改め、

  女性の再婚の自由を保障


・学校教育制度を導入し、読み書きを教え、

  ハングル文字の復活・普及に努める

・ 創氏改名の自由


・鉄道・道路網、港湾施設などのインフラ整備
・水力発電所を建設し、重化学工業を興す

・農地・山野を開拓し、河川事業で水害を減らし、 
  耕地面積倍増を目指した


・世界一不潔と言われた町や村を清潔にし、 
  近代医療制度を導入した

2014年01月14日

歴史から学ぶ 「韓日併合の顛末」

■「韓国合邦を要求する声明書」


李容九率いる韓国推進派の最大政治組織

「一進会」は、1909年12月「韓国合邦を

要求する声明書」をしたため、上奏文と請願

書を、李完用総理と韓国統監に提出した。


『日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、
ロシアと日露戦争を戦って、ロシアの支配が

迫っていた韓国を救ってくれた。
なのに韓国は、これをありがたく思うどころ

か、あっちこっち他国にくっつき、終いに外

交権を奪われることになったが、これは自ら

が招いたことである・・(中略)


伊藤博文公が、我々韓国のためにご苦労され

たにも拘らず、暗殺されてしまった。

今後どんな危機にさらされるか分からない。

これもまた、韓国人自らそうしてしまったの

である・・(中略)

劣等国民として保護されるよりは、いっそ

日本と合邦し、大帝国を作って世界の一等

国民として、日本人と全く同じ待遇を受けな

がら、暮らしてみよう・・』



1139 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~歴史から学ぶ~ 「韓日併合の顛末」


1895年(明28)、日清戦争に勝利した日本は、清国と「下関条約」を
結び、李朝時代属国の境遇にあった朝鮮を清国から独立させた。

下関条約の第一条は・・
「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」とある。

戦勝国日本が清国に最初に求めたのは、領土や賠償金ではなかった。


ロシアの南下と、欧米列強の脅威から日本を守るため、隣国朝鮮の
独立国家成立に、力を貸そうとしたのです。

しかし、一人歩きできない朝鮮は、独立から十年後の1905年(明38)、日本と「第二次日韓協定」を締結し、日本の保護国になった。

更に5年後の1910年(明43)、日本と韓国は「日韓併合条約」を締結。日本国朝鮮地方になり、朝鮮人は日本国民になった。


現在韓国は、「武力による強制併合だった」と主張しているが、当時
ロシアの侵略を恐れた韓国側が、日本に求めた併合だったのです。

日本と韓国は、国際法に則った条約として、欧米列強の承認の下に
締結したのです。

日本が朝鮮を植民地として、西欧列強のごとく奪い取る気なら、わざわざ韓国や西洋諸国の承認を得る必要はなく、武力制圧すればよかったのです。

日韓併合には・・日本側は陸奥宗光が反対派、伊藤博文、井上馨
などは慎重派、桂太郎、山縣有朋などは推進派でした。

朝鮮側は、李容九などが推進派で、総理大臣の李完用などは容認派。旧勢力の両班や儒者は、反対した。


1909年10月26日、初代内閣総理大臣・初代韓国統監だった
伊藤博文が、安重根に暗殺された。

伊藤博文という日韓合併慎重派の重鎮を失ったことで、韓国内の併合推進派に、併合推進の口実を与えることになった。


李容九率いる韓国推進派の最大政治組織「一進会」は、1909年12月「韓国合邦を要求する声明書」をしたため、上奏文と請願書を李完用総理と韓国統監に提出した。
提出は却下されたが、提出を繰り返すことで、遂に桂首相に受け取られた。
以後韓国側では、次第に日韓併合に賛成する者が増え、韓国が懇願した日韓併合が成立したのです。


2014年01月17日

歴史から学ぶ 「韓日併合を検証」

韓国学長の言葉

「戦わざるものは自ら滅ぶ」

『私は平素学生に対して、韓国人としての自覚

を促している。

日本の韓国併合に抗議する前に、韓国人自身

が考えなければならないことである。


日本の韓国併合に、米国も英国も、どの国も
反対しなかった。世界は当然のように受け止
めていた・・それは何故か?

清国軍がソウルを占領しても、韓国人は戦わ

なかった。日本軍が戦って、清国を国外に追

い払ってくれた。

ロシアが入ってきた時も我々は戦わなかった。

日本軍が血を流して戦い、朝鮮からロシアを

追い出した。

日本は、これ以上のトラブルは嫌だと、朝鮮

を併合して、日本国の一部にしてしまえば、

ロシアの脅威から朝鮮半島を守れると考えた。


世界の列強は無理のないことと、一言も異を

唱えなかった。この歴史の事実を忘れてはな

らない・・韓国は自ら滅んだのだ!


