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2016年12月 アーカイブ

2016年12月01日

幸せな人生 「神様と人間と動物」

■芳村思風「感性論哲学」

感性論哲学は、成功と幸せと健康の哲学です。

「人間らしく生きる」とは、心の底から湧いて
くる本音と実感・欲求・好奇心などの”感情”
溢れる「自己実現」の欲求を満たす生き方
をいいます。

自らの心を満たし、自らを納得させるものを
求め続け、人間として本当の生き方を求め
ていくところに、感性論哲学が目指す意味が
あるのです。


1451 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
幸せな人生 「神様と人間と動物」

人生の成功と幸せ、健康になるための実践哲学の創始者
芳村思風先生の「感性論哲学の世界」から・・
神様と人間と動物の違い」について考えてみたいと
思います。

■「神様と人間」の違いは何か?

神様は完全です・・
嘘をついたり、物を盗んだりはしません。
一方、人間は不完全な生き物です。
人間は過ちを犯し、間違いをします。

人間は不完全です。誰にも長所と短所があります。
短所のない完璧な人間などいません。
どんな親しい間柄でも、長く付き合っていれば、
必ず気に入らないところが半分出てきます。

完全な人間は一人もいません。
自分にも短所があり、妻や友人、付き合う相手にも
必ず短所があります。
それを認めるなら、過ちを犯しても”許す心”が生まれ
ます。
不完全な人間が、自らの不全を棚に上げて、相手の過ち
を責め・とがめる姿は、傍から見るとこっけいです。

自らの不完全さに気づき、認めたとき、初めて「謙虚」
なれるのです。
自らの不完全性に気づかず「傲慢」になったとき、
人間は人間でなくなってしまう。

人間らしい人間とは、自らの短所を知った上で、それを
表に出さない努力をする人です・・それが”愛”です。

失敗を恐れて、最初から完璧を求めないことです。
長所だけでなく、短所や欠点も活かしていくことが
大切なのです。

2016年12月04日

幸せな人生 「人間と動物の違い」

■天分発見の5つのツボ

「やってみたら・・」

1. 好きになれるかどうか?
2. 興味がわいてくるかどうか?

3. 得手・得意と思えるかどうか?

4. 他人よりうまくできるかどうか?

5. 真剣に取り組んだら、
        問題意識が湧いてくるかどうか?

まず「やってみること」、実践すること。
天分のツボにはまった人生ほど面白いものはない。

                            芳村思風語録より



1452 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
幸せな人生 「人間と動物の違い」

人生の成功と幸せ、健康になるための実践哲学の
創始者・芳村思風の「感性論哲学の世界」から・・
神様と人間と動物の違い」は何でしょうか。

前回は「神様と人間の違い」について考えました。
今回は「人間と動物の違い」について考えます。

人間は間違いを犯すと、その間違いに気づき、改めよう
とします。
一方動物は、間違いに気づかず、改めたりはしません。
「お猿軍団」のお猿が”反省”のしぐさをするのが可笑
しいと、大受けするのは、チンパンジーがいくら賢くて
も、反省したりしないからです。

人間には”夢や志”があります・・
夢や志に向かって生きていこうとします。
一方の動物は、今を生きることしか知らない。

今の自分に”夢も志”もなく、今を生きることだけに
満足しているとしたら、人間が人間ではなくなるのです。

■人間は教育されて人間になる

インドで、生後間もなく狼にさらわれ、狼に育てられた
人間の子どもがいた。
成長して四つ足で走り、前足で食物を押さえ、
口でむしり取るようにして食べた。

人間社会に戻されたが、言葉もなくただ吠えるだけ・・
狼の習性は変わらなかった。

この事例によって、高度な知能を持つ人間は、
人間社会の中で生活し、教育することによって人間に
なることが、実証されたのです。

人間は、環境によっては人間以外のものにもなれる・・
与えられた環境の中で、限りない能力の可能性を有する
のです。

2016年12月07日

人間と動物の違い(2)

