« 2017年11月 | メイン | 2018年01月 »

2017年12月 アーカイブ

2017年12月03日

食と健康 「ビフィズス菌の力」

1556 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
食と健康 「ビフィズス菌の力」

ビフィズス菌は高熱に弱く、50度を超えると死んでし
まいます。また酸にも弱く、大腸に届く前に大方死んで
しまいます。
そこで健康食品メーカーでは、菌をカプセルに入れ、
直接大腸に届けるようにしています。

食物繊維を一緒に摂ると、腸内でビフィズス菌の餌と
なり、パワーがアップします。
肉ばかり食べていると腸内フローラが壊れ、ビフィズス
菌が減ってしまうので、野菜を一緒に摂るようにします。

赤ちゃんは、母乳を飲むことでビフィズス菌が増え、
生まれてから一週間ぐらいで、
腸内の90%以上を占め
るようになります。
それが大人になると10~20%になり、高齢になると
更に減ってしまいます。
腸内のバランスが崩れると、便秘や下痢になったり、
免疫力が低下したり、アレルギーに悩まされたりします。

1500g未満で生まれた未熟児は、腸が未発達です。
ビフィズス菌が極端に少ない状態で生まれてきます。

そこで、生まれて直ぐビフィズス菌を与えると、腸内
環境が改善され、感染症も減って体重も順調に増え、
アレルギーや喘息の発症率が低下します。

ビフィズス菌が赤ちゃんを守ってくれるのです。
大人も、アトピー性皮膚炎が改善し、脳を元気にする
との報告が寄せら れています。   

                       シンポジウム「腸内環境から未病を考える」より

2017年12月06日

食と健康 「腸内環境と健康寿命(3)」

1557 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
食と健康 「腸内環境と健康寿命(3)」

腸内を健康にするには、野菜と果物の摂取を増やすこと
です。食物繊維は腸内細菌の餌になります。
腸内の善玉、悪玉、日和見菌のバランスが良いと健康で
す。
加齢が、そのバランスを崩します。食べ物の変化、
ストレス、免疫力が弱ったとき、バランスが崩れます。

バランスの良い食事「マゴタチワヤサシイ」・・豆、
ゴマ、卵、乳(牛乳)、ワカメ、野菜、魚、シイタケ、
芋、の頭文字です。
豆には豆腐や納豆、ゴマにはクルミやアーモンドが
含まれます。次に「腹八分目」を守ること。

運動は、背筋を伸ばし速足で歩く・・胸を張って、
手を振って、目線を正面に向けて・・
すると呼吸がきれいになります。

ウオーキングが趣味の私は、ヘッドホーンを付けて、
アイフォンのジャズを聴きながら歩きます・・
リズミカルで楽しく、飽きずに歩けます。

お酒は、少量なら胃で吸収されます。2合3合と量が
増えると、どんどん腸に行ってしまいます。
これが良くない・・アルコールが腸に入ると、腸内細菌
が毒素を出す。その毒素が肝臓にダメージを与えて、
肝炎を引き起こす。
アルコール性肝炎は、酒量の多い人に起きる生活習慣病
です。

                                            順天堂大学名誉教授・佐藤信紘

2017年12月10日

金沢・卯辰山寺院群

1558 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「金沢・卯辰山寺院群」

1616年頃、加賀藩3代藩主・前田利常は、
一向一揆などの外敵から城を守る外堀として、金沢城下
3カ所に寺院を集めて配置した。

金沢城から見て北東の鬼門に当たる卯辰山山麓には、
50の寺社を配置。城の南東山手には「小立野寺院群」
そして城の南西、加賀平野から攻め上って来る外敵に
対しては、65寺を配置した「寺町寺院群」がある。

先週の日曜、寺町寺院群・4寺の、非公開文化財を見学
してきました。
古都金沢の3つの寺院群を散策すると、それぞれに趣き
があり、由緒あるお寺が次々見えてくるのです。
今回は「卯辰山寺院群」の中から、幾つかを紹介します。

