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金沢城再建/玉泉院丸庭園

1594 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「金沢城再建/玉泉院丸庭園」

平成18年から、金沢城と兼六園の世界遺産登録を目指
して、史実に沿って復元整備事業が行われている。

藩政時代の金沢城には「百閒堀」「白鳥堀」「大手堀」
「いもり堀」の、計4つの水堀があった。明治以降埋め
立てられ「百閒堀水堀」だけが現存していた

平成22年、金沢城の西の端「いもり堀水堀」が復元
した。

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平成27年には、明治期に廃絶された歴代藩主の内庭
玉泉丸庭園が、昔の姿のまま復元された。
この庭園に、二代藩主利長の正室玉泉院の屋敷があった
ことから、玉泉丸庭園と呼ばれるようになった。 

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玉泉院丸庭園西側の一郭、尾山神社に面した「鼠多門」
と「鼠多門橋」の発掘調査が終了。2021年の併用を
目指して、今年から本格的に復元工事が開始された。 
      
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江戸時代、金沢城は幾度となく大火に見舞われ、城門や
屋敷は
焼失した。そんな中、鼠多門は明治17年に焼失
するまで、250年間存在していた。
尾山神社と鼠多門の間のお堀に架けられた鼠多門橋も
復元されることになった。 

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鼠多門と鼠多門橋が完成すると、尾山神社でお詣りして
鼠多門橋を渡って、玉泉院丸庭園から金沢城に入り、
石川門から出て兼六園をたどる・・新しい観光コースが
生まれます。

金沢城は、平成7年に角間に移転するまでの50年間、
金沢大学のキャンバスとして、市民や観光客から隔離

れていただけに、喜ばしいことです。

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