■冒険心

人間の特性に「冒険心」がある。
冒険心がなかったら、人類は発展
しなかったでしょう。
過去、誰もやったことがないことを
やってみようとする好奇心・・

世界の未踏峰に挑戦したり、南極を
犬ぞりで横断したり・・過酷な環境で
冒険しようとするのは人間だけです。

チンパンジーもゴリラも冒険しません。
「あの山の向こうに何があるだろうか?」
と・・熱帯雨林を移動して歩こうなど、
考えもしないだろう。



1453 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「人間と動物の違い(2)」

犬山の日本モンキーセンターに隣接する京大霊長類研究
所で、以前チンパンジーの短期記憶力の実験をしたこと
があります。
研究の一番の成果は、チンパンジーに人間より優れた
ものを見つけたことです。

画面に表れた数字をほんの一瞬見た後、小さな数字
から順に、次々と指さしていくチンパンジー・・
人間はいくら頑張っても4つぐらいしか出来ないのに、
チンパンジーはほぼ全問正解する。

人間の3歳児くらいの知能があるといわれている
チンパンジー・・高い所に登る運動能力の高さには
とても及はないが、まさか知性の面で、人間が動物より
劣っているとは、思いもしませんでした。

記憶という知性のひとつの表現の中で、チンパンジーの
方が瞬間的に記憶する能力に長けている・・という事例
を 初めて見つけ出し、世界に衝撃を与えた。

しかしその一点のみで、チンパンシーに隠れた能力が
あると言っているのであって、その他あらゆる面で人間
よりはるかに劣るのです。

例えば、人間の三歳児に積み木の玩具を与えて遊ばせる
と、いくつも部品を作り、その部品を組み合わせて、何か
大きなものをつくって遊ぼうとする。

そうしたことは、霊長類のチンパンジーには難しいこと
です。3歳児の潜在能力の中に、人間の知性の高さを
垣間見ることができるのです。

2016年12月10日

幸せな人生 「生きるとは」

■失敗を恐れない

繰り返し繰り返し、繰り返して・・
それでもあきらめず結果が出るまで挑戦する。
これ以上できることはない限界に挑戦する。

本当の失敗とは、挑戦をあきらめた時だ。
失敗はその問題を乗り越えるに必要な能力
可能性を教えてくれる。

失敗はすべて経験になるから、失敗などない。
あきらめずに挑戦したら、眠っていた潜在能力
が目を覚ます・・奇跡が起きる。

失敗の連続は、何をしたら良くて、何をしたら
いけないかを教えてくれる。成功への確率が
増えてくる。
                         芳村思風語録より



1454 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
幸せな人生 「生きるとは」

人生の成功と幸せ、健康になるための実践哲学の
創始者 ・芳村思風の「感性論哲学の世界」から・・

「 生きるとは 」

人間において生きるとは、
ただ単に生き永らえることではない。

人間において生きるとは、
何のためにこの命を使うか、
この命をどう生かすかということである。

命を生かすとは、何かに命をかけるということである。
だから生きるとは、命をかけるということだ。

命の最高の喜びは、
命をかけても惜しくないほどの何かに出会うことにある。

その時こそ、命は最も充実した生の喜びを味わい、
激しくも美しく燃え上がるのである。

君は何に命をかけるか?
君は何のためになら死ぬことができるか?

この問いに答えることが、生きるということであり、
この問いに答えることが、人生である。

2016年12月13日

禅宗/円相の教え

■「円 相」
禅寺に行くと、円相「〇」を描いた
掛け軸を見かけます。
これは何を意味しているのだろう・・

「この丸は 月か団子か桶の輪か
                   角の取れたる人の心」

禅における円相「〇」は、角の取れた
あるがままの心、人の心を表しています。

「円(まどか)なること太虚のごとく
              欠くることなく余ることなし」

「〇」は大空(太虚)のように、境目がなく
まん丸である。過不足なく、自由むげな悟り
の境地や、とらわれのない世界を表している。



1455 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「禅宗/円相の教え」

新しい年を迎えるとき、ふと生きてきた人生を振り返る
・・と同時に未来に思いをはせる。そのとき私たちは、
人生というものを”直線的”に見ている。

禅の教えに円相「〇」がある。
禅では、人生を円相に丸く考える・・
円には始まりも終わりもなく、無始無終・・どの一点を
おさえても終着点であると同時に、出発点になる。

この考えが、人生を意義のあるものに変えていく。
このことから二つのことが学べます。
その一つは・・
「どの一点をおさえても、今日まで生きてきた自分の人生
  の総決算の姿であり、同時にこれからの人生の出発点
  に立つ」という教え。