[ 月心寺 ] 裏千家の祖「仙叟宗室」の墓
               大樋長左衛門代々の墓

[ 蓮昌寺 ] 金沢四大仏・釈迦如来立像
[ 玄門寺 ] 金沢四大仏・阿弥陀如来立像

                 IMG_4143 (2)

[ 真成寺 ] 初代中村歌右衛門の墓碑

         IMG_4150 (3)
    IMG_4151 (2)

[ 全性寺 ] 美しい楼門・仁王門には健脚を願う 
               大小様々な「わらじ」が奉納されている
        IMG_4158 (3)
        IMG_4159 (2)

[ 宝泉寺 ] 前田利家の守り神「摩利支天像」

[ 永久寺 ] 前田家の祈祷所

[ 龍国寺 ] 加賀友禅の祖「宮崎友禅斎」の墓
               友禅堂茶室

        IMG_4153 (2)

[ 妙国寺 ] 日蓮作・大黒天像

[ 心蓮社 ] 阿弥陀三尊来迎図 
               通称「目開きの阿弥陀」
               樹林に囲まれた遠州流庭園

2017年12月14日

日本5大醤油産地/大野

■金沢の伝統食品

金沢の伝統食品といえば、「かぶら寿司」
「すだれ麩」がある。
お茶の茎を焙煎したほうじ茶「加賀棒茶」も、
香ばしく豊かな甘みが特徴の金沢名産です。

子どもの頃、春と秋お祭りになると、赤飯に
「押しずし」や、寒天にとき卵を入れ羊かん
のようにした甘い「べろべろ」や「ぜんまい」
など、お祭りの御馳走を親戚間でやり取り
する習慣があった。



1559 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「日本5大醤油産地/大野」

金沢市内から4キロ西の、金石港に隣接する大野は、
千葉県の銚子と野田、兵庫県の龍野、香川県の小豆島と
ともに「日本5大醤油名産地」の一つに数えられる。


ほどよい甘さとまろやかさを併せ持つ「うまくち醤油」
は、江戸時代の初期に加賀藩の命を受けた商人、
直江屋伊兵衛が、紀州和歌山で醸造法を学んで持ち帰っ
たのが始まりとされ、加賀料理には欠かせない調味料で
す。
昭和の古い町並みを残す大野の町の一郭に、大野醤油
醸造の老舗、1825年創業の「直源醤油」がある。
       mainv_histry (2)
8代目の直江潤一郎社長に、200年老舗永続の要諦を
聞いた。
「伝統を受け継ぎつつ、その時々の社長が企業発展の
あり方をとことん考え、その結果を怖れずに新しい
新しいことを実行してきたからでしょう」
との答えが返ってきた。

「先々代は協業組合を作り、生産の合理化を進め、
先代はスーパーマーケットに販路を広げました。
いずれも当時は大きな冒険だったと思います・・」

そう語る直江社長も、和風ドレッシングなど、新商品の
開発に余念がない。

                                                           読売新聞「鼓門」

2017年12月17日

故事から学ぶ 「未だ木鶏たりえず」

■「木鶏子夜に鳴く」

木彫りの鶏のように、心は落ち着きはらい、
人知れず努力を重ねることのできる人で、
縁の下の力持ちになれる人を言う禅語です。

人が寝静まった真夜中に、人知れず努力
を重ねる・・
誰にも褒められず、認められなくても、
自らの役割を全うする・・”陰徳”と賞賛
される禅の境地を「木鶏子夜に鳴く」という。


