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2014年08月 アーカイブ

2014年08月04日

歴史から学ぶ「吉 原」

不義密通


封建体制下の江戸時代、自由恋愛は
「不義密通」とされて、厳しく禁止された。

特に、結婚している男女の場合、発覚すれば

二人とも「死罪」。
夫が二人の不倫の現場を見つけた場合は、
二人を重ねて四つに斬っても、罪には問われ
なかった。

「間男は 薄き氷に そっと乗り」という川柳

があるが、不義密通はスリルのある、命がけ

の危険極まりない火遊びだったのです。


しかし、いくら制裁が厳しくなっても、この種の

犯罪は無くならなかった。表沙汰にしないで、
金を払って内々に済ませることが多くなった
のである。

「間男七両二分(大判一枚に相当)」が相場

だったようです。

山住昭文「江戸のこばなし」



1199 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~歴史から学ぶ~ 「吉  原」


吉原は明暦の大火(1657年3月)までは、今日の日本橋・・江戸の真ん中にあった。
大火がきっかけで、浅草の田んぼの真ん中へ移転させられ、新吉原となった。
面積は2万坪・・出入口は1か所で、遊女が逃げないよう、周りは堀で囲まれた。
この遊郭・・幕府の奨励で生まれたわけではない。出稼ぎや普請場の多い江戸・・男女の比率は2対1と圧倒的に男性が多かった。

となると、遊郭が自然発生的に生まれた。


家族を残してきた出稼ぎ人、江戸詰めの侍、番頭や手代・・当時の町人は、家を持って結婚できるのは三十過ぎてからだったので、独身者が多かったのです。

吉原の遊女は三千人、花魁にまで上り詰めるのは約五百人に1人・・
わずか6~7人です。
才色兼備で、遊女に必要な芸事の他、華道・茶道・音曲・囲碁・将棋等を卒なくこなし、和歌や短歌も詠む・・27歳が花魁の定年だったから、並の努力で昇れる地位ではない(今ならタカラジェンヌのトップスターだろう)。

花魁と遊ぶには、今なら2百万円は必用で、遊べる客は限られていた。

初回、客は下座で待たされ、遅れて花魁が近従を従え上座へ・・
その初顔合わせで花魁「この男は駄目」と言えば・・それまで。


二回目も無事クリアして、三回目に吉原へ上がった時、ようやく花魁の部屋に通される・・夫に嫁しづく妻のごとく、両手をついて客を上座へ導く。

その夜は、恋する乙女のごとく振るまい、床入れが待っている・・
一晩約50万円・・三回通って150万円・・入れあげて、店を潰した道楽息子は数えきれず・・


そこで幕府は、遊郭を犯罪者摘発の場として利用した。

遊郭の経営者を警察の手先にし、金使いの荒い者や怪しい者がいたら、奉行所に通報することが義務づけられた。

その代わり、お上に納める”冥加金”は免除された。
”無税”の特典が与えられたのです。

                                                                               樋口清之「梅干と日本刀」

2014年08月07日

賢者・名言の智恵 「青春とは 心の若さである」

サミュエル・ウルマンは1840年、ドイツ
でユダヤ人の 両親の長男に生まれた。
その後家族はアメリカに移住。

ウルマンの「青春」は、70代の晩年に書かれ
たもので、電力王・松永安左
衛門や 松下幸之助翁が、座右の銘にしてい
たこ とで 知られる。
マッカーサー元帥も座右の銘にしていた。

終戦直後の1945年9月27日、昭和天皇が
元帥の執務室を訪問し、天皇はマッカーサー
元帥と並んで写真を写された・・


その部屋の壁には「青春」の詩が掛けられて
いた。

 

1200 【心と体の健康】

賢者・名言の智恵 「青春とは 心の若さである」


私がウルマンの「青春」を座右の銘に加えたのは、56歳の時・・
日創研のTT研修で、松下幸之助と本田総一郎の経営者の違いを課題にしたレポートをまとめていて、松下幸之助の座右の銘が「青春」であることを知り、心打たれたのです。



       [青     春]                            サミュエル・ウルマン


『 青春とは、人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言う。

優れた創造力、たくましき意志、燃ゆる情熱、怯擩(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春という。


年を重ねただけで人は老いたりしない。
理想を失うときに初めて、老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増やすが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や狐疑、不安、恐怖、失望、こういうものこそ、あたかも長年月の
如く、人を老いさせ、生気る魂をもあくたに帰せしめてしまう。


年は70であろうと、16であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心、空にひらめく星晨(せいしん)、その輝きにも
似たる。