人生に降りかかる様々な困難を、どう受けて立ち、
乗り越えてきたか・・その生きざまが、今の自分の人格
になって表れる。何を思い何を語り、どう行動してきた
か・・その積み重ねの上に今の自分がある。

久々の同窓会に出席して・・学生の頃目立たなかった
友人が、ハッとするほど立派になっていたりする。
人生、物事をプラスに転じてきたか、マイナスに受け止
めてきたか・・その違いが今の自分に大きく影響する。

釈迦は、この世の中には四種類の人間がいると語って
いる。
1. 闇から闇へゆく人 3. 光から闇へゆく人
2. 闇から光へゆく人 4. 光から光へゆく人

人生の幸を”光”、不幸を”闇”に置きかえてみると
よくわかる。
人から見れば小さな不幸でも、そのことにいつまでも
こだわり、ひきずって、闇を5倍にも10倍にも膨らま
せてしまう人がいる。

一方、どう見ても闇にしか思えないようなことでも、
幸いと受け止め、自らの人生を高めるチャンスと受け
止めて、成長のかてにする人もいる。(次号に続く)

                            
愛知専門尼僧堂堂長 青山俊董老師

2016年12月16日

禅宗/円相の教え(2)

■禅の教え「円相」とは
私たちは人生を”直線的”に見ている。
その人生を”円相”、丸い円にする。
        円相2
禅の教え”円相”は、 どの一点をおさえても、
終着点であると同時に、出発点になる。

始まりも終わりもなく、無始無終・・
この考えが、人生を意義のあるものに変えていく。
年の初めの元旦は、今までの人生を一端総括
し、新たな出発点と考えるには、一番良い日だ。



1456 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「禅宗/円相の教え(2)」

禅の教え”円相”が語りかける、終着点の意味の
2つ目は・・
「いつ死んでもよいような、今日只今の生き方をする」

過去の総決算である”今”を、過去を引きずらず、
背負い込まず、まっさらな心で、今日只今を、
これからの人生の新たな出発点として立つ・・
それが「いつ死んでもよい」生き方になっていく。

「癌は  私の見直し人生の  ヨ~イドンの癌でした。 
    私  今  出発します」
これは47歳で世を去らねばならなかった鈴木章子さん
の、最後の頃の詩です。

癌のお陰で、生命の尊さに気づかせてもらうことができ
た。
癌という厳しい贈り物のお陰で・・残り時間のない中
で・・人は初めて生命の尊さに気づき・・今日1日命を
頂いた喜びを・・朝を迎えることができた喜びを・・
心から味わえるのではなかろうか。

「精いっぱい生きる日が  もう1日与えられているとは
  なんと幸せなことであろう」

これはインドの神父、アントニー・デ・メロの詩です。
「1日だけ生命をさしあげます」と神様に言われたら、
私たちはどうするであろうか・・

この神父のように「なんと幸せなことであろう」などと
言えるはずもなく、ただうろたえるだけで、何も手に
つかないだろう。
病人であるとか、老人であるとかいうことには関係なく
人生常に死と背中あわせであることを忘れてはなら
ない。
「いつ死んでもよいような、今日只今の生き方をする」
これが円相の語りかける終着点の2つ目の意味である。 

                                      愛知専門尼僧堂堂長 青山俊董老師

2016年12月19日

禅宗/幽霊が語るもの

■今を生きる

「 過ぎたるを追うことなかれ
  未だ来たらざるを想うことなかれ

  過去 そはすでに捨てられたり
  未来 そはいまだ致らざるなり

  今日まさになすべきことを熱心になせ
  誰か明日 死のあることを知らんや 」

どの一瞬もかけがえのない命の歩みとして、
天地いっぱいに生かされている今、
今を生きることが、命を本当に大切に
生きるということであろう。

                                  青山俊董老師



1457 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「禅宗/幽霊が語るもの」

「世の中には四種類の人間がいる」と釈迦は言う。
1. 闇から闇へゆく人 3. 光から闇へゆく人
2. 闇から光へゆく人 4. 光から光へゆく人

幽霊のイメージといえば、おどろ髪を長く後ろに引いて
両手を前に垂らし、足がないのが特徴です。

おどろ髪を長く後ろに引いている姿は、
もう過去のことでどうにもならないことを、いつまでも
ぐずぐずと引きずっている様を表している。

反省するのと、心の中で引きずるのとでは違います。
反省は、しなければならない・・
しかしどうにもならないことに、いつまでもぐずぐずと
引きずって、心が後ろ向きになっている姿・・
それが、おどろ髪を長く後ろに引く姿なのです。