1560 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
故事から学ぶ
「未だ木鶏たりえず」

横綱・日馬富士が暴行問題で引退する事件が起き、
角界は激震に揺れている。

優勝回数40回の大横綱白鳳が、今だ抜くことのできな
い、偉大な記録を保持する横綱がいる。かって69連勝
の偉業を
成し遂げた大横綱・双葉山である。

第35代横綱・双葉山が安芸の海に敗れ、69連勝に
終ったとき、昭和の偉大な政治学哲学者・安岡正篤氏に
充てた言葉は・・「われ未だ木鶏たりえず

”木鶏”とは、中國の”荘子”に由来する言葉です。
闘鶏の戦いに臨み、木彫りの鶏のごとく、全く動じない
強さを秘めた、最強の鶏のことを言います。

♪紀悄子(きしょうじ)という鶏を育てる名人がいた。
王様からの下問に答えて、最強の闘鶏について説明した。

紀悄子に鶏を預けた王様は、10日ほど経過した時、
仕上がり具合について下問した・・すると紀悄子は
「まだ空威張りして闘争心があるので、いけません」

更に10日ほど経過して、再度王様が下問すると・・
「まだいけません・・他の闘鶏の声を聞き、姿を見た
  だけで、いきり立ってしまいます」と答えた。

更に10日経過したが、
「目を怒らせて、己の強さを誇示しているから、
  話になりません」と答える。

更に10日経過して王様が下問すると・・
「もう良いでしょう・・他の闘鶏が鳴いても、全く相手
  にしません。まるで木鶏のように泰然自若としてい
  る。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう」
と答えた。

荘子は、人の道に則した人物の陰喩として木鶏を描いて
いる。道を体得した人物は、他人に惑わされることなく
鎮座しているだけで、衆人の範となることを言い表そう
としたのです。

2017年12月21日

未だ木鶏たりえず 余談

■「罪を憎んで、人を憎まず」

中国・孔子/孔義子の刑論
「古之聴訟者、悪其意、不悪其人」

( 裁判所では、訴訟を取り裁くとき、
  罪人の心情は憎んだが、人そのもの
  は憎まなかった )

キリスト教「ヨハネ福音書8章」にも
この言葉があり、日本では聖書の
一節の方がよく知られている。



1561 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「未だ木鶏たりえず 余談」

少し古い話題になるが、2015年2月25日、衆議院
予算委員会で民主党議員が、西川農水相の政治献金問題
を追究し、委員会は紛糾していた。

安倍首相は答弁に立ち、『”未だ木鶏たりえず”という
気持ちだ・・国政の舵取りを誤らないよう、しっかり
国政に当たりたい』と述べた。

安倍首相の「木鶏」発言は、1939年横綱・双葉山が
70連勝がかかった一番に敗れた時、安岡正篤氏に
打った電報「イマダモッケイタリエズ」の引用です。

「木鶏」の原典は中国の「荘子」・・中國メディアは、
首相が中国の古典を引用したことに敏感に反応したが、
おおむね好意的だったという。

また少し前の2005年、当時の首相小泉純一郎氏が、

靖国神社を参拝したことに関連して・・
孔子の「孔義子の刑論」の「罪を憎んで、人を憎まず」
の1節を小泉首相が引用したことに、人民日報は・・

「軽い罪を犯した人間なら生かそう。それが出来ないな
  ら”刑”に処す」と同文の後に続く文章があることを
指して・・小泉首相はもっと勉強すべきだと皮肉った。

2017年12月24日

ことば遊び 「落語・猫の皿」

1562 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
ことば遊び 「落語・猫の皿」

落語に出てくる「道具屋」弥太郎は、大変なお人好しだ
が、猫をだしにして旅人から3両巻き上げる、したたか
な爺さんもいる。柳家小三治の十八番ネタです。

♪ある道具屋、御維新このかた、あまりいい掘り出し物
が見つからないので、官軍が来ると、江戸を逃げ出した
人たちが、田舎に逸品を持ち出したに違いないと、
地方をずっと回っていた。

中山道を歩いていたとき、茶店があったので休んでいく
ことにした。
そこの親父、旧幕時代は根岸辺に住んでいて、上野の戦
を避けてここまで逃れてきたが、せがれは東京で所帯を
持っているという。