事物や思想の対する欽迎(きんげい)、事に處する剛毅(ごうき)な
兆戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。


人は信念と共に若く   疑惑と共に老ゆる

人は自信と共に若く   恐怖と共に老ゆる

希望ある限り若く       失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない。


これらの霊感が絶え、悲歎(ひたん)の白雪が、人の心の奥までも覆いつくし、皮肉の厚氷が、これを固くとざすに至れば、この時にこそ人は
全くに老いて、神の憐みを乞う他はなくなる  』

2014年08月10日

情熱あるところに青春あり

[ 青春 ]              サミュエル・ウルマン


『 青春とは、人生の或る期間を言うのではなく
心の様相を言う。

優れた創造力、たくましき意志、燃ゆる情熱、
怯擩(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こういう 様相を
青春という。

年を重ねただけで人は老いたりしない。
理想を失うときに初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増やすが、情熱を失う時
に精神はしぼむ。


苦悶や狐疑、不安、恐怖、失望、こういうもの
こそ、あたかも長年月の如く、人を老いさせ、
生気る魂をもあくたに帰せしめてしまう。


年は70であろうと、16であろうと、

その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心、空にひらめく星晨
(せいしん)、その輝きにも似たる           』



1201 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「情熱あるところに青春あり」


私の知り合いのK婦人・・ 7~8年前、友禅作家の御主人に先立たれた後、長年住み慣れた仕事場兼住宅を引き払い、古都金沢の面影を残す山手の清閑な町に引っ越した。


ご主人が亡くなって数年後に、久しぶりにお会いしたときの彼女の印象は、明らかに違っていた・・清楚で華やかな美しさがただよう、魅力的な女性に様変わりしていたのです・・。


ご主人の仕事の補佐、家事などの拘束から解放され、独身時代に戻ったかのように、お洒落を楽しみ、長年温めてきた幾つかの”やりたかったこと”に取り組み始めたのです。
思い描いたことを実現する日々が、喜びになり、新しい生き甲斐の発見になって、 活き活きした女性に様変わりしたのです・・


朝日新聞の読者欄に、
さわやかな投稿がありました。
76歳の女性が「燃えるような恋がしたい」というタイトルで、 切々とその心情を訴える内容でした・・
その出だしは衝撃的です。
「私には、あとどれくらいの日々が残されているの
だろうか?」


文面からは、まず幸せな結婚生活を送っているように見受けられた。

ご主人とは見合い結婚で、人前で手をつないで歩くとか・・いわゆる燃えるような恋をしたことがないと言うのです。


死ぬまでに、一度でいいから”大恋愛”をしてみたい・・
しかも、お相手は坂本竜馬の
ような男性・・というから結構よくばりです。

そして、この恋は悲恋に終わってほしい・・と、なかなかに、憎い演出ではありませんか。                          
                        たま出版・萩原孝一著「スピリチュアル系国連職員、吠える!」

2014年08月13日

囲碁の歴史

本因坊・秀策(1829~62)
1837年本因坊・丈和に入門。
打ち振りを見た丈和は「是れ正に150年来の
碁豪」と絶賛。1848年第14世本因坊となる。

翌年から御城碁に出仕し、以後19戦無敗の
大記録を達成。平明秀麗な碁風と正確な形成
判断で”秀作流”と呼ばれる布石法を後世に
残した。

1862年江戸でコレラが流行り、周りの止める

のも聞かず看病に当たり感染・・34歳で死去。


本因坊・秀哉(明治7~昭和15)

21世を襲名した後、家元本因坊を日本棋院
に譲渡・・日本棋院と碁界の発展に多大な功績
を残した。
棋風は力戦に強く「序盤に策あり」と言われた。



1201 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「囲碁の歴史」


囲碁の歴史は、遡ること四千年前、中国に生まれ、もっぱら”易”に使われた。紀元前七世紀ごろに遊技としてルールが定められ、春秋戦国時代には、盤上で人民(石)と領土(地)の争奪戦を楽しむようになった。


囲碁が日本に伝わったのは4世紀ごろ・・日本に帰化した朝鮮人が携えてきた儒教の典籍に交じって、日本にもたらされたと言われている。

以降囲碁は、支配階級、僧侶、知識人の間で親しまれるようになった。

701年「僧尼令」には・・
「凡そ僧尼は、音楽及び楽戯をなさば百日苦役す。
碁・琴はその限りにあらず」とあり・・優遇された。
以来僧侶から囲碁の名手が排出されるようになった。