それとは反対に、どうなるかわからない未来に取り越し
苦労して、心が前のめりになっている姿・・
それが両手を前に垂らしている姿になって表れる。

癌を告知され、まだ初期の段階だというのに、病気より
心が病んでしまい「ああ~もうだめだ、死ぬのは恐い」
と、病気を更に悪い方に推し進めてしまう・・

幽霊が両手を前に垂らしている姿は、お釈迦様の言う、
闇から闇への生き方になる。

両足をついて立っているのに、心は、過去へ未来へと
飛んでしまっている。

「今、ここに」地に足をつけて生きていかなければなら
ないのに、仕事も何も手につかず、うわのそらの状態
・・それが幽霊でいう、足のない姿になるのです。

                                        愛知専門尼僧堂堂長 青山俊董老師

2016年12月22日

プロ棋士とコンピューターソフト

■人口知能「コンピューター囲碁」
囲碁は想像力と複雑な戦略思考が勝敗
を左右するゲームです。

チェスや将棋に比べて、コンピューターが
人間に勝つのは極めて困難であり、開発
には今後十年は要する・・と言われてきた。

昨年まで、最も進化した囲碁ソフトでも、
アマチュアの有段者レベルに達するのがやっと
だったのに・・
この革新的ソフトは、今後広い分野に応用
され、人間の知能を超える働きをするでしょ
う・・



1458 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「プロ棋士とコンピューターソフト」

囲碁が趣味の私の関心事は、プロ棋士とコンピュ
ーター囲碁ソフトが対戦した結果でした。

11月にプロ棋士趙治勲名誉名人と、日本製コンピュー
ターソフトがハンデなしで対局した・・
結果は、趙治勲が2勝1敗とからくも勝利した。
対戦した趙治勲の感想は・・
「強いですね。ただ弱いところもあったが、直せます・・
人間味があって、AIと打っている感じがしなかった」

ついに囲碁も、コンピューターがトップ棋士と対局して
勝利する時代になった。そしてプロ棋士が、コンピュー
ター相手に研鑽を積むことも、当たり前になった。

今のところ、コンピューターと対局して強くなった棋士
は出ていないが・・
「仮にAIが全部正しい手を指し、棋士が勝つ方法を
教わったとしても、本当に強くなれるだろうか?」・・
羽生名人の率直な感想で す。

日本では、囲碁・将棋のプロを「棋士」と呼ぶ。
”士”つまり”侍”であり、”道”に通じる。
「プロ棋士ともなれば、武士道に通じる美意識がなけれ
ば、本当に強い棋士にはなれない」と言っているので
す。
今年の6月、韓国のトップ棋士がGoogleが開発し
た囲碁ソフト「アルファ碁」と対戦し、1勝4敗で敗北し
た・・そのニュースは衝撃となって世界に伝えられた。
敗北した李九段もまた
「コンピューターがいくら進化しても囲碁が持つ美学ま
では理解できないだろう」と言っている。

                                                              脚本家・内館牧子

2016年12月25日

幸せな人生 「老後の生きがいづくり」

■”し”の悩み
細かい字が読みにくいと、老眼鏡を取り出す夫。
夫に
「年をとると、””の付くものに悩むんだって・・
   視力、しみ、しわ、白髪 ・・ あ~やだ!」
それを聞いた夫 「脂肪を忘れていないか」
だって・・

■夫の性分
夫と居酒屋に出掛けた。
注文したサラダがくると・・夫が取り分けて
くれたが、よく見ると私の小皿はレタスばかり。

自分はキュウリやトマトなど、カラフルな盛りつけだ。
今さらだけど・・そういう人だったのね。



1459 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「老後の生きがいづくり」  

終戦直後、当時5歳だった私は、両親、祖母、そして
満州から引き揚げてきた叔父家族、合わせて13人、
四畳半の茶の間で、膝を寄せ合い
食事をした。

子どもの頃の私は大家族の中で育ち、一人で暮らした
ことがない。そして現在私は、子どもが自立し妻と二人
暮らし。
ふと、妻が先に逝って一人になったとしたら、「1人の
方が気楽」という人もいるが・・寂しいだろうね。