日本に悪口を言い、責任を押し付ける前に、

我々は戦わなかったから滅びたことを、知ら
ねばならない』

名越二荒之助著「日韓2000年の真実」



1141 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~歴史から学ぶ~ 「韓日併合を検証」


2001年11月、アメリカのハーバード大学で、韓国政府肝いりで、
韓国の学者たちの主導のもと、米・英・韓、そして日本の学者が集まり、「日韓併合の歴史をどう考えるか」について三回目の論争が行われ、
最終結論が出された。

韓国側は「日韓併合は不法だった」ことを国際舞台で確定させ、
改めて、日本に謝罪と補償・賠償を求める根拠にしようとした。

韓国の学者たちは一致して、日韓併合に至る条例はすべて、手続きや成立過程に国際法上違法性があり、無効であると主張し、国益を優先した。

一方日本側は、合法と言う学者、韓国が主張するように違法性かあるとする学者、当時手続きは正当であったが、歴史的に精算義務が生じるだろうとする学者・・国益より、歴史学者としての見解が優先した。


論争の結果、「当時、自力で生きていけない国について、周辺の国が国際秩序の観点から、その国を取り込むということは当時はよくある事例で、当時の国際慣行法からすると、英米を始めとする列強が認めていた以上、日韓併合条約は、国際法上不法なものではなかった」と結論づけた。

当然、韓国側はこれに猛反発・・「日本に強制されたもの」と主張したが、米国がハワイを併合した事例を参考に、「強制されたから不法という考えは、第一次大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」と、受け入れられなかった。

韓国側のもくろみは、みごと失敗に終わった。
このニュース・・日本では韓国を刺激しないためか?報道されなかった。

2014年01月20日

無形文化遺産になった日本料理

公共の場での飲酒


海外では、国によって公共の場で飲酒すると

嫌な顔をされたり、法律に触れ罰せられたり

する。

日本は飲酒には寛容で、JRで移動中にお酒
を飲むのは普通のこと・・お花見シーズンには

公園でグループで酒を飲み、楽しむ人で溢れ

る。

酒席は無礼講で、少々ハメを外したからと、

叱られることはない。公共マナーの良い日本
人だからこそ、許されるのだろう。



1142 【食と健康】

「無形文化遺産になった日本料理」

日本料理とは、良質な水に恵まれた風土の中で、季節ごとの新鮮な食材を使って、独自に工夫し、素材の味を活かして調理される料理のことをいいます。
米や穀物を主食に、季節の野菜・豆・魚貝類、海藻を素材にして、先祖代々受け継がれてきた料理を、日本食・和食として親しんできたのです。


政府は、日本料理を日本の伝統的食文化であるとして、ユネスコの無形文化遺産登録に申請した。
その少し前、韓国政府はキムチに代表される韓国料理を、無形遺産に申請したが、登録には至らなかった。


そこで日本は「日本料理」を、料理や調理法だけでなく、和食の文化・・即ち「いただきます」「もったいない」「お・も・て・な・し」の心。
(食材の命を頂くことに感謝し、手を合わせて食べる習慣は日本だけ)

そして、質感や絵柄を吟味した「器」に、食材を彩りよく並べて盛り付けるなど、和食に付随する「日本人の精神や慣習」を、プレゼンテーションに取り入れ、強調した。


セールスポイトに、年末年始の餅つきやおせち料理が、日本人の生活に深く慣習として根付いていること・・主食の米に、季節の新鮮な食材を調理した一汁三菜・・そして栄養バランスに優れ、ヘルシーで健康的な食事として海外から高い評価を受けていること・・などを挙げた。


日本料理とは、懐石・寿司・天ぷら・うなぎ・焼き鳥・うどんそば・丼物・
その他、先祖代々受け継がれてきた伝統料理を指します。
日本料理店はミシェランの評価も高いのです。


ところで、誰もが好むオムライスやカレーライスは洋食だが、日本で育まれた料理として、海外では日本料理として扱われる。

中華料理から進化したラーメンや焼きそば、そして、イタリア料理がルーツで、日本で生まれたスパゲッティ・ナポリタンも、日本料理に含まれる。

鉄板焼きも、日本独特の料理として海外でも好まれ、日本料理に含まれます。

豚肉の生生姜焼きやハヤシライスは、和食でも洋食でもなく、お好み焼きとたこ焼きは、伝統和食とは言えないので、日本食から外されている。


カルフォルニアロールの手巻き寿司は、近所の和風レストランのメニューにもあるが、日本食が世界の人に受け入れられる中、海外で生まれ逆輸入される日本料理が増えてくるだろう・・