10世紀初頭には、宮中での対局が公に催されるようになり、勝者には
引き出物が下された。

鎌倉から戦国時代にかけて、囲碁は上級武士の間に広まっていった。


渡来後千年を経て、初代本因坊”算砂”(1559~1623)の政治的手腕で、囲碁を国技にまで高めた・・技量は中国や韓国をしのぐまでになったという。

江戸中期17世紀の後半、4世本因坊”道策”によって、碁の思想・技術が飛躍的に向上した。

幕末には、14世本因坊”秀策”などの活躍で、囲碁界は更に発展していった。
この頃になると、商人や豊農の間でも碁が打たれるようになり、 各所の碁会にプロ棋士が招かれたりした。

大正13年日本棋院誕生。21世本因坊”秀哉”は,新聞社に「本因坊」の権利を譲り渡し、プロ棋士界を実力本位の争奪時代へと導いていった。

囲碁が大衆化したのは戦後になってから・・
50年代には「世界アマ選手権戦」が開催されるようになった。

私が囲碁を習い始めたのは、1962年21歳の時・・生涯の趣味にしたいと、 香林坊の碁会所に通い、師匠から直接手ほどきを受けた。

2014年08月17日

囲碁は人生に通じる

プロ棋士とコンピューターの勝負


最初の一手・・駒の置く位置や動かし方が
決まっているチェスは20通り・・
将棋は30通りです。

将棋のコンピューターソフトは、プロ棋士を

打ち負かすまでに、進歩してきた。


最初の一手目をどこに打ってもよい囲碁は
361通りある・・定石は36通り・・
2手目になると、120通りだ・・

更に進んで7手目には、変化の数は一兆通り
になってしまう・・気の遠くなる世界だ。


囲碁ソフトも、プロ棋士に勝つことを悲願に

頑張っているが、指し手が天文学的になり、

コンピューターの能力が追い付かないのです。



1203 【心と体の健康】

幸せな人生 「囲碁は人生に通じる」


囲碁は、歩んできた自らの人生に似ている。

学校の勉強は「答えのあることを教えてくれる」・・が、社会人になれば
答えのあるものは一つもなく、先が読めるものは何もない。
そこが人生と通じるところであり、囲碁の魅力なのです。


囲碁を打つのに言葉はいらない。言葉が通じない初対面の外国人でも、男女を問わず、親子ほど歳が離れていても、1局打てば百年の知古のように親しくなれる。

一局交えただけで、相手の考え方、性格、生き方が伝わってくる・・
「囲碁は人生に通じる」と言われる所以です。


囲碁は、頭脳を鍛え、心を鍛錬するスポーツとして、注目されている。
何年か前、漫画「ヒカルの碁」がきっかけで、子どもを囲碁教室に通わせることが流行り、話題になったことがある。

授業に取り入れる学校も現れ、東大では囲碁で単位が取れるのです。


囲碁は「実利(陣地)」と「厚み(貯え)」のバランスで、打ち進められる。

一手一手積み重ねていくうちに、戦略・戦術が形となって表れてくる。

「実利」は目先の損得であり、「厚み」は、将来への備え・貯えになる。


碁を打つとき、盤面全体を見回し、目先の利を取るか、将来のための布石に一手掛けるか・・考え浮かぶ数手の中から、最善と思う手を一手選んで交互に打ち進め、陣地を囲い合っていく・・しだいに、優劣が盤面に表れてくる。

欲張り過ぎたり、攻め一辺倒では、そのうち破綻する・・時には一歩引いて、相手にも陣地の利を与えながら、相手より大きな陣地を囲って、
勝ちを拾っていく。

日創研の研修「共に栄える・・赤黒ゲーム」を思い出す。
経営者が囲碁をたしなむのは、どんな経営書より身につくものがある
からです。

碁は人生そのもの・・A案が良いか、B案が良いか・・どちらが最善なのか?  一手一手打ち進めるうちに、すぐ間違いに気づくだろう・・
しかし、後戻りはできない。

失敗の数の多い方が負け!・・部分的戦いに破れても、めげず・くじけず、最善と思う一手を選択し、劣勢を挽回すべく、粘り強く打ち進めていく。

長年囲碁をやっていると、”前頭前野”をはじめとする脳機能が発達する。前頭前野は、記憶・感情・行動を制御するなど、様々な精神活動をつかさどる大切な場所です。


脳が発達するにつれ、精神が鍛えられ、安定し、感性も豊かになっていく・・ボケ防止にもなる・・囲碁を趣味にしている人で、痴呆症になる人は少ないのです。

2014年08月21日

藤沢秀行・囲碁は経営に通じる

藤沢名誉棋聖(1925~2009)

