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伊庭貞剛の経営哲学

■伊庭貞剛(いばていごう)1847~1926 
  近江に生まれた明治の実業家で、住友二代目総領事。 
別子銅山中興の祖と言われ、煙害問題を解決し、  
ハゲ山を積極的に植林し、環境復元に心血を注いだ。
この植林事業が、現在の住友林業の礎になっている。
※参考
2017年6月1508号 「別子銅山跡を歩いて」
                         1509号 「伊庭貞剛の名言」



1673  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「伊庭貞剛の経営哲学」

昨年の5月、ハイキングで登った愛媛の住友別子銅山は
栃木の三井足尾銅山、茨木の日立銅山と共に日本3大
銅山に数えられる。
1690年、元禄3年に採鉱が始まり、豊富な産銅量で
住友の発展と、日本の近代化に貢献した。

明治27年、別子銅山で大規模な労働争議が起きて、
容易に収まらなかった。
この難局を打開するために、伊庭貞剛を別子鉱業所
支配人に任命した・・47歳の時である。

過去、禅修行の経験のある伊庭は、禅の心得をもって
経営にあたった。
新居浜に赴任した伊庭。まず四畳半の草堂を建てて、
これに起臥して、毎日散歩をし、山に登っては降り、
草堂では謡曲をうなった。それ以外何もしなかった。

手ぐすねひいて待ち構えていた労働者や会社側は、
何たるのんきさかと、呆れかえるばかり・・
伊庭は、何を言われようが、毎日同じ日課を繰り返し、
山道で坑夫や人足に会うと「やあ今日は、ご苦労さん」
と挨拶した。
そのうち、不思議なことに人心は沈静し、大紛争も
しだいに収まっていった。

不信の塊となり離散した人心を一つにまとめるには、
(徳をそなえた)伊庭のありのままの姿を、みんなに
わからせる以外にない・・
そう思い、気長に根気よく日課やりを続けたのです。

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