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壬辰倭乱(じんしんわらん)

亀甲船

昨年、全羅南道最南端の珍島(チンド)にある
韓国の英雄・李舜臣(イ・スンシン)将軍と、
文禄・慶長の役の詳細を展示した「殉節基域」を
見学した。
古書をもとに想定して造られた韓国水軍の
”亀甲船”
052
軍艦を亀甲のように覆い、飛び移った敵兵の動き
を封じるために、屋根には刀キリをハリネズミのよう
に立て、むしろで覆い隠した。

亀甲船の周りの銃口から、包囲する日本海軍に
砲火を浴びせ、勝利した。


1381 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
歴史から学ぶ 「壬辰倭乱
(じんしんわらん)

豊臣秀吉が引き起こした7年間2度に及ぶ朝鮮侵略。
この受難の戦争を朝鮮では「壬辰倭乱」と呼ぶ。

この壬辰倭乱と20世紀の日韓併合が、
韓国人の非友好的反日感情の根っこになっている。
以下は、韓国から見た「文禄・慶長の役」です。

韓国では「壬辰倭乱」を、子々孫々忘れることのない
民族の恥辱として「殉節基域」歴史博物館に、倭国との
戦いの全容と当時の史料を展示し、公開している。

♪秀吉軍の侵略によって朝鮮の国土は荒廃した。
人命が多数犠牲になり、経済は大きな損失を被った。
文化財を破壊・略奪し、日本軍は宮殿、寺院、民家に
放火しながら進軍してきた。

壬辰倭乱の直後”漢城”を占領した日本軍は、校書館か
ら約9万字の金属活字と印刷機器を日本に持ち帰った。
また、従軍した日本の僧侶は、貴重な経典と仏書、
仏画と梵鐘を略奪し、儒学と漢の書籍、書画などを多数
不法 に持ち帰った。

更に儒学者、医者、そして陶磁器、製紙、象嵌、裁縫、
建築・土木など、各種の技術担い手を強制的に連れ出し
日本に拉致した。

戦いで捕虜となり、拉致された朝鮮の軍人・民間人は
数万人に及び、日本に送られて強制労働させられた。
一方、学識者や技術者は優遇され、持ち出された書籍と

合わせて、その後の日本文化の発展に大きく貢献した。

戦いの後、両国の国交は断絶したが、10年後、徳川家
康の代になって回復・・以後200年、朝鮮は「通信使」
を日本に派遣して、日本との外交関係を継続した。

「仁辰倭乱」から四世紀の後、再度日本の侵略・支配を
受け、恥辱を味わうことになった・・

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