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加賀藩の藩校(2)


■加賀藩重臣12家

・本多安房守 5万石
・長   大隅守 3万3千石
・横山山代守 3万石
・前田駿河守 1万8千石

・奥村伊豫守 1万7千石
・村井豊後守 1万6千石
・奥村丹波守 1万2千石
・前田近江守 1万1千石

・今枝民部    1万4千石
・津田玄蕃    1万石
・横山筑後    1万石
・本多図書    1万石


1573 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ「加賀藩の藩校(2)」


幕末、全国大名家の数は約270藩。
3万3千石の信州高遠藩でも、藩校・進徳館を開設して
いるように、藩の大小にかかわらず、藩士子弟の教育に
熱心だった。
諸藩の知的レベルの向上に大いに役立っただけでなく
、明治以降多彩な高等専門学校を生み出し、近代日本の
礎に欠かせない、数多くの人材を排出した。

藩ごとに制度上の差異はあるが、5~6歳になると私塾
に通い、読み書きを習った。9~10歳で藩校に入学し
四書(論語・大学・中庸・孟子)、五経(易経・詩経・
書経・礼記・春秋)を、素読から習い始めた。

各藩は、文武合わせた1校開設が主流の中で、加賀藩は
文と武を明確に分け、文学校を「明倫堂」、武学校を
「経武館」と名付け、現在の兼六園の梅林横に、2校
並べて開校した。

明倫堂では、朱子学をメインに和学、漢学、漢医学、
算術など多彩な科目を学ぶことができた。
経武館では、馬術、槍術、剣術、柔術、軍螺(ほら)
組打の学科があった。

女子は、礼記「男女七歳にして席を同じゅうせず」の
教えに従い、百人一首、古今和歌集、平仮名と習字を
習った。
藩校では、今日の小学校レベルから、中学、高校、大学
レベルまで、一貫教育を行ったことが特筆される・・
この時代、これほど徹底して教育を行った国は、世界に
例を見ない。

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