よもやま話しているうちに、何気なしに土間を見ると、
猫が飯を食っている・・皿を見て道具屋、内心驚いた。
絵高麗の梅鉢の茶碗といって、下値に見積もっても
3百両は下らない品物。

とても猫に飯をあてがうような皿ではない。
さてはこの親父・・皿の価値を知らないと見て取った
道具屋、何とか格安で皿をだまし取ってやろうと考え、
急に話題を変え・・

「時に親父、いい猫だねえ・・
  こっちへおいで、ハハハおまえのところの猫かえ」
『へぇ、猫好きですから5、6匹おります』

そこで道具屋、ぜひこの猫を譲ってほしいと持ちかけた。

親父が妙な顔をしたので、「ハハン、これは」と思って
「ただとは言わない、3両でどうだい・・」
ここが勝負どころと押すと・・しぶしぶ承知した。

さすが道具屋は商売人・・興奮を表に出さずさりげなく
「もう一つお願いがあるんだが、その皿も一緒に
  くれないか」
ところが親父しらっとして『それは差し上げられない、
皿ならこっちのを』と、汚い欠けた皿を出す。

あわてて「それでいい」と言うと、『だんなはご存知な
いでしょうが、これは私の秘蔵品でして、絵高麗の梅鉢
の茶碗、3百両は下らない品・・3両じゃ譲れません』

「ふ~ん、何でそんな結構な皿で猫に飯を食わすんだ」
『それがだんな、この茶碗で飯を食わせると、
  何故か猫が3両で売れますんで・・』

2017年12月28日

国の重要文化財になった母校

■「吉村外喜雄のなんだかんだ」

今日のメルマガ、2017年の最終号です。
中小企業家同友会、日創研の研修などで
長年学び、書棚に仕舞い込まれたテキスト
に、カセットテープが約1000巻。

振り返ることをしなければ、生かされること
もなく、いずれは処分されることに・・
もったいない!
こうした学びの数々を再度手に取り、ブログ
に整理して残しておこうと、2002年に始めて
15年になります・・来年も続けていきます。




1563 【吉村外喜雄のなんだかんだ」
「国の重要文化財になった母校」

今朝の北国新聞に、私の母校紫錦台中学校が先月末
「旧第二中学校本館」として、「国重要文化財」の指定
を受けたと、写真入りで大きく掲載された。

校舎は明治32年、兼六園の奥石引三丁目に、石川県
第二中学校(第一中学は現・泉が丘高校)として建てら
れ、当時の建屋がそのまま現存する、全国でも珍しい
校舎です。
校舎前には、兼六園に導かれる辰巳用水が流れ、
校庭の
松・梅・桜の大木が、歴史を感じさせてくれる。

本館は明治の面影を残す洋風2階建。正面玄関両サイド
屋根上の三角形の”尖塔”が特長で、2中時代から
「三尖塔校舎」の愛称で親しまれてきた。

        bld_01

昭和23年、戦後の学制改革で旧制中学校は全て廃校に
なり、錦町に新しく錦丘高校が創立され、
引き継がれた。
旧2中校舎は、新制紫錦台中学の校舎になり、私は昭和
32年第9期卒業生です。

その頃はまだ本館の後ろに講堂、本館を”コの字”に
挟んで、歴史の香りが残る、2階建てのしょうしゃな
教室が並び、階段教室もあった。

戦後のベビーブームの少し前の卒業ですが、それでも
卒業生は593名11クラスもあって、誰が同期だった
か今も分かりません。

その後の生徒の増加が急で、教室不足に陥り、歴史ある
校舎も惜しげなく取り壊され、味気ない鉄筋校舎に建て
替えられていった。

メルマガ購読受付

このブログの記事をメルマガで定期的にお届け致します。

メルマガ購読のお申し込みはこちら >>

About 2017年12月

2017年12月にブログ「吉村外喜雄のなんだかんだ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2017年11月です。

次のアーカイブは2018年01月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36