« 生きることすべてが修行(2) | メイン | 今も続く、元ハンセン病患者への偏見 »

生きることすべてが修行(3)

1718 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
幸せな人生
生きることすべてが修行(3)」

以下、正眼寺住職・正眼僧堂師家・山川宗玄禅師
若き修行僧時代の体験講和・・前号の続きです

修行時代、管長の運転手になり、様々な行事につい
ていった。管長の講演・・開催地や主催者が変われ
ば、講演の内容も演題も変わった。
演題は違っても、話の内容は7~8割同じだった。

何度も同じ話を聞くうちに、後の流れがわかってく
る。始めの頃は熱心に聞いていたが、回を重ねる
うちに、退屈して居眠りするようになった。

ある時、管長の講演を何度も聞きに来ている社長
さんに会った。その社長さんに、私はうっかり
『7~8割同じ話ですよね』と口を滑らせた。

社長さん『その通りですね・・でも、毎回違います
よ』
それを聞いた時私は”ゾクッ”とした。
私は、今日も同じ内容と、寝て聞いていたのです。
社長さんは、真剣に聴いていて『毎回違っていた』
と・・
内容はおおむね同じなのに、何が違ったのか?
それは、聴いている社長さんが変化していたので
す。同じ話を、前とは違う聴き方をし、学んでいた
のです。
修行僧は、毎日定められた時間に起床し、座禅を
組み、作務をし、同じ日課を繰り返しているが、
日々新しく変化していく・・それが修行なのです。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.noevir-hk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/2367

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ひとつ前の投稿は「生きることすべてが修行(2)」です。

次の投稿は「今も続く、元ハンセン病患者への偏見」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36