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英国人女性が見た朝鮮の女性

ペリー来航の頃、隣の韓国は李斯朝鮮創建
から500年、26代高宗の時代です。

英国の女性旅行家イザベラ・バードは、4度

にわたり末期の李氏朝鮮を訪れ、当時の風俗、

社会、政治などを「朝鮮紀行」に記録した。

そこで、異常なまでに男性と隔離され、

家の中に閉じ込められている女たちを見た。

女性に与えられた権利はわずかで、 法より
も慣習が重んじられる社会だった。

妻から夫に離婚を切り出す権利は有せず、

夫が妻を放逐できる理由には・・

「不治の病、盗み、子なし、不貞、嫉妬、

  義父母との不仲、短気」の七つがある。



1307 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~
「英国人女性が見た朝鮮の女性」


英国の女性旅行家イザベラ・バードの「朝鮮紀行」から・・

♪当時、朝鮮の下層階級の女性は粗野で礼儀知らず・・
同じ階層の日本の女性のしとやかさ、清国の節度ある

農夫の親切心などとは、比べようがない。


読み書きができず、着ているものは汚れ放題で、
夜遅くまで洗濯に明け暮れる毎日・・男が真っ白の

服を着て歩くために課せられた、重労働なのです。


この時代の朝鮮女性は、全て国のしきたりによって、
家の奥に隠された。この国の男性は、女は男より劣って

いるとする、一元的な哲学を持っていた。


当時の農家の女性は、料理、家事一切、重い杵と臼で
精米し、作物を頭に乗せて市場へ運び、水をくみ、田畑
で働き、朝は早く、夜は遅く寝て、糸をつむぎ機を織り、
その上子だくさん・・三歳になるまで乳離れしなかった。


何の楽しみもなく、家に嫁が来て家事の一部を肩代わり
しても らえる日が来るまで、働きづめの毎日。
30歳で50歳に見え、40歳の頃には大方歯がない。
おしゃれへの関心も、若いうちに消えてしまっている。


客が訪ねてきても、家の女たちについての言及は一切
許されなかった。息災かどうか尋ねるなどもってのほか
で、その家に女性がいないとするのが礼儀なのです。

上流階級の両班の妻でも、ぴたりと閉じた輿に乗って、

人を訪ねる のが唯一の外出・・下層階級の女性が外出

するのは、 もっぱら働くためである。


故意であれ偶然であれ、見ず知らずの男と手が触れただ
けでも、娘は父親に、妻は夫に殺され、自害する女性も
いたという。
法律は、奥に匿われる女性の住まいにまで及ばず、妻の
部屋にかくまわれた犯罪者を、捕えることができなかった。
また、屋根を修理するとき、隣家の女性が目に入らない
とも限らないので、事前に知らさなければならなかった。


7才になると男女別々にされ、女性は家の奥に閉じ込め
られ、結婚前は父親と兄弟以外、結婚後は実家と嫁ぎ先
の親族以外、男性と接することは許されなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

日本が韓国を併合した当時、まだ根強く残っていた悪しき習慣
を断つべく法律で禁じ、日本と同じ内容の学校教育に力を注ぎ、
ハングル語を学ばせ、近代国家への建設を急がせた。
戦後占領国アメリカが、日本の教育改革に力を注いだように・・

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