囲碁界最高のタイトル「棋聖」6連覇を始め、

王座5期、NHK杯2期など、通算獲得タイ

トル数は23・・独創的棋風は、自由奔放、

豪快華麗
平成3年「王座」獲得、翌年67歳で防衛に

成功・・史上最高齢の防衛記録保持者です。


その人生は破天荒・・酒・ギャンブル・借金

などをめぐるエピソードに事欠かない。
王将の阪田三吉の名前がダブッてくる。


若手棋士の育成に尽力し、棋界を背負う
トップ棋士の多くが藤沢塾から排出。

1981年から約20年、中国の棋力向上にも

大きく寄与・・
2010年北京に「藤沢秀行記念室」オープン。



1204 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「藤沢秀行・囲碁は経営に通じる」


私が趣味に囲碁を楽しむようになって50年・・ゴルフ同様に奥が深く、

飽きることがない。

以下は、藤沢秀行名誉棋聖が生前、テレビ対談で語ったものです。
頂点を極めた藤沢名誉棋聖の言葉から、”囲碁”をそのまま”経営”に 置き換えるとぴったりする・・囲碁と経営には相通じるものがあるのです。

♪もっと修業しなきゃ駄目だ・・たえず工夫しなきゃ・・もっと戦闘力を身につけなきゃ・・噛みつくくらいの戦う姿勢がなければ・・人まねは駄目だ・・
自分で工夫しろ!

『どうしたら強くなれるか?』って、アマチュアによく尋ねられるが、
私は「碁は楽しんで打ちなさい」と言うようにしている・・経営もそう・・

仕事を楽しんでやるようでなければ・・当たり前のようで、なかなか難しい。

野球を覚えたての子どもは、守備よりも打撃の練習をしたがる。
碁も同様で、 消極的な守り
の碁に終始するより、徹底して責めている方が上達が早い。責めることによって、碁の楽しさが倍増するのです。


最初の一手目をどこに打ってもよい囲碁・・361通りあるが、定石で打つと36通りになる。 2手目になると120通りだ。
更に進んで7手目には、変化の数は一兆通りになる・・気の遠くなる世界だ・・
それが囲碁なのです。誰にも解らない夢幻の世界が広がっている。


「碁は芸である」  そう! 勝ち負けは結果にしかすぎない。
芸が未熟なら負ける・・芸が勝っている方が勝つ。

私とて、勝ちたいと思うけれど、”勝負”の勝ち負けという、狭い枠に
自分を閉じ
込めたくはないのです。

芸というものは、もっと広い発想から生まれてくるものだろう。

自由奔放な発想なくして、芸を高めることはできないと思う。


盤面全体を見て「全局的な判断」をするのは、勝負の基本です・・
これは、布石・中盤の戦い・ヨセ・・それぞれの段階を通して言えることです。 アマチュアとプロの違いは、この”判断力”の差なのです。


ところで、全局的判断は、全てが部分の戦いの総合になります。

一隅の生死・攻防が、全局を左右します。
手筋や形、死活などの定石を覚え、「ヨミの力」が大切になってくる。
基礎がしっかりできていなければ、強くなれない・・
一朝一夕に身につくものではないし、強くなれるものでもない。

2014年08月25日

囲碁は経営に通じる(2)

川島教授の「囲碁と脳の研究」

子どもの”脳トレ”には、囲碁は最適です。

子どもたちを三か月囲碁教室に通わせたら、

前頭前野など、脳機能が発達し、認知機能が

向上することが、東北大・川島教授の研究で
明らかになった。

前頭前野は、記憶や感情の抑制、行動の抑制

などを司る重要な場所です・・ここの働きが発達

すると、感性が豊かになります。


囲碁愛好者にボケがいないと言われるのは、
前頭全野が刺激されるからです。

「手のつけられないやんちゃ坊主が、囲碁を
始めたらおとなしくなった」

前頭全野を鍛えると、精神が安定するのです。



1205 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「囲碁は経営に通じる(2)」


囲碁は経営に通じる・・これから戦う相手とどう向き合うか?
経営者の資質・戦略が問われ、大局観の有無が勝敗を分けることになる。
囲碁に強くなると、経営者としての”資質”も養われるのです。


