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野放しの知る権利

1259 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「野放しの知る権利」


数年前のフーズフォーラス焼肉中毒事件の時、マスコミ報道各社の常軌を逸した報道合戦を、一年間身近に見てきた私・・


誰にも好奇心はある・・好悪の別なく人の意外な面を知って、
「ああ、やっぱり!」などと驚き、うなずく。

だからといって、好き勝手に相手の恥部に立ち入っていいものでは
ない・・許されないことなのです。

視聴率を競う報道各社の行き過ぎた報道への批判に対し、メディアが
よく使う言葉に「国民の知る権利」がある。

それは守るべき大切なものかもしれない・・しかし、誰それの色恋沙汰
ぐらいで、当該者の懐具合や家庭内の事情まで、あれこれ詮索することが、国民の権利保護に役立つとは到底思えない。


川崎市の中学一年上村遼太郎君が、遺体で見つかった殺人・死体遺棄事件は、何とも痛ましい。
犯罪報道で、プライバシーと知る権利を両立させることは複雑で難しい。

確かな事実を、簡潔に伝えれば足りることなのに、白黒はっきりせぬ
公判の前から扇情的なうわさ話や、見てきたような無責任な憶測を、
興味本位にまき散らす・・

「有罪判決確定までは無罪と推定する」との原則を無視するような感情論が飛び交う中、「これで公正な裁判ができるの?」と危惧の念を抱く
ことに・・
一般市民が参加する、裁判員制度が実施されるようになってからは、
なおさらである。

加えて、被害者のプライバシー問題がある。事件が残酷でニュース性が高いほど、犠牲者の苦しみや悲惨さが事細かに、なめるように暴露される。

家族の深い心の痛みなどわれ関せず、全く無遠慮に取材合戦の餌食にされる。被疑者の関係でも、家族は共犯者でもないのに、捜査段階から過酷な取材と、興味本位の視線にさらされる。

繰り返される報道に、世間は感化され刷り込まれて、家族を犯罪者と同じ 目線で遠ざけようとする。

インターネットの普及で、情報は安易に無責任に発信され、まき散らされていく。発信者不明のツイッターで、知られてはならない個人情報が暴露される。
その結果健康を害したり、失職や転居、結婚が破断になったり、学校でいじめに合ったり、落ち度のない家族を、後先も考えずに傷つけてしまうりです。

無断で個人情報を投稿できるウェブサイトが世界中にある。

承諾もなく撮影し、改変した写真や不正な記事を流しても、投稿者の
責任が問われることはまれだ。
プライバシー保護と知る権利の妥協点が、どんどん不明確になっていく。


一昔前までなら、思いもしないやるせない問題なのです。

発信者を特定出来ないことを知った上での卑劣極まりない行為。

訂正や謝罪による被害者救済は難しい・・閲覧しても罰則がない。

まさに”見物人天国”である。

                                                                               イーデス・ハンソン

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