私は料理や洗濯はするが、部屋の片づけ・掃除
は苦手だ。
話し相手もなく、自分1人の食事を作って1人で食べる
生活は何とも味気ない。食欲も湧かないないだろう。

女性は一人になっても、家事や孫守りなどやることが
いっぱいある。家族から頼りにされ、寂しい思いをする
こともない。
身の周りのことは1人で出来るし、お金さえあれば
不自由なく、1人で生きていけるだろう。

母は、父が亡くなった後の15年間、趣味に明け暮れる
自由な日々を楽しんで、亡くなった。

一方、定年後の男性の多くは、しだいにしょぼくなっ

いく。そうならないためには、長く続けられる仕事を
持つか、 日々好きな趣味を楽しむことでしょう。

どちらも社会とつながり、人と交流の場が持て、
孤独にならずに済みます。
私は二十代の初め、近所の
碁会所で囲碁を習った。
今の私に囲碁は、なくてはならな
い趣味になっている。

2016年12月28日

パチンコ必勝法

■カジノ解禁法成立

カジノの悪影響に「ギャンブル依存症」がある。
借金を重ねた末、犯罪や自殺に走り、家族の
離散をまねく。
カジノは、パチンコ・競馬・競輪より、ギャンブル
依存症になる率が高いという。

推進派が熱望する経済効果も、韓国やアメリカ
では、観光や地域振興、雇用の増大への期待
は一時的で尻すぼみになり、衰退した事例も多
い。
既存のパチンコや競馬もそうだが、新たに付加
価値を生むこともなく、客の負けに依存する。
更に治安が悪化するなど「負の側面」が浮かび
上がってくる。 
自治体の税収UPと観光集客のため、安易に
不健全さが漂うカジノに期待するのは、問題な
ようです。


1460 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「パチンコ必勝法」

私は若い頃、たばこ銭を稼ごうとパチンコによく行った。
最近のインフレパチンコでは、単なる娯楽としてパチン
コ店に足を運ぶ客は、まずいないといっていい。

昔は、釘を見てパチンコ台の良し悪しを見分けたが、
今の台は見極めるのが極めて難しい。娯楽気分でプレー
しようものなら、アッという
間に大損してしまう。

勝つためには、それなりの軍資金が必要です。もはや
庶民的な遊技ではなくなっている。
ましてや、生活を賭
けてプレーするなど、ギャンブル依存症になるのが落ち
で・・絶対禁物です。

たとえスッテンテンになっても、負担にならない範囲に
留めるべきです。
何をどう打っても、勝てない日があるのが勝負事・・
そんな日は
即刻止める勇気がいります。
今日がその日と直感したら、すぐにパチンコ店から
遠ざかる・・それが必勝法の大原則になります。

朝早く開店前から並び、パチンコを生業?とする人たち
がいる。パチプロは最新台に坐る確率が高くなり、勝率
も高くなる。
朝、出勤途中の視線をものともせず、喫煙の健康障害
にも動ずることなく、毎回多額の軍資金を用意し、
「将来の目的は?」とか「何の為に生きる?」とか?・・

しちめんどくさいことは考えず、人生を刹那的に生きて
いく自信があるなら、間違いなく年収にして500万円
は稼ぐでしょう・・
更にその上のパチプロになるには、それ以上に「天性の
素質と勝負勘」が求められるのです。

素質のない者は、いくら頑張っても勝てません・・
いつまでも弱いまんま・・ほとんどの人は、勝負事に
向いていないのです。

ところが、どんな人でも20回に1回ぐらいは大勝ちす
る。厄介なのは、その時の快感を脳が記憶していて、
パチンコ中毒・ギャンブル依存症になるまで、のめり込
んでしまう。
日本のパチンコ愛好者は約3千万人・・ほとんど損を
している・・でなければ、パチンコ業界がこれほど活気
づくことはないでしょう。

パチンコの売り上げは、今や国家予算の4分の1に
・・テレビコマーシャルで最も景気の良い業界は、
パチンコと高利貸しだから。 

                    萩原孝一著「スピリチュアル系国連職員、吠える!」

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