積極的な攻めは最大の防御になる・・しかし、攻め過ぎれば破綻する。

だからといって、リスクを恐れて守りに徹し、効率ばかり求めていては・・勝てません。

我慢すべき時はじっとこらえ、どこかここぞという時に、積極的に勝負に出る・・その時の一手の見極めが、勝敗を決っするのです。


経営者・政治家・歴史上の偉人で、囲碁を愛した人は多い・・
信長・秀吉・家康も囲碁をやった・・明治維新の政治家の多くも囲碁を愛好した。

何年か前、漫画「ヒカルの碁」に触発され、囲碁教室に通う子どもが増えて、静かなブームになったことがある。

子どもの”脳トレ”には囲碁は最適と・・東北大の川島教授の「囲碁と脳の研究」発表が、子どもの囲碁ブームの後押しになった。


研究では、囲碁は頭の訓練には最適と・・「集中力が増し、考える癖がついて、学業成績がアップし、我慢強い子になる」という。

実例として「イチローが碁で集中力を養った」「石倉九段が高校の時、碁が趣味の七名のうち六名が東大に合格した」などが挙げらる。


経営者にとって囲碁は、「脳の思考力を鍛え・高める」訓練になります。

(1)行動力を養う・・先の変化を読み、対応を即行動に移す力を養う

(2)思考力を養う・・「企画立案能力/状況分析と迅速な対応」 
   様々な思考の中から、最善の手を打ち出す力を養う


(3)自己管理能力と抑制能力を養う 
   先が読めない状況、自社に不利な状況にあっても、冷静沈着、 
   幾つかの対応策を用意し、状況に応じて使い分けていく能力を養う。
   自分の感情をコントロールし、自己抑制能力を高める訓練なる。


(4)戦略的思考を養う

   事業環境・市場をシビアに分析し、ビジョンに基づいて、緒戦・中盤の
   戦略を練り、勝利への道筋を立てて実行していく能力が養われる。   
  
ライバル企業の力量、強み、戦略にどう立ち向かうのか? 
   相手の行動を予測し、勝ちにつなげていくための洞察力が養われ
   る。  
いかがでしょうか? 人生にやり直しはきかない・・
強靭な身体を作るために筋肉を鍛えるように、囲碁は、脳の思考力を鍛えて勝利へと導いていく、実践学習の場になるのです。

2014年08月28日

歴史逸話・馬鹿と阿呆

TVドラマ「項羽と劉邦」

中国の歴史ドラマ「項羽と劉邦」・・
毎週月~金曜BSブジで放映されている。

この作品は「三国志」をしのぐ、中国ドラマ

史上最高の、35億円の製作費を投じた、
全80話の大作です。


中国「史記」に、ひときわ活き活きと描かれ
ている「項羽と劉邦」。

秦の始皇帝の死から大漢帝国が創建され
るまでの、二人の両雄の闘いの物語です。


司馬遼太郎の「坂の上の雲」
山岡荘八の「徳川家康」
中国歴史小説「楽毅」「晏子」「孫子の兵法」
塩野七生の「十字軍物語」「ローマ人の物語」
「コンスタンティノープルの陥落」など・・
何れも戦いの攻防・顛末がたまらなく面白い。



1206 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「歴史逸話・馬鹿と阿呆」

日常の会話に出てくる”阿呆”・・その語源には様々な説があります。
その一つは、秦の始皇帝が、不必要にばかでかい大宮殿「阿房宮」の建設に着手したことに発する。

その阿房宮・・都に攻め上った”項羽”によって焼かれてしまうが、
呆れるほど大きな建物だったため、焼えつくすのに三か月もかかったという

その逸話から、馬鹿げたことを「阿房」と言うようになり、”阿呆”と呼ぶようになったという説です。


秦の始皇帝が崩御し、胡亥(こがい)が帝位に就いた。父始皇帝のやり方をそのまま継承し、相も変わらず”阿房宮”などの土木工事に民を動員し、酷使し続けた。

その皇帝を補佐する寵臣”趙高”・・皇帝に阿房造営の行き過ぎをとがめ、再考を促した丞相・李斯(りし)を、謀略によって丞相の地位を剥奪し、処刑してしまった。
趙高は、宮廷内の反趙高派の家臣や皇族を、様々なでっち上げで粛清していき、政治を1人欲しいままにし、皇帝を操つろうとした。


次のような逸話がある。

趙高が宮中に”鹿”を入れ、「珍しい”馬”がいます」と皇帝に言ったところ、皇帝は『”鹿”ではないのか?』と返した。

趙高”鹿”を指さし、「これは”馬”です」と答え、控える家臣に「これはどう見えるか? ”馬”か? それとも”鹿”か?」と尋ねた。


趙高派の家臣は”馬”と返答したが、趙高を不快に思う反趙高派の家臣は”鹿”と返した。
趙高に反目する家臣は、次々ざん言によって処刑されていった。

「鹿を指して馬となす」の故事になったこの逸話・・
阿房宮の”阿呆”の由来とともに、”馬鹿”の由来の一つにされている。

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