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台無しになる

1655 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「台無しになる」

数年前のこと・・講演会の会場に到着して、講演に使う
資料が入ったパソコンを忘れてきたことに気づいた。

その日のために、時間をかけて下準備したパソコン。
これがないと講演が持たない・・ 講演会が”台無し”に
なってしまう・・「どうしよう」と途方に暮れた。

急きょ自宅に電話して、忘れてきたパソコンを持ってき
てもらうよう頼んだが、講演開始に間に合いそうもない。

講演を”台無し”にするわけにはいかないので、
パソコンが届くまで約30分間、別の題材でつなぎ、
何とか切り抜けることができた。

この1件で、私にとって何が”台無し”になるのかを
考えさせられた。
そもそも台無しの”台”は、仏像を安置する台座の
ことで、座がなければその上の仏像は形をなさず、
仏像の威厳もなくなってしまう。

日頃、しっかり勉強しておけば、資料が無くても講演
できるはず・・資料が無くてうろたえるのは、私に中身
が無い証拠・・台を頼りに講演に臨もうとしている、
薄っぺらな自分がいるのです。

大切なのは、人前で満足に話すことのできない、
上げ底の自分ではなく、血となり肉となって身についた
、在りのままの自分に向き合うようで
なければならない
のです。

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