2014年01月23日

歴史から学ぶ 「日本人に生まれてよかった」

「日本人として(安倍首相の発言を)
     深く
恥じる」

昨年11月、香港の大学で講演した鳩山元首

相は、日中関係悪化は安倍首相の歴史認識

にあるとし、
「日本人として、私は(安倍首相の発言を)
深く恥じる」と、首相を厳しく批判した。

「南京事件も謝罪する義務がある」と語って、

会場から盛大な拍手が送られた。


更に、中国政府が主張する尖閣問題にも、
賛意を表明し、大学から名誉博士号を授 与

されている。

日本の元総理の発言だけに、他国を利する

無責任な言動で世間を騒がせるのは、
日本のためにはなりません。


日本人として深く恥じなければならないのは、

鳩山氏ではないでしょうか・・



1143 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~歴史から学ぶ~ 「日本人に生まれてよかった」


2012年10月号月刊至知「お客さまからの声」を転載します。

投稿したのは、台湾に嫁いで27年の呉奈々子さん・主婦56歳。

題目は「先の偉大な日本人に恥じることのないように努力していきたい」


♪私は台湾に嫁いで27年になります。

こちらで、高齢の方々に接するたびに言われたのが、「日本の統治時代は本当によかった」の言葉でした。

台湾の歴史も何も知らずに、嫁いだことを恥ずかしく思い、歴史本や、日本と台湾に関する本を読みあさりました。

そして分かったのが、日本の先人たちが、明治28年から約50年の間に、膨大なお金と犠牲を払って、台湾の近代化に尽くしたことです。


当時の日本人は、倹約質素・勤勉を旨とし、お国のために忍耐と犠牲を強いられる中、台湾でインフラの整備、病院や道路、ダムの建設、学校・大学の設立などを行っていたのです。


明治28年当時、世界の列強は競ってアジア、アフリカの国々を植民地化していった・・そんな中にあって「自国の利己的な目的からだけでなく、先進国としての崇高な時代の使命」を理念に掲げ、日本はその思想を実現しようとしたのです・・

だからこそ、戦後60年を経た今、台湾の元総統・李登輝氏から、
「日本の統治時代があったからこそ、現在の台湾の発展がある」
と言ってもらえるのです。

仮に、戦前戦後ずっと、台湾が中国に統治されていたなら、台湾の近代化は、21世紀まで待たなければならなかったでしょう。


『致知』を読むと、日本人の国民性である勤勉、誠実、忍耐、おもいやりは、今も変わらず引き継がれていると、感じるのです。

時代は変わっても、生き方や考え方は変わりません・・
「日本人に生まれてよかった」との思いが強まるのです。


海外に住む日本人の1人として、この誇りを忘れることなく、先人たちの
偉大な足跡に恥じないよう、努力していきたいと思います。

2014年01月26日

日本人の味覚

味 覚
西洋人は味覚を四つに分類する・・
「甘い・すっぱい・塩辛い・ぴりっと辛い」
の”四味”である。


中国人はこれに「苦い」を加えて”五味”

この五つつの味を調和させたのが
中華料理です。


日本料理は、さらに「うまみ・こく」を加えた

”六味”を調和させた料理です。



1144 【食と健康】   「日本人の味覚」


低カロリーで健康的な日本食が、世界で注目されるようになった。

日本料理の決め手は「うまみ」・・そのうま味の決め手になるのが「ダシ」です。日本の伝統的なダシは、肉の脂肪のおいしさに匹敵するという。

「ダシ」には、グルタミン酸の昆布、イノシン酸のかつお節、グアニル酸の椎茸などがある。それらを組み合わせて使用し、煮たり、乾物を水に浸して、徐々に成分を抽出する。

「うまみ」は魚を生で食べるより、”生干し”にしたほうがうまい・・
うまみのもと、アミノ酸が発生するからです。


”鰹節”もそう・・蒸し鰹を天日に干して、カビさせる・・このとき、菌糸が
中まで入って発酵を促し、うまみが凝縮され、永久保存の鰹節になる。


椎茸も、生を天日に干すと、ビタミンKとグルタミン酸とアミノ酸ができて、うまみが増す。

日本人の素晴らしさは、昆布ダシから”味の素”を発明したことです。


日本料理の要点は、素材を活かすことにある。

欧米人と日本人とでは、根底から料理に対する考え方が違います。

欧米人は、長時間かけて美味しいソースを作り、それで素材を食べる
調理法。

一方日本料理は、一生かけて美味しい素材を求め、素材の風味を壊さないようなダシを使う。

中国や西欧のダシは、骨や肉を2時間も3時間も煮て、ダシを 作る。
煮込むことで、ゼラチンもうま味も全部濃厚に出てくる・・ コクが出てくるのです。

豚骨ラーメンスープのように、煮込むことでゼラチンとうま味が濃厚に出る。コクがあるということは、ダシを取る素材の”雑味”が全部出るということです。いろんな味がするダシが、素材の味を消してしまうのです。


昆布や削り節をしっかり煮込んで取ったダシで、日本料理の煮物を作ったらどうなるか・・味が分厚くコクがあって美味しい・・しかし、家庭味になってしまう。
だから日本料理の板前は、味が分厚いコクのあるダシは「使えない」という。彼らは、コクとか分厚さを犠牲にしても、純粋なうま味のダシを使いたいのです。

和食の基本になるダシに鰹だしがある。すっきりとしていながらも、魚のうまみが凝縮されている。味噌汁、お吸い物、煮物などの日本料理には欠かせません。

削り節を沸騰直前の昆布だしの中にザ~ッと入れて、混ぜもしないで
1分たったらそのままろ過する・・かつお節「一番ダシ」です・・うま味は少ないが、香りがよい。

一番だしの取り方は、この煮出し法のほかに、水出し法、煮炊き法がある。

一番ダシを取った後の削り節に、再び水を入れ、火にかけて、削り節を足して取るダシを「二番ダシ」という・・香りは少ないがうま味が出て、コクのある力強いダシが取れます・・煮物や味噌汁に使われます。

2014年01月30日

日本人に根ざす自虐肯定

首相参拝で米「失望」と騒いだのは・・


安倍首相の靖国参拝に、中・韓両国の反発は

予想通りだが、米オバマ政権が「失望してい
る」との報に・・日本のマスコミが騒いだ


正しくは「心外」と訳すべきで、遺憾とか抗
議を意味する声明ではなかったと国務省。

世界200カ国で、2カ国だけが遺憾を表し
、2~3カ国がやや非難めいた声明を出した
だ け。

首相の平和祈願を評価する国が数十カ国あっ

たことを無視しておいて、一体何が外交問題

なのか。

誇りや自信を喪失した、日本人特有
の ”自虐
意識”の表れに他ならない 
                                        (産経ニュース)

直後、賛同した国民は70%を超えた。

其の後、TV新聞で繰り返される非難報道で
、 国民の賛同者が約45%に落ちた。

マスコミは、民意を右にも左にも誘導してし

まう・・中立で正しい報道であってほしい。



1145 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
~日本人のアイデンティティ~
「日本人に根ざす自虐肯定」


怨念に近い反日の背景に、韓国人特有の感情である「(はん)」の存在を指摘する。「恨」とは、韓国民衆の2000年に及ぶ被抑圧の歴史が培った、苦難・孤立・絶望の集合的感情(広辞苑)を意味する。

韓国人は「相手に恨みがある」ということを、機会あるたびに言いたがる。「嘆きや恨み」を行動のエネルギー源にしようとする思考があるのです・・「日本にやられた!」と言うことで、力が湧いてくるのです。


1月19日の自民党大会で、日本人の「自虐史観」が取り上げられた。
「大東亜戦争で日本は、隣国の韓国や中国を始め、東南アジアの諸国に残虐非道な行為をした」と、多くの日本人が自虐史観に囚われ、日本人としての自信や誇りを持てなくなっているのです。


また、日本人には特有の「自虐肯定」の感情がある・・誰かが欠点を指摘されると、反面教師として反省の材料にするのではなく、「それみたことか」と悦ぶ気持ちが働くのです・・「島国根性」と揶揄される、日本人特有の感情思考である。


このとき、肝心の自分だけは例外と勝手に決め込み、自分以外の人たちへの批判だと、思い込んでいる。

反対に褒められると、自分も含めて得意になる・・こんな身勝手な矛盾に気づかない限り、日本人は永遠に自分を知らないまま、不幸を背負っていくことになる。


もう一つ日本人の根底にあるのが、明治以来の「欧米に対する劣等意識」。
非欧米的な形のものは何でも、価値の低いもの・・
従って、日本特有とか、昔からのしきたり・伝統は、おおかた前近代的で、価値の低いものと錯覚し、捨て去ろうとする傾向がある。


オードリー・ヘップバーンやポール・ニューマンのような、西欧の女性や男性に憧れるのはコンプレックス・・これも、西洋人と比較した
劣等意識の表れでしょう・・

価値観を比較するとき、日本の風土、歴史、体系、世界観など一切を無視して、欧米崇拝思考でモノを観るのは、行き過ぎと言わざるを得ない。


                                                                           樋口清之著「梅干と日本刀」

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