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第九の初演は不人気だった

●1972年
欧州議会はヨーロッパを象徴する
「欧州の歌」として「歓喜の歌」を採択。
世界的指揮者のカラヤンが編曲した。

●1989年11月
ベルリンの壁が崩壊したドイツで、
翌12月のクリスマスに巨匠バーンス
タインの指揮で、第九が演奏された。

●1998年
長野五輪の開会式で、小沢征爾の指揮で、
第九の大合唱がスタジアムに響き渡った。


1877 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「第九の初演は不人気だった

年齢性別を問わず、すべての人に愛されている「第九」
毎年12月になると、全国で第九コンサートが開かれる。
コロナ禍の今年は、内容の縮小や中止を迫られている。

今年12月16日は、ベートーベン生誕250年になる。
交響曲第九は、フランス革命の精神に熱狂したベートー
ベンによって生み出され、1824年5月7日ウイーンで
初演された。
当時53歳、亡くなる3年前で、既に聴力を失っていた。

初演の興行は、運営費がかさんで失敗に終わった。
憤慨したベートーベンは、関係者を罵倒したという。
半月後に再演したが、客席が埋まらず赤字に終わった。

ドイツの音楽新聞は、合唱付きの第四楽章「歓喜の歌」を
短く、
わかりやすくせよと書き、聴力を失っていなければ
同じように思ったはず・・と痛烈に批判した。

ベートーベン没後、第九の演奏はほぼ途絶えてしまった。
理由は、当時ウイーンでイタリアオペラが流行し、交響曲
への関心が薄かったことです。

そして楽譜は、当時の演奏技術や楽器の性能を超え、
編成も大規模過ぎて、プロ奏者が揃わなかった。

時代を先取りし過ぎたのだろう・・22年後、ワーグナーが
最新の楽器に合わせて編曲・演奏して、第九が再評価された。
評価が定着するのは、後の時代になってから・・

日本では、第一次大戦時の1919年、収容所のドイツ兵
捕虜によって、徳島県鳴門市の久留米高等女学校の講堂で
初演された。
ところで、日本の歳末の風物詩「師走に第九」の習慣は
日本だけ! 一説には、ドイツに留学経験のあるNHK
職員が、欧州の習慣と勘違いし、1940年の大晦日
ラジオに流したのが始まりという。 

                                                              読売新聞

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