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母親にらい病を告げる息子

■差別の実例

*ホテルの宿泊を断られた
*飲食店の予約を断られた
*クリーニングの持ち込みを断られた
*路線バスの乗車を拒否された
*家族の結婚や就職が断られた
*故郷に帰れない 

2003年、熊本のホテルが宿泊を断った。
ホテルは謝罪したが、誠意が見られないと、
元患者は謝罪を受け入れなかった。

マスコミに報道され、元患者を非難する
差別的手紙やメールが殺到した。
社会に差別意識が根強く残っていることを
再認識する事件でした。



1643 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「母親にらい病を告げる息子」

前文略・・・その夜何年ぶりかで親子が枕を並べて寝る
ことができたが、これが母との最期の別れになるのでは
ないか、という思いが脳裏をよぎる度、胸が締め付けら
れるようで、私は瞳が熱くなるのを押さえきれなかった。

やがて母が『久々にお前の元気な顔を見て安心した。
明日には所用があって、どうしても帰らなければならな
い。
これからも一生懸命働いて、人様に可愛がられるような
人間になっておくれ』と言ったところで、ようやく病気
にかかったことを打ち明ける、勇気が湧いてきた。

『実は先日、病院で診察を受けたところ、らい病だとい
う宣告を受けた。不治の病と言われているが、岡山に
長嶋愛生園という専門の国立病院がある聞いて、
私は、そこに行ってしばらく治療してみることにした。

医学の進歩もあって、もしかしたら治るかもしれない。
今日、お母さんにだけ行き先を知らせようと帰ってきた』
と、やっとの思いで言えた。

薄明りの中でも、母の表情がさっと変わり、蒼白になっ
たことがわかった。しばらく沈黙が続いたが、母は大き
なため息をフッと吐き、声を震わせながら・・
『そんな病気はご先祖様から聞いたことがない。それは
何かの間違いだ。こちらでもう一度よく診てもらえ』
と言った。
私が『大阪の大きな病院で一日がかりで診察した結果だ』
と言っても納得しようとしない。

沈痛な雰囲気のまま時間が過ぎて、夜が白々と明けて
きた。母の頬に涙が光っているのが見えた。
一晩中二人は一睡もせず、親子で泣き明かした。

                                                                     ・・次号に続く

                             文芸社/加賀田一「島が動いた」より